第40話 貴族、とは。

「まず、この世界には身分制度があり、大きくは王族、貴族、平民となっているのは解りますか?」


 二人、中庭のベンチに並んで座ると、私は床で足をぶらぶらさせて座る聖女マミに問いかける。 すると彼女はつんと唇と尖らせて頷いた。


「流石にあたしだってそれくらいはわかってるよ。」


 失礼しちゃう! という彼女に曖昧に微笑みながら、では、と私は続ける。


「では、貴族の仕事は解りますか?」


 それにも、大きく頷く。


「綺麗なドレスを着て、お茶会をして、舞踏会に出て、美味しいもの食べて、贅沢して楽しく暮らすこと。」


 けろっとした顔でそう言った彼女に、私は首を軽く振ってから微笑んだ。


「確かに庶民の方の中にもそう考えていらっしゃる方が大変に多いのは事実ですが、実際にはかなり違います。」


「え? 違うの? だって皆、しょっちゅう夜会に出たりお茶会したりして、おしゃべりして、御馳走食べてたじゃん。」


 大袈裟にも思えるほど驚いた顔の聖女マミに、私は頷く。


「確かに、突然この世界にやって来て、お披露目や様々な夜会などに参加され、学院と神殿と王宮しかご存じない聖女様には、この世界の貴族の有り様がそのように見えたのかもしれません。 ですが、それは貴族社会のわずかにある煌びやかに見える一部分だけで、現実にはそれ以外の仕事もたくさんあるのです。」


「ふぅん。 じゃあ、夜会とかお茶会じゃないときはなにやってんの?」


 私の話につられるように聞いてきた聖女マミに、私はそうですね、と答える。


「まず貴族は『爵位』やそれまでの功績などを考慮され、王家より『領地』を与えられます。 貴族の当主はその『領地』を責任もって統治をします。 解りやすいように、ひとつ、王都から南西に行ったところの、とある伯爵の領地を例に挙げてみましょう。」


 聖女マミの表情を見ながら、私は話を進める。


「その領地は、大変に肥沃な大地の広がる穏やかな気候の安定した場所です。

 『領主』である伯爵は、その土地を開国時の功績の報奨として王家から賜りました。 先ほども言ったとおり、その土地には希少な宝石の出る鉱山などはありませんが、非常に緑豊かな大地です。 そこで伯爵は、その大地を有効に使えるよう、その地に住まい、その特性をよく知る『領民』の意見を聞き、私財を投入し、他国から当時我が国では珍しかった牛や羊、それに小麦などの種を買い集め、彼らと頻繁に意見の交換をしながら、試行錯誤し、畑や放牧地を作り、小麦や野菜の栽培と畜産を始めました。

 現在では、先ほど申し上げた通り『領地』に住む『領民』にそれらの仕事を託していますが、当時、初代伯爵は自らが農具を持って領民とともに領地を開墾したそうです。

 そうして試行錯誤の末に収穫出来たものが、現在も伯爵家の特産品である小麦や野菜、ミルクや羊毛です。

 しかしそれらはそのままでは日持ちもしませんし、何より税として国へ納めようにも現物は認められません。 そこで伯爵は、収穫された物をその地の特産品とするべく、再び領民たちと共に試行錯誤を繰り返し、様々な形に加工しました。 そうして出来上がった品を、伯爵は他の領地や他国へ自ら赴いて商人や貴族相手に売り込み、交渉して、金に変えることが出来たのです。

 ですがその売り上げは、次の年への蓄えや、作ってくれた領民の生活も支えるためのものでもありますので、すべてを伯爵が取り上げることは出来ません。

 そこで伯爵は、商会を立ち上げ、商才のある領民にその仕事を託します。 そして彼らが売り上げた収入から、彼等へ給与を払うようにしたのです。」


 そこまで話して聖女マミの顔を見ると、難しそうな顔をして、首を傾げた。


「えっと、社長と会社員とかそんな感じ? 働いてもらって、給料渡す、みたいな。」


「社長、会社員が何を示すのかわかりませんが、そのようなものなのだと思いますわ。」


 そうっ! と言いたいけれど、いまの私は聖女の世界を知らない物としているので、はっきりとした肯定はしないまま、頷きながら話を進める。


「給与を払い終え、残った売上金も、全てが伯爵の物にはなりません。 先程もお伝えした通り、王家へ決められた税を支払う義務が貴族にもあります。 それらをすべて払い終え手元に残った利益がようやく伯爵の私財――収入となります。 ですが、それらを好き勝手に使うことはなかなかできません。 貴族として最低限には身なりや生活を整えなければならないからです。 それを怠ると、相手から『貴族の癖に』と馬鹿にされ、見下され、商売に支障をきたすこともあります。 ですから貴族は平民に比べると、良い身なり、良い生活をしているように見えるのです。

 さらに言えば、領主はその現状に満足し停滞することなく、自領をより良くするために、経済学や領地経営学を学ぶ必要があります。

 先程あげた伯爵はそれらの勉学に加え、自領の特性を考慮し、気象学、農耕や地質学、食品加工、それらを売買するために必要な経営交渉術などを学び、また、次の当主となる嫡男にも、幼い頃からそれらを学ばせ、嫡男がマミ様の年齢の頃には長期休暇ごとに自分と共に行動させ、実践的に領地運営を学ばせています。」


 それには、聖女は目をまん丸くした。


「え? そんなに早くから家の仕事教えられるの? ってか、それまでの奴も超めんどくさくない? 貴族なんでしょ? なのにそんな地道に仕事するの?」


「貴族だからこそですわ。 先程もお話ししたとおり、『領地』を豊かにするために、日々勉学をし、研鑽を積み重ね、領民たちとやり取りをし、働いてくれる領民に報い、飢えさせないようにする事が、領地を持つ貴族の大切な仕事です。

 もちろんそれだけではないですよ。 領民の生活を守るため、街の整備をし、経済を循環させ、領民の健康を守るために病院を設置し、年々増える孤児たちのために孤児院を運営し、領内で強盗などが横行しないように騎士団や自警団を整備しなければいけません。

 高位貴族になれば、王宮での勤めや、議会の出席、領土も広く、産業も多岐にわたることも多いため、夫人と共に行ったり、遠方の領地であれば親戚筋の貴族を代行領主に置いて指示を出したりしていることも多いのですが、それでも、それらのすべての責任と管理は当主の仕事になります。」


 そこまで聞いた聖女マミは、は~と、口をぽかんと開けたまま頭を振った。


「何かそうやって考えると、地方自治なんとか、納税の義務とか……貴族って県知事みたいな感じだね。」


「県知事と言われるものが何かは存じ上げませんが、そのように感じられたのなら、同じようなものだと思います。」


 確かに似てるかも!? と思いつつも、困った顔をして頷いた私は、貴族って大変なんだなぁと言いながら呆然としている聖女マミを見る。


「マミ様は、先ほど『綺麗な服を着てお茶会をして舞踏会に出る』のが仕事と仰いましたね。」


 その問いに、聖女マミは素直に頷いた。


「そんなに仕事があるなんて思わなかったから。 あ、でも、その仕事って当主の人がやるんでしょ? 女の人はお手伝いだけなんだよね? じゃあ、女の人は、お茶会や夜会で着飾って話してにこにこしてればいいんじゃないの?」


 素直な感想と質問に、私は説明を続ける。


「いいえ。 夫人の役目はまた別にあります。 夫を支え、屋敷の管理をします。 王都の屋敷はもちろん、領地にある屋敷の管理もです。 雇っている使用人すべてに目を行き届かせ、招待されたお茶会・夜会へ行くかどうか判断しお返事をし、参加する場合にはお土産などを相手の家に応じて手配します。 また、自宅で夜会や茶会を開催する場合には、自ら招待客に招待状を贈り、お返事を確認し、お出でになるお客様に合ったお茶やお酒、お料理などの手配をします。 お茶会や夜会が始まれば、招待客に失礼のないように料理、お酒の品目を確認し、それらが切れることのないよう指示を出し、また、お客様同士でトラブルが起きたりしないよう、常に会場全体に気を配っていなければなりません。」


 そういえば、聖女は顔をしかめる。


「えぇ、そんなの使用人がやってくれるんじゃないの?」


「実際の手配は家令や執事、メイド長などがやってはくれますが、指示を出し気を配るのは女主人の務めですよ。」


「ええぇぇ、めんどくさい! みんなただ綺麗なかっこしてニコニコして、踊ったり食べたりしてただけだと思ってた~。 それに、学院でも、王妃様のお茶会でも、みんな小難しい話なんて聞かなかったよ? 相手の宝石やドレス褒めたり、お酒とか料理の材料の話ばっかだった。」


「確かに、他所の世界から来たマミ様には、それがただ楽しそうに話をしているだけのように見えたかもしれませんが、そこには情報がたくさんあるのです。 出席している婦人や令嬢は、話題の中で語られる他領地の状況……そうですね、例えば天災や虫害の広がりを確認したり、商売につながりそうなヒントなどの情報収集を行っているのです。 ですが、情報を得たり、上手にお話しするようになるには、やはり場数が必要になってきます。 それらの練習の場が学院です。 マミ様も通っている貴族学院は、貴族の家に生まれた令息令嬢が将来、責任ある成人貴族として、社交界へ出るための社交の練習や、人脈造りをする練習の場所という位置づけなんです。 ですから、私たちが開いていたお茶会も、ただ楽しくみんなで話しているだけではなかったのですよ。」


「情報収集?」


「はい。 虫害が自分の領地に入って来ないか、天候不順が作物の生育や流通に影響しないか、悪い付き合いをしている者はいないか、しっかりと私たちは聞いて、見て、情報を得ています。 そうして得た情報の中で、自分の家格や領地にも関係がありそうだと思う事があれば、帰宅後に当主へ報告します。 当主は夫人や子供たちから得た情報をさらに精査し、自領の損を最小限に、益を最大限にするために考え行動するのです。」


(だからそんな席で、身もわきまえず豪華なドレスに身をつつみ、粗雑な行動をし、さらには婚約者のいる男性を取り巻きの様に連れ歩くマナーの悪さは、あっという間に広まってしまうのですよ……とは、今は言わないでおきましょう。)


「思ってたよりお貴族様って、大変なんだね……。」


 簡単にではあったが、彼女のわかりやすいように貴族の務めの話を説明し終えた私は、神妙な顔つきをしている彼女に頷き、それから問いかけてみた。


「私たち貴族はこれが『常識』だったのですが、マミ様は、あちらでどのようにお育ちになられたのですか?」


「育つ?」


「はい。」


 顔を上げ、不思議そうな顔をした聖女マミに、私は笑って問いかけた。


「例えば。 私はザナスリー公爵家の双子の姉として生まれました。 物心ついたころにはお父様とお母様はお仕事や社交にお忙しく、私と弟は乳母や使用人と居る時間の方が長い生活でした。 3歳になったころからでしょうか、家庭教師の先生がやってきて、毎日マナーやダンス、歌に楽器などを勉強するようになり、5歳の時に第一王子殿下との婚約者として王命が出された後は、毎日王宮に通う形で王子妃教育が始まりました。」


 そこまで話すと、聖女マミはびっくりしたように私を見た。


「は? 待って。 5歳の時に、あの意味わかんない王子妃教育ってやつをやらされてたの? おかしくない? あんた、何時遊んだりしてたの?」


 心底吃驚している彼女に、私は内心同意しながらも、穏やかに笑んで答える。


「当時から、本当に自由な時間というのは、夜寝る前にしかありませんでしたね。 時折、王妃殿下や父母とお茶会をしたり、領地に赴いたりはしていましたが、その程度でしょうか。」


「じゃあもしかして、王子妃教育って年齢で違うの?」


「いいえ、変わらないと思います。 私が王子妃教育でまず教えられたのはマナーです。 人前で表情を崩してはいけない、どんな気持ちでも悟られてはいけない、絶対に泣いてはいけない。 他者に弱みを握られるような行動をしてはいけないと厳しく躾られました。 それを合格した後は、ドルディット国の歴史、言語、歴代の王やその功績、王家の仕組み、ドルディット国貴族名鑑にある国内中の当主や領地や特産品を覚え、それに合格すると、今度は近隣諸国の言葉やマナー、交渉術などを習いましたね。」


「え~、マジ、あんな厳しいのを5歳で受けてたとか、ありえないんだけど! 大体5歳なんて、幼稚園であいうえお習ってたくらいの年だよ? パパがお休みの日に家族で動物園や水族館に行ったり、お友達と遊んだりして。 ピアノ教室とかに入ってたけど、国の仕組みと国の歴史とか勉強してる子なんてそんないないよ!? なのにあんたは5歳でそんなことさせられてたの? ちょっと厳しくない? やばいって!」


 まぁ、日本では5歳って年中さんの年だから、向こうでは親の教育方針で小学校お受験とかするような子は同じようなものだろうけれど、一般的にはそうよね。と思いながら私は微笑む。


「それが、領地領民、ひいては国を背負うべき公爵令嬢であり、王子妃候補者としての義務で、当たり前のことだと言われていましたので疑問に思うことはありませんでした。 確かに自由に遊びたいと思った事はありましたけれども。 あいうえお、とは、マミ様の住んでいた国の言葉ですね。 その他には何をされていたのですか?」


「他にって言われても……幼稚園児だよ? クレヨンとか絵の具でお絵描きしたり、皆で遊んだり……そうだ、お遊戯会の発表会の練習はしたよ。 先生達凄い必死なの。 あたしはシンデレラの魔女の役やったんだ。 シンデレラも王子様もなんでか5人ずついてさ、魔女の私が一番目立って超ラッキーだった。」


「まぁ、そうなのですね。 シンデレラや魔女が何かは解りませんが、面白いものなのでしょうね。」


 そう問えば、マミは初めて穏やかに嬉しそうに笑った。


「うん、お姫様だとキラキラしたドレスを着せてもらえるから、特別なんだよね。 一番人気だったよ? 灰だらけで継母やお姉ちゃんにいじめられるシンデレラが、良い魔女の魔法で綺麗なドレス姿に変身して、王宮の舞踏会で王子様と踊るの。 だけど時間制限があってね、シンデレラは王子を置いて走って帰っちゃうの。 その時、硝子の靴を落としちゃうんだけど、その靴のお陰で王子様がシンデレラを見つけて、最後は結婚して、幸せになるって話だけど。」


 話しているうちに、顔が曇っていく聖女マミに、私は気が付かないふりをして頷いた。


「まぁ、あちらの世界には、そのようなおとぎ話があるのですね。」


「うん……。」


 そう言ってうつむいた聖女マミは、それに今の自分を重ねて、この誤差を受け入れられないのかもしれない。 どう声を掛けようか、と考えていた時、彼女は顔を上げた。


「ねぇ。 そういえば、こっちは小学校とか、中学校とかはないの? あたしの世界だと、6歳で小学校に入って、12歳で中学生になるの。 中学3年になったら高校受験して、いきたい高校に行くんだけど、一緒?」


 不安げに目を揺らしながらも問いかけてくる彼女に、私は笑みを浮かべたまま答える。


「こちらでは貴族は10歳まで、自宅で一般教養やマナーを家庭教師に習うのが一般的ですわ。 11歳になると、貴族は王立の貴族学院の初等科に入学するのが貴族の義務です。」


「年齢は違うけど、学校に行くのが義務なのは一緒なんだ。 義務教育ってやつだね。 向こうでは国語とか数学と英語とか習うんだけど、こっちでは何を習うの?」


「マミ様がこちらで入られた学院の授業と一緒ですわ。 女性は、言語学、算術、国家の歴史などの座学に、淑女教育と言われる、ダンスや食事お茶などの基礎教育が中心になります。」


「あ~。 紅茶の淹れ方とか飲み方とか歩き方に食事のとり方だっけ……。 あっちの学校とは全然違うなって思ったよ。 言語学? とかはあっちと同じだって思ったけど。」


 は~っとため息をついた聖女マミは、ちらっと私を見た。


「そうやって、きちっと膝をくっつけて背筋を伸ばしてお行儀良く座るのも、マナーって奴なのね。」


「そうですね、これについては、もう小さなころから厳しく家庭教師の先生や使用人から教わったことですわね。」


「使用人から?」


 再び目をまん丸くした聖女マミに、私は笑む。


「そうですよ。」


「なんで? 使用人って雇われてる人でしょ? それなのに主人にマナーのこと注意するの? ムカつかない?」


「ムカつく……というのは腹が立つ、という事でしょうか? それでしたら理不尽な事でない限り、そのようには思いません。 貴族の屋敷で働く、家令や執事、侍女や侍従などの上級使用人と言われる者たちは、その家柄にあったマナーや言葉遣いなどをしっかり学んでから仕事に従事しています。 勿論、父や母も教えてはくれますが、基本は先ほど言った家庭教師や侍女などが絶えず傍にいて、マナーに反した事をすれば、その都度彼女たちから指摘を受け、あわてて直すことが多かったですね。」


 そう説明した私に、聖女マミは顔をしかめた。


「絶えず傍にって、めっちゃ息詰まるね。 そうそう、こっちに来て、最初の頃は神官と王宮から来てた侍女のおばちゃんが、あたしに向かって逐一文句言っててヤになったけど、あんなのをちっちゃい頃からやられるなんて、ほんと無理。 なんか思ってたよりもずっと大変なんだね、お貴族様って。」


「生まれて以来そのような生活をしていたので私は有難いと思っていますが、異世界で自由に過ごされていたマミ様には窮屈に感じるかもしれませんね。」


 げんなりとした顔をしてそう言った聖女マミにそう答えた私の耳に、午後の鐘の音が聞こえた。


「あら、こんな時間。 少し話し込んでしまいましたね。」


 ベンチから立ち上がって聖女マミに声をかけた。


「ちょうどおやつの時間ですから、厨房に寄ってから養育室へ行きましょう。」

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