第38話 ミーシャの作戦と、聖女の罵声

 翌朝。


 日の出前に起きた私は、着替えと洗面を済ませ、一年の間に伸びた髪を一つに纏め、三角巾をして部屋を出る。


 木製の桶に水を張り、掃除用の手布を入れて聖堂の方に向かうと、女神像から始まり、祭壇、チャーチベンチ、窓、床の順番で綺麗に拭き上げていく。


 後片付けまで終え、手を洗い、うがいをした私は聖堂の裏扉を閉めると養育棟の厨房へと向かった。


「おはようございます。」


「おはよう。 朝ごはんはあっちだよ。」


「ありがとうございます。」


 厨房に顔を出してから食堂に入ると、いつもの席についた。


 手を組み、お祈りを捧げてから、コップに注がれた、暖かい蜂蜜入りの乳を飲み、新鮮な野菜をちぎっただけのサッパリしたサラダを食べ、それからパンを手に取る。


「おはよう、ミーシャ。」


「おはようございます、シスター・サリア。」


 にこっと笑って目の前に座ったシスターサリアは、お祈りを済ませるとお茶を手にしながら私を見た。


「今日から聖女様の補助に入るんですって?」


「はい。 皆さんばかり疲れていても大変ですし、それにちょっと荒療治にはなるんですが……。」


 パンをちぎる手を止めた私は、少し声を潜めて言った。


「きっと、ご飯を運び込んできたのが私だと気が付いたら、猛烈に拒否をするか、勝ち誇って自分の状況を話すと思うんです。」


「え? 拒否はわかるけど、勝ち誇る……?」


 どういうこと? という顔をしたシスターサリアに、頷きながら、ちぎったパンをスープに浸して口に入れる。


「予想ですど、自分は王子のお手付きになったけれど、私は公衆の面前で婚約破棄された上、こんな修道院なんかに入って可哀想! と勝ち誇ると思うんです。 ですがそれに私がありがたいと思っていると知れば、苛立った感情をぶつけて来ると思うのです。 長丁場になるかもしれませんが、そこから、どうにか話を聞いてもらえるまでになればいいなと思っています。」


「……なるほど、1度不満の気持ちを全部吐き出させて、それから話を聞いてもらうというわけね。 まぁ、可能性がないわけではないわね……。」


 聖女の日ごろの様子を思い出しながら、少し納得したようなシスターサリアは、スープを飲みながら心配げな顔をする。


「けれどうまくいくかしら? ミーシャに気が付かないって言う事も考えられない?」


 シスターサリアの言葉に、私は首を振る。


「ありえません。 学園でも王宮でも、私を見れば必ず声をかけてきていましたので、気が付くと思いますし、気づかなければ名乗ります。 少しでも私のことを思い出せば、以前から何かと私と比べ、張り合ってきていましたので、反応しない、という事はないと思います。」


「それはそれで……逆に上手くいくかしら?」


 心配げなシスター・サリアに、私は微笑んだ。


「おそらくは。 どちらにせよ、一度全部心に溜まっている物を吐き出してしまえば、そして相手の興味をこちらに引くことが出来れば、一方通行な話ではなく、会話が出来ると思うのです。 どちらにせよ、彼女次第ですが……何とかなると思います。」


 私は王宮や学院で顔を合わせては何かと張り合い、私を見下そうとしていた聖女マミの顔を思い出して、そう言った。









「あんた! ミズなんとか公爵令嬢じゃないっ! なんでこんなところにいるのよっ!」


(ミズリーシャ・ザナスリーなのですが……私の顔しか覚えていなかったのね。)


 朝食の乗ったトレイを手に、寄宿棟の一番奥のさらに奥に足を踏み進めた私は、騎士様の確認の後、扉をノックし部屋に入ると、侍女の方と挨拶をしテーブルに朝食を置いた。


 そして挨拶をして立ち去ろうとした時、声を掛けられた? のだ。


 彼女の使用しているこの部屋は、私達が使っている部屋の倍ほど広さがあり、一見簡素ではあるがしっかりとした作りの、私たちが日ごろ使っているものよりも少し大きめのベッド、テーブル、椅子、衣類を入れる箪笥が置いてある。


 そんな色味の少ない部屋の中では、ひと際この部屋に不釣り合いな、淡いピンク色のひらひらした、丈は短く露出度の高い夜着姿でベッドの上に寝転がっていた聖女マミは、上体だけを起こして私に指をさして叫んだ。


(人に指さすなんてあちらでも無作法なんだけど……相変わらず、お変わりないようだわ。)


 いつも私のこと指さしていたわねと思いながら、私は背筋を伸ばすと、彼女に向かって頭を下げた。


「おはようございます、お久しぶりですね、聖女マミ様。 私は現在、ミーシャと呼ばれております。 朝食をお持ちしましたのでお召し上がりください。」


 そう言い終わり顔を上げると、聖女マミの気の抜けた声が聞こえた。


「はぁ!?」


 艶を失ったボサボサの黒髪を掻きむしり、怠そうにのそのそと起き上がってベッドの端に足を下ろすた彼女は、はしたなくも太ももまでむき出しになった足を組み、ぶらぶらと揺らしながら、睨みつけるように私の方を見た。


「なんであんたがここにいんのよっ?! わかった! 私の事、笑いに来たんでしょう!? 相変わらず嫌な女っ! 最低っ! 馬鹿にしないでよっ!」


(あらあら、随分お口も悪いようで……。 甘ったるく鼻にかけて語尾を伸ばしていたのは、演技だったのね。)


 彼女はいつも甘えたで、第一王子殿下やその側近、女王アリに群がるアリの様にまとわりついていた男子生徒たちに『ありがとぉ~。』とか『えぇ~、大好きですよぉ~。』と言った話し方をしていたが、こちらが素のようだ。 こんな姿を見たら、お熱を上げてた男性たちの千年の恋も冷めていくだろう……私としては今の方が好感持てるが、と考えながら穏やかに微笑む。


「いいえ。 今申し上げた通り、朝食をお持ちしただけですわ。」


「なんであんたが朝ごはんを持ってくるのよ!」


 目を吊り上げて叫ぶ彼女に、変わらず私は微笑む。


「それは、ここは私が勤める修道院で、今日からマミ様の御世話係が私になったからですわ。」


「……はぁ? あんたが勤める修道院で、あんたが私のお世話?」


 目をまん丸くして私の方に体を向けた彼女は、私の頭のてっぺんから足の先まで何度も繰り返すように頭を動かすと、本当に嬉しそうに、満足そうに顔を歪めてぷっと噴き出し、それから腹を抱えて笑い出した。


「あはははははっ! そうだったっ! あんたのこと、あんまりにも生意気でムカついたから、ジャスに言って、皆の目の前で婚約破棄して修道院に送ってやったんだっけ?! あー、いい気味だわ! 最近嫌な事ばっかりだったけど、面白い! あんた本当に修道院に入ってたんだ! 嘘かと思ってたのに! ちょーおもしろい! 久しぶりにめっちゃすっきりしたぁ! ざまぁみろよっ! そんなヘンテコでボロい服なんか着ちゃって、髪も結んだだけ、アクセサリーもドレスもないなんて! 私の方がよっぽどお姫様じゃん! きったなぁい、あははっ!」


 はしたなく大きく口を開け、腹を抱えながら体を大きく揺らし、ゲラゲラと笑う彼女に、私は穏やかに微笑む。


「まぁ、聖女様にそのように喜んでいただけて大変に恐縮ですわ。 実は私、聖女様にお礼を申し上げたかったんですの。」


「はぁ!? お礼? なによ!」


 笑っていた目を吊り上げながらこちらを睨み見たマミに、私は一年前までの生活を思い出し、公爵令嬢として叩き込まれた淑女の微笑みを顔に張り付けると、丁寧にカーテシーをした。


「貴女のお陰で、長年にわたり、我が公爵家と私が王家に願い続けていた婚約解消が無事叶いました。 しかも、殿下の有責での婚約破棄という形になりましたので、実家である公爵家には、王家と神殿より多額の慰謝料がお支払いいただけたと伝え聞いております。 聖女様には本当に感謝しかありませんわ。 心よりお礼申し上げます。」


「ふ……っ!」


 お礼を言い、顔を上げた先で、マミが間近にあった枕を掴むと、こちらに向かって振り上げたのが見えた。


「ふざけるんじゃないわよぉっ!」


 ばふっ!


 勢いよく飛んで来た枕は、傍にいた侍女の左手によって阻まれ、床に落ちた。


「なによっ! なによ、皆で私の事、馬鹿にしてっ! 私はこの国の第一王子の子供を妊娠してるのよ! いずれ王妃になる人間なのっ! あんたたちなんかよりよっぽど偉い人間なのよっ! それなのにこんな牢屋みたいなところに勝手に連れてきて、馬鹿にして! 敬いなさいよっ! 大事にしなさいよぉっ!」


 もう一つあった枕も投げつけられたが、再び侍女の手によって床に落とされると、今度はシーツを掴んでぐちゃぐちゃにしながら、髪を振り乱して叫び始めた。


「なによっ! なによっ! 私は悪くないじゃないっ! なんでっ! なんでよっ!」


 甲高い声に、寝具を殴りつける音、それに混ざる罵声。


 そんな姿を見た私は、傍にいた侍女を見た。


「助けていただいてありがとうございます。 あの、彼女はいつもこんな様子ですか……?」


「仕事ですのでお礼など不要でございます。 本日はいつもよりお元気です。」


 侍女の含みのある言い方になるほど、と思いながら、私は静かに暴れる様子を見ていた。


 どれくらい待てば落ち着くかしら。 30分、1時間? あぁ、半日だと仕事がはかどらないから困るかも……と思って彼女を見ていたが、暴れるだけの体力もそれほどにはなかったのだろう、10分もしないうちに肩で息をしながら、私の事を睨んできた。


「何でまだここにいるのよっ!」


 それには、にっこり微笑んで答える。


「いえ、何時までそうしていらっしゃるのかと思って。 朝食が冷めてしまいますわ。 最近よく食べられるようになったのでみな安心しています。 何も食べられていなかった時は、皆で心配していましたので。」


 その言葉に、マミは顔を赤くしてベッドを叩いた。


「はぁ!? 心配!? 何言ってんの!? そもそも、こんなところに入れられてるくせになんでそんなに余裕そうに、偉そうにしてんのよっ! あんたなんか、最初見た時から大っ嫌いだったのよ! 何でも持ってる、何でもできる、なんでもわかってるみたいなすました顔して偉っそうに! さっさと出て行きなさいよっ!」


「かしこまりました。 では、時間になりましたらこちらを下げに参りますので、どうぞお早めにおめしあがりくださいね。 それでは、失礼いたします。」


 静かに笑って頭を下げた私は、『二度と来るんじゃないわよっ!』という彼女の罵声を聞きながら、侍女や騎士に確認しつつ丁寧に扉を閉めた。


(ひとまず認識はされていたみたいだから、第1段階は突破ね。)


 ちらっと扉を見た私は、騎士に会釈すると仕事に戻るために養育棟へと足を向けた。

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