第37話 皆に溜まる疲労と提案

「あら、可愛い。 これは振ると音が鳴るのね。 それに押して歩くとぬいぐるみが飛び出すおもちゃなんて、発想が面白いわ!」


 あらあらまぁまぁと、先程運び込まれてきた新しい知育玩具を見て、触って、声を上げたハンナに、私はその中のひとつを手に取って笑った。


「試作品なので、皆さんで使っていただいて、率直な感想や使い勝手、子供の反応を教えて欲しいそうです。」


「前回のベビーサークルや積み木も良かったけれど、新しいものも素敵ねぇ。」


「ふふ、そう言っていただけると、弟も喜びます。 これは、ガラガラというそうですよ。」


 今、私が手に持っているのは、軽い木を筒状にくりぬき、中に鈴を入れて蓋をして、赤ちゃんが持ちやすいように持ち手を付けたいわゆるガラガラだ。 その他にも、私の足元に置かれているのは、ねんねの赤ちゃんが手や足を延ばすとちょうど届くくらいの高さに赤いお花、黄色いミツバチ、青い象のぬいぐるみをぶら下げたプレイジムと、押して歩くと穴からウサギやモグラがぴょこぴょこ飛び出す仕掛けのついた手押し車がある。


 今日、アリア修道院宛に弟の名前で公爵家から届いた『(私の前世の記憶の欠片を試行錯誤して作ってもらった)おもちゃの試作品』。 私は手紙で伝えた通りにできて届けられた完璧な試作品に満足しながら、抱っこしていたダリルの目の前でころんころん、とガラガラを鳴らした。


 大きなペリトッドグリーンの瞳を動かして、音のなる方へ視線をのんびり動かすダリルは、ほわっと蕩けるような笑顔を浮かべる。


「まぁまぁ。 ミーシャの弟さんは若いのに子供のための事業を起こすなんてすごいわね。 少し前に送られてきた取っ手付きの哺乳瓶にも吃驚したけれど、とてもいいアイデアよね。」


「えぇ、おかげでアニーは、見守りは必要ですけど一人でミルクを飲めるようになりましたものね。」


 うふふ、と笑いながらダリルの手にガラガラを握らせた私は、プレイマットの上で必死に寝がえりを打とうと頑張っているシンシアの手足を誤って踏んでしまわないように注意しながら、しっかりとよく見える位置にプレイジムを置いた。


「ん! あ!」


 突然目の前に現れた大きな赤い花が目に付いたのか、ぎゅうっと手を伸ばしてお花を掴もうとしたシンシアが、声を上げる。


 掴もうとしてはゆらっと揺れて手から逃げて行ってしまう赤い花に、興味津々の様子で両手を伸ばすシンシアの横で、のっしのっしとはいはいしてきたアニーが、嬉しそうに赤い花の隣にぶら下がる青い象を掴んだ。


「あら、2人とも上手ね。」


 ニコニコ笑いながら、遊びに夢中でシンシアに乗っかってしまいそうなアニーをよっこいしょ、と抱っこしたハンナは、手押し車の横に置いてあったピンクのウサギのパペットを取り出してアニーに渡した。


「公爵家から届いた赤ちゃん用の食事テーブルのついた椅子も使い勝手が良いし、公爵家は将来安泰ね。」


「……本当ですね。」


(2年後にはその公爵家も、この国から消えると思います。)


 なんて思いながらもにこやかに頷いたところで、急に養育室の扉が開き、肩を落としたダリアが疲れた表情で「ちょっと休ませて頂戴」と、入ってきた。


「ダリア。 そんなに疲れた顔で、どうしたんですか?」


 本当に疲れ果てた、という顔をしたダリアに聞くと、深い深い溜息を一つ吐き、まだお花を掴もうと頑張っているシンシアの横に座った彼女は唸るようにボヤいた。


「また、聖女様がちょっとね。」


「おや、今度はどうしたんだい?」


 首を捻ったハンナの方を見て、3度ため息をついたダリアは、頭痛でもするのか両手の親指で自分のこめかみをぐりぐりとしてから、あそんでいるシンシアを見て言った。


「今度はね、王宮に戻りたいと大騒ぎしてるんだ。 2週間もこんなところで我慢したんだから限界だ! ってね。」


「いや、帰るなら神殿だろう?」


 首を捻るハンナに、今度は私が苦笑いをしながら答える。


「多分ですけど、王太子の子を妊娠してるんだから、自分も王族だと思っているのかもしれません。」


「あぁ……。 あの聖女様ならありそうだ。」


「何だってそんな考えになるのかねぇ。 私らだってわかるのにねぇ。」


「聖女様はこちらで生まれ育ったわけではありませんし、当事者だからこそ、自分の置かれた状況が理解できないのかもしれません。」


「あぁ……なるほどね。」


 多分そうなのだろうと思われることを言った私に、残念そうな声を上げたハンナに、呆れたように笑うダリア。


 直接的にやり取りをするわけでもないのに、周りの人を巻き込んで毎日大騒ぎする聖女マミは、あれだけ文句を言っていた食事の方は、プリンを食べたのを皮切りに、空腹に耐える事が出来なくなったのだろう。 毎食しっかり残さず食べ、何なら足りない、もっと豪華にしろ、と言うようになった。


 しかし食事をとったことで体力が戻り始めたからだろうか。 ここ3日は、どうにかここから脱走しようと必死に頑張っているらしい。


 侍女がいない隙を見はからって、隠し扉や通れる窓がないか部屋中隈なく探してみたり、窓の鉄柵を外そうとしたり。 時には配膳などで扉が開いたタイミングや、トイレや浴室へ向かう途中に、警護の騎士や侍女に体当たりして逃走を図ってみたり。


 もちろん、隠し扉はないし、窓の鉄格子は外れることはない。 ましてや普通の女性である聖女に突進されたり殴られたりするくらいで、鍛え上げられた侍女や騎士が怪我をしたり、隙を見せて聖女を逃がしたりするわけではないのだが、彼女は毎日、果敢に脱走にチャレンジし、体格差に負けて弾き飛ばされたり尻餅をついたりすると、今度は王族に向かって不敬だ、横暴だと、さらに暴れているようだ。


「……なんというか……お腹の赤ちゃんが心配ですね。」


「そうなんだよねぇ……腹の子に障るからやめなさいと院長先生に説明をされているんだけどねぇ……。」


 話を聞くたびに、私はお腹の子に何か不都合はないのだろうかと心配になるのだが、それは皆も同じのようだ。


「なにがそんなに腹立たしいんだろうねぇ。」


(もう、全部だと思います。)


 シンシアをあやしながらため息をつくダリアに、私は口にしないまでもそう思いながら、内心溜息をつく。


「いろいろなことが立て続けに起こっているので難しいかもしれませんが、聖女様は一度、冷静になる事がまず必要だと思います。 ……こちらがいくら説明しても、相手が話を聞いてくれないと意味がありませんもの。」


「冷静かぁ……あの聖女様からは、程遠い言葉だねぇ……。」


 ダリアとハンナがそう言って頷き合う。


「……そうですねぇ……。」


 ふぅっと息を吐いた私は、ガラガラを重たげに揺らしながらにこっと笑ったダリルに笑顔を返しながら、一つ思いついた可能性に思考を巡らせた。








 厨房の仕事に戻っていったダリアを見送り、その後はいつも通りに一日の仕事をやり終えた私は、寄宿舎へと帰る前に院長室に向かった。


 扉の前で一つ深呼吸をしてからその部屋の扉をノックした。


「はい。」


「ミーシャです。 今宜しいでしょうか?」


「どうぞ、入っていらっしゃい。」


「失礼します。」


 入室の許可を得て、扉のノブを掴んで回した私は、静かに部屋の中に入った。


「何かあったのかしら?」


 いつもの大きな執務机ではなく、応接セットの一人掛けのソファに座って書類を見ていた院長先生に、私は小さく首を振る。


「なにか、というわけではないのですが……その、皆様から聖女様の話を伺いまして。」


「なるほど。 みんな疲れているから心配になった、というところかしらね。 どうぞ座って頂戴。 ちょうどよかった、私も話をしたいと思っていたのよ。 お茶を淹れるわ。」


 手に持っていた書類を置いた院長先生は、納得したように笑うと、どうぞと私をソファに促しながら自分はお茶の用意をしようと立とうとしたため、私はそれを止める。


「あの、先生、よろしければ私がご用意してもよろしいですか?」


 そう言えば、少しびっくりした様子の院長先生は、いつものように穏やかに笑うと頷いた。


「ありがとう。 そうね、ではそこに用意してあるティーセットを使ってくれていいわ。 お茶菓子もあるから、一緒にだしてくれる?」


「わかりました。」


 院長先生の言葉にうなずいた私は、用意してある湯を使い、ティーポットを温めながら、数種類ある茶葉の中から、用意された菓子に合うものを選ぶと、ポットのお湯を捨て、茶葉を2人分計って入れると、そこにお湯を注ぐ。


(いい香り。 この茶葉だと、時間はこれくらいね……。)


 ふわっと香る茶葉の匂い。


 働いている間は、時間がないため大きめのポットにミルクも混ぜてたっぷり作り、子供たちが眠った時などの養育の合間合間に味わう暇なく飲んでいるお茶を、こうして作法通りに丁寧に淹れるのは心が落ち着くなと思う。


 丁寧に蒸らしたお茶を丁寧にティーカップに注ぎ淹れ、お菓子も添えると先に院長先生にお出しする。


「あぁ、いい香りね。 淹れるのが上手なのね。」


「ありがとうございます。 久しぶりなので腕がなまっていないといいのですが。」


 多分大丈夫なはずと思いながら、自分の分のお茶と菓子をテーブルに置いてから院長先生の正面に座った私がそう言うと、大丈夫よ、と笑いながら院長先生はカップを手にした。


(……綺麗な所作。 カップの持ち方、お茶の飲み方。 元侯爵令嬢だけあって、やはりマナーは完璧だわ。)


 しみじみそう思いながら、私もティーカップを手にした。


 鼻腔をくすぐる紅茶の香りを楽しんでから、そっと一口飲み下す。


(ん、上手に淹れられたわ。)


 そう思っている私に、院長先生は一つ頷いて、にっこりと笑ってくれる。


「美味しいわ、ミーシャは紅茶を淹れるのが上手なのね。」


「ありがとうございます。 そう言っていただけてほっとしました。」


 褒められたことにお礼を言うと、先生は穏やかに笑いながら、ティーカップを置いた。


「それで、何かあったのかしら、ミーシャ。」


 問いかけに、私もティーカップを置いて院長先生を見る。


「聖女の事で皆、かなり疲弊しているようですが……彼女の様子はどうか、伺ってもよろしいですか?」


 それには院長先生は少し考えるように目を伏せ、それからそうですね、と口を開いた。


「あまりよくはありませんね。 皆から聞いていると思いますが、今はここから出ようと必死のようです。 今日は侍女に食器を投げつけたとも聞いています。 私も、朝と夕方に様子を見に入っていますが、すっかり嫌われてしまったようで、私が来たと解るとベッドの中に隠れてしまうんです。」


「……そうですか。」


「あの日、深夜に突然、本人の意思など関係なくここに運び込まれたのもまた、要因の一つなのでしょう。」


 猿轡をされて連れてこられたあの晩の事かと思い出す。


「先生、なぜあのような形で聖女はここに来たのですか? 彼らは王宮騎士のように見えましたが。」


「えぇ、そうです。ここにくるひと月ほど前から、彼女は王宮の一室にいたようです。王宮侍医の診察によって懐妊が発覚し、さらにはその相手の中に第一王子殿下がいたことがわかったことで、貴族牢へ入れられていたということになっています」


「貴族牢ですか……。」


 それは罪を犯した高位貴族や王族を一時的に拘束しておく部屋だ。 王宮にある数多くの部屋の中でも、最低限の家具しかない最も簡素なであるが、王宮内だけあってそれなりの品が整っているため、下位貴族はそれが牢とは気が付かないこともあるそうだ。


 窓は開かない作りだが鉄格子があるわけではないし、扉も脱走の危険性がない限りは騎士が立っているだけで鍵もかかっていない。


(神殿で暮らしていた聖女様が、貴賓室だと勘違いしていた可能性はあるわね……。)


 そう考えながら院長先生を見ると、ひとつ、頷かれた。 考えていることが解ったのだろう。


「神殿に暮らすのが常である聖女様が王宮で暮らし始めた経緯は解りかねます。 しかし、彼女にとって王宮に暮らしているということはステータスにも似た物だったのかもしれませんね。 最初は大人しく過ごしていたようです。

 しかし長く暮らせば生活には慣れます。 そうすれば更なる贅沢を求めるようになるのが人の常……そして、一度得た贅沢な生活を忘れられないのも人の常でしょう。 だからこそ、贅沢のできる王宮に帰りたいと言っているのだと思います。」


「それは、確かに。」


 私もここに来て最初の1ヵ月は本当に苦労したわ……としみじみ思いながら、院長先生の話を聞く。


「彼女の交友関係が精査されたとき、関係のあった高位令息たちは口々に『後腐れない割り切った関係』だと言っていたようです。 彼女にそのつもりはなかったのでしょうが、相手にそう誤解され、利用されるような行動をとった聖女にも問題はあったでしょう。

 彼女の行動に問題があろうとも、『国のために召喚された正式な聖女』である事実は変わりません。 聖女は国と王家が『国の宝』として保護し、神殿では『聖女』として崇められる立場なのです。 しかも第一王子が寵愛した存在だったことは、彼女のために貴方という婚約者に対し夜会の場で婚約破棄したこともあり、みな周知しています。

 そんな聖女が誰とも知れぬ子を懐妊した。

 王命により王宮内の秘匿とされていたその事実はなぜか噂となり、それを聞いた関係を持った令息を持つ家は今頃戦々恐々としています。 それはそうでしょう、聖女が生んだ子供がもしも自分の息子の子供だったとしたら……。 

 婚約者がある身でありながら、さらに聖女に不埒を働いたとして社交界には醜聞が広まるでしょうし、王家としてもここぞとばかりに聖女を穢した者として『国家反逆罪』を言い渡す可能性だってあります。

 貴方も知っての通り、王宮には様々な貴族の息のかかった使用人がいます。 そんな中、争いの種にしかならない子を腹に宿した聖女を置いておけばどういう事になるかは考えるに難しくありません。 関係があった者の家の当主の中には、子が生まれる前に聖女諸共……と考える者も出てくるかもしれません。

 危険な王宮から聖女を修道院へ逃がす方向に動いたのは第一王女殿下です。 そのお陰で彼女はこうして守られて生活をしているのですが……彼女自身にはそれらが何も伝わっておらず、王宮から突然修道院に連れてこられ、憤慨しているというのが現状です。」


「そう、ですか。」


 あぁ、思ったとおりだと心が苦しくなる。


 すべてが悪い方向に進んでいる。 そうして最悪にならないように動いた第一王女殿下の気持ちさえも、彼女には伝わっていない。


(いえ、理解させる前にここに連れてきてしまったから、最悪の状況になったんだわ。 まずは自分の状況を聖女に認めさせる事が先よね。 そのためにはこちらの話を聞いてもらわないといけない……と、なれば。)


 私は静かに背筋を伸ばすと、院長先生を見た。


「先生。 お願いがあります。」


 それには、少し院長先生は表情を曇らせた。


「……貴方の考えていることは解ります。 しかし彼女は貴方に対していい印象は抱いていないでしょう。 貴方に危害が及ぶ可能性もあります。 そんなことになっては……」


「騎士様と侍女の方がいらっしゃいますもの、きっと大丈夫ですわ。 それに、私、以前の様に扇より重たいものを持ったことがない、深窓の令嬢ではありません。 扇よりもうんと重い赤ちゃんを片腕で抱っこできるくらいには、ここに来て逞しくなりましたわ。」


 にっこりと笑って、提案する。


「明日から、私も聖女のお世話の補助に入らせてください。」

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