第35話 わがまま聖女とプリンと騒動
「はぁ~……、本当に、今までで一番厄介な相手だわ。」
「お疲れ様です。」
「本当、あれのどこが良くて男どもはホイホイ騙されてしまったのかしら? せっかく出された食事を無駄にするという事だけでも、私なら願い下げなのだけど。」
(同感です……。)
厨房にやってきてそうそう、深い深い溜息をつきながらボヤくマーナに、私は心底同意しつつ、同情した。
彼女の手の中には、食事を配膳する時に使うトレーがあるのだが、ちらっと見てみればミルクスープはひっくり返り、パンは原形をとどめずボロボロでスープに浸り、温野菜のサラダはフォークでザクザクと突き刺すだけ刺して放り出したらしい。 デザートの果物だけが無くなってはいるようだが、トレイの上は惨劇だ。
「また、ですか?」
「また、よ。」
たった一人の人間に対する呆れ疲れた溜息は、マーナだけで今日何度目だろうかと思う。
「いいのよ? 私は直接言われてる訳でも、見ている訳でも無いから。 けれど心底、彼女の世話をしている侍女の方には同情するわ。 あんな我儘で自分勝手な人間に、退所の日まで付き合わなきゃいけないなんて私なら御免だわ。」
「は、はぁ……。」
怒り心頭っといった様子で、ぐちゃぐちゃにされた食事を片付けるマーナに、私は返す言葉もなくただ頷いた。
(温厚なマーナにここまではっきりと言い切られているなんて……。)
「彼女には、本当に困りましたね……。」
そう言って、私は寄宿棟がある方角を見、その人物を思い出して溜息をついた。
聖女マミは、現在、私たちが寝起きしている寄宿棟の一番奥、窓に鉄格子が嵌められた1部屋で寝起きしている。
私は初めて知ったのだが(ほかの人も、そんな部屋があるなんて忘れていたと笑っていた)、マーガレッタ嬢やアンヌがいた部屋の更に奥に、実はもう一部屋、特別な部屋があったらしい。 そこは滅多に使うことのない、自傷他害等、問題行動のある者を一時的に保護するための部屋だそうだ。
深夜に大騒ぎをしたためそんな部屋に入れられた彼女のため、アリア修道院には人目のつかない深夜ごとに、日替わりで世話係の侍女と女性騎士がやってきている。
侍女のお仕着せの袖、女性騎士の胸当てにある紋章を見るに、院長先生の生家である侯爵家から派遣されているようだが、先日の話を聞いた私としては、それも真実、正しいかは分からなかった。
院長先生の計らいで、彼女に私が直接関わることはなかったが、皆の話を聞くだけで、聖女マミの傍若無人さと、侍女と騎士が『職務に対して忠実であれ』と徹底的に教育がされた人達であるということはよくわかった。
夜中に突然起こされたかと思ったら、こんな狭くて汚いところに入れられた! と憤慨し、寝ているとき以外は終始癇癪を起こしている聖女マミから、何をされても言われても、ただ淡々と、きっちり丁寧に聖女の世話を侍女はこなし、騎士は扉の前に立って、彼女が暴れた時には抑えたりしていたそうだ。
それもじきに落ち着くだろうと、みんな様子を見ていたが、3日たっても、7日たっても、10日たっても彼女はまったく変わらない。
いまだ、口を開けば自分は聖女でもっと大切にされるべき人間なのに、この扱いはなんなのだ、部屋が気に入らない、着るものが気に入らない、食事が気に入らないと、怒鳴り散らし、物を投げ、人を罵っているらしい。
そんな彼女に対し、日替わりの侍女は終始無表情のまま、丁寧に受け答えをしているようだが、そうすると今度はその答えと態度が気に入らないと、喚き散らし、それでも相手が反応してくれないと解ると、手元にある物に八つ当たりしながら、自分は聖女なんだからもっと優しく扱ってほしいと泣き落としにかかっては失敗する、を繰り返しているようだ。
(なんというか……ただの我儘な子供のようだわ……。)
どこの世界のお子様だと言いたいが、どれを選んでいいか、大人でも善と悪の判断が付きにくい、情報があふれ、夜の闇が逃げるくらい文明が発達した世界の子だったわ、と前世の記憶をたどって考え付いた私は、やれやれと呆れつつも納得し、直接関わらない代わりに他の仕事を頑張ろう、と、彼女の部屋から持ち出される、食べられない上に嫌がらせのようにつつかれた食事の残骸の後片付けや、無惨に穴の空いた枕を繕い、ぐちゃぐちゃのシーツなどを洗濯する日々だ。
そして今日も、いつも通りに気に入らないと突き返された食事の残骸の返却。
気に入らなければ手をつけなければいいものを、当てつけのようにわざわざトレイの上でぐちゃぐちゃにして返してくるなど、ただの子供である。
(いえ、子供……子供だったわ。)
確か初めて会った時、彼女は16歳だと言っていた。
あれから1年半は経っている。 とすれば今は17歳くらいであろう。 完全に未成年だ。 聖女召喚で呼び出されたりしなければ、元の世界で、高校の卒業を控え、受験するか、就職するか、親や友達と考えながら、日々移り変わる流行りを追いかけて青春を謳歌していただろう。
(かと言って同情するか、と言われれば、その後の行動と状況を考えると……悩ましいのよね。)
どうしたものかと思いながら、マーナが行っていた後片付けを請け負い、手際よく終わらせると、それを見計らったように、卵をポンポンとボールに割り入れ始めたのは本日厨房当番のハンナだ。
「今日のおやつ用ですか?」
私が声をかけると、あぁ、と太陽のように彼女は笑う。
「そう。 今日は新鮮な乳と卵がたくさん手に入ったからね。 クッキーとボウロを作ろうかと思っているんだ。 ま、あの聖女様は気に入らないだろうが、子供たちは大好物だから喜んでくれるだろう。」
「そうですね。」
手際よく菓子造りを行うハンナの様子と材料を見ていた私は、机の上に置かれた材料を見、ひとつの菓子を思い出した。
「ハンナ。 私も一つ、お菓子を作っていいですか?」
そんな私に、ハンナはびっくりした顔をする。
「ミーシャはお嬢さんだったのに料理が出来るの? いいよ、こっちを使って。 で、何を作るんだい?」
場所を開けてもらった私は、鍋で牛乳を沸騰しないように気を付けながら温めつつ、その横で別のボールで卵を溶きながら答えた。
「プリン、です。」
「これが、プリン……っていうお菓子なの?」
「はい。」
その日のおやつの時間。
養育室に院長先生以外の全員が集まり、初めて見るであろうプリンの前に困惑しているのを見て私は笑った。
(あの材料みてたら、思い出したのよね。)
卵と乳と砂糖。 そして沸いたお湯を見て思い出した調理実習で作ったプリン。 そういえばこの世界で食べたことがなかったけど、食べたいなと、手順を思い出しながら作ったのだ。
(……ちょっとスがたってしまっているけれど、きっと誰も気が付かないし、これも愛嬌という事で……。)
そう思いながら、全員に配ると、ぜひ! と、皆に食べるように勧める。
「これは随分と不思議な食べ物ねぇ……。 プルプルで、つるつるで。 ミーシャはどうしてこんな食べ物を知っているの?」
困惑気な顔をしているシスター・サリアに、私はにこっと笑う。
「昔見た本に載っていたのです。 今日、おやつの材料を見て作れるかもしれないと思いたちました。 これなら、乳や卵を食べられるようになった子供も食べられますし、栄養価も十分ですよ。」
誤魔化すように笑ってそう説明した私は、お手本を見せるようにプリンを一つ手に取ると、スプーンを使って掬い取る。
「こうしてすくって食べてください。」
私のするようにみんなが恐る恐る一口食べる。
するとすぐに、あらっ、とか、わっと、笑顔になり、みんな夢中で食べ進めてくれる。
「ミーシャ、これ、とっても美味しいわ!」
「確かに栄養価もいいし、歯が生えそろわない赤ちゃんでも食べられる素敵なおやつね。 あとで作り方を教えて頂戴。」
「もちろん、喜んで!」
自分の分を食べ終わった私は、隣でこちらを見、涎をいっぱい口からあふれさせているアニーに向かうと、小さなスプーンで一口分を救い上げる。
「はい、アニー。 あ~ん。」
「ん、まっ!」
あー、と大きな口を開けたアニーの口の中にプリンを入れると、目をまん丸くしたアニーは、もぐもぐごっくんして、両の手を上げて私に声を上げた。
「ん、ま! んまっ!」
「美味しかった? はい、どうぞ。」
次の一口を入れると、さらに目をまん丸くし、にっこりと笑顔になり、次を催促してくれる。
「あらら、アニーもお気に入りになっちゃったね。」
「ふふ、良かったです。」
「シンシアも、ダリルも、大きくなったら食べられるからね~。」
こちらに手を出しているシンシアの頭をなで、指しゃぶりをしているダリルに笑いながらそう語りかけるシスター・サリアのプリンの器は、すでに空っぽになっている。
みんなに気に入ってもらえてよかった、と、私はほっとした。
のだが。
「ミーシャ、大変。 聖女様が、あのプリンを毎食出せって騒いでるらしいわよ。」
おやつが終わり、皆が各々の仕事に戻った夕方。
ベビーサークルの中で遊ぶアニーと、ずりはいに成功し布の積み木を手にして満足そうなシンシアの隣で、取り込んだばかりでカラッと乾いて温かい洗濯物をたたんでいた私の元へ、聖女の下膳から帰って来たマーナがあきれ返った表情でそう言いながら入ってきた。
「はい? 毎食、ですか?」
言われた意味が理解できず、肌着をたたんでいた手を止めて反芻した私の隣に座ったマーナは、目の前の洗濯物の山に手を伸ばしながら頷いた。
「ほら、今日のプリン、おやつとして聖女にも出したでしょう? そうしたら、文句ばっかり言ってたくせに、それを見た途端、物凄く喜んで食べたらしくってね。 すぐに食べ終わった後、これしかないのか、もっと出せ、今持ってこれないなら毎食出せ! って、侍女に向かって騒いだそうよ。」
「は、はぁ……。」
その短絡的な行動を聞いてあきれた私は、止めていた手を動かしながら溜息をついた。
(懐かしくてうれしくなってしまったのかもしれないけれど……困ったわね。)
「あくまでおやつとして出したものですし。 それに、どんなに美味しくても、毎日毎食食べていたら、すぐに飽きてしまうと思うのですが……。」
自分で言って、改めて思う。
(言う事にやる事が極端だわ。)
はぁ~っと溜息をつきながら、私の隣で頑張ってうつぶせの体勢をとり、上体をそらして真っ赤な顔をしていたシンシアを頭をぶつけないように気を付けながらころんと上向きにして、そっとおもちゃを持たせる。
「聖女様っていうのは、この国のために尽くす人って聞いたことがあったけど、真実ってのはこうしてみないと解らないんだねぇ。」
パンパンと、小さな子供のシーツを伸ばしてたたみながら、呆れたように言ったマーナは、ほにゃ……と泣き始めたダリルの元に行くために立ち上がる。
ベビーベッドから抱き上げられたダリルは、うにゃうにゃと泣いている。
「あらあら、お腹が減ったのかしら? そろそろミルクの時間だものね。 ミーシャ、洗濯物をたたみ終わったらみんなのおむつを替えて水分補給にしましょう?」
「はい。 すぐ片づけますね。」
てきぱきと洗濯物をたたみ、シンシアとアニーに気を付けながら立ち上がった私は、赤ちゃんの衣類を各々の籠の中へ入れ終えた後、そのほかのシーツなどを抱え上げた。
「これだけリネン室に置いてきます。 ちょっとの間、アニーとシンシアをお願いします。」
ダリルを抱っこしながら頷いたマーナに私も頷き、養育室を出た私は、養育室と厨房の間にあるリネン庫で、たたんだばかりのシーツや衣類を所定の位置に片付ける。
「あぁ、ミーシャ。 ここにいたのね。」
「シスター・サリア。 どうかしましたか?」
そんな私に声をかけたのは、シスター・サリアだった。
彼女は少し困った顔をしながら、私の仕事を手伝ってくれる。
「彼女とプリンの話、聞いたかしら?」
彼女、と言われたのが誰か察した私は、リネンを片付けながら頷く。
「はい。 マーナから聞きました。 毎食出せと言っているとか。」
「それだけじゃないのよ。」
首を傾げた私に、シスター・サリアはため息まじりに首を振った。
「なんでこの世界にプリンがあるのか! ほかに聖女がまだいるのか!? って、騒いでいるみたいなの。 院長先生が対応しているみたいだけど、困ったわねぇ……。」
(……あ、しまった。 そうかぁ……。 異世界のお菓子が急に出て来たんだもの、そうなるわよね……)
そこで私は、軽率にプリンを作って出してしまったことを、後悔したのだった。
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