第29話 【他者視点】西の離宮の王子と聖女
「ジャス様ぁ! ジャス様ってばぁ!」
大きなリボンと花飾りの着けられた黒い髪を振り乱し、目にも鮮やかなピンク色のプリンセスラインのドレスを身にまとったマミは、もうっもうっ! と頬を膨らませながら、書類が積み上げられた机に向かい、自分に見向きもせず書類にペンを走らせるジャスティに叫んだ。
「せっかく会いに来たのに、どうして今までみたいな素敵なお部屋じゃなく、こんなに暗くて寂しいところにいるんですか!? それに、お茶もお菓子もどうして出てこないんですか? お話だってしてくれないし! もう! なんで今まで通りマミのために侍女を使ってお茶を用意してくれないんですか!? それに、舞踏会は? お茶会は? 今までいっぱい連れて行ってくれたじゃないですかぁ!」
もうっ! っとさらに大きな声を上げる彼女に目もくれず、傍についた無表情無言の侍従が差し出す書類に手を伸ばしたジャスティは、受け取る寸前のところでマミに横から奪われたため、ようやく顔を上げた。
「おやめください、聖女様。 そちらは大切な書類でございます。」
無表情で書類の返却を求める侍従にツーンと顔を背け舌を出したマミの様子に、ジャスティは小さく溜息をついた。
「返すんだ、マミ。 それは大切な書類なんだよ。」
「だって! だってジャスティ様がかまってくれないから。 ……そんなに大事な書類なんですか? マミよりも?」
ようやく声を掛けられたと、ご機嫌な顔でにこにことそう言ったマミに、そういう問題じゃないだろう、と言う事も出来なかったジャスティは、もう一つ、小さくため息をつくと彼女の名前を呼んだ。
「マミ。」
「はぁい、何ですか? ジャス様。」
うふふ、と笑うマミに手を差し出す。
「マミの事を、私は大切に思っているよ。 だけど、今はそれどころじゃないんだ。 仕事は刻一刻と増える。 今後の事を考えると、外出している暇はないし、君とお茶をしているわけにもいかないんだ。 君だってあの場にいたんだ、それくらいはわかっているだろう? さぁ、書類を返してくれ。」
優しくそう言えば、書類は返したものの、マミは不服そうにさらに頬を膨らませた。
「え~! なんでですか? 今まではお仕事を他の人に任せて、私と一緒にお茶をしたりしてくれたじゃないですか!」
(確かに今まではそうだった……だが、今はもう状況が違うんだ。)
ジャスティはがっくりと頭を下げ、マミに説明をする。
「あぁ、そうだったな。 だが、その仕事を請け負っていたのは私たちが追放したミズリーシャだったんだ。 だが彼女はいない。 私は本来の仕事をこうしてこなしているだけなんだよ。」
そう言えば、マミはうんざり、といった顔をしてジャスティに言い返す。
「えぇ、それは誰かがやってくれないんですか? 王子様なのに?」
それには、さらにジャスティは溜息をついた。
「マミ。 あの時、月の間での陛下や宰相の話を聞いていただろう? 私はミズリーシャと婚約破棄をしたことによって廃嫡され王太子ではなくなり、君が学園を卒業するまでの2年間、この離宮で執務をこなすようにと言われてたんだ。 それに、聖女である君は、本来こんなところで遊んでいる暇はないだろう? マミが学園を卒業するまでの残りの2年の間に、君が聖女の知識をもって何かしらの功績をあげてくれないと、僕たちは男爵になってしまうかもしれないんだぞ?」
その言葉に、マミは首を傾げ、目を真ん丸にする。
「え? なんでですか? ジャス様、なんで王太子じゃなくなっちゃったんですか? 王子様なのに? っていうか、男爵って何ですか?」
「男爵は、貴族の階級の中での一番下の階級だ。」
「え!? なんでですか? ジャス様、王子様じゃなくなっちゃったんですか? マミを王妃様にしてくれるって言ったじゃないですか、嘘つき!」
その非難めいた視線と言葉に、動揺し、視線を彷徨わせたジャスティは、慌てて説明を始める。
「それは……もう仕方のないことなんだ。 父上たちに許可なく私が婚約破棄をしたこと、その書類を偽装したこと、君の言い分だけを聞いてミズリーシャが君を虐めていたと決めつけたこと、王太子妃にのみ使ってもいい公金で君に高額のプレゼントをした。 これが全部、僕の罪となって廃嫡されたんだ。」
言っていて、ジャスティは急に虚しさを覚えた。
何故あんな愚かなことをしてしまったのだろう。 普通に考えれば当たり前のことなのに、なぜそのことに気が付かなかったのか。
(しかし、もう後がないんだ。)
しでかした失態に下された採択は、何か大きな功績がない限り覆されないだろう。
だからこそ、本当に、マミの力が必要なのだ。
「だからね、マミ……。」
「でもジャス様は王子様なんですよね? 偉いんですよね? そんなの知らない!って、つっぱねちゃえばいいんじゃないですか?」
いくら説明しても彼女には理解できないのか……?
艶やかな黒髪のおくれ毛を指に巻き付けながら首をかしげてそう言ったマミに、ジャスティは呆れたように溜息をつく。
「確かに私は王太子だったが、私が怒らせた相手は国王陛下だ。 この国で一番偉い陛下と、貴族院……私たちの国の全ての貴族の当主が名を連なる議会がそう決めたんだ。 罪状も出て、満場一致で決議されてしまった。 今後何を言おうと、いまのままでは決定は覆らない。 だから、マミ。」
(ふてくされている彼女にしっかりと言い聞かせ理解させて、頑張ってもらわないと。)
椅子から立ち上がり、がしっとマミの肩を掴んだジャスティは真剣な顔をした。
「僕たちの未来のために『神殿』と共に何とか功績をあげてほしい。 元の世界の知識をこの国にどんどん広め、我が国を豊かにしてほしいんだ! そうすれば、私たちは王族じゃなくても、公爵……そうだな、貴族の中でも最も位の高い……一番偉い貴族でいられるんだ。 そうすれば、また夜会にも茶会にも出れるようになるし、宝石もドレスも買う事が出来るんだ。 頼む、マミ! 君だけが頼りなんだ!」
「え~……。」
ふぅっとため息をついたマミは、真剣な顔をしたジャスティの頬を両手で包んだ。
「しょうがないですねぇ、そのかわり、マミのこと、今まで以上に大事にしてくださいね。」
「あぁ!」
「わかりましたぁ……じゃあ、神殿に帰って、お仕事頑張りますぅ。」
(やっとわかってくれた!)
破顔したジャスティは、力いっぱいマミを抱きしめた。
(マミが頑張ってその知識を広めて国に貢献してくれれば、貴族院だって、陛下だって私たちの事を疎かに出来ないどころか公爵位を賜り、その地位を盤石にすることが出来る! 僕の立場を立て直せるんだ!)
そう考えながら抱きしめたマミから体を離し、彼女を見送ったジャスティは積みあがった書類の山が立つ机へと、再び向かった。
「もう、やんなっちゃう。 王子じゃなかったら意味ないじゃん。 馬鹿じゃないの。」
神殿に戻り、駆け寄ってくる神官たちを振り払いながら、自室として与えられた広く清楚に整えられた綺麗な部屋に入ったマミは、置いてある姿見の中の自分を見て、ちっと舌打ちした。
鏡の中の自分は、黒い髪にゴテゴテの大きなドピンクのリボンと花飾りをつけ、同じ色のプリンセスラインにふわふわのシフォンのかかったド派手なドレスで着飾り、緑色の宝石のイヤリングとネックレスを付けている。
似合ってない。
実はびっくりするくらい似合っていない。
それくらい、解っている。
「七五三かっつーの! 王子の癖に、趣味悪っ!」
髪の毛につけていたリボンと花飾りを掴むとテーブルの上に投げ捨て、傍仕えを任されている侍女を呼んでドレスを脱がせてもらい、脱ぎ着しやすい白のワンピースを身につけた。
靴も、ドピンクのヒールからは気安い白のぺったんこの靴に変わったところで、後片付けが済んだ侍女を部屋から追い出したマミは、ベッドの中に飛びこんだ。
「なにが私達のためよ。 結局は自分のためじゃん。 ちぇっ、せっかくあの女を追い出したっていうのに、こっちが悪くなっちゃダメじゃん。」
マミは大きくため息をつき、この世界に来た時の事を思い出した。
目の前に迫る車。
事故にあう! と目をつぶり、次に目を開けたらこの世界にいた。
『聖女召喚』という儀式で、マミは突然、この世界に連れてこられたらしかった。
彼女をこちらに呼び出したと言った白い服の人『神官』は、現れた彼女にひれ伏し、『知恵をもたらす聖女様』と言った。
しがない、けれど親も、年の離れたかあいい弟もいて、それなりに仲のいい友達や、付き合い始めたばかりの彼氏がいて。 楽しく女子高生をやっていたマミはそんな状況に面食らった。
たった一回。
青信号の横断歩道を歩いていた時、ぶつかると目を閉じて目を閉じた瞬間に、それまでの事は全部なかった事のように消え、神のように彼女を扱う人たちに囲まれたのだ。
戸惑いながら神殿に迎え入れられた彼女はただ茫然と、そして半狂乱する事になった。
この世界で生きていく、と言われても、生活水準があまりにも違い過ぎたのだ。
向こうの世界で当たり前に享受していたモノが、こちらの世界にはない。
歴史で習ったような、古臭い風習や生活様式にただただ面喰らい、塩味しかない食事は喉を通らず、部屋に飛び込み這う虫に悲鳴を上げ、トイレやお風呂などの汚さに吐き気をこらえられず、元の世界に帰りたいとただ泣いた。
何度も何度も、元の世界に返してとマミは泣いて訴えたけれど、神官たちは口をそろえ、貴方様は創国の神が貴方は聖女様です←?というばかり。
聖女召喚の儀式で連れてこられる人間は、召喚の儀式のときに元の世界で命が儚くなった人をこちらに呼んでいるためらしい。
そう言われて思いだせば、確かに自分は車にひかれる寸前だった――当時と同じ場所に帰っても、車に引かれて死ぬだけなのだろうと、マミは漠然と理解した。
(じゃあ、これが私の第二の人生……。 もう帰れない……。)
それからは、泣くしかなかった。
世界に呼び出されてから、腫れものを触るように、大切に大切にマミに接した神官たちの、混乱する聖女に接する手慣れた様子も理解できた。
彼らの中で、呼び出された聖女が最初は泣き暮らすことも慣れた物なのだろう。
そしてマミも、泣きながら食事をし、泣きながら寝て……そんな生活に不本意ながらも慣れて行った。
そんな順応の変化を神官は感じたのだろう。 ある時から、神殿の人たちにはマミに『何か良い知恵をお与えください』と言うようになった。
一宿一飯の恩義?
いや、これから死ぬまでこの国で生きて行くために、この人たちから捨てられるわけにはいかない。
そう考えたマミは、向こうで持っていたものを教えるようになった。
おしゃれのためのカラコンやネイルに化粧品、SNSや大事な情報のやり取りをするためのスマホにテレビ、洗濯が楽になる洗濯機、衛生的な水洗トイレに自動トイレ洗浄機、食料保管のための冷蔵庫だって説明した。
なのに、まず、電気とは何か、上下水道とは何か、ガスとは何かと首をかしげて聞くばかりだった。
その上、現実味のないものは不要であるから、もっと役に立つ知識を出して欲しいと哀願する。
あんなにたくさん教えてあげたのに、どれもわからないままどんどんアイデアを出せなんて間違ってると感じながらも、アイデアがなくなったら捨てられるかもしれないと感じたマミは途方に暮れた。
そんな、再び泣いて暮らす日々に逆戻りしそうになった時、『神殿』で『聖女』より唯一偉いと言う老年の神官長が『国王陛下に謁見に参りましょう』とマミを連れて神殿を出た。
この世界に来てから、マミが神殿から出たのは初めての事だった。
そうして連れられて王宮に入った時、それまで悲観的であったマミの意識はごろりと変わった。
テレビで見ていた外国の宮殿というものが目の前にはあって、国王陛下と王妃様には、『可愛らしい聖女様。 聖女たる貴方にはこの国に来てくれたこと、心から期待している。 大切に扱うと約束しよう。』と褒め称えられ、次代の王であるとこの国の王太子様を紹介された時には、こんな綺麗な顔の、本物の王子様が本当に居るんだと目を丸くした。
(こんな素敵な人もいるのね。 ちょっとこの世界を見直した。)
そんな風に思ったマミだが、気に入らなかったのは、その王子様の隣に、婚約者として絶世の美女が微笑んでいたことだった。
(あんなにきれいなのに、王子様のお嫁さんになるなんて……なんで何でも持ってて当たり前って顔してるの!? 私はこの国の人間に、有無を言わさず勝手に連れてこられたのにっ!)
ドロッとした感情が、マミの中に芽生え、毒をまき散らす花として咲いた。
(私、この国を良い方へ導く聖女なのよね? じゃあ、私が王子様と結婚したほうがいいんじゃないかしら?)
そう思いついたマミは『聖女の私』に優しく接し、大切にしてくれる王子様に近づき、前世の少女漫画の知識である「男の子の好きな女の子」を駆使して好きになってもらえるように必死に努力した。
王家の計らいで貴族が通うとされる学園にも入れてもらうと、皆『聖女様』と私を大切にしてくれた。
多少違いはあれど、マミには懐かしい学校生活の再来である。 向こうの世界を思い出し、皆と話をし、楽しく過ごした
特に、王子様や学園の男の子は優しくしてくれ、神殿からのプレッシャーにつかれていたマミの疲弊した心を癒してくれた。
少し経つと、親の決めた婚約者とかいう令嬢達から呼び出されたり怒られたりすることはあったけれど、そんなのは女同士にはよくある事だから屁でもなかった。
王太子である王子様とは、少しずつ恋人のようになっていった。
彼に、『君と結婚したい、婚約者とは婚約破棄をするから、傍にいてくれるか?』
と、抱きしめられるまでに。
しかし
ベッドの上でごろんと仰向けになったマミは、溜息をついた。
(うまくいったと思ったのになぁ。 聖女の知恵って言ったって、出してもわかってくれないんだもん、私のせいじゃないじゃない。 あの様子だとジャス様と結婚しても、偉い貴族になれないから、贅沢も出来ないし、幸せにもなれない……このままじゃだめだよねぇ。)
ゴロゴロ、と、ベッドの上を転がった時、マミの目に学園の制服が目に入った。
「そうだ!」
ポン、と手を打って、マミは上体を起こした。
(学園で、ジャス様以上に良い人を捕まえればいいんだ! たしか、公爵、侯爵、伯爵が偉いんだっけ? あの夜会の後からちょっと学園休んでいたけれど、どうせジャス様は私の事かまってくれないんだし、通学しよう。)
うん、と頷いたマミは、満足げに再びベッドの上に体を倒した。
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