第28話 【他者視線】皇家と王家

 ローザリア帝国の皇宮殿のもっとも奥にある『皇家』の私的な内宮殿の中央。 この大陸で『最も多種多様な花木を取り集め庭師たちが厳重に管理をし、四季折々に触れ花が絶えることがないと言われる、皇妃が招いた者しか入る事が許されない』とされる『常春の皇妃の庭園』の中央。


 帝国一の彫刻家と建築家、装飾家が手掛けた繊細な鳥籠のようなガゼボの中、2つの人影が優雅にお茶をしていた。


「これはこれは。随分と思い切ったことをしたものだな、ドルディットの愚かな王太子、いや、そろそろ元王太子になっているかな?」


 黄金帝と呼ばれる、太陽を凝縮したような輝く黄金の髪を前髪は後ろになでつけ、後ろはバッサリと短く刈り上げたローザリア現皇帝ガイデンダム・フォートリア・ローザリアは一通の書簡を読みながら、豪快に笑った。


「帝国の皇位継承者でもあるミズリーシャを、己の不貞を正当化するために修道院送りにするとは。 よほど帝国を敵に回したいようだ。」


 ドルディット王国に住まう、才能あふれた可愛い甥っ子から久しぶりに『伯父上様へ』と届いた書簡と大きな箱。


 検閲にて開けられたその箱の中身と手紙の内容から、どう処理していいかと相談された宰相が、それを大切に抱え、真っ青な顔で公務を行っていた自分のもとに走って来たのだ。


 箱の中身は、目に覚えのある淡い金色の美しい髪を漆黒のリボンで一つに纏められ、入れられていた。


 添えられていた手紙は、『皇家』の物しか扱うことの出来ない帝国紋が中央に、皇位継承権を持つ者の個人紋が四隅に透かし彫りにされたその便箋を開くと、ところどころ、インクの滲みがある文体で、ミズリーシャの身に起こったことが事詳細に書かれ、『かわいがってくださった伯父様、伯母様、そして従兄たちには大変に申し訳なく、心から己の至らなさを反省し謝罪いたします。』と彼女の言伝が記されていた。


「小国とはいえ、一国の王子妃・王太子妃教育をすでに終了し、我が帝国の皇女教育まで終わらせているミズリーシャに至らぬところなどあるものか。」


「拝見しますわ。」


 正面に座る皇妃へ滑らせるように渡すと、柔らかなストロベリーブロンドを背に流し、同じ色のまつ毛に縁どられた水色の瞳を伏せた皇妃は、それを手にし、目を通してから微笑む。


「まぁ、本当に。 ドルディット王家は随分と思い切ったことをしましたこと。 王太子ともあろうものが、あの結婚の意味を父王から聞いていないはずがないでしょうに。 なんて可哀想なミズリーシャ。 ミシュエラが泣いてないといいのだけれど。」


「あれがそんなタマか。」


 ふっと笑った皇帝が、皇妃に笑いながら告げる。


「めそめそ泣くふりをして、今頃、ベルナルドと共に、ドルディット王の首元に突き付ける大鎌の刃を静かに研いでいるだろうよ。」


「それもそうですわね。」


 ふふっと笑った皇妃は、目の前の夫を静かに見やる。


「それで?」


「うん?」


「陛下はどうなさいますの?」


 問われた皇帝は、にやりと口元を面白そうに歪めた。


「そうだな。 ミズリーシャに対し王命で婚約を出した時にも釘は刺しておいたはずなのだが、まったくわかっていなかったことも分かったことだ。 そろそろベルナルドをこちらにもらい受けようか。 なに、あれの外交手腕は帝国内でも一目置かれているし、ミシュエラが降嫁した時に与えておいた帝国内の領地の経済的状況も安定していて、帝国内の貴族の中の評判も悪くはないだろう?」


「あら。 悪いどころか、そうなれば引く手数多ですわ。」


 うふふ、と皇妃は微笑む。


「あの小国はベルナルドの広い交友関係と外交手腕のお陰あってこそですもの。 小国では取引が難しいと言われる西方の国との交易も、ベルナルドが取り付けたとか。 国内のミシュエラの人気も相変わらず高いままですし、その子であるミズリーシャやアイザックも、その立場上、良く外交の場に顔を出しておりましたが、各国の評判は上々です。 今回の馬鹿げた話を帝国と、属国に少し大げさに広めれば、向こうは身動きは出来ないのではないかと。」


 そう告げたあと、そばに控える侍女に茶の入れ直しを頼み、そして再び夫である皇帝を見る。


「しかし、焦ったドルディット国が馬鹿な真似をしないとも限りません。 けん制のために、少し時期が早まってしまいましたが、ザナスリー公爵家をこちらに招き、アイザックの婚約者の発表を盛大に行いましょう。 向こうは王女を持ち出してくるかもしれませんが、こちらはすでに婚約式も終わっていますもの。」


「なるほど、そうだな。」


 ふっと笑って、入れなおされた茶を飲んだ皇帝は、手紙にそえられていた美しい髪を痛ましげに見つめた。


「後はミズリーシャが無事、3年を終えて出てきたときに手が出せないよう、修道院の周りにあの子の愛する美しいバラを植えてやらねばならないな。」


「えぇ。 なんでも、あのアリア修道院に入ったようです。」


 にこっと笑った皇妃は、一口、お茶を飲むとにっこりと微笑んだ。


「先代の院長はなくなりましたが、その後を継いで現在はアリアが院長を務めていると伝え聞いています。 あの一件以来手紙のやり取りしかしておりませんが、本当に懐かしいですわ。」


 皇帝はそうだな、とにやり微笑んだ。










「シャルル。 どこへ行くの?」


 金の刺繍が縁に施された豪華な真紅の絨毯の敷き詰められた廊下を歩くドルディット王国第二王子シャルルの背後から、可憐な少女の声が聞こえ、彼は足を止めて振り返るとその名を呼んだ。


「姉上こそ。」


 そこにいるのは赤く右頬を腫らした第一王女エルフィナで、シャルルは慌てて駆け寄った。


「こんなところで何を? それにその顔は……。」


「私の事は気にしないで頂戴。 これから部屋に戻って顔を冷やすつもりだったのだけど、貴方を見かけたから追いかけてきたのよ。 ねぇ、シャルル。 今は確か王太子教育の時間のはずではなかったかしら? この先にあるのは貴方の部屋ではないわ。」


 はぁ、とため息をついてシャルルは、そばに仕えていた侍女に顔を冷やすものをもってくるよう伝えながら、姉であるエルフィナを見た。


「……兄上のところへ行こうと。 今後についてどうお考えなのかと……。」


 そう、と笑ったエルフィナは、用意された冷たい布を侍女から受け取り、頬を冷やしながらシャルルを見る。


「それは時間の無駄というものだわ。 行っても、あの聖女が来ていてね、何を言っても喚き散らしてばかりでお話にもならないもの。」


「……なぜそのように。 ……もしかしてその頬は、兄上が!?」


 驚いた様な顔でそう問われ、エルフィナは静かに首を振った。


「行くには行ったけれど、この顔は違うわ。 言った内容は貴方と同じよ? 一体どういうつもりだったのかと聞くため。 けれど、聖女がいて話にならなかったわ。 自分だってやらなければならないことが山の様にあるでしょうに、お兄様に文句を言っていたわ。 もちろん、部屋を訊ねた私にも怒鳴り散らしていたわよ。 そんなところには行くだけ無駄。 貴方は今、自分ができることを、考えてやりなさい。」


「……それは……。」


 その言葉に目を伏せたシャルルの手を取ったエルフィナは、互いの侍女侍従をその場に留め置き、今いた廊下から出れる、花の盛りを終え、花弁が舞い散る庭にと出た。


「シャルル。 わたしは貴方がずっとミズリーシャ嬢のことを憧れ、好きだったことは知っています。 けれど、ミズリーシャ嬢のことは金輪際、きっぱり諦めなさい。 彼女はお兄様の手で、修道院に入りました。 見習い期間である3年間は俗世へ出てこれません。 それに対し、お父様とお母様がお兄様へ下した処分は、身内の目から見ても甘すぎる処分だったわ。 あきれてものも言えないくらいよ。 そんな中で貴方が現時点で婚約を申し出ても、ザナスリー公爵も、帝国も、決して許すはずがないわ。」


「それはそうですが……。」


「お父様にどう言われても、貴方がどれだけ彼女が好きでも、こんなことを王家がした以上は甘いことは言っていられません。 彼女の事は諦めて、残り2公の内のどちらかの令嬢を婚約者にして後ろ盾にし、その上で貴方の実績を重ねた方が良いと思うの。 いくら貴方が彼女が好きでも。 いくら父上の命令があっても。 帝国と公爵をこれ以上刺激しないために、ミズリーシャ嬢に婚約を持ち出すような真似はしないで頂戴。」


「それは、そうなのでしょうが……。 私は、諦めきれないのです。 幼い頃から、彼女に憧れていました。 兄上の隣で輝く彼女にずっと恋をしていたんです。 彼女を粗末に扱う兄上なんかより、ずっと、ずっとです。」


「もちろん、貴方がずっと彼女を好きだったことは知っているわ。」


 悔しそうに唇をかみしめているシャルルに、エルフィナは溜息をついた。


「私だってミズリーシャ嬢は大好きだったわ。 お姉様と呼ぶ日を本当に楽しみにしていたの。 彼女は私にとって憧れの人だもの。 この王宮で、机を並べて共に様々な勉強し、息抜きでお茶をしたり、散歩をしたりして過ごした日々は本当に大切な思い出で、とても有意義なものだったわ。 彼女はどんなに厳しい授業でも、弱音を吐くことなく、前向きに取り組んで、研鑽した上で、淑女の鑑として、婚約者として、お兄様を立ててくれていたの。 それなのに、そんな彼女に勝手に劣等感を抱き、自己を顧みず、研鑽を重ねないまま、自分を悲劇の主人公にして、あんな聖女に手玉にとられ、公人として足を踏み外したのはお兄様自身。 一介の貴族であればまだ許されたでしょうが、一国の王太子の身では許されない。 しかも『御璽』を盗み使って偽りの『王命』まで使って彼女を貶めるなんて救いようがないわ。 私はもうあの人の事を兄だとは思わない。 どうなろうと自業自得です。 ……けれど。」


 そっと、シャルルの頬に触れたエルフィナは、静かに言い聞かせるように話す。


「誰よりも努力していた弟にまで、そうなってほしいわけではないのよ?」


「……姉上。」


「先ほど、父上に呼び出されて、アイザック卿との婚約を勧められたわ。 多分、貴方が駄目だった時の保険でしょう。」


「それには、姉上はどう答えたのですか?」


「もちろん、今あなたに言ったことと同じことを言って断ったわ。 それでこうなってしまったのだけど……」


「父上が!?」


 エルフィナの腫れた頬の理由を知って目を見開いたシャルルに、彼女は微笑む。


「父上は諦めないでしょうね……けれど私は、この3年の間にどうにか父上を説得するつもりよ。 もちろん、宰相や他の大臣だってそのように動くでしょう。 ……シャルル、この国の行く末を考えるのならば、長く思い続けた故に初手を間違ってしまったかもしれないけれど、立太子するものとしてちゃんと考えて行動をしてほしいのよ。」


 トン、とシャルルの肩を叩いたエルフィナは、にっこりと笑うとシャルルに背を向け、王宮の方へと控えていた侍女たちと共に去っていった。

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