第25話 ナニーと、マミーの違い

「おはようございます。 こちら、ありがとうございます。」


 アンヌ(元シモン)が食事と礼をもって厨房にやってきたため、私はそれを受け取った。


「いかがでございますか? マーガレッタ様のご様子は?」


「あれからもう2週間たちましたので……。 御実家や、婚約者になる方から毎日届くお手紙を、日に何度も読み返しながら、考え事をして毎日を過ごしておいでです。」


「そうですか。」


 受け取ったトレイには空になったお皿が並んでいて、食事もちゃんととっているのだろうという事がわかる。


「あれからは、もう?」


「諦めが付いた、というわけではないと思います。 胸が張って痛いと、夜起きて泣いていらっしゃることも、回数は減ってきましたがまだあります。 ……ただ。」


「ただ?」


 問いかけた私に、シモンは静かに目を伏せた。


「お嬢様は口になさいませんが、旦那様からはお手紙に、元婚約者の方が侯爵家の婿養子に入る事になった事や、お嬢様がお産みになったお子様の微妙な立ち位置などをお書きになっていらっしゃったようで……そこに従兄の方からもお手紙があったようで……いろいろと、身に沁みられたようです……。 『所詮貴族の娘に生まれた私には、これ以外の生き方は出来ないのね。 過ちを犯した自分には、すぎた温情だわ。』と、お泣きになっていました。」


「そう、ですか。」


 そこまで話をして、頭を下げて出て行ったシモンを見送った私は、厨房当番のノーマと共に食器や調理器具、哺乳瓶の片付けを始めた。


 マーガレッタ様が修道院を退所されるまで、あと一週間となっていた。


 ご両親とお話をされた後の安静期間とされた1週間ほどは、食事を拒んだり、部屋で大声をあげて暴れたり、寄宿棟を抜け出し、養育棟に向かおうとして皆に止められたりとしていた彼女は、お産の後5日目には、寄宿棟のさらに奥にあるという、回復棟に移った。


 そう、わたしも初めて知ったこの『回復棟』というもの。


 理由あってこの修道院で過ごされた令嬢達が、還俗する前に貴族の生活に戻るために過ごす特別室らしい。 この修道院の塀の中にあるものの、養護棟にも寄宿棟にも、鍵を持っていないと入れない作りになっており、そちらに入られた後のマーガレッタ様の様子は私たちはこうしてアンヌに聞くより知る術がなくなった。


 そちらはこの部屋が使用されるときだけ呼ばれる専門の侍女と、本人が連れてきた侍女(マーガレッタ様で言うところのアンヌ)が、一切のお世話を見るそうだ。


(こうして子と離れなければならない場合、お産の後、すぐにそちらに移すというわけにはいかないと言われていたけれど何故かしら……?)


 そんなことを考えていると、声が飛んできた。


「ほうら、ミーシャ。 考え事もいいけれど、ちゃっちゃと手を動かすんだよ。」


「は、はい!」


 言われ、食器を洗う手が止まっていたと気が付き、私はお湯の張った桶の中で食器洗いを再開した。


 だが、目の前の仕事をしながらも知らぬ間に、何度もため息を漏らしていたのだろう。


「ミーシャ。 心ここにあらずって感じだね」


「……すみません……。」


「まぁ、おんなじ貴族のお嬢さんの立場なわけだし、お産にも立ち会った。 心配なのはわかるけれどね……。 お貴族様は酷なもんだ。 心底同情するよ。」


 やれやれ、とノーマが洗い終わった食器を拭きながらため息をつく。


「子供のころから家のご都合で、気質や性質が合う合わない、そんなものもわからないうちから婚約者が決められる。 結婚したら女は子供を産むのが一番の仕事で、女児を産んだら政略結婚の駒、男児は優秀な子を産んで当たり前で、長男は後継、次男はその控えで三男以降は産まない方がいい、だっけ?

 そもそも子を授かるなんてものは、神様しかわかりゃしないのに、産む性別に人数まで決められて。 嫁いで3年で子が出来なければ離縁か愛人、出戻りゃ厄介者になる。

 それ以前に婚約破棄になったら傷物と言われてまともな結婚が出来なくなる、なんてさ。 そんなもの、市井じゃあ考えられないけどね。 好きな男が出来て、結婚を誓って、子が生まれりゃ無事を祈って。 そりゃ離婚すりゃ風当たりは強くなるけど、それでもいろんな理由があって離婚する夫婦もあるし、一人で子を産んで育てる女もいるしねぇ。」


 現代とは違う、男尊女卑。 あんまりに理不尽な話だ。 たしかにこれが貴族の問題でなかったのなら、ここまで誰も傷つくことはなかったのかもしれない。


 しかし、彼らは責任あり、野心を持つ貴族で、その責任の理由もわかる私は溜息しか出ない。


「そう、ですね……。」


 そんな私に手を動かすように促しながらも、ノーマは首を振る。


「ただねぇ……長くここにいて、いろんなお嬢さんを見て来た中で言うと、ローリエはまともな方だ。 お貴族様のめんどくさいしがらみで子を手放さなきゃいけなくはなったけど、屋敷に帰って来いと言ってくれる親がいて、嫁に来いと言ってくれる人もいるんだ。 昔、親からも婚約者からも見捨てられて、子を抱えたまま修道女になったお嬢様もいたけれど、それは見ていて辛そうだったよ。」


「そう、なのですか? 一緒に居られるのに?」


 首を傾げた私に、沈痛な面持ちでノーマは教えてくれる。


「ここは愛児院だ。 一緒に居られるのは2歳まで。 いくら修道女になったからと言って、修道女がここで自分の子を成人するまで育てられるはずもない。 子が親と認識し、泣いて縋るようになった年に、無理やり幼児院へ送らなきゃいけないんだ。 修道女が子供と一緒に修道院を移動、なんてのはその教会の規律違反らしくてね。 まぁそうだろう、子が移動するたんびに修道女も移動するなんて、そんなことをしていたら、親子だらけの修道院になる……それはもう修道院じゃないだろう? そもそも修道女になったうえで、子と共にずっと居られるなんてことはないからね。」


「それは、どうしてですか?」


「そもそも、修道女とは、神のために、神と共に人生を歩むと決めた人間だ。 子供じゃない。」


 そういえばそうだった、と思い出したところに、ノーマは頷きながら言う。


「そもそもだ。 人間には感情がある。 自分の子と他人の子。 修道女としてならばいずれも公平に接し、育てなきゃならない。 しかし、そんなこと言ってもそんなわけにはいかないことの方が多い。 自分の腹で長い間育て、腹を痛めて産んだ我が子の可愛さと愛情を、絶えず他の子にも与えられるかい? 自分の子を泣かしておいて人の子をあやしたり、食事やミルクを与えたり。 人の子をかばって自分の子を叱ったり。 そのつもりであっても、つい無意識に我が子を優先してしまうことだってあるだろう。 そんなことはあってはならない。 ここでは子供は平等に。 まんべんなく、愛情に偏りがあってはいけない場所だ。」


「それは……確かに難しいかもしれませんね……。」


 黙り込んだ私に、ノーマは溜息を一つ、ついた。


「……あんたの事も、言ってるんだよ? ミーシャ。」


「私、ですか?」


 顔を上げた私に、ノーマは真剣な顔で頷いた。


「あぁ。 ミーシャ。 マーガレッタ様の産んだ赤ちゃんは生まれたばっかりだ、特に小さくて可愛いだろう。 特にあんたは、マーガレッタ様の事情を知って、心根を知って、そのお産にも、その別れにも立ち会ったのだ。 特別にかわいくてしょうがない、そう思ってもしょうがないけれど……それは、いけない事なんだよ。」


 ぽん、と私の肩に手が乗せられた。


「いいかい? あの子もみんなと同じ私たちは平等に愛するんだ。 わたし達世話する者は、特別一番と優先してもいい子は1人もいないんだ。」


「私は、そんなつもりは……」


 言ってから、己の言葉を顧みる。


 そうして、はっとする。


 アニーと、バビーと、シンシアと、マーガレッタ嬢の赤ちゃん。


 私は、赤ちゃんを優先していなかっただろうか。


 泣きそうになったら抱き上げ、ずっとあやし、率先してミルクを上げて、お世話をしていたのではないか。


 シンシアが泣いていても、バビーが遊びたそうにしていても、アニーがお菓子を待ちきれなくなっていても。


 無意識のうちに、マーガレッタ様の手から離れた小さな赤ちゃんを、可愛い子、可哀想な子として何よりも優先して手を差し出していたのかもしれない。


「わたし……。」


「気が付けばいいんだ。 それから、これから直していけばいい。 こんなこと言ってる私だって、最初の頃に良くおんなじことして院長先生に怒られた。 ……働き始めた人間にはよくある事なんだけどね。 そろそろ、ちゃんと話をしなきゃとは思っていたんだ。 ミーシャ。」


 今までうんとうんとかわいいと思っていたアニー、バビー、シンシアよりも、誰よりもうんとうんとかわいいと思ってしまったローリエの赤ちゃん。


 それを指摘されたのだと解り私は顔を上げた。


「ここにいる子はみぃんな一緒。 私たちの中に特別を作っちゃいけない。 私たちは皆の乳母ナニーであって母親マミーではないのだからね。」


 そう、みんな一緒。 でも私の中にはどうしても、特別だと思う感情が湧いてしまっていた。


 ここにいるどの子よりも、その背景を、母の気持ちを、周りの人の気持ちを知ってしまったから。


 こんな気持ちのままでは、きっと、お世話にもその気持ちが行動として表れてしまうだろう。


 そしてその気持ちや態度をいち早く察した皆はそれを私に伝えるタイミングを探していた。


 そしてノーマが、私に声をかけてくれたのだと思う。


 人を諫めるなんてひどく嫌な役目だと思う。


 洗い物の手を止めた私は、ノーマに深く頭を下げた。


「気づかせていただいて、ありがとうございます……ノーマ。」


「そんな大層な事じゃない。」


 ぽんぽん、と私の肩を叩いたノーマは


「いいや、なにも謝る事じゃない。 みんな、一度は経験することだし、これからもそうなる可能性がある。 けれど、私たちよりも赤ちゃんはもっと私たちの気持ちを敏感に察知するから……心がけて気を付ければいいんだよ。」


「はい、気を付けます。」


 そう言った私は、再び食器洗いを再開した。






 ――それから一週間後。 マーガレッタ様はアンヌと、迎えに来たご両親と、婚約者となられた従兄と共に修道院を後にした。


 そして、私のもとには、マーガレッタ様からの手紙と共に、弟から刻印入りの手紙が届いた。

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