第26話 【他者視点】王家と公爵家。
時は大きく戻り、王宮の、王の私的な応接室に戻る。
シャルル王子の発言に、驚いた国王夫妻と、その様子を冷静に観察し続ける公爵夫妻の緊張を破るように、侍従が丁寧に頭を下げた。
「このような時に大変失礼いたします。」
「何だ。 急用か? そうでないならば後にせよ。」
そう告げた国王に、侍従はさらに頭を下げた。
「ザナスリー公爵令息がお見えなのでございます。」
「……なに?」
その言葉に目を開き、そちらに顔を向けた国王はベルナルド・ザナスリー公爵を見た。
「公爵。 いつの間に令息を呼んだのか?」
しかし、問われたベルナルドは心外だと、肩を竦める。
「まさか。 陛下。 私は帰国してからもずっと、妻共に陛下のお傍に控え、共に行動をしていたではありませんか。 そのような中でいつ、息子へ登城せよと連絡が出来ましょうか。 ……おそらくは、帰国の先ぶれ以降何の知らせもないため、心配になり、無礼を承知で登城したのではないでしょうか。 我が家もミズリーシャの件で混乱しておりますので。」
静かにそう言うベルナルドに、ミズリーシャの名を出された国王は、やや眉間に皺を入れながらも時計を見、なるほどと頷く。
「そうか。 ……確かに帰宅する予定時間を大きく過ぎている。 その可能性はあるな。」
「えぇ。 奇しくもこのように、現在は私的な場を陛下より設けていただき、王家と公爵家の今後について、話し合っている最中。 陛下、立太子をなさる第二王子殿下もこちらにいらっしゃるのです。 であればこの場に、次期公爵家当主となる息子の同席をお許しいただいてもよろしいですかな? かの夜会には息子も出席をしておりましたし、しっかりと話を聞けるやもしれませんよ。」
柔らかな物言いに問いかけ。 しかし拒否することは許さない眼の奥の光に、国王は頷く。
「……それもそうだな。 では、ザナスリー公爵令息をこちらへ。」
「かしこまりました。」
深く頭を下げて出て行った侍従に案内され、ミズリーシャと同じ顔、美しい所作の双子の弟アイザック・ザナスリーが応接室に通された。
「失礼いたします。」
促されるままに室内へ入ったアイザックは、静かに国王、王妃、第二王子に対して完璧な最上礼を取った。
「おぉ、アイザックよ。 ここは私的な場だ、そのように畏まらずとも、座るがよい。」
そう言った国王に対し、発言を許された頭を上げることなくアイザックは口を開いた。
「光満ちたドルディット国の国王陛下、王妃殿下、シャルル第二王子殿下に、ザナスリー公爵家嫡男アイザックがご挨拶を申し上げます。 この度は、帰国したはずの当家当主が帰還せず、何事があったのかと心配になり、無礼かとは思いましたが、当家は現在大変に混乱中のため、登城させていただきました。 そのような若輩の無作法者にもかかわらず、このような場への同席をお許しいただけましたこと、有難くお礼申し上げます。」
丁寧にあいさつするアイザックに、王は頷く。
「そのようにかしこまらずとも顔をあげなさい。 茶を用意させよう。 さぁ、座りなさい。」
絶えず、ちりちりとした緊張感の続く応接室の空気をこれを機に和ませようと、いつもより穏やかに笑いながら王はアイザックに着席を勧める。
しかし、アイザックは静かに顔を上げ、口元だけ微笑んでそれを断る。
「本日は、外交より帰国した当主の迎えに参りましただけでございますので、ご遠慮申し上げたいと存じます。」
「なにそう言わず。 誰か、茶を用意せよ。」
「かしこまりました。」
傍にいた女官がお茶を用意し始めたのを確認したアイザックは、わずかに両親と静かに視線を交わし頭を下げた。
「陛下にはお心を砕いていただき、ありがとうございます。 では、ありがたく頂戴いたします。 ……その代わりと申し上げるのもおこがましくはございますが、陛下にはこちらを、献上させていただきたく存じます。」
「うん、なんだ?」
再び頭を下げたアイザックは、事前に渡して用意していたのだろう。
自分の後ろに立っていた王宮の侍従に視線をやった。
母親の隣に腰を下ろし、茶が出されるのと同じタイミングで、その侍従からアイザックに黒い絹布のかけられたトレイが差し出された。
「これは、なにか?」
「どうぞご覧くださいませ。」
アイザックはそのままそれを受け取ると、王、王妃、第二王子の前に静かに置き、黒の絹布を取り去った。
「……っ!!」
王妃、シャルル王子は目を見開く。
「こ、これはなにかっ?!」
国王が、アイザックを見、声を上げる。
「そのように驚かれずとも、国王陛下、王妃殿下、第二王子殿下にはお解りでございましょう?」
にこっと笑ったアイザックは、父母と視線を小さく頷き合い、顔色を変えた国王以下王家の人間を見る。
「身に覚えのない罪で断罪されし我が姉ミズリーシャの毛髪の一部でございますよ。」
銀のトレイの上。
漆黒のリボンで一つに纏められていたのは、長い年月をかけ、大切に、丁寧に、手入れされて伸ばされ、王子妃・王太子妃教育や公務で王宮に勤めていた元王太子の婚約者であった気高い令嬢を彩っていた、艶やかな淡い金の長い髪の一房。
「王太子殿下より下された『御璽』入りの『王命』に従い、修道院入りを無事果たしましたことを証明するため、我が姉ミズリーシャの切り落とした毛髪を四つに分けたうちの一房を、この場にて献上させていただきます。」
そう告げたアイザックの目元は、涙にぬれている。
そして最愛の娘ミズリーシャの髪の無残に切り落とされた髪を見ても表情を変えず微笑み、茶を飲むナザスリー公爵夫妻の前で、国王と王妃、そして第二王子は真っ青になっている。
「ひ、一房、と言ったか。」
震えるようにして、ようやくそう口を開いた国王に、アイザックは静かに目を伏せた。
「はい。 修道院にて髪を落としました、その日のうちに髪の毛を分け、一房は姉の願いで両親に早馬で届けました。」
「の、残りの二房は……?」
目を伏せたままのアイザックは、静かに口を開いた。
「一房は、現在領地にて隠居しております前ザナスリー公爵である祖父母に。 もう一房は、私共を実の子のようにかわいがってくださっている伯父ガイデンダム・フォートリア・ローザリア帝へ。 姉の言葉を私が手紙にしたため、共に送りました。 早馬で送り届けましたゆえ、今頃は手紙を見てくださっている頃かと。」
ヒュッと、数人分の息を吸う声が聞こえる中、父親であるベルナルドが一つため息をついて、ジャケットの胸の部分を押さえた。
「何とっ! ……領地の父上と母上は、気落ちしていないといいが……。」
「兄上もですわ。 このような急な知らせに、心を痛めているかもしれませんね……。」
夫に合わせるように、扇で顔を隠して母親であるミシュエラが静かに言う。
「こ、皇帝陛下に、送った……と?」
「えぇ。」
アイザックは、沈痛な面持ちで静かに頷くと、国王を見て言った。
「公務として参加していた夜会で突然、婚約者であった王太子殿下の『御璽』を押された『王命』という書類を突き付けられ、婚約破棄され、世俗から離れなければならなかった姉の願いだったのです。 肉親へは、愛してくれたことへの心からの感謝と、突然の別れを許してほしいと言う謝罪の言葉、そして陛下には、『御璽』を押された書類によって下された『王命』に従い、世俗と別れるための儀式が無事終わったこと、そして自分の至らなさをお詫び申し上げると伝えしてほしい、と。 そんなけなげな姉の気持ちを汲んだ私は、肉親へは手紙と共に早馬に託し、陛下へは自らお届けにあがったのでございます。」
「……そ、それは……。」
ぐっと言葉に詰まった国王に、誰も声をかけることは出来ない。
「我が娘は、そこまで覚悟して、修道院に入ったのだな。」
「はい。」
「……そうか……。 あぁ、ミズリーシャ……。」
ふぅ、っと、息を吐いたベルナルドは、静かに立ち上がった。
それに、妻であるミシュエラと、子であるアイザックが続く。
「王の御前で申し訳ございません。 しかし、そこまでの覚悟して世俗を離れた娘の気持ちを考えると……。 申し訳ございませんが、親としては、もうこれ以上は話し合いは出来ません。 これで失礼させていただく。」
一歩、足を踏み出した公爵に、慌てて国王は声を上げる。
「待ってくれ。」
ベルナルドを止めようと、急いで立ち上がるが、すでに部屋の扉に向かっていた3人の素早い動きについていけず声を上げる。
「公爵、待ってくれ! 話を……先ほどのシャルルの件もある! もう少し、話をしようじゃないか。」
「陛下。」
くるっと踵を返し、青ざめ、ソファから立ち上がった国王とシャルル王子、そして真っ白な顔でソファに座ったままの王妃を冷たい瞳で見据えたベルナルドは、悲しみを耐え忍ぶような顔で問いかける。
「陛下は、家族を失った者に、悲しむ時間もお与えくださらないのか。」
「……そ、それは……」
静かで冷たい言葉に、ぐっとこぶしを握り、国王は一つ、息を吐く。
「たしかに、王家の失態で突然に家族を失った公爵に、これ以上無理強いは……出来ぬ。」
「父上。」
声を上げた第二王子を制し、国王は言った。
「この件については後日改めて話し合いの場を設けよう。 本日は下がってよい……大儀であった。」
「国王陛下には、ご配慮いただき感謝いたします。」
ベルナルドの言葉と最上礼に息子も従い、公爵夫人もそれは美しいカーテシーをして応接室を退出した。
遠ざかっていく足音が聞こえなくなったところで、ガンッ! 大きな音が響き渡り、叩かれたテーブルの上のシルバートレイは跳ね上がり、箱と共に宙を飛んだ黒いリボンで彩られた金の髪は、そのままキラキラと光を孕んで床に散った。
「くそっ!」
拳を振り下ろした国王は、そのままドスンとソファに腰を下ろすと、真っ赤な顔で歯を食いしばり、ふぅ~っと息を吐き出した。
「陛下……。」
大きな音に体を跳ね上がらせた後、座った国王の腕にそっと触れた王妃がなだめるように声をかけるが、怒りが収まらない王はもう一度、机に拳を振り下ろす。
「してやられた! アイザック! 小生意気なあの小僧め! すでに帝国に知らせを出していたとはっ!」
机に叩きつけた拳をさらに握り締め、歯ぎしりするようにそう言った国王は、シャルルを見た。
「シャルル! 公爵が反論できぬよう、しっかりと内政、外交にて功績をあげよ! そして3年後、還俗したミズリーシャに必ず頭を下げさせよ!」
「父上、それはっ!」
一瞬、揺らいだ顔をしたシャルルは、しかし第二王子としてしっかりと頷き、頭を下げた。
「かしこまりました。 必ずや。」
それに満足したのか、歯の食いしばりを緩めた王は、静かに控えていたものに告げた。
「急ぎ、宰相と、ザナスリー公爵家とその親族以外の役職を持つ大臣を執務室へ。 帝国が何か言ってくる前に対応できるように話し合わねばならん。」
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