第23話 用意された一枚の書類

「申し訳ありません。現時点での決断は私には出来ません。お時間をいただいてもよろしいですか?」


「もちろんよ、ミーシャ。この修道院に自ら入ったとはいえ、貴女は王子妃・王太子妃教育を終わらせた公爵令嬢です。背負っているもの、考えるべきことも多く、ご家族とも相談しなければならないこともあるでしょう。それに院長のなすべき仕事を見せないままにすぐに答えを出せとも言いません。だから、わたくしの仕事を手伝いながら、2年半後に答えを出す、という事でどうかしら?もちろん、仕事を見たとしても、必ず後を継ぐとは決して強要することはないわ。」


「それでしたら……はい、考えさせていただきます。」


 あの時は父たちが帰ってくるまでの一時的な逃げ場所として修道院に入り、その3年間は世俗のわずらわしさから離れて穏やかに過ごそうと思っていただけなのだ。2年半後の『自分の人生』にかかわってくる大切な決断を簡単には出来ない。


 院長室を退室した私は、欝々とした気持ちで聖堂に戻り掃除を再開することにした。


「そういえば、彼はどうしたのかしら?」


 もともと院長室へ向かった本来の目的の原因を思い出し、確認するために聖堂の勝手口からそっとあたりを確認してみた。


「……いない、わね?」


 騎士団と修道院。見える範囲を見回してみるが、馬車も本人もいなくなっており、集まっていた騎士様たちも警護に戻ったようで静かになっている。


 あの時、喧騒が聞こえてすぐに院長先生の所に行った事を考えて時計を見る。


(私と院長先生との話は20分程度。騒ぎが聞こえてすぐに院長先生の元へ向かった。という事は、彼はたった30分も粘れなかったのね。)


 騎士様の誘導がお上手なのもあるだろうが、本当に会いたければもう少し粘れるのではないかしら?現に、約束もなく王宮や公爵家にどうしても会ってほしいと願い出て来る無礼な輩の多くは、かなり粘る。そんなことをするなら別の手段をとればいいのに、と思うほど長時間粘る人もいる。彼の場合はそれが婚約者と子供である。


(本当に会いたいのであればもっと粘るものでしょうに、そんな胆力もなかったのか、次の手を考えたのか……。人は見かけによらないとは言うけれど、婚前交渉の強要に、婚約者がいるにもかかわらずの不貞……親の手引きがあったにしろ、それは本人の問題。……ひとまず帰ってくれてほっとしたわ。)


 修道院に来た時に観察しただけの知識ではあるが、この王都のはずれ、とは言ってもまだギリギリ王都内である。 周辺は道を石畳で舗装された道沿いのため、街路樹などはあっても馬車一台丸々が隠れられるような場所はなかったはずである。


 勿論、どう足掻こうが、修道院の中は高い壁に阻まれて中を見ることは出来ない。


(せめてローリエの体が落ち着くまで彼が来ない事を祈るわ。)


 ふぅっと息を吐き聖堂の中に戻ると、途中になっていた掃除を手早く済ませて後片付けを行い、聖堂の正面の閂を確認のうえ、聖堂を出て養育棟へ向かった。


「おはようございます。」


「おはよう。 ミーシャ。」


 養育棟の一番奥、厨房を抜けた先にある狭い食堂に行くと、シスター・サリアが食事の手を止めてこちらを見て微笑んでくれた。


 本日厨房係のダリアから朝食を受け取った私は、足早にシスターサリアの正面の席に腰を下ろす。


「今日は少し遅かったわね。申し訳ないけれど、先に食事をいただいたわ。」


「いいえ、私こそ遅くなり申し訳ありません。実は、聖堂の掃除をしていたところ外が少々騒がしくて、その件で院長先生のところで少しお話をしていたのです。」


「えぇ、先ほど院長先生から伺いましたよ。で、その方はもう?」


「はい、先ほど聖堂の掃除をするときに確認しましたが、すでに立ち去った後のようでした。」


「そう、それは良かったわ。」


「えぇ、本当に。」


 シスター・サリアと頷き合った後、朝食を食べようとパンに手を伸ばした私は、そういえば、と辺りを見回した。


 厨房から出て来たダリアが体を揺らしながら、シモンがいつも座っている場所に彼女の物であろう虫よけの食事カバーをかけられた食事を置いたのを見ると、彼女は遅れてくるのだろうと分かったのだが……。


「どうかしましたか?」


 きょろきょろをあたりを見ていたのだろう、不思議そうにシスター・サリアが声をかけてきたため、聞いてみる。


「あの、ローリエは今日はこちらで食事は食べないんですか……?」


 そう問うと、シスター・サリアは、笑った。


「あぁ、そうでしたね。ミーシャはお産に携わるのは初めてでしたね。後で説明をしますが、ローリエはこれから3週間、自分のお部屋で過ごします。昨日、赤ちゃんを生んだばかりですからね。お産というものはとても母親の体を痛めつけます。その為、ここにいる3週間の間は、自分の部屋でゆっくりと過ごしてもらう決まりがあるのです。ここで無理して働いたりしては、貧血やめまい、それに無理をしたらその後の体調にも尾を引くことがあるそうなのです。ですのでローリエのお世話をシモンにお願いしています。シモン伝手に逢いたいと言えば、会いに行けますよ。もちろん、お勤めが優先ですが。」


「そうなのですね。」


 なるほど、と、納得して食事を始めた私に、そうそうと、シスター・サリアは優しく笑った。


「ローリエの赤ちゃん、とっても可愛らしい男の子でしたね。立ち会ってみて、どうでしたか?」


 スープを口にした私は、それを飲み下すと大きく一つ頷いた。


「先ほども院長先生に聞かれたのですが、本当に可愛くて、お産というものがあんなにも大変で、尊いものであるのかと感じました。」


「そうですか。」


 にこっと笑ったシスター・サリアは頷いてくれる。


「それは良い経験になりましたね。さぁ、今日から赤ちゃんも4人になります、ますます忙しくなりますが、頑張りましょうね。」


「はい。」


 そのまま穏やかに話をしながら食事を食べ終えた私とシスター・サリアは、後片付けをして一緒にそのまま養育室へと向かった。


「おはようございます~。」


 すでに朝ごはんを終え、ベビーサークルに捕まり意気揚々と立ち上がっているバビーと、積み木をカチカチと叩きあわせて遊んでるアニー、それからマーナに抱っこされてうとうとしているシンシアにも、一人ずつ挨拶をする。


 そして。


「おはよう、赤ちゃん。」


 一番奥。


 みんなに目配せで教えてもらった方を見ると、新しく入れられたベビーベッドの中で眠る、ひと際小さな、ローリエの赤ちゃんに近づき、そっと声をかけた。


 昨日よりも赤みが薄れた赤ちゃんは、とっても小さいと思っていたシンシアよりもうんと小さいのに、大人と同じように、耳も、鼻も、まつげも、指の爪もあって、フニフニで、金褐色の細い髪は絹の様に柔らかであったかで。


「かわいいですねぇ~。」


 にこぉっと頬が緩んでしまった私に、マーナがあらあら、と大きく笑った。


「ミーシャは赤ちゃんにメロメロね。でもほらミーシャ!こっちにはうんと手のかかる子達とお仕事がたくさんあるわよ。」


「は、そうでした。お洗濯に行ってきます!」


 赤ちゃんの可愛らしさに蕩けてしまいそうな私は、そんな言葉に慌ててベビーベッドの傍を離れると、夜のうちに増えた洗濯物を抱えて養育室を出た。







「院長先生。この度は、娘が大変にお世話になりました。」


 深々と頭を下げたローエンハム伯爵に、院長先生は穏やかに微笑んだ。


「いいえ。丸一日かかりましたが、日々よくお勤めをして体を動かしていたこともあって、大変に穏やかなお産でございましたよ。ご令嬢も、赤子も、ご無事でございますわ。」


「……そう、ですか。」


 以前夜会で見た時よりも顔色が悪くやつれた様子のローエンハム伯爵と伯爵夫人は、応接セットの長ソファに寄り添うように座り、安心したように息を吐いてから、うんうんと頷き合っている。


「マーガレッタは……大丈夫でしょうか?」


「今のところは、大丈夫でございますよ。朝食もしっかりとったようです。」


「あぁ、良かった。」


 娘を案じてそう言った伯爵夫人は、院長先生の言葉に安堵して涙を流す。


 そんな様子を、私は隣の部屋と通じる、人1人と小さなテーブルセットしか置けないような小さな部屋から、見て、聞いていた。


 院長先生の仕事を知る一環として、ローエンハム伯爵と院長先生の面会の間、この部屋で、何があっても部屋から出ることも声も出すことなく、静かに書き取りをしてほしいと、言われた。


 飾り扉の一部に穴が開いていて、聖堂の応接室の室内が一応見渡せるようになった椅子とテーブルが置いてあるだけの部屋は、ここで行われるやり取りを書きとるための部屋だと言う。


 裁判の時、議会の時、やり取りを記録する、いわゆる記録係、というものを行っているのだ。


(私がここに来た時も同じ部屋だった……という事は、あの時の記録も残っているという事ね。まぁ、後でそう言うつもりじゃなかったとか水掛け論になっても困るものね。)


 そう考えながら、院長先生とローエンハム伯爵夫妻の様子を事細かに記すためにペンを走らせていると、ローエンハム伯爵が、一枚の紙を取り出した。


「拝見します。」


 院長先生がその紙を手に取り、静かに目を通す。


 遠目からはわからないその書類には、何が書いてあるのだろうか……と考えていると、院長先生がその紙をテーブルに戻し、ローエンハム伯爵夫妻の顔を交互に見て口を開いた。


「これが、お二人の最終決定ですね。」


「……はい。」


 重々しく口を開いたローエンハム伯爵に、一瞬、戸惑ったような表情をした伯爵夫人が固く手を握り、ハンカチで目元を覆った。


 そんな二人の目の前に、院長先生が用意していた書類入れから新しい書類を取り出し、差し出した。


「かしこまりました。では、マーガレッタ嬢は3週間後に当修道院を退所。生まれた子はこちらで継続し養育いたします。子の出生届は3週間後に、この修道院から両親空欄のまま国へ提出をいたします。以上でよろしければ、こちらにサインを。」


(え!?どういうことなの!?)


 ペンを走らせていた手を止め、私はそちらを凝視した。

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