第22話 院長先生からの提案。

「あらそれは穏やかではないわね。」


 ふぅっとため息をついた先生は、やや息を乱している私のそばに寄ってきてくれると、背を擦れた。


「エルセン伯爵令息はここに彼女がいることを知らないはずなのだけれど……昨夜、ローエンハム伯爵家に無事に生まれた事の知らせを送ったけれど、もしかしたら何処からかそれを知ってしまったのかもしれないわね。 ひとまず、私たちが出れば騒ぎが大きくなるでしょうから、伯爵令息の事は、騎士団の方にこのままお願いしましょう。 ミーシャは気にせず、朝のお勤めを行ってちょうだい。 知らせてくれてありがとう。」


「はい、かしこまりました。」


 にっこり笑った先生に、何かしらの違和感を感じた私は、それでも頭を下げて院長室を出ようとした。


「あぁ、でも、そうね。 いい機会かもしれないわ。 ちょっとまってちょうだい、ミーシャ。」


 手をかけたドアノブに、触れて、とまった。


「はい? 院長先生。」


「ここに来て半年たったわね。 そろそろミーシャにも、私の手伝いをしてほしいのだけれど……どうかしら?」


「……はい? それは、どういった事でしょうか?」


 振り返った私に、院長先生はどうぞ、と、ソファを勧めてくれた。


「これから先の事も含めて、よ。」


 執務用の机の向こうにある大きな金庫から一冊の書類の入った封筒を取りだした院長先生は、静かに私の正面に座ると、机の上にそれを静かに置いた。


「これは、ローリエ……いいえ、マーガレッタ・ローレンハムの今回の入所に際し、私が調べ上げた全容です。 この報告を確認し、そのうえで、私は彼女をここで預かる事に決めました。」


「院長先生、お待ちくださいませ。」


 私はその違和感を口にした。


「私が彼女から聞いた話では、ローリエは婚約者の御実家の心変わりを聞き、ご立腹されたお父様によってその日のうちにここに連れてこられた、と言っていました。 それはとても衝動的なものに感じるのですが……先生はその前から彼女の事を調べていらっしゃった、という事ですか?」


「……そうです。」


 早々にはっきりと認められ、ぽかんとする私に院長先生はにこりと笑った。


「貴方もよくわかっていると思いますが、こういった醜聞を含む問題の場合、当事者には唐突な話、出来事に聞こえるでしょうが、周りの大人は問題を知ったその時から動き出すものでしょう? 貴族の男親というものは、早いうちから身ごもった『娘』をどこに入れるかと動きますよね? そう言った場合には、秘密裏にでも、様々な伝手をあたるものです。 しかし、その伝手とて、無条件で両手を広げているわけではなく、相手を検分するでしょう? 頼られた伝手を検分に検分を重ね、その導かれた先にたどり着く先の一つが、ここを含む様々な修道院となります。」


 頼る側と頼られる側、どちらにも損得勘定や、うまみがあっても避けたい、逆に少々厄介でも引き受けたい事等、色々あると言いたいのだろう。


「……それは、解ります。 しかし先生。 教会とは、本来困っている人、物を無条件で受け入れる。 そのような場だと、私は今まで教会主様にも、修道士様にも、教わりましたわ。」


「えぇ。 その通りです。 老いも若きも、罪深い者も、そうでない者も神の御名の下に受け入れるのが教会です。それでも、教会という組織である以上、適材適所というものが存在します。 その中で、彷徨える母親を受け入れるのが、我がアリア修道院です。」


 頷いた私に、院長先生はその書類に手を添えた。


「私が最初に彼女の話を伝え聞いたのは、貴女が社交界を去るほんの少し前の事です。 そしてその場所を探していたのは、ローリエの父親ではなく彼の父親でした。」


「……エルセン伯爵……ですか。」


 私は頭の中でその人を思い浮かべた。


 王太子の婚約者として、彼の侍従たちに頼まれ、終わらない彼の執務を手伝った時に一度話をした事がある。 エルセン伯爵は税務局の他領地の視察などを行う部門の文官長だ。 ひどく規律規則に厳しく、融通の利かない人だというイメージだった。


 婚約中とはいえ、婚姻前貴族の娘を孕ませてしまった嫡男の醜聞を広げる前にと走り回ったのだろう。


「最初に尋ねたのは、自領の修道院だったようです。 ローリエのお父様に例外として出産までの入所を申し込んだようです。 ……そして話が決まった後、それをローレンハム伯爵に勧めたが、ローレンハム伯爵は断られた。」


「……勧め、断った?」


「えぇ。 まず、彼女の家にも相談なく勝手に話を進めたうえ、彼女の領ではなく、エルセン伯領で産むまで監視するつもりだった、という事にお怒りになられたのでしょう。 ローリエのお父様はそれを強く拒み、早々に自領の屋敷へ移した。 そのうえで、彼女が安全に子が産めるような環境を探して伝手を探していらっしゃったため、この修道院で引き受けました。」


「……では、ローリエのお父様は……」


「ローリエに対し、厳しいことを言われたのでしょうが、娘と孫を守るために必死だったのでしょう。」


「そう、だったのですね。 しかし、エルセン伯爵は何故、自領に……。」


「彼は上昇意識が高いようね。 元学友で、お金を持っているローエンハム伯爵家と婚約しておきながらも、さらに良い縁談がないか探していたようだわ。 そして、同じくお金持ちで、自領と隣り合わせだった侯爵家の娘が婚約破棄になったという事で、自分の息子を引き合わせた。 何も知らない息子は婚約者が不在中に父親に命じられて彼女を夜会へエスコートをし、親密になった。 そしてその夜会に同じく出席していたローエンハム伯爵が知り、先ほど言ったように、安全に出産できる場を探した……という顛末のようですね。」


「それは……。」


 どのようにしてお調べになったのですか? と聞こうとしたが、院長先生の笑みに何かしらの含みを感じたため私はその言葉を呑み込んで、問いかけた。


「お話は分かりましたが、しかしそれではなぜ、いま、その令息がこちらに?」


「真意がわかりませんが、ローエンハム伯爵に聞けばわかるかもしれませんね。 伯爵には昨夜、無事に男児が生まれた事を早馬でローエンハム家に知らせを出しましたから、もしかしたらそれを偶然にも、聞きつけてしまったのでは? と私は思っております。」


 よくわからないことが多いものの、院長先生の事だ。 きっとそんな大切な知らせを外部に漏らすような従者などを使って知らせているはずがない。 だとすれば、ローエンハム伯爵家から洩れたという事だろうが……。


(もしくは、ローエンハム伯爵家にエルセン伯爵家の者がいるのかもしれないわね……。)


 この修道院に入る前は、このような話は日常茶飯事すぎてさらっと聞き流しながらも必要な情報だけをしっかりつかんで調べさせるという生活を行っていたが、半年もこの修道院で穏やかに暮らしていると……人のエゴが丸見えで、気持ち悪くなってしまう。


(あぁ、嫌だわ……。)


 ふぅっとため息をついた私は、院長先生を見た。


「院長先生、ローリエのお父様は?」


「今日の正午、いらっしゃいます。 それまでには彼も諦めて帰るでしょう……騎士団の方も慣れていますからね。」


「よかったです。」


 ローリエの父君が到着して鉢合わせ、なんてことになったらもっと面倒なことになりかねないし、頑張ってお産を終えた翌日に不誠実な婚約者の話なんてしたくない。


 そしてそんなことを考えたら、今日はまだ顔を見ていないけれど、思い出したようにローリエと赤ちゃんがとても気になった。 はやく掃除を終え、朝食を食べてローリエと赤ちゃんの顔が見たい。


「院長先生がそうおっしゃるのでしたら、安心です。 では、私は通常業務に戻らせていただきます。」


 すりっと、ローリエの手の痣のついた自分の手を撫でながらソファから立ち上がろうとした時だった。


「あぁ、ミーシャ。 話はまだあるのよ、ちょっと待って頂戴。」


 と、声を掛けられた。


「はい、先生。」


 浮かせた腰を下ろして院長先生を見た私に、先生はにっこりと微笑んだ。


「貴方、ここの仕事はどう思っている?」


「どう、とは?」


 首をかしげて聞く私に、先生は続ける。


「好き嫌い、やりがい、難しさ、いろいろあると思うのだけれど、いま思っていることでいいわ。」


 それには私はしっかりと答える。


「ここのお勤めは、大好きです。 正直、最初は立場上いろいろ思う事がございましたし、赤ちゃんの世話などしたことがありませんでしたので、戸惑うことが多くて……それに、夜中の寝ぐずりについては、今でも地獄だと思います。 勿論、最初は入ったことを後悔した夜もありましたし、いますぐ逃げ出したいと思うこともあったのは事実です。」


 嘘偽りも飾る事もなくはっきりとそう言った後、私はローリエの指の後のついた手を擦った。


「けれど……ローリエの出産に立ち会わせていただいたことで、出産とはあんなにも大変で、苦しい事なのに、赤ちゃんが生まれた瞬間と、その後の彼女の微笑みで、その先にある神秘的で奇跡的な出来事なのだと学びました。 この先、どんな風になるかわかりませんが、遜色なく今どうかと言われれば、私はここにいる人も、暮らしも、大好きですわ。」


 そう、赤ちゃん相手にままならない、思ったとおりにならなくて泣きたくなることも多いけれど、たった半年で、ここは私には大切な場所になっている。


 還俗しても、どうにかして携わっていきたいと、最近考えているほどだ。


「そう、そう思ってくれたのね。」


 そんな私の答えに、同じく微笑んでくださった院長先生は、では、と、背筋を伸ばし、私を真っ直ぐ見た。


「ミーシャ……いいえ。 ミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢様。 私、実は、貴女がここに来て髪を落とした時に神様のお導きを感じたのです。 貴女さえよければ……見習い修道女としての残りの二年半の間、この修道院を継ぐものとして、わたくしの仕事を手伝ってくれるかしら? 必ず継がなければいけないというわけでもないわ。 2年半後に還俗するのも自由です。 ……ですが、わたくしはこの出会いに神の御加護と運命を感じたのです。 後継者を育てるのも院長である私の仕事。 わたくしの仕事を手伝いながら、2年半かけてゆっくり考えてほしいの。」


「……えぇ!?」


 動じないようにいつも冷静沈着に。


 そう言われて育った私の口から、思いがけないおかしな声が出てしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る