第21話 生まれた命と、身勝手な人

「ミーシャ、 お皿洗いが終わったら、他の皆には話がしてあるから、ローリエのお部屋にいらっしゃい。」


「は、はい。」


 お昼もすぎて、夜になり。


 丸々一日かかっても、赤ちゃんはまだ生まれてきていない。


 ローリエと赤ちゃんの事はとても気になるけれど、それだけにかまけてはいられなかった。


 養護棟では可愛い子供たちが、泣いて、叫んで、遊びをねだって、玩具を投げ出して、ご飯を食べたら気に入らなくて吐き出して、まって、ご飯はおもちゃじゃないと止めたり、げっぷと共にミルクを肩に吐かれたり……と、いつもの日常があって、それは一秒たりともこちらの都合なんか考えずに発生し……そんな中、洗濯やお掃除もおこなっていれば、私たちもしっかりお腹も減るわけで。


 いつも通り仕事をし、いつも通り食堂で夕食をいただいた後に下げられた食器をごしごしと洗っていた私は、そう院長先生に声を掛けられてドキンとした。


(何かあったのかしら? でもそれにしては、先生は落ち着いていらっしゃったわ。 もしかして、生まれた?)


 なんだか落ち着かない気持ちになりながら、それでも私は落ち着いていつものように手際よく皿洗いを終え、空拭きをしてから食器棚に食器を戻し終えた。


「夕食の片付け終わりました。 院長先生に呼ばれたので行ってきます。」


「行ってらっしゃい、ミーシャ。 がんばって!」


 養護室に声をかけると、シスターサリアやダリアにそんな風に声を掛けられたため、返事をしてから小走りで養育棟から寄宿棟に回り、一番奥の部屋に近づこうとして……。


「あーーーーーーーっ!」


 びくっと、大きな声に体を強張らせて立ち止まってしまった。


 寄宿棟内に響くその声は、昨日や今朝聞こえていた呻き声とは全く違う切迫した声だった。


 生まれて初めて聞いた女性の、張り詰めて苦しそうな大きな声にびっくりしながら、恐る恐るその声の聞こえる先、ローリエの部屋の扉を叩いた。


「先生。」


「あぁ、ミーシャ、来たのね。 いいタイミングだわ。」


(いいタイミング?)


 言われている理由もわからぬまま、院長先生が中に招き入れてくれたまま中に入る。


 いつも見慣れている狭い室内は、今日は家具の配置が変えられていて、もっと狭く感じた。


 端に置かれているベッドは部屋の真ん中に移動されていてそこにローリエは上体を起こし、両足立てて開いた形で固定され、お腹から下はシーツが掛けられている。


 そのほかにも、床にもシーツがひかれていて、その上にたくさんの金属製の机や、何に使うかわからない資材、たくさんのタオルとバスタオルに桶まで置いてある。


「……これは……。」


(どこを通ればいいのかしら?)


 狭い室内の、足元には院長先生と産婆を務めるノーマがいて、頭もとにはシモンもいて……私がいる場所はないのではないだろうか、と考えていると、院長先生が指示をくれた。


「ミーシャ。 驚いている場合ではないわ。 もうすぐ生まれるのよ。 シーツのかかっている足元の方は見ないようにして、ローリエの頭もとで、手を握ってあげて励ましてあげて頂戴。」


「は、はい!」


 誘導してもらいローリエの頭もとにたどり着いた私は、ベッドの上、たくさんの枕を使って上体を起こされたローリエをみた。


 今は山積みにされたクッションや枕に頭も体も預け、はっはっと浅い息を繰り返している。


「ローリエ。 今は痛くないでしょう? しっかり息をしなさい。 赤ちゃんに必要な酸素が回らなくって苦しくなるわ。」


 ノーマの言葉に、はっあ~っと、ローリエは涙を流しながら頷くと、体全部を使って大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。


「ミーシャ、こちらです。」


「ありがとう、シモン。」


 ノーマと院長先生の邪魔にならないよう、壁を伝って頭もとにたどり着いたものの、どうしていいかわからず立ち尽くしていた私は、シモンにいわれ、そっとローリエの右手に手を添えた時に何かに触れた。


「綱?」


 ローリエの手には布を編み上げて作った、一方は輪っかに、もう一方はベッドの足元の柱に縛り付けられた太い綱があって、首を傾げた私にシモンが教えてくれる。


「それは、お産でいきむ時には全身に力を入れるのに握るための綱なのです。 お嬢様。 ナザ……いえ、ミーシャがいらっしゃいましたよ。」


 耳元でそう言われれば、閉じていた瞼が開き、充血した目が私を見つけてくれた。


「……ミーシャ。」


 ソロッと動いた右手を、私は慌てて握る。


「ローリエ。 ごめんなさい、いま来ました……」


「うっ! あうぅぅぅぅ~~~~~!」


 声を掛けようとした瞬間、ローリエの顔が真っ赤に染まり、添えていた私の手を強く、強く握りしめ、呻き声をあげ始めた。


 ぎしぎしと軋む私の掌にはローリエの細い指が食い込んでいく。


(痛いっ! あのローリエにどこにこんな力が!?)


 握りこまれた手の痛みを感じながら、私はオロオロしているところに、ノーマの声が聞こえる。


「ローリエ! 駄目よ、変に力を入れては駄目。 目を開けて、おへその方を見て。 はい、息を吸って! 吐いて! はい、力を入れて!」


「ふ~ぅ~………んんんん~~~~~っ!」


 ローリエが、ノーマの指示に合わせ、目を開けて、奥歯を食いしばり、私の手を握って力を入れているのがわかる。


「ローリエっ!? 大丈夫? あぁ、神様……。」


「ミーシャ! 手をしっかり握ってあげて。 空いている手で額の汗を拭ってあげて頂戴。 今ローリエは赤ちゃんと一緒に、頑張っているのよ。」


「あ、はい!」


 握られて痛い手と、苦しんでいるローリエに動揺し、立ち尽くしオロオロする私に、お産のために大きく足を開きシーツのかけられたその先にいる院長先生の声が聞こえ、慌ててローリエの額に浮かぶ汗を拭いて声をかける。


「ローリエ、頑張って!」


「お嬢様!」


「あぁ、いいわね、いきむのもうまいし、頭がしっかり出始めたわ。」


「本当ね。 ローリエ、もうすぐよ、もう少し頑張ってね!」


 足元の方で何やら話しながらごそごそと何かをしている院長先生とノーマの声に、ふっと力を入れるのをやめたローリエが、疲れたようにつぶやく。


「もう少し……って……いつ、かしら……? もう、嫌……。 赤ちゃん、出して……。」


「お嬢様、もう少し。 あとちょっとですよ。」


「もう、無理……うっ! ううっ! あ~~~~。」


「もう一度、目を開けて、おへそを見て! ん~~~~~~~よっ!」


「ん~~~~~~~~~っ!」


 シモンが、隙間に手を入れてローリエの腰辺りを擦りながら声をかけていると、再び痛みの波が来たようで、ノーマさんの指示に従って、顔を真っ赤にして枕に預けた体を丸く起こして私の手を握る。


 私の手の指が折れてしまうのでは?と思うような力で握りこんでくる。


(痛い……なんてすごい力……。 でも、ローリエはもっと痛いのね。)


「ローリエ、頑張って……!」


 額から顎に伝って落ちる汗を拭きとりながら声をかける。


「もう……むりぃ……。」


 ぎりっと奥歯をかみしめながら涙を浮かべてそうつぶやいた時、ノーマが両足の間から顔を上げた。


「頭が出るわ。 ローリエ、もう絶対に力を入れないで、ハッハッて息をしてちょうだい。 いきむと後で傷になるからね。 手は握らなくていいのよ、お腹の上に手を置いて。 はっはっはっ、よ。 ミーシャ、シモン、真似してやってあげて。」


「「はい。」」


「お嬢様、ハッ、ハッ、ハッですよ。」


「ローリエ、頑張って! ハッ、ハッ、ハッ!」


「……あああぁぁ……ん~~~~。」


「駄目よ、もういきんでは駄目! 赤ちゃんが苦しくなるわ! ハッ! ハッ! ハッ! よ。」


「う~~~~……はっ、はっ、はっ……」


「そうよ、上手よ!」


 院長先生の言葉に、歯を食いしばっていたローリエは口を開け、ハッハッハッと、真っ赤な顔で息をし始めた。


 私とシモンも、ローリエのお腹の上に彼女の手を置き、その手を二人で包んでからハッハッハッと一緒に息を吐く。


「上手、上手よ~。 頭が出たわ。 うん、肩も出たわ……」


 ローリエの足に掛かったシーツの向こうでは、ノーラさんと院長先生が何やらごそごそとして……。


「ほら、生まれたよ!」


 水の音と一緒に、膝の上にかかった布の上に、ノーラさんの手に抱えられた、へその緒のついた小さな赤ちゃんがいた。


 それは、ところどころ真っ白なものがべったりとこびり付いた、赤紫色の赤ちゃんがいて。


 わぁと、私とローリエ、シモンはつないだ手を握り絞めて喜んだ。 


 なのだけれど。


「……な、泣かない……?」


 そう、真っ青な顔でつぶやいたのはローリエだった。


「ちょっとまってね。」


 布の向こうに赤ちゃんが消えると、何やらずるずると吸い出すような音がして……それから、ごしごしと拭く音がして。




「ほぇ……ほぎゃぁ……っ!」




「な、泣いた……。」


「さぁ、ローリエ。」


 ほっとした顔をして呟いたローリエの胸の中に、ベッドの端を移動して洗われた院長先生の手から、丁寧に拭われ、くるっと白い布で包まれた赤ちゃんが載せられた。


「ほら、抱っこして。 おめでとう! 男の赤ちゃんよ。」


 ローリエの、夜着の乱れた白い胸の上に置かれた赤ちゃんは、先ほどとはちがい、真っ赤な顔をして元気に泣いている。


「赤ちゃん……私の……。」


 ほにゃほにゃと泣く赤ちゃんに、皆の厳しかった顔は、いつの間にか笑顔になっている。


 もちろん、私も。


「おめでとう! ローリエ!」


「おめでとうございます! まぁ、なんてお嬢様にそっくりな……。」


「……ありがとうございます。 あぁ、やっと会えた……。」


 私たちの声に微笑みながらも、布の中からのぞく小さな小さな手に触れ、頬に触れ、髪に触れ、嬉しそうにつぶやくローリエ。


「私の赤ちゃん、なんてちっちゃい、可愛い……。」


 そう言って微笑むローリエは、汗まみれで顔も真っ赤なのに、眩しいほどにとても綺麗に見えた。


(……ローリエも……赤ちゃんも、とても幸せそう……。)


「……シャ? ミーシャ?」


「え? あ、はい!」


 ほにゃほにゃと泣く赤ちゃんを抱っこし、頬すりしたローリエの微笑みがあまりにも幸せそうで、綺麗で、ぼうっとしてしまっていたが、ローリエに声を掛けられて私は慌てて返事をした。


「抱っこ、してあげて頂戴。」


「へ?」


 吃驚して声を上げた私に、そばに来てくれた院長先生が、ローリエの腕の中の赤ちゃんに手を添え、私を見た。


「……ほら、どうぞ、ミーシャ。」


「え? 私……抱っこしてもいいんですか!?」


「ミーシャにも、抱っこしてほしいの。」


 ローリエの言葉に、私はごくんと喉を鳴らすと、恐る恐る手を差し出した。


 集まるみんなの視線に、緊張しながらローリエと院長先生の手を借りて、そっと生まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱っこした。


 それは、羽のように軽く、ちいさく、けれど、火傷するように熱いと感じた。


「……温かい……ちっちゃい……かわいい……。 これが、赤ちゃん……。」


 予想以上の小ささに震える私に、『ローリエの後産が終わるまで、もう少し抱っこしててね』と言った院長先生は、先ほどお産を終えたばかりだと言うのに顔を真っ赤にして唸るローリエの足元にノーマと立った。


「……可愛い。 可愛いわ。 ローリエ、お疲れ様。」


「……皆さんと……ミーシャのお陰で、産むことが出来ましたわ。 ありがとうございます……。」


 私の手から戻った赤ちゃんを抱き絞め、ふわっと笑ったローリエは、大きな涙を流しながらそう笑って言った。







 翌朝。


 聖堂の掃除をしていた私。


 出産に立ちあった後は、院長先生たちに『母体は出産後2時間はお部屋で動いたりせずにひとまず安静、赤ちゃんもお母さんと一緒にお休みですよ。』と部屋から出された私は、夢見心地のまま養育棟に戻ると、ぼんやりしながらもみんなに赤ちゃんが生まれた事を伝え、その夢見心地のまま朝を迎えた。


 起きてから、顔を洗おうとして水につけた手に。ローリエの手形がしっかりとついていて、本当に赤ちゃんが生まれたんだとなんだかうれしくて、つい笑みがこぼれた。


「赤ちゃんを産むお母さんは、あんなに力強いのね。」


 聖堂の雑巾がけの間も、ついつい自分の手を見て、それから抱っこした赤ちゃんの温かさを思い出してふふっと笑ってしまう私の耳に、普段は聞こえない激しい喧騒が聞こえたのはその時だった。


「……なにかしら?」


 外で言い合いをしているようだ。


 まだ日の出前の、しかもここは王都の端っこの端っこで騎士団と修道院しかない場所だ。 こんなことは今まで一度もなかった。


(正面からは、駄目ね。)


 何やら胸騒ぎがした私は、手に持った雑巾を桶の中に入れると、立ち上がって聖堂の勝手口に当たる扉の方に近づいた。


 何やら叫んでいるのは、隣の騎士団からこちらを警護している兵士と、若い男性のようだ。


 中に入れてほしいとか、ようやく見つけたんだとか、いろいろ言っているようだが、警護の方も、ここは女の身が入れる修道院である事、そして夜明け前という時間ということで、常識を考えろと宥めているようだ。


(ま、当然よね。 しかし随分食い下がるわね、何処の常識知らずかしら?)


 少しだけ移動して扉を開け、外をのぞく。


 騎士様はいつも通りのお姿だけど、よく見れば3人も出て行っている。 よっぽどもめていたようだ。 そしてその相手は……身なりは綺麗な格好をしていて貴族のようである。 よく見れば後ろに馬車もある。


(……ん!? あの家紋は。)


 気づかれぬように扉を閉めた私は、桶を端に置き、一目散に院長先生のお部屋に向かった。


 扉の前で、衣類を一応整え、ノックする。


「……はい? 誰ですか?」


「先生、申し訳ございません、ミーシャです。」


「あらあら、お入りなさいな。 どうかしたの?」


「失礼します。」


 許可を得て部屋に入った私は、室内の執務用の机に向かっていた院長先生の元に少し早足で向かうと一つ、頭を下げた。


「おはようございます、院長先生。」


「おはよう、ミーシャ。 血相を変えてどうしたの? 今は聖堂の掃除の時間ではなかったかしら?」


 首をかしげて訊ねて来た院長先生に、私は今見た物を口にした。


「その掃除をしておりましたら、喧騒が聞こえましたので外を確認しました。 今、この修道院に入れろと、修道院の警護をしている騎士様に対し詰め寄っている若い貴族の男性がいます。 近くに馬車がありましたので家紋も確認しました。 あれは間違いなくエルセン伯爵家の家紋……マーガレッタ様の、婚約者です。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る