第14話 手付かずの食事。

「申し訳ございません、こちらをお返しに参りました。」


 厨房の入り口で、私と同じ見習いの修道服に身をつつみ、昼食のトレイを持って頭を下げたのは、表向き新入り見習い修道女のシモンだった。


 洗い終わった食器を拭き上げていた私は、その手を止めてそのトレイを受け取ると、カトラリーの位置すら動いていない、まったく手つかずのトレイに気が付いて、俯いたままその場を去ろうとしたシモンに声をかけた。


「シモン。 トレイを見る限り、ローリエは何も食べていないようにみうけますが、お加減はいかがですか?」


 すると、ビクッと体を震わせたシモンは、ややあって俯き加減のままこちらを振り返ると、戸惑うように床に視線を彷徨わせてから、深く頭を下げた。


「せっかく作っていただいておりますのに、手つかずのままお返しして申し訳ございません。 お嬢様……いえ、ローリエは食欲がない、と。」


 びくつきながらもそう返答するシモンは彼女の侍女だ。 主人の命令ならば彼女はその身を案じながらも聞くしかないだろう。 もしかしたら私に声を掛けられて責められている気持ちになっているかもしれない。


 これ以上何かを問いかけても可哀想だと思った私は、ごめんなさい、と、ひとつ謝ってから、顔を上げたシモンに笑いかけた。


「いいえ、大丈夫です。 ちょっと心配になっただけですので。 リネン室にお二人の洗濯物が仕上がっていますから、持って行ってください。 それと、シモンの昼食は食堂に用意してありますので、ちゃんと召し上がってくださいね。」


「……ありがとう、ございます。」


 ほっとしたような顔をして、深く頭を下げてから、逃げるように厨房を出て行ったシモンを見送る。


 彼女たちが寄宿棟に入棟してから、私はローリエことマーガレッタ嬢に会った事はない。 シスター・サリアは一度、夜中のお手洗いであった、と言っていたがそのような時しか自分の部屋から出ていないようで、扉も、窓のカーテンも閉め切っていることから、私達が彼女の様子を知ることは出来ない。


 先程の様に侍女であるシモンが、日に3度、養護棟にある厨房から彼女の部屋に運び、手つかずの食事を厨房に返却後、自分の食事を食べてから彼女の元に戻る。 それから日に1度、洗濯物など、そのほかの雑用を行いにやって来るのを繰り返すのみ。 


 人の生活を伺いみるようで行儀の良い事ではないが、下着や衣類、シーツなどはちゃんと日に一度洗濯をされているし、飲み水用のピッチャーは空になってくるので、水分補給と身の回りの事は、自分でやっているか、もしくはシモンが手伝っておこなえていることだけはわかった。


「……大丈夫ですかね。」


 手つかずのトレイを見てため息をついた私の横から同じようにトレイを覗き込んだ、本日の厨房当番のノーマが、やれやれ、と、困ったようなため息をついた。


「新入りのお嬢様はまともに食事を食べないね。 さぁ、どうしたもんか。 もうここにきて4日目たつし、そろそろちゃんと食べないと、母親もだけど、赤ちゃんも栄養不足で参っちまうんだけどねぇ。」


「そうなんですか?」


 首を傾げた私に、ノーマは頷いた。


「あぁ、そうだよ。 院長先生が仰るには、ローリエって子は生み月まで3か月しかないんだろう? ってことは腹の子は7か月か8か月か……。 どちらにせよ、腹の中の子が大きくなるのには、親がちゃんとご飯を食べて、腹の中の赤ちゃんにちゃんと栄養をまわしてあげなきゃいけないんだよ。」


「妊娠すると気持ちが悪くて食べられないときがあると、本で読みましたけど。」


「あぁ、でもそれは人によるね。 一概にみんながそうとは言えない。 大抵は腹に子が宿ってから3~4か月くらいまでは悪阻つわりがあるけどね。 でも、全然感じないって人もいるし、生まれるまでずっとそれに悩まされる人もいる。 初期ならねぇ、まだ母親の体の『蓄え』だけでも乗り切れるとは言うけれど、それでも、食べられるものを少しずつ食べるんだよ。」


「まぁ、それは大変ですね。」


「仕方ない。 自分の腹で別の人間を宿し育てるっていう大仕事をしているんだからね。 味覚が変わるのも、気持ちが落ち着かないのも当然なんだよ。 まぁよく聞くのは酸っぱいものだと平気、とかかねぇ。 他にもパンだと食べられるとか、肉しか食べられないとか、本当に様々だよ。 だから、そう言う時には自分の体に耳を傾けてやって、食べられそうなものを選んで、食べられるだけ食べるんだよ。」


 そう言われて思い出すのは、王宮での王子妃教育の内容だ。


 子を宿すことは、はっきりとは言わないまでも王子妃・王太子妃の義務である。 そのため褥教育の延長で、腹に子が宿った後の生活について、という事で簡単に習った覚えがある。 しかし習った事は、『ただ安静に、子を一番に考え行動し、王宮の料理人がお出しする毒見後のお食事のみをお食べください』とだけ言われたと思い出す。


 産んだ後の育児についても『ひと月の間は授乳以外はお体の回復を促すために休息を。 お生まれになった御子のお世話はすべて乳母にお任せください。』とだけ言われただけだった。 だから、まさか育児がこんなに大変なことだとは、実際に赤ちゃんに触れるまで、まったく考えてなかったくらいだ。


(王侯貴族の育児はそんなものよ、とみんな言ってくれたけれど、ちょっと恥ずかしかったわ。 王子妃、王太子妃が受ける最高の教育を受けても、知らないことは本当に多いのね。 前世でも赤ちゃんに触れたことなかったし。)


 ノーマの言葉になるほどと頷いた私に、でもねぇ、と食器を片付けていたシスター・サリアが困ったように笑った。


「食べられるものを食べるだけというのは、悪阻つわりの時だけ。 基本食事は、取りすぎも良くないし、好きだからと言ってそればかり食べるような偏りも良くないの。 パンだけでも駄目、お野菜だけでも駄目、お肉だけでも駄目。 全てをバランスよく食べることが必要なのよ。」


 食器を片付け終え、私が途中でやめていた食器拭きを始めたシスター・サリアは、キュッキュと皿を磨きながら続ける。


「よく、母親だからいっぱい食べてお腹の中に栄養あげなきゃ! っていう人もいるけれど、そう言って食べ過ぎると、今度は赤ちゃんの体もお母さんの体も大きくなりすぎてしまうの。 そうすると、お母さんの方は産道に肉がついてしまうし、太り過ぎはそもそも体にも悪い。 お腹の中の赤ちゃんは、大きく成りすぎてしまうといざ出産のときに、頭や肩が産道に引っかかってしまって難産になる……。 つまり、赤ちゃんもお母さんもお産の時にとっても長く苦しむ事になるの。」


「……とらなくてもダメ、とってもだめって、すごく難しいですね。」


 う~んと考え込んでしまったわたしに、ノーマが笑った。


「お腹に赤ちゃんがいない時よりも、何時もよりバランスよく、ほんの少し多く、そしてよく噛んで食べると言うのがコツだよ。 ほら、目の前の物と、今日自分がお昼に自分が食べたご飯、何が違うか見てごらん?」


「……は、はぁ……。」


 ノーマさんの言葉に、私は手に持った手つかずの食事を見、自分の昼食を思い出した。


 トレイの上には私たちと同じ、ちょっと茶色い小さめのロールパン2つに、チキンとたくさんの根菜の入ったミルクシチュー。 それから、牛の乳を発酵させて造らせたというヨーグルトに旬の果物が刻んで入れてあるフルーツサラダ。 ここまでは一緒だが、トレイにはもう一つ、小さなオムレツが乗っていた。


「オムレツが多い。 そっか、おんなじ食事に卵料理が増えているんですね。」


 そう言えば、ノーマさんは笑う。


「そう。 みんなと同じバランスのいい食事に、滋養があって栄養のバランスのいい卵が追加されてるのさ。」


 ちなみに夜は、チーズが増えるのさと言ったノーマさんに、なるほどと頷く私に、シスター・サリアはひとつ、溜息をついた。


「そうして考えて作っていても、食べられない物は仕方がないの。 でもね……ここにきてもう4日目。 水分だけは取っているようだけど、体に良くないわ。 気鬱もあるという事だし、私たちから何かを言うよりも、院長先生からすこし声をかけてもらいましょうね。 もしかしたらまだ悪阻つわりなのかもしれないしね。 ミーシャ、トレイを貸してちょうだい。」


「は、はい。」


 私の手からトレイを受け取ったシスター・サリアは、それをもって院長室へ行くわ、と、厨房を出て行った。


「大丈夫ですかね?」


「心配だけど、よくある事さ。 さ、ミーシャ。 お勉強はここらで終いにして仕事しましょう。 そこの食器を片付けて、庭の洗濯物を取り込みに行った方がいいよ。」


「あ、そうでした!」


 シスター・サリアが拭き上げてくれた食器を決められた棚に片付けた私は、夕食の仕込みを始めたノーラと別れると、洗濯籠をもって庭に向かった。


 お日様が眩しい庭から見える彼女の部屋のカーテンは、隙間なくぴっちりと閉じられたままだった。

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