第15話 部屋から聞こえる泣き声と、前世の知識

(ん、ん……お手洗い……。)


 深夜、寝苦しくて目が覚めた私は、ゆっくり起き上がると、手探りで枕もとにあったランプをさがし、それに火を入れると静かに部屋を出た。


 暗い廊下をあるき、寄宿棟の一番奥にあるお手洗いに向かうと、用を足し、洗面所で手を洗ってから再び廊下に出た。


 首筋に伝う汗を、持っていたハンカチで拭う。


(今日は蒸し暑いわね。 前世みたいにエアコンがないから自然風頼みなんだけど廊下はね……せめてあの窓が開けられたらいいのに。)


 目をやったのは、手も届かないような場所にある、今は星空しか見えない採光用の窓だ。


 寄宿棟にも養育棟にも言える事だが、庭側の窓は開放感があるよう大きく作られているのに対し、外界側――つまり高い塀のある方の窓は、人の背よりも随分と高い位置に横長に作られている。


 この作りは、防犯上の様々な意味があるのだろうと推察するが、せめてほんのわずかにでも開けられれば、それだけで風通りが断然良くなるのではないかと考える。


(お父様にお手紙でお願いして、修道院の改築工事をお願いしようかしら……ん?)


 そんなことを考えながら、足音を立てないように静かに廊下を歩いていた私は、わずかに聞こえる小さな泣き声に周囲を見渡した。


 真っ暗な廊下を、音のする方へ引き返すように歩く。


 かすかに聞こえる泣き声の元となる扉の前で足を止めた私は目を伏せた。


(……マーガレッタ嬢……いいえ、ローリエ……の部屋ね。)


 寄宿棟に暮らしている私とシスター・サリアは、日中は基本、養育棟にいて寄宿棟には近寄る事がないため気が付かなかったが、彼女の部屋は寄宿棟の奥から2番目だったようだ。


 先程のお手洗いの斜め向かいの部屋である。


(そういえばみんなが言っていたけれど、本当にお手洗いの前なのね。)


 で入ってくる令嬢には、お手洗い近くの部屋があてがわれるのが決まりらしい。


 それは令嬢に対する決して嫌がらせ、というわけではなく、妊娠も終盤になると、胎内で大きくなる赤ちゃんに内臓を押され、お手洗いが近くなるからだそうだ。


(子を宿すって、大変な事なのね。 ……それにしても。)


 押し殺すような泣き声は、薄い木の扉の向こうから絶え間なく漏れ聞こえる。


 数か月前までは、一通りの知識として国の貴族の状況もある程度把握していた自分だが、外の世界で見かけた彼女は、少なくとも貴族としては家も順風満帆で、こんな風に泣かなければらないと言う印象はない。


(……一体、どんなお気持ちなのかしら?)


 修道院に連れ出されて辛い?


 腹の子がいることが不安?


 食事も食べられないほど、体調が悪い……?


 聞こえるすすり泣く声に、ついいろいろと思い考えてしまった私は、静かに息を吐いて考えるのをやめる。


(やめなさい、ミズリーシャ。 知りもしないことを詮索しても意味のないことだし、相手にも失礼だわ。)


 そう思い、顔を上げると自分の部屋に向かって歩き出しだそうとした時だった。


 かちゃり。


 扉の開く音がした。


 振り返った私は、扉から出て来た人と目が合った。


「……シモン?」


「……ミーシャ、さん……。」


 手にランプを持ち、扉を開けたシモンは、私を見て頭を下げたため、私も頭を下げた。


「お手洗いに来て前を通りかかっただけですが、びっくりさせたのならごめんなさい。」


 にこっと笑ってそう言うと、彼女は少し目を泳がせ、それから静かに頭を下げた。


「そうですか、実は私もお手洗いに、と……びっくりさせてしまって申し訳ありません。」


 頭を下げたままの彼女に私は首を振った。


「いいえ。 じゃあ、私も部屋に戻りますね。 気を付けて。」


「……はい、ありがとうございます。」


 会釈し、その場を立ち去る背中に刺さるような視線を感じながら、私は静かに自分の部屋に戻ると扉を閉めた。


「さ、明日の朝も早いし、もう寝るのよ。」


 ベッドに入り、頭からシーツを被った私は、耳に残るすすり泣く声を思考から逃がすようにして目を閉じた。







 それから一ヵ月ほどたっても、ローリエが部屋から出てくることはなかった。


 ただ、シモンが下げて来るトレイの上の残っている食事が少しずつではあるが減り始めたので、院長先生とお話をして何か感じることがあったのだろう、と私たちは感じている。


 そんな『きにかかること』があっても、アリア修道院の日々は変わらない。


 私と言えば、ここにきて4か月たったことで、任せてもらえる出来る仕事が少しずつではあるが増え、赤ちゃんたちも可愛く、日々が充実している。


 そんな私の一日は、夜明けとともに起き、身支度を済ませたら朝の一番の汲み水で小さな聖堂のお掃除をし、お祈りを終えたら、養育棟にある厨房で朝食をとり、その日の仕事に向かう、というのが朝のルーティーンで、今朝もそこまでを終わらせた私は、急ぎ養育室へと向かった。


「おはようございます。」


「「「おはよう、ミーシャ。」」」


 養育棟にいた、ダリア、マーナが笑顔で迎えてくれる。


 そして。


「おはよう、アニー、バビー、シンシア。」


 今日は床に敷いた厚手のカーペットの上に、清潔なシーツをたくさん重ねた上で、寝返りが打てるようになり始めたシンシアと、お座りを始めたアニー、そしてつかまり立ちをしようと奮闘しているバビーに挨拶をする。


「だっぅ、だぁ~」


 手をぶんぶんと振って抱っこのおねだりをするのはバビーで、私は靴を脱いでシーツの上に上がり、低い塀のような『ベビーサークル』をまたいでから、バビーのそばにしゃがみ、よいしょ! と掛け声と共に重くなった体を抱っこした。


「っう、あー!」


 ご機嫌なバビーが手をぶんぶん振る。


 手には木製のガラガラを握っていて、玩具でも当たると痛いのでよくその行動を見ながら、ガラガラアタックの洗礼を避けて挨拶する。


「きゃー♪」


「今日もいい子ね、元気ね。」


 ご機嫌で笑顔になったバビーに、つい頬擦りした。


 そんな私に、ダリアとマーナは笑いながら、あぁ、そうだ、と言った。


「ミーシャ、このベビーサークルとちいくがんぐ? だっけ? とってもいいアイデアね。 みんな面白いのか、いい子に遊んでくれてるわ。」


「ありがとうございます。 みんなと一緒にいてちょっと思いついたんですけど、気にいってもらえてよかったです……あいたぁ~っ!」


 私に笑顔で声をかけてくれながら、シンシアの傍で寝がえりの様子を見ていたマーナに返事をしている隙に、頭をコーンッ! と叩かれて私は声を上げた。


「あらあら、ミーシャが痛いって言ってるわよ、バビー。」


 そう言って笑っているダリアも、新しくできたベビーサークルを感心するように撫でている。


(前世の記憶って、役に立つわね。)


 ある日、いつも通り子供たちを抱っこしてあやしていた私は、ふと思い出したのだ。


 前世の、ベビーサークルと、知育玩具の存在を。


 風邪をひいた時に通院していた病院の小児科によくある光景。


 あれを思い出した私は、いつもベビーベッドか抱っこ、時折庭のお散歩をするだけの可愛い3人のため、自由に活動し遊べるそのスペースを用意してあげたいと思ったのだ。


 安全に遊べる広いスペースと、積み木やガラガラ等、乳幼児のおもちゃを夜な夜な思い出しては書き留め、それをまとめて弟に手紙で伝え、実家の力を使って作ってもらい、彼の名前で教会へ寄進してもらった。


 作成には、残念ながら、発砲スチロールや低反発マット、プラスティックなどの素材をこの世界では見たことがなかったため、コルクの様に軽くて弾力のある木が見つかったため、公爵家お抱えの大工や細工師たちが創意工夫の上、カットした木の縁を綺麗に丸くし怪我をしないように加工してくれた。


 さらにベビーサークルは設置が簡単なよう、一つ一つなら女性でも簡単に抱えられるように安全性を第一に軽量化の上、小さくパーツ組みできるように作ってもらったため、大きさも形も変えられる最高の出来になっていた。


(アイザック! 完璧よっ!)


 突然贈られてきたこれらを見た時、皆はびっくりして声も出ないようだったけど、私は心の中でガッツポーズをとってしまった。 ちなみに、私のアイデア、とは言えないので、公爵家嫡男の事業の試作品という名目での寄進である。


 そんなわけで、届いた翌日から早速使い始めた知育玩具にベビーサークル。


 まだねんねのシンシアは寝返り練習場となっているけれど、お座りし始めたアニーとバビーは、自分で移動でき、目の前に広がる積み木や音のなるおもちゃに夢中になった。


 目を離すわけにはいかないけれど、それでも赤ちゃん担当者は抱っこしたまま他は何もできない、という時間が格段に減り、仕事効率も上がってなかなか好評だ。


「あ、いた! バビーそれで叩いたら痛いわ。 なぁに? 降りて遊びたいの?」


 私は、今度は降ろせ降ろせとアピールを始めたバビー君を床におろすと、目の前にあった積み木を掴んで投げ飛ばしている。


「バビーは物を投げるのが好きねぇ。」


 シンシアとアニーを、跳んでくる積み木が当たらない場所に避難させながらマーナが笑った。


「本当ですね。 それでは私、皆がご機嫌のうちに洗濯場に行ってきます。」


「あぁ、よろしくね。」


 みんなを見回してから、再びベビーサークルをまたいで出ると、脱いでいた靴を履き、部屋の端に置いてある洗濯物の入った籠を抱えて扉を開けた時だった。


「あら、ちょうどよかった。」


 扉の前には、シスター・サリアが立っていた。


「はい、シスター・サリア。 どうかなさいましたか?」


「院長先生がお呼びよ。 それを洗濯室に持って行ってから、院長室に行ってもらえる?」


「……はい?」


 こんな朝から何故? と、私も首をかしげた。

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