第13話 穏やかに過ぎる日々と、訪れる前兆

 春に修道院に入った私のそれからは、毎日代わり映えなく、張り合いのあるものだった。


 優しい院長先生に、先輩シスター、いつもいろいろ教えてくれる皆さんたちに、すくすく成長するかわいいだけじゃないけれど、とても可愛い赤ちゃん。


 一日中絶えずご機嫌で、ミルクもたっぷり、ねんねもたっぷりの時もあれば、誰の手で抱っこしても全く泣き止まなかったり、午前中は皆ご機嫌だったのに、夕暮れ時に全員で大泣きしてみたり。


 そんな時は、皆で協力して、散り散りになって思いのままにゆらゆら揺れながら歩いたり、高い塀の檻の中にある狭いお庭をお散歩しながら頑張ってあやす。


 夜当番で、皆眠っているのにバビーだけが深夜に目覚めてから、いくらたっても寝そうで寝ない、とか、アニーが抱っこしているときには寝てくれるのに、ベッドに置くと大泣きしてしまうときは、やっぱり辛くて泣いてしまった。


 泣きながら、必死にずっとあやしている中、気がついたら窓の外が明るくなっていたときには、ほっとしたのと同時に、結局朝までかかっちゃったという絶望で、椅子に座ったままただ明るくなり始めた空を眺めていた。


 そこに、お手伝いのノーマ(白髪に茶色い瞳、褐色の肌でがっちりと体格のいいダリアさんと同じくらいの女性)が少し早めに来てくれた時には、その安心感から大泣きしてしまい、ノーマが片手に赤ちゃん、もう片手に私を抱っこしてよしよし、としてくれたこともあった。


 それでも少しずつ、私は貴族のいない、赤ちゃんのいる生活に慣れて行った。


 そうして時間はゆっくり流れ、シンシアの首が座り、アニーとバビーが匙を使ってまだミルクの方が多いパン粥を食べる練習がはじまった初夏。


「昔なら、日傘をお使いくださいませと、よく言われたものよね。」


 そう言いながら、私はお日様が照り付ける小さな庭に、洗濯物を入れるからっぽの籠を両手に抱えて歩いていた。


「今日はいいお天気だから、よく乾きそう!」


 台の上に洗濯物を置き、うん、と背伸びした時だった。


 聖堂からの渡り廊下に、院長先生のお姿があった。


「あら、院長せんせ……」


 声を掛けようとした私は、その後に続く人影を見つけ、慌てて大きな木の陰に隠れた。


 そこから、そっと顔をのぞかせる。


(……あれは……お客様? それにしては何か違和感が……一体誰かしら?)


 ぱっと見は、隣接する騎士団の制服に身を包んでいるため、隣からのお客様かと思ったが、それにしては帽子を深く被り、背を丸くして顔を隠している。


 歩き方も、大きく歩幅を取る騎士様とは違い、音を立てないように気遣っているが騎士靴は履きなれていないのか何度か躓いている。


 しかしその他の、身のこなしやわずかに聞こえる受け答えの仕方から、彼は騎士ではなく高位貴族ではないかと思い立つ。


(高位貴族の、しかも本来は立ち入りを許可されない男性が……この中まで入られるなんて何ごとかしら? 私に関する事でなければいいけれど。)


 首を傾げてから、今度弟に手紙を書いてみようかしら? と思う。


 騎士団で検閲は受けるものの、アリア修道院では肉親との手紙のやり取りは禁止されていない。


 週に一度、大丈夫か、元気にしているか、還俗の日を心待ちにしている等と、父母やアルフレッドから手紙は来るが、それ以上の事は書いていなかった。


(厄介ごとでなければいいけれど……)


 その騎士まがいの人が院長先生と院長室に入ったのを確認した私は、咄嗟に隠れた木の影から陽だまりに出ると、午前中に干しておいた洗濯物を取り込み始めた。








「ミーシャ。」


 洗濯物を取り込みリネン庫に届ける、を始めて3往復目。


 庭で、乾いたおむつを取り込んでいた私に、渡り廊下から誰かが声をかけて来た。


「はい?」


 振り返ると、そこに立っていたのは私に向かって手招きする院長先生だけだった。


 お客様は、私が洗濯物を抱えてリネン庫を往復しているうちに帰られたのかもしれない。


 私は手に持っていたお日様の匂いのする小さな肌着を籠に入れると、院長先生に近づき会釈をする。


「院長先生。 どうなさいました?」


 問えば、院長先生はわずかにため息をついて私を見、それから用件を告げた。


「洗濯物を取り込んでからでいいから、院長室に来てくれないかしら?」


「はい、解りました。」


 ありがとう、と言って院長室に戻って行かれた院長先生の背中を見送った私は、慌てて残りの洗濯物を取り込んで行く。


「呼び出されるなんて……やはり外で何かあったのかしら?」


 取り込み終わったたくさんの肌着やおむつを籠に押し込むようにいれると、それを両手に抱えて院長室に向かった。


 院長室の前に立った私は、コンコンと扉をノックし、中から応じる声が聞こえてから静かに扉を開けた。


「失礼いたします、院長先生。 ミーシャです。」


「あぁ、呼び出してごめんなさいね。 どうぞ、こちらに座って頂戴。」


「はい。」


 洗濯物を扉の当たらない端の方に置いてから、私は勧められた椅子に座った。


「リネン庫に運んでからでもよかったのに。」


「あの籠の中は赤ちゃんの物だけなので養育室に持っていく物なのです。 それよりも院長先生、何かございましたか?」


 問えば、院長先生がひとつ、溜息と共に私に言われた。


「ミーシャ。 貴女は社交界に顔が知れていますし、その逆もしかりだと思っています。 だから先に話し、そのうえで確認しておきたいのですが……実は今日の深夜、とある令嬢がこちらに入られます。」


「……とある、令嬢でございますか?。」


 そう言われたわたしが繰り返し答えると、院長先生は頷いた。


「マーガレッタ・ローレンハム伯爵令嬢です。」


 その名前に、私は一人の令嬢を思い浮かべ、頷いた。


「存じ上げておりますわ。 王宮の文官をなさっているローレンハム伯爵の御息女で、ご年齢は私の一つ下だったと思います。 同じ伯爵家の婚約者がいらっしゃる、とても穏やかで優しい方ですわ。」


 そこまで言って、私はその人がと言われた違和感に院長先生の顔を見た。


「先生? まさか……。 マーガレッタ嬢はとても真面目ですし、お相手の伯爵令息の事も存じ上げておりますが、その方も、とても実直で貴族の決まり事をお破りになるような方ではございませんわ。」


 そう言った私に、院長先生は静かに首を振った。


「それがいらっしゃるのですよ、ミーシャ。 事の子細を詳しく話すことは出来ませんが、マーガレッタ嬢は大変に身も心も傷ついてここに来られます。 しばらくはお部屋から出ることもままならぬ状態だろうという判断から、侍女を一人連れてこられます。 皆にもこれから話をしますが、貴女も、お相手の方から接触してこない限りは、いつも通りに。 接触されても公爵令嬢ではなく、ミーシャとして、接してあげてください。」


「……かしこまりました。」


 私は静かに頭を下げ、洗濯物が山盛りに入った籠を両手で抱えると、院長室を出た。


 その足で、養育室へ向かう中、ふと、最後に見たマーガレッタ嬢の顔を思い出した。


 半年くらい前だっただろうか。 とある侯爵家の夜会の席だったと覚えている。


 互いの瞳の衣装を纏い、婚約者と共に穏やかに微笑んでいたはずだ。


「一体、何がおありになったのかしら?」


 私は誰に聞かせるでもなくそう、つぶやいた。






 養育室に戻り、おむつや肌着などの洗濯物をたたんでいた私は、パンパン、と、手を叩かれ、顔を上げた。


「みんなに話があります。 あぁ、仕事の手は止めなくて大丈夫ですよ。」


 私がここに戻ってきた頃合いに、院長先生もこちらに向かってきたようだ。


 先ほど聞いた件だろう、と思いながらおむつを順序良くたたんでいた私は、それでも一旦手を止めて院長先生の方に体を向けた。


 赤ちゃんにミルクを上げているマーサさん、マーナさん、ダリアさんはミルクをあげながら顔だけをそちらに向け、シスター・サリアはベビーベッドを整えていた手を止めた。


「今日の深夜、宿舎棟に寄進者がお入りになります。 部屋は一番奥で、侍女も1人だけ連れてこられます。 皆さん、よろしくお願いしますね。」


 院長先生の言葉に皆が頷く。


「その方の事は便宜上『ローリエ』、侍女の方は『シモン』と呼ぶ様にしてください。 ローリエは気鬱の状態ですので、今回は侍女の付き添いを認めました。 明日の朝から顔を合わせることになるでしょうが、みなさん、よろしくおねがいいたしますね。」


「はい、院長先生。」


 頭を下げた皆の中で、シスター・サリアが問いかける。


「ローリエさんは、いま何か月かとお伺いしても?」


「産み月までは3か月ほどだと医師の診断書にはありました。」


「かしこまりました。 では、食事もそのように用意いたしましょう。」


「お願いしますね。 では、本日のその方の対応は私が行いますので、皆さんは通常通りお勤めを行ってください。 手を止めてしまってごめんなさいね。」


 そう言って出て行った院長先生に連れられて、頭から真っ黒のマントを被った女性が2人、寄宿棟に入ったのは日付が変わったころの時間だった。

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