第8話 【他者視点】王の帰還

 国王陛下と王妃殿下、そして外交に携わるザナスリー公爵夫妻を主とした一行が、その滞在先で自国の王太子が夜会で起こした婚約破棄の一件を早馬の伝令で伝え聞き、隣国での公務を急ぎ終えて、王宮に戻ってきたのは、婚約破棄からおよそ1週間後の事だった。


 帰還の先ぶれを受けたこの国の王太子であるジャスティは、今日も本来であれば婚約者の場所である自身の左隣に聖女マミを並ばせ……というより腰を抱きかかえ密着し、いちゃいちゃとキスをしたり、愛を囁きあったりしながら、国王夫妻のみが使用する王宮大正門にて、その到着を今か今かと待ちわびていた。


「マミ、いよいよだ。」


「ジャス様ぁ、ちゃんと王様と王妃様に婚約者を変更したこと、お話ししてくれるんですよね。」


「あぁ、もちろんだ。 ……あぁ、今日もお前は可愛いな。」


「やん、こんなところで……あっ。 だめだってばぁ。」


 父王の帰還を心待ちにしすぎて興奮しているのか、ちゅっちゅ、ちゅっちゅと、純白のドレスを着たマミの頬や首筋、大きく開いた胸元に唇を落とすジャスティに、マミはまんざらでもないという顔をしながら頬を染め、一応止めつつもたわむれあっている。


 そんな王太子と聖女に対し、同じくこの場で父王の帰りを待つ他の王子と王女――いや、ここにいる官職者や侍女侍従すべてが冷たく呆れた視線で自分たちを見ていることに、彼らは気づきもしないようだ。


「国王陛下の馬車がお入りになります。」


 侍従の声と共に、吹き鳴らされた金管楽器の音。


 皆が背筋を伸ばす中、変わらない王太子と聖女に、冷たい視線がさらに集まる。


 そんな別の意味で緊張感の走るエントランスに、白馬を6頭並べた真紅を基調に金の装飾を施された国王夫妻専用馬車がスムーズにその大きな車体を止める。


 それに気付いたジャスティは、流石にマミと唇を離すと顔を上げると、マミの腰を抱いたまま背を伸ばし、父王が下りて来る馬車の方に体を向けた。


 侍従たちの手によって馬車の扉の傍に足置きが置かれ、侍従によって扉が開けられると、それを合図にその場にいた全員が、一斉に最上位の礼を取った。


 ジャスティもマミの腰を抱いたまま、不自然な形で静かに腰を折った。


 一方マミの方は、いま何が起きているのわからず、きょろきょろ辺りを見回した後、礼を促すジャスティの腰に右手をまわし、左手でドレスの裾を申し訳程度につまんで、ようやく頭を下げた。


(見苦しい。)


 そんな場違いな姿を、ここにいる誰よりも美しいカーテシーを取っていた第一王女は奥歯をかみしめてから一瞥した。


「国王陛下、王妃殿下、御帰還でございます!」


 その声と共に馬車の扉が開け放たれた音と、ぎしり、と、足台が軋む音がして王が馬車を降りたのだと皆がわかった。


 頭を下げている状況では解らないが、馬車からまず降りたのは、黄金の髪を後ろになでつけ、翡翠の瞳をしたがっしりした体つきに厳しい顔をした国王で、地に足を付けた彼は、馬車を振り返ると静かに手を差し出した。


 馬車からその手に向かい出てくるのは、華奢で美しい白い腕。


 差し出された国王陛下の手を借り、馬車から優雅に出てくるのはミルクティ色の髪を美しく結い上げた王妃殿下である。


 王妃殿下が地に足を付け、衣類が整えられる音がする。


「皆のもの、出迎えご苦労である。」


 王妃のエスコートをしながら、決められた立ち位置でそう言った王に、皆が静かに頭を下げるのを深くする。


 慣例であれば、このまま王が王妃と共に王宮へ入り、それを見送ったのち、王太子以下がそれに倣って序列に合わせて王宮へと入って行くのだが……今日は、違った。


「皆のもの、頭をあげよ。 余が国を不在にしている間に何やら騒動があったと知らせを受けた。 ――王太子ジャスティよ!」


「はっ。」


 声を掛けられたジャスティが静かに、自信に満ちた余裕の笑顔を浮かべて父王に挨拶をしようと胸に手を当てる。


「国王陛下。 無事の御帰還のお喜びを……」


「そんなことは良い。 それよりも、お前の婚約者ミズリーシャ・ザナスリーは一体どこにおるのだ。」


 帰還の喜びの言葉を、地を這うような低い声に遮られたジャスティは、一瞬目を見開いたものの、やわらかな笑顔を浮かべて、腰を抱き寄せたままのマミと一度見つめ合い、それから父王を見た。


「陛下。 わたくしの婚約者はこちらにおります。 ご紹介申し上げます。 新たに私の婚約者になりました聖女マミでございま……」


「余がお前の婚約者にと決めたのは、ミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢だったはずだが、いったい何時替わったのだ?」


 さらに低くなった声にも気が付かず、ジャスティはマミと見つめあい、微笑みあってから、2人で父王を見た。


「あの女は聖女であるマミに悪逆非道の限りを尽くしたため、断罪の上、修道院へと送ってやりました! 今頃は修道院で己の罪を悔いながら泣いて暮らしていることでしょう! その空席になったわたしの婚約者の席にふさわしいのは、神殿が呼び寄せしこの国の聖女マミであると考えました。」


「ほう……。」


 カッ。


 僅かに体を王太子の方へと向けた国王陛下の靴音が、その場に裁判で使われる槌の音の様に響いた。


「貴様は、余の命令を勝手に破棄した上、いまだ英知を授けられない聖女を婚約者にしたと言うのか。 大層な阿婆擦れと聞いているが、報告は誠であったか。」


 その言葉に、ジャスティは眉間にしわを寄せ、顔を赤らめた。


「あば……父上! マミは神殿の呼び寄せし聖女ですよ! そのような言い方は失礼というモノです!」


 ぎりっと父王を見てそう叫んだジャスティにすり寄るように、マミはつんつん、とジャスティの袖をつつく。


「ねぇ、ジャス~、阿婆擦れってなぁに? それに、王様、怖くなぁい? マミ、泣いちゃいそう~。」


「清らかな君からは、もっとも縁遠い酷い言葉だ。 父上いくらなんでもひどすぎます。 訂正してください。」


 マミの頭を撫でてから、父である国王にそう言うと、すっと顎に手をやった国王は静かに息子を見下ろした。


「ほぅ、この公の場で、余に訂正を求めるか……。」


 静かに、さらに声を低く国王陛下が呟き、場の空気がびりびりと緊張した時だった。


 パシリッ!


 扇を閉める音がした。


「恐れながら陛下。 このような場所でこれ以上お話しされるのは、王家の恥をさらすだけでございます。」


「……ふむ。 ならばどうするか。」


 王妃の穏やかで優し気な声に、場の緊張した空気が一瞬緩むかと思われたが、次の発言で、緊張は一気に高まった。


「では、此度の事、当事者を王宮に呼び寄せ、月の間で話し合う、というのはいかがでしょうか?」


「……つ、月の間。」


 ありえない、という顔をしたジャスティをよそに、王妃は静かに指示を出す。


「東門に到着したザナスリー公爵夫妻にも、そちらへ来るよう伝えるように。 それから、宰相、貴族議会議長も呼んで頂戴。 ――もちろん、お前たちもですよ、ジャスティ王太子、聖女マミ。」


「母上、何故僕たちま……で……っ。」


 反論しようとし、そこで初めて母親の顔を見たジャスティは、喉を鳴らした。


 今までに見たことのない、無の表情の父と母に、半歩、後ずさる。


「……かしこまりました。」


 頭を下げたジャスティに、空気の読めないマミがつんつん、と袖をつついた。


「えぇ~。月の間ってぇ、なんですか?」


「……後で、説明する。」


「えぇ~。」


 やだやだ、と駄々をこねようとするマミを抱き寄せて頭を下げさせたジャスティを見た王妃は、静かに頭を下げた。


「僭越ながら、陛下、それでよろしゅうございますか?」


「かまわん。 では、皆、集まるように。 慣例にのっとった儀礼の後、王妃の采配にて月の間にて行う。」


 踵を強く打ちつけるように一つ、カツッ! と靴音を鳴らして王宮に入って行った国王と王妃に、彼らの専属の侍女侍従が続いた後、はぁ~と、息を吐いた第二王子であるシャルルが顔を上げて、静かに横で青い顔をする王太子である兄ジャスティと、それにまとわりついて唇をとんがらせているマミを見た。


「ねぇねぇ、ジャス様。 月の間って、美味しいお菓子、出ますぅ? なんでそんなに怖いお顔してるんですかぁ?」


「……。」


 青い顔で呆然としているジャスティと対象的に、駄々っ子の様に髪をいじり、腕に抱き着きながら質問しているマミの姿は、誰の目にもいっそ滑稽にも見える。


 が、何時までもこうしていられない。 王太子が王宮に入らなければ、自分たちも動くことは出来ないのだ。


 早く歩きだしてもらおうと考えたシャルルは、呆然として答えられない兄の代わりに答えた。


「月の間、というのは、罪人をさばくための負の謁見の間ですよ、聖女殿。 兄上、ご用意もございましょう。 早く向かわれた方がいいのではないですか? 後もつかえておりますし。」


 そんな言葉に周囲を見たジャスティは、ぐっと、マミを抱き寄せて歩き出した。


「えぇ~。 罪人って悪い人の事でしょう? なんでジャス様が行かなければならないの?」


「……わからん……いや、でも、ミズリーシャの親も呼ばれている、婚約破棄の手続きかもしれないな。 ……行くぞ。」


 駄々をこねるマミの腰を抱き寄せたジャスティは、従者を連れて月の間に向かうため、歩き出し、それに続いて皆もようやく王宮の中に戻る事が出来た。

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