第3話 弟との事実確認

「王太子殿下の婚約者として長年の研鑽の末の出来事で、お心がお疲れなのでしょう。 お嬢様、どうぞゆっくりとお休みくださいませ。」


 そう言って。幼い頃からこの公爵家に仕えてくれているおじいちゃん先生が出ていった後、部屋に残ったのはベッドの隣にソファを動かして座った弟アイザックと、お茶を淹れてくれる私付きの侍女レナだけだ。


「姉上。 会場であったことを聞きました。 僕が夜会の出席に間に合っていればそんなことをさせなかったのに……本当に申し訳ありません。 今からでも、王宮に行ってアイツを殴って……」


 私と同じ、淡い金色の髪に柔らかな緑色の瞳を持つアイザックに私は首を振った。


「駄目よ。 あんなのでも不敬になるわ。」


 自室なのだから関係ない、と、私も正直に答えると、アイザックはソファから立ち上がった。


「しかし! アイツは今までもさんざん愚かな行動の尻拭いを姉上させていた愚か者です! しかも、夜会の場であのように婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を言い渡すなど非礼にもほどがある。 そもそも王家から申し入れてきた婚約ですよ!? もう、いい加減に一度痛い目にあった方がいいのです!」


 だん! と、地団駄を踏むように足を鳴らしたアイザックを、私は宥め座らせる。


 なぜならば。


「殿下は間違いなく、すぐにでも痛い目にはあいます。 貴方が手を下さなくても平気よ。」


「どういう意味ですか? 姉上。」


 私はアイザックに、向かってにっこりと笑った。


「昨日の証文……取ってあるのでしょう?」


「あぁ、はい。」


 ごそごそとジャケットの内ポケットから出したのは、昨夜私が夜会の席で王太子殿下から受け取った書簡を折りたたんだものだ。


 ぱらり、とひらいてそれをアイザックに渡す。


「ほら、陛下の御璽が押してあるわ。 でもね、陛下のサインは入っていないの。 御璽とサインは本来セットであるべきものよ。 簡易の書類であれば御璽ではなく、サインだけで、決裁されるわ。 だからこんな風に、御璽だけで発行されるものではないの。」


「……でもこれには、サインはない……。」


「そうなの。 その時点でこの書類は無効なのだけれど、問題はそこではないわ。 ……アイザック? 殿下はどうやってこの御璽の押された紙を手に入れたのかしら? そもそもこの御璽をお持ちであるはずの陛下は今、お父様達と隣国の新国王の即位式へ出向いていらっしゃるのに、よ?」


「……御璽を偽造した、という事ですか?」


 その答えには、首を振る。


「いいえ。 この御璽は本物よ。 王子妃教育、王太子妃教育の時に教えられた項目ですもの。」


 そうすると、アイザックはあんぐりと口を開けて、そんな馬鹿な、と首を振る。


「ではつまり、国王陛下の側近などに殿下の協力者がいるという事ですか? そんなこと、ありえますか!?」


「可能性としてはあるわね。 現在の陛下よりも、足りない殿下が王になった方がいいと言っている派閥があるくらいですもの。 もしくは、あの聖女様の力か……。」


「あぁ、聖女マミですか? 異世界からやって来たという不思議な力を持った女ですね。」


「……もともと殿下は足りない方ではあったけれど、彼女がこちらに来て以降、ますます足らなくなったから、少しは考えられるわね……。」


 そう言いながら、私は前世の記憶をたどってみる。


(そういえばこんな転生もののお話では、人を虜にして離さない魅了魔法があったけれど、この世界にはそれらしきものはないはず……よね? 王太子妃教育でもそんなものがあるとは習わなかったわ。 じゃあなにかしら……。)


 色々と考えながらも、私はひとつため息をつき、目の前で難しい顔をするアイザックににっこりと笑った。


「どちらにせよ、今回の事ですでに陛下やお父様達には使いが出ているでしょう。 きっとすぐに帰って来られるわ。 だからアイザック。」


「はい、どうされましたか? 姉上。」


「私、明日にでもアリア修道院に入りますね。」


「あ、姉上!?」


 素っ頓狂な声を上げたアイザックに、私は何か?と首をかしげる。


「まってください、姉上。 正気ですか?」


「もちろん正気よ。 殿下があの夜会の中で王命として私に修道院行を告げた。 しかも御璽まで用意して……その事実がある以上、私はそれに従わなくてはいけないわ。」


 それに、いやいや駄目です、と、アイザックは首を振る。


「だめです、姉上! 先ほど姉上が仰っていたではないですか、これは偽造された無効の書面だと。 陛下がお帰りになるのを待たずとも、貴族院へ問い合わせればすぐに無効になります。 それなのに、わざわざ相手のいう事を聞かなくても。」


 その言葉に、私はにっこりと笑った。


「そうね。 でも私、それが無効になって、殿下との婚約を維持されるのは本当に嫌なの、えぇ、絶対に嫌。 婚約破棄を言い渡された時、そこだけは感謝したくらいよ。 でも、このまま陛下のお帰りを待っていれば、確実に、今度は王命によって、再婚約させられてしまうでしょう。」


「確かに……それはそうですね。 いやしかし修道院に行くことは僕は賛成できません。 姉上だってご存じでしょう? 一度修道院に入ったら、見習いから正式な修道女として認められるまでの最低3年の間は、家族と言えど面会すら許されません。 状況が落ち着いたらすぐに出るというわけにはいかないんですよ?。」


「だからよ。」


 私はにっこり笑った。


「先ほども言ったとおり、王子妃、王太子妃教育を終えた私を、王家も貴族院も簡単には手放そうとしないでしょう。 けれど、その王太子の失態で修道院に王命で入れてしまったのならきっと話は別だわ。 教会所属の施設は他所からの干渉を受け付けない場所。 王家や貴族院の干渉も受け付けない守られた場所よ。 身を守るのに最適ね。 その3年の間に、修道院を出た時に、王家に捕まらないためにどうするかを、考えられるもの。」


 思考と準備のための守られた3年間を得たのだ。 これは好機だと思う。


「しかし、公爵令嬢の姉上が3年も……無茶ですよ、姉上。」


 心配そうにそう言ったアイザックに、私は首を振った。


「3年も、ではないわ。 たったの3年、なのよ? 私は王太子妃教育という名の子守役を6歳から12年間もやって来たのよ。 それに比べたら短いものだわ。 そのたった3年を我慢すれば、あの足りない王太子殿下と結婚しなくて済むのよ? 有難くて涙が出ちゃうわ。」


「姉上……。」


 戸惑うように視線を揺らす弟に、私はにっこりと笑う。


「あの王家から解放されるため、ここは王太子殿下の王命に従ったと言う体で、修道院に入ってしまった方がよっぽど自由になれるの。 婚約という正式な契約を独断で破棄したこと、御璽の無断使用、さらに、公爵令嬢を私情で修道院へ入所させたこと……これだけ揃えば貴族院会議で満場一致で廃太子になるわ。 そして新しい王太子殿下が立たれ、婚約者が決まる頃に、私は婚約破棄はされた傷物とはいえ、公爵令嬢に戻る事が出来る……。 いい? お父様とお母様がおかえりになった時、ここまでの経緯と計画をしっかりと話して、私が出るまでの間の事、準備しておいて頂戴ね。」


 前世で親子関係は悪かったけれど、今世ではお父様もお母様も私の事を愛してくれているし、それを自覚している。


 今世の私は自己肯定感もモリモリだ! 悲惨な前世を思い出したけれど、あれは前世、と正直割り切れている。


(もし今だったら、やり返す気満々だけどね!)


「お覚悟は固いのですね。」


「えぇ。」


「わかりました。 では明日、姉上はアリア修道院へ。 私も公爵家当主代理として姉上と共に参ります。」


「ありがとう、アイザック。」


 話がまとまった私たちは明日に備え、休むことにした。

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