第4話 アリア修道院
「お話は王太子殿下のお手紙で伺っておりますが……本当にいらっしゃるとは思っておらず、ご無礼をいたしましたわ。 ミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢様。」
「いいえ、私こそ先ぶれだけでやってきてしまい、大変ご迷惑をおかけいたしました。 それなのに受け入れてくださって感謝いたしますわ。 院長先生。」
「ここは教会ですから、誰でも門をくぐれますもの。 それにちょうどいい、と言ってはおかしいですが、入れ替わりで出た者がおりましたので、お部屋もご用意が出来ております。 片付けずに置いてよかったですわ。」
そう言って、美しく微笑んだこの修道院の院長先生は、私の前をゆっくりと歩いて教会内を案内してくださった。
ここは、殿下があの日、口にしていた王都の南はずれにある小さな小さな修道院『アリア修道院』。
ざっと調べた限り、この修道院は王家と何かつながりがあるなどと言った事はなく、現在の院長先生の前の院長先生が20年前に建てられたと言われる、歴史の浅い建物も規模もとても美しく小さな(しかし過剰なまでに堅固な造りで、隣の建物が騎士団の建物という防犯も完璧な)修道院だ。
きっと、国外追放、王都追放を言い渡すまで度胸のなかった馬……殿下が、それでも私を辱める目的で、王都の中で一番小さくて遠い修道院と考えた場所だったのだろう。
王都のはずれ、とのことで、しっかり朝食、昼食を食べ、最低限の手荷物を持ったうえで家を出、昼過ぎに到着した私は、まさか本当に!? と驚きながらも優しく出迎えてくれた院長先生に挨拶をし、弟と共に聖堂の中にある集会室に通されると、そこで昨夜の夜会での状況を説明した。
事の始まりである夜会の断罪劇から今日ここに来るに至るまでの話を静かに聞いてくれた院長先生は、このまま修道院を入るのを屋敷で少し待てば、形勢逆転の好機があるのではないかと言ってくださった。
しかし、これまでの自分の行いも見つめ直す良い機会なのでと言った私の話に納得してくれ、修道院入りを認めてくださった。
弟の前で誓約書と宣誓書を書き記したあとは、一度俗世間から離れるというための儀式(と、高位貴族の令嬢が侍女もおらず、自分一人では手入れも大変という意味もあるだろうが)とのことでわたくしの腰まで届く金の髪は、肩口で切りそろえられた。
それに立ち会った弟は顔を歪めて泣いていた。 彼は大きな金貨袋2つを教会への献金として納め、私の髪を大切にしまい、肩を落として帰って行った。
そんな弟を見送った私は、院長先生に促され、鞄一つ分の荷物だけをもって、俗世の人間には入れぬ修道院への奥へと、足を踏み入れた。
「今日この時点で、貴方はこの修道院の正式な見習い修道女となりました。 今後はミーシャ、と呼ばせていただきますね。」
瞬きを一つ、二つして、私は首をかしげた。
「ミーシャ、ですか?」
「はい。 貴方がこちらにいらっしゃる間、身分などは関係ありません。 ゆえに、修道女ミーシャと、そう呼ばせていただきます。」
「かしこまりました。」
(たしかに、ここで院長先生から公爵令嬢、とか、ミズリーシャ様って呼ばれるのは違うものね。)
納得し、私がそう言って、頭を下げると、院長先生は微笑んでくださった。
「では行きましょう。 主聖堂とこの区画は鍵をかけて管理しています。 こちら側は、私達の生活、そして仕事の場です。 まず、宿舎棟に行きましょう。」
「……美しい建物ですね。」
「そうですね。」
白亜の、小さな修道院の中は、清貧。
その一言に尽きていた。
教会として必要な聖人像や御使い像などの彫像や設え以外、一切の無駄がない居住区画。
「俗世から離れるのに、これほど適した場はありませんね、先生。」
そういえば、院長先生は穏やかに笑った。
「そのような言い方もありますけれどね。 ……この修道院は、建築されてまだ20年ほどと歴史も浅く、お役目を果たすだけでいっぱいいっぱいで、飾り立てたりする余裕がないだけなのですよ。」
「お役目、ですか?」
「えぇ。 修道院には、教会からいろいろなお勤めを授けられます。 この教会は堅牢で安全……その造りと環境から、大切なお役目を請け負っているのです。 そのお話は後で詳しくお話しします。 まず、貴方のお部屋はこちらですよ。」
「はい。」
教会から居住区画に入り、小さな庭をはさんだ2つの建物の、右の建物にむかい、短い渡り廊下を通り、建物の中に入る。
それだけの短い距離なのだが、私はふと、首を傾げた。
「院長先生、この修道院には、あまり人がいないように見受けられますが……?」
ここまで来るのに、私は院長先生以外の誰にも会っていなかったのだ。
私が貴族の義務として慈善事業で通っていた修道院は、国一番の規模だったこともあるだろうが、とても多くの修道女がいた。
不思議に思ってそう聞くと、院長先生は青い瞳を細めて微笑んだ。
「このアリア修道院の修道女は、現在は私ともう一人だけなのですよ。 他は下働きをしてくれる通いの女性が5人いるだけです。」
それには吃驚して、私は声を上げてしまった。
「まぁ、たったのお二人なのですか?」
吃驚して声を上げた私に、院長先生はにっこりと笑った。
「実はつい1週間ほど前までもう一人いたのですけれど……還俗なさったのですよ。 政略結婚なさるとかで。」
「なるほど。」
至極納得して頷いた私。 そんな私を見ながら院長先生はひとつの木の扉の前に立たれた。
「こちらにいらっしゃる間の貴女のお部屋です。 もともと使っていらっしゃった部屋とはあまりに違うので驚かれるでしょうが……」
大ぶりの鍵を渡してくださりながら、そう言葉を濁す院長先生に、私はにっこりと微笑んだ。
「いえ、大丈夫ですわ。 失礼いたします。」
(確かに今世ではとんでもなく贅沢していましたけど、前世では6畳1間のワンルーム暮らしでしたからね。)
扉を開ければ、まさにそのような狭い部屋に、簡素だけれども品の良いベッドと机と箪笥が置いてあるだけだ。
「そちらの箪笥に修道服が入っております。 着替え終わりましたら、もう一つの建物を案内しますからおいでくださいね。 それから、この修道院の一日の流れや決まりは机の中の冊子に書いてあります。 今日の夜にでもよく読んで、明日から神様にお仕えてしてください。」
「わかりました。」
「では、建物の入り口で私は待っております。」
「はい、すぐに参ります。」
パタン、と扉のしまった音とともに、私は手に持っていた小さな鞄を取り出した。
荷物、とは言っても、宝飾品や着飾るための物は持ってきておらず、最も簡素なワンピースや下着や、文房具、手紙セットなどの最低限の品をすぐに片付けると、淡い水色のワンピースを脱いでハンガーにかけ、タンスの中に入っている灰色の修道服に身を包んだ。
見習いという事で簡素な服と同じ灰色の三角巾の様なものを頭に付けると、幼い頃から使用していた祈りのシンボルネックレスを胸にかける。
部屋の鍵には紐が付いていたため、ポケットのボタン穴に落とさないように括り付けた私は、靴も履いてきたものから黒い備え付けの靴に履き替え、部屋を出た。
「お待たせして申し訳ございません、院長先生。」
「いいえ、今までで一番早かったですよ。 では、もう一つの建物を紹介しますね。 それから……。」
「はい、先生。」
私の姿を上から下へと見た先生は、穏やかに笑った。
「シンボルネックレスは危険ですので外して、ポケットへ。 お祈りの時に取り出して使えるようにして普段は身につけないようにしてくださいね。」
そう言われれば、院長先生も着けていないようだ。
「わかりました。」
シンボルネックレスを外し、部屋の鍵と同じようにポケットに入れた私は、左側の建物に足を踏み入れた。
「ここが、私たちに課せられたお仕事の場所です。」
1つ目、2つ目と扉を経て入った先。
「……ここは……?」
目の前には5つずつ2列並んだ小さな小さなベッドと、修道女姿の初老女性と、下女として雇われていると聞いていた恰幅の良い女性が2人、そして別々に抱っ子されている3人の小さな赤ちゃんの姿だった。
「アリア修道院は、幼い赤子を養育する愛児院なのですよ。」
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