第十一話 変

 太陽は明るいだけではないのかもしれない。

 都合が悪いと燃やし尽くそうとするのかもしれない。

 本当のあなたは、どっちなの?








 蝉が騒がしく鳴き、朝日だというのに照り付きようが痛いほどに感じる。帽子を被るようにと全学年に通達が来る暑さが訪れたと思っていたら、もう直ぐ夏休みだ。


 水筒を開ける音がするとともに爽やかな麦茶の匂いが廊下に漂う。教室まで待てないと誰かが急かしているのだろう。一気飲みにして「もう無いや」と後の祭りになっている児童がしょんぼりとしていたのを、私は見た。

 私はその状況にさえ笑えないのだ。昨日、あんなことがなかったら笑えていたんだけどなと、一人ごちる。面白そうなことに首を突っ込んでしまいがちな自分を呪っていたい気分なのだ。人様の秘密というよりも本性に近しいものを見てしまったのである。それも陽気で気さくな彼、呼乃邉哲の実態というものを不本意に。真髄なんてものを覗くつもりなんてなかったのだ。それを覗き込むと真髄もまた己を覗くというけれど、知らない誰かがテツ君の仮面でも被って生気のない眼で見てきているようにも思えてならない。それ位あり得ないことなのだ。まぁ、それが起こっているのですけれども。


 花江由希子と刺繍が入った汗拭き用のハンカチで首元を軽く拭う。しかし、頬から伝うその汗は厚さから来るものではないと言っておこう。背筋に冷たくツゥっと流れるものを感じながら、私は教室のドアを開けた。


 蝉と同等か若しくはそれ以上の元気な声が耳に入る。

「ワカバ、ハヨース!」

「おはようテツ君、朝っぱらから元気ね」

 短く刈り込んだツーブロックの髪型をした少年は、先に入室していたハルルちゃんに挨拶していた。ハルルちゃんが声に出したその一言には同意しよう。活発で親しみやすい印象を与えるマンダリンオレンジのラインが入ったスポーツウェアが嫌味がない位に似合っている。

「まあな、朝練していりゃ冴えるぜ」

 そんな彼はカラカラと笑う。

「えぇ私なら疲れてバタンキューよ」

 額に軽く手を当てて目をぐるぐると回すふりをしたハルルちゃんに、すかさずテツ君はツッコミを入れる。

「そりゃ、鍛錬してないからだろ!」

 寝坊常連のハルルちゃんにツッコミが決まった瞬間ドッと教室にいた皆が笑う。


 目に映る様子を見て、私は呟いた。

「相変わらず熱い人だ」

 前に見たテツ君はまやかしに過ぎないものであって欲しい。

 

 だが、それはぐうそうを真実にしようとしがみ付く行為でしか無いのだ。

「……ハヨッス、ハナエ!」

 彼は間を置いて、私に挨拶をするからだ。まるで、確認するように鋭い眼差しに、彼はなる。

 しかし、それ以外では周囲の人に違和感を持たせないように班活動に於いても、何時ものように接して来るのだ。橙色の光を放つ彼の目の奥に別の誰かが存在すると知られないように。

 だから、その彼に変だと思われないように言うのだ。

「おはよう」

 そう、何時もの感じで。

 




 数日経ってから、あの話を持ち出すのは今更だってことぐらい、私にも分かる。

「前って、何言ったっけ、ユキコちゃん?」

 キョトンとして裏もないハルルちゃんの顔を見ると、溜め息が出る。そうだよ、誰かの気持ちを察することが人一倍できても、駆け引きが苦手のこの子がそういうのができないって知っている。そういうのって? 要望に応える情報の提示。

 いくら昼休みで、当人は二組のサッカー対抗試合に出ていて、それも教室にいないからって、気楽にいられる訳がない。壁に耳あり障子に目ありってやつなのだ。


 私はアレと窓に指を指し示す。開けられて風が吹き込む。髪が揺れて頰を撫ぜる中、彼女の焦茶色の瞳が捉えたようである。

「ああ、随分と前に言っていた人よね、ハヤミ君」

 それはちょっと前ではない。その時、五月の下旬じゃないか。今は七月だよ、夏がもっと夏々しくなる七月。

「違う違う、ハヤミ君からボールを奪った方の……」

 明日はサッカーかドッジボールかを賭けた大勝負とのことだ。何時も体育会系の行事に引っ張りだこのテツ君にとっては、自分の得意球技は逃せないらしい。だから、サッカー部の期待のルーキーがいる二組だとしても負けられない意地があると見た。

「ああ、思い出した!」

 サッカー部のニューフェイスと良い勝負をしている彼を見たハルルちゃんは顔を上げた。

「テツ君って……」

 名を言おうとしたその口を手で塞ぐ。

「名前は言っちゃダメ!」

 誰が聞いているのか分からない。さっきテツ君の話をあの子がしてたよ、なんて彼に言われたらたまったもんじゃない。今度は校舎裏に呼び出しをされる、それも悪い意味で。用心に越したことがないので、ハルルちゃんに注意深く目配せした。彼女はコクコクと頷き、誰とは言わないけど、そう呟きながら。

「一年生の頃と雰囲気が変わったような気がする」

 何となくだけどさ、片方の眉を下がらせながらハルルちゃんは言ったのだ。

 私の耳の奥から鼓動の音が響いていく。その一瞬、暑さも風が吹きつける感覚も消えていたのだ。

「どんな風に?」

 彼の化けの皮に隠された一片を見た私は先入観を持っていた。きっとそれが彼の本性に違いない。

 そう期待していたのに、ハルルちゃんはあっけらかんとして言ったのである。

「どんなだったか、忘れた」

 その一言で済ませた彼女に、私は開いた口が塞がなかった。これだけ周りの目を気にして、それでいてテツ君の耳にも入らないようにしていたっていうのに、忘れたってなんだっていうの⁉︎

「ええ〜、何で忘れるのよ!」

 取り越し苦労だとばかりに語気が自然と荒くなっていく。

 そんな私に、ハルルちゃんは仕方ないことじゃないと言い返した。

「だって三年以上も前のことよ、それも今よりもっと子供の時の‼︎」

 最もなことを言われて納得した。七歳の時だなんて、私だって朧げである。一つ一つ克明に覚えて生きるような過ごし方なんてしていないのだ。ただ、何となく生きているだけで。

「そりゃそうだよね、考えに捉われない思うがまま生きている時期なんだもん、忘れるよね」

 クラス内での派閥、噂話、先生からの評価、先輩と後輩からの目線の違い。そんなことを気にしないでいた時が確かにあったのだ。その頃は頭の中で渦巻こうともする悩みなんてものがないに違いない。

 私は溜め息を一つ吐く。結局、テツ君のことが分からないままだ。

 そんな私を心配したハルルちゃんは尋ねてきた。

「テ……、分かってるよ名は言わない。ユキコちゃんは、あの人が気になるの?」

 ハルルちゃんの表情が最初は思いやる顔推していたのに、段々とニヤリと笑う顔付きになっていった。彼女自身が言った言葉の中に面白そうなものを発見したらしい。

「気になるっていうか、何その顔?」

 確かに気になることは気になるが、ニヤニヤとしだすその顔を見ると私はムッとした。

「んん、別に〜」

 何か含んだハルルちゃんの振る舞いに、私は見覚えがあった。それは、ハルルちゃんとコウヅキ君の関係性を面白がっている時の自分自身の姿である。

「そんなんじゃないからね‼︎」

 いつもの立場と逆転した私は、ちゃんと言っておくのだ。絶対に色のある話ではないと。

「未だ何も言っていないじゃない」

 ハルルちゃんは楽しげに笑っていた。





 クラブ活動が始まるチャイムが鳴り響くとともに、ホッと胸を下ろす。

 隣の席にテツ君がいると思うと、頬に無理がある愛想笑いが残ってしまって引くついていた。明るく時には巫山戯るその姿はテツ君に違いないのに、あの日に垣間見たテツ君らしさを削げ落とした彼がいるのではないかと疑ってしまうのだ。そう思う度に、私はできる限り彼を刺激させないように過ごしていた。誰か、頑張ったと讃えてくれ、私を。

 

 草花にでも癒されて、忘れるのが一番だ。そう思って、花壇の側を通ると、テツ君豹変事件の渦中にいるコウタダさんに手招きされたのだ。

「コ……コウタダさん、何かご用?」

「嗚呼、ハナエさん……どうしたんだね、顔が青いじゃないか」

 数日前にあなたのお孫さんの荒れた姿を見てしまったものでなんて言えない。

 私の顔色の悪さに、心配してくれたらしいコウタダさん

「今日は早く家に帰った方が良いじゃないかい、ローズマリーは今度のクラブ日に渡すから」

 花壇の側で自生していた香草を持って踵を返そうとしたコウタダさんに、私は待ったを掛けた。

「いえ、大丈夫、大丈夫」

 人員が私以外いないという事実を抱えた部活動もとい園芸愛好会。他の部と比べると活動が狭まれている。それだけは、部長としてもっとごめんなのだ。 

「そうかい?」

 疑いながらもコウタダさんは摘み取ったばかりのローズマリーを手渡してくれた。


 早々と去ろうとした私を、コウタダさんに呼び止められたのだ。

「嗚呼、そうそう、これも忘れていたよ」

 ポケットからメモ用紙を取り出してコウタダさんは差し出す。丁寧に書かれた細かい文字列を繁々と目になぞると、あるものが形作る。

「ポプリの作り方だ!」

 水から煮沸消毒し乾かした保存瓶を用意する。三十秒ほど電子レンジでローズマリーを半乾きにさせて、保存瓶にローズマリーと塩と交互に層ができるように入れる。

 そう書かれていて、私は目を円くした。

「結構、簡単にできるんだ」

 そう思わず呟いた私に、コウタダさんはお茶目にウインクした。

「やってみてもないものや知らないことは難しそうに思えるんだよ」

 目の前のお爺さんがホホッと笑っているのを見ると、コウタダさんも作り方を知って実践する前は、怖々としていたのだろうか。きっと、それは私と同じなのだ。皺のある手の中に、嘗ての私みたいに知らないと言う子供がいたに違いない。何処となく微笑ましく思えてしまい、私も笑う。

 目を細めていたコウタダさんは、思い出したとばかりに厳しい顔をした。

「顧問の先生と一緒にやるんだよ。保存瓶を煮沸消毒する際、危ないからね」

 コウタダさんは、火傷しないように、と釘を刺してこの場から去ろうとしていた。

 

 私は、あの時のことを思い出した。数日前、テツ君が凝視していたのを。コウタダさんを、テツ君は見ていたのだ。

「あのコウタダさん……」

「何だい?」

 何となく聞きたくなったのだ。

「知られたくないって、どういうことなのかなって」

 テツ君はコウタダさんの血縁であることを口外するなと言っていた。寂しそうに彼を見ていたコウタダさんは、きっと祖父としてテツ君を大切にしているに違いない。

 何故、テツ君は隠そうとするのか。そう思う彼を気になってしまったのだ。

 コウタダさんは、日除用に植えられた樹に触れていた。

「そのままの意味だと思うよ」

 優しく言うコウタダさんの目元は、やっぱりテツ君に似ている。でも、それは元気一杯に振る舞うテツ君でもなければ、表情も感情も抜け落ちたかのように冷めている テツ君でもない。きっと、彼が落ち着いたら、こういう静かな眼差しになるのだろう。


 はぐらかされたような気がした私は、もう一度聞く。

「そうじゃなくて、何で知られたくないのかなって」

 ここまで来ると、テツ君が問題を抱えているのではなく、コウタダさんにあるのではないだろうかと思ってしまう。

 だが、そう思うのは避けたかった。自分にだけではなく、トビタツ市立第二小学校の児童と親しく、枝籠作りや草綱引きといった楽しい遊び方を教えてくれるのだ。


 コウタダさんは続けたのだ。

「隠してきたことが自分の首を絞めてしまうから……とかだろうね」

 コウタダさんは、走り込みに行く集団を眺めた。。青緑色の練習着が鮮やかに目に映る。その中に、テツ君はいた。

「きっと、自分の立場も取り巻く状況も全て変わってしまう」

 あれから、コウタダさんはテツ君のことを口に出さない。

「それを恐れているのかもしれないね」

 自身に言い聞かせているように、テツ君に問いかけているように、コウタダさんは告げたのだ。








 考えるほど知ろうとするほど、こんがらがる。

 あなたは一体、どんな人なの?

 花江由希子の知らぬ世界の中。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シルバームーン 〜絵本『月の王子様』に触れた少年少女の物語〜 利人 @rihito6

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ