第十話 ちょっと
今回はちょこっと違う話。
面白い関係性を築くハルルちゃんとコウヅキ君のお話じゃない。
ハルルちゃんの友達のお話だ。
私の友人はタイヘンな目に合っているらしい。
「ちょっと、それは言いっこなしよ‼︎」
声を荒げて言う若葉春流は、皇月レノンに手でその旨を手話を伝えていた。
コウヅキ君から、彼女曰くイヤなことを言ってくるらしい。彼は見た目の通りクールだが、意外とユーモアなそれも皮肉を効かせた発言をすることがこの四年三組の間で発覚したのだ。ハルルちゃんがあんなにプリプリと怒っているのだから、一際スパイスが効いているんだろうな……。そう思うと興味深くてニンマリしてしまう。
実際、どんなことを言われているのかと聞いてみるとハルルちゃんから話を逸らされる。それにコウヅキ君の手に文字で綴ってもはぐらかされる。
きっと、彼等二人の秘密なのね。そう思うとワクワクして仕方がない。
そこに叶愛花が参戦して、見事にトライアングルな関係性になって、ますます面白いことになっている。
恋模様と言って良いのかまだ分からないけれど、近いうちにそうなる。
ウッドクラフトの髪飾りを付けた黒いボブカットの少女は、目を細めてその様子を見ていた。花江由希子、四年三組の五班。結構興味深い関係性が近くで見れるから、この班を気に入っている。
けれど、最近気になる対象が他にも出てきたのだ。数人の男子児童に囲まれて笑っている少年、呼乃邉哲。短く刈り込んだツーブロックに光加減でオレンジめいた色をする目を持つテツ君は、このクラスの元気印と言われている。服装はいつだって動きやすいアウトドア系だし、持ち物だってスポーツ用品で有名なブランドマークが付けられたものしか使ってない徹底ぶり。あたかも、オレは快活ではなくてはならないって言っているような感じだ。
「けど、別の顔があるだなんてね」
そう私は呟いた。
それは花とか木とか、所謂、植物が好きだったことが起因しているに違いなかった。
二時間目と三時間目で校庭で遊ばなくてはならない二十分程度の休み時間。ドッジボールとかはスピードが乗った球を避けたいけど、鬼ごっことかの鬼に見つからなければ良いものはわりかし好きである。校舎と校庭にある日差しよけに植えられた樹々の陰に隠れていたら良いからだ。そう言う時は、四葉のクローバーを見つけたり、昨日生えていなかった小花が見れたりするゆっくりできる時間。
「あ〜あ、ハルルちゃん捕まっちゃった」
グラウンドの中央辺りで鬼にタッチされてカチンコチンに固まったようにするハルルちゃん。ごめんよ、そんなド真ん中では助けに行けない。だって、今、クラス総出で氷鬼をしているんだから。私もそんな所に行ったら二つ目の雪像が出来ちゃうじゃない。
心の中で、ごめんよ、と額の前で手を合わせる。
低く整えられた椿の樹の影に隠れていると、しゃがれた声に呼ばれたのだ。
「おや、こんな所にいて良いのかい? 目一杯に遊べる中休みじゃないか
「コウタダさん! 今、逃げる役だから良いの、動くよりもジッとしている方が見つからないから」
目元の皺が優しげについたお爺さんは、幸多田孝治。用務員さんで、トビタツ市立第二小学校の樹々や季節ごとに植えられた花の世話をしている方だ。
「そう言いつつ、足元にあるソレを見ているんじゃないかい?」
煉瓦造りの花壇の傍で中腰になっている私を見て、コウタダさんはニッと笑った。
「ヘヘッ……バレました?」
私は鼻頭を掻きながら、舌を出す。そう、ここに留まっているのは氷鬼の心理的作戦ではないのだ。
さっき氷漬けにされたハルルちゃんのように、部員数が少ないクラブに私は所属しているのだ。それも活動人数が一番に少ないと周知の事だと言われているボランティア部よりも、激然とメンバーもいない。だから、人知れずとして愛好会に格下げられた園芸愛好会の部長としては見過ごせない草花があったら、離れるわけにはいかないのだ。
そんな珍行動をしている私を咎めることもなく、コウタダさんは目を細めながら、紫がかった白い小さな花を見た。
「ローズマリーだね、料理にも使えるけれど、ポプリを作るのにも良いものだ」
学校の敷地内に植えられている木々や花々の管理をしている所為か、コウタダさんは目にした植物の名を答えられるのだ。
歳を召した男性陣は渋い趣味を持っているものだと思っていたが、コウタダさんは植物を扱った手作り品や遊び方に非常に詳しく、そういった品々を上手く作ってしまう。
「そうなんだ、今度の園芸愛好会で集めて作ろうかな」
厚くも細長いその緑を手に触れて、繁々と眺める。瑞々しい匂いが鼻を掠めた。
「摘み取らないように気をつけるよ」
ニッコリと笑ったコウタダさんは余分な雑草を取ると伸びをする。そしてグラウンドを見ていた。
「……コウタダさん?」
少し背の曲がった背中は寂しそうに見えていた。
「嗚呼、何でもないよ……」
優しさを残す皺がついた目元から伸びてゆく視線を、私は辿る。
その時に私は知った。コウタダさんの瞳に橙色を見つけたのだ。
「テツ君……?」
目の輝きが似ている。同じクラスの呼乃邉哲にそっくりだったのだ。それに、コウタダさんの視線の先には、氷鬼で誰かをまた氷漬けにするテツ君がいたのだから。思わず、声に出てしまったのである。
彼の名を呟いた時、コウタダさんは驚いた顔をしていた。
「孫を知っているのかい?」
コウタダさんのお孫さんが彼かどうかは知らないが、テツ君の名を私が呟いた際に、こう尋ねてきたのだ。私はコクリと頷いた。
コウタダさんは声も出さず、大きく手を振った。
それに気付いたのか、真っ直ぐ凝視したテツ君がグラウンドに影を残していた。
彼は何時も明るい笑みを浮かべているはずの人である。しかし、今の彼の表情は抜け落ちていたのだ。鬼が逃げる役の子をロックオンする顔付きすらしていない。
無表情のまま見据えていたのだ。恐らく、そこには私は映っていない。声に出そうとして噤むコウタダさんを目に捉えているのだろう。それを確認すると、彼は去って行った。
あんなテツ君見たことない。
私は、そう思ってしまった。しかし、うら寂しい雰囲気を纏ったコウタダさんの横顔を見ると、口に出そうとは思えなかった。
同じ学年で、同じクラスで、同じ班。それも隣の席だと言うのは非常に気不味い。
先程の中休み中で彼が見せた無表情とは違う、普段の朗らかというよりも明るく振る舞う姿。あれを見なかったら、知らなかったら、何時もの様子だと疑うことすらなかったのに。あの元気な顔付きがスッと音も立てずに無くなった表情が、頭から離れないのだ。
「……不気味よね」
「ユキコちゃん、何が?」
そう思わず呟くと、ハルルちゃんは何のこっちゃいと言う風にしていたが、私は「こっちの話」とカットする。
「そう言えばさ、コウヅキ君に初めて話しかけたのハルルちゃん以外だとテツ君よね?」
ボランティア部で手話を習うこの少女は初っ端からコウヅキ君と話していた猛者ともいえる。ハルルちゃんは因縁があるとか言っていたけど。
「そうだと思うけど」
確か、コウヅキに手書き文字をし出したのはテツ君のはずだと、思い出したらしいハルルちゃんは頷いたが、それと同時に首を傾けていた。
私は訝しげにしているハルルちゃんの軌道修正させ右往と言葉を探す。
「いや、ほら、タイプ違うじゃない、二人」
そんなことをなぜ気にするのだろうかと疑問に思う顔に、私は普通のことを聞いたかのように取り繕った。あんな顔をしたテツ君のことが気になってだなんて、誰にも言えない。表情を消し去ったあの恐ろしさだなんて直接聞けるわけないじゃない。
ハルルちゃんは、クールなコウヅキ君と快活なテツ君は対極の位置に丁度あるということに納得しつつ。
「あ〜、まあ違うけど、意外と馬が合ってる」
談笑というか手の平に文字を書く二人を見る。
ハルルちゃんは「コウヅキがほら笑っている」と言っているが、どこが笑っているのかが判らなかった。よく見ると口角がやや上に上がっていると……? こんなのコウヅキ君エキスパートのアンタ以外判るかい‼︎
「でも、違和感があるのよね」
コウヅキ君のジョークを聞いたのだろうゲラゲラ爆笑するテツ君を見つつ、ハルルちゃんは言ったのだ。
「何に?」
鼓動音が喉の奥に響くのを私は感じた。それを知らずして、ハルルちゃんは言う。
「上手く言えないんだけどさ、無理してない感じ……かな」
彼女は、どちらに対して言っているのだろうか。ケラケラ笑うテツ君の方だろうか、会話を楽しんでいるコウヅキ君の方だろうか。
「どういうことよ、それ」
剣呑にも聞こえる私の声に、ハルルちゃんは気付くことはなかった。
「楽にしているっていうかさ、そんな感じがするの」
彼女が見ている先には二人がいる。私は、言葉を選ぼうとするハルルちゃんの口が動くのを待った。
「私、テツ君と一年の頃同じクラスだったんだけど……」
テツ君が楽にしているということなの……? 彼は、コウヅキ君といると無理していない……? どういうことなの?
私はテツ君の本当の姿が分からなくなっていく。何時もの明るく活発的な彼、光さえ目へ通さない感情から切り離された彼。隣の席にいるテツ君の横顔は普段のものだった。
帰る者とクラブ活動に行く者。閑散としてしまった教室に私だけが取り残されてしまった。そりゃそうだ、園芸愛好会の部長こと唯一の部員は私だけだもの。
鞄に教科書を詰めて、足早く帰りたい。謎になってしまったこの少年の知られざる一面を垣間見た者にとっては、やや恐ろしく思えてしまったのだ。
根掘り葉掘り聞きたいし調べたい気持ちだって勿論ある。だが、同時に、あの豹変していた顔が本来の姿だと知るのはヤバいのではないかと思うのだ。報復される可能性だってある。パンドラの箱は開けなくたって良いに違いない。その方が平和だし、一時見た悪夢だと思うのが救われるに決まっている、主に私が。
そうだ、そうしよう。忘れることにシフトチェンジした。
その時、教室の出入り口から自分を呼ぶ声が響く。
「ハナエ、ちょっと良いか?」
少し掠れた少年らしい声。青緑色に白のラインが入ったドッジボール部の練習着を着た、呼乃邉哲。表面上はニッカリと。でも、今日のあの出来事を見てから判るようになったフレンドリーさの欠片もないあの目。
私は、ビクリと肩を震わせてしまった。
「何か用?」
教室のドアに佇むあの少年に、今の私が感じた途惑いを知られたくはない。普通にしてみるものの、私は冷や汗をかいていた。
平常であると振る舞ったが、そんな私を彼は冷めた目で射抜いていたのだ。
「ちょっと……な」
何時もあっちにこっちにと忙しない言動をする彼が、何かを含んだような間を開けたのである。私、終わったかもしれない……。
私は鞄の持ち手を握り後退る。その度に、テツ君は一歩毎、私に近付いて行った。
できる限り机や椅子にぶつからないようにし、この場に止まらないように私は逃げようとした。だって、あんな目をした子なんて見たことがないし知らないもの。誰に対してでも太陽みたいに明るく接して、一緒に笑い合うのがテツ君だ。こんな何も感情を宿さない目をした人はテツ君じゃない‼︎
知らない誰かとしての仮面を被ったような若しくはそれが本性のテツ君の視線は険しい。
彼の眼光の鋭さに捉えられたのか、顔を視線でさえ私は逸らすことができなかった。遂にはロッカーまで追い詰められて、抱えていた鞄の重さに耐えられなくなり、私は腰を抜かしてしまった。
私を見下ろすテツ君に影が掛かり、開げられた彼の目しか見えなかった。
「コウタダ……さんに、何か言ったか?」
彼は小さな声で尋ねてきた。
きっと口止めをする気なんだ。中休みの時に、テツ君を見て言ったコウタダさんの言葉を思い出す。コウタダさんと彼の関係を周囲に知られると不味いことが起こるのね。
「え、……クラブ活動について話しただけよ」
私は一つ嘘を吐く。これに、どう出るかで話は違ってくるのだ。
「そうか」
頷く彼は私の嘘を間に受けたフリをしたようだった。
「あの人、何か言ってたか?」
まだまだ疑いの目を、私に掛けていた。私は見上げながら「特に何も」と答えた。
私のその答えに満足したのか「そっか」とテツ君は普段と違えない笑みを浮かべていた。丁度、彼が所属するクラブの練習着にピッタリの雰囲気である。
私はその変貌に、怒りが湧いてきたのだ。ここまで私を、クラスメイトで、同じ班で、隣の席の私を追い詰めてきたのだ。恐怖で何とかしようとしてきた、快活スポーツマン気取りの彼に何か言わなきゃスッキリしない‼︎
「ねぇ」
私はテツ君を睨んだ。
「何だ? 終わったら、部活行かなきゃ」
化けの皮の中が見られたんだから、その手に乗せられるはずがないでしょ。私には敢えて言わなかったことがあるんだから。
私は力を入れて立ち上がる。
「コウタダさん、お祖父さんなんでしょ?」
言ってやった。どうなるかは分からないけど、どうにもなって仕舞えば良い。この私の怒りが無くなるなら。
「それがどうした」
彼は睨み返したが、今の私には、さっきみたいにアンタなんか魔王のように見えないんだから。
私は腰に手を張って言ってやる。
あの時のコウタダさんはテツ君に手を振って挨拶していたのに無視なんてして。それでもって、あんな顔で睨み付けるだなんて、コウタダさんが可哀想だ‼︎
「あの時、中休みの時、大声で返事しなくても手くらい……」
振り返せば良いじゃないの、そう言おうとした時。「黙れ」という声が教室に響いたのだ。
「黙ってくれ」
何かを言おうとした私を、彼は遮った。彼の声は泣いているような、後ろめたそうにも聞こえた。
テツ君は私から顔を背けた。
「何も知らなくて良い」
彼の背は寂しそうで、あの時のコウタダさんの姿と重なった。
だから私は「でも……」と声を掛けたのだ。
彼は私に振り向き、こう言ったのだ
「知らないなら、口に出すな」
吐き捨てるように。
休み時間の時、ハルルはこう言おうとしていたのだ。
「一年生の頃と雰囲気が違うのよね、テツ君って」
若葉春流は、呼乃邉哲と一学年の時に同じクラスだったのである。しかし、彼女にとってはもう朧げで、どんな一年生だったのかは、もう覚えていないのだ。
でも、あんなに盛り上げるような明るい性格だったっけ?
そう違和感を抱いていたのである。
両面の仮面を合わせ持つ少年のテツ君。
それに気付いてしまったユキコちゃん。
二人は知らない。
特に、ハルルちゃんとコウヅキ君の関係性を面白がっていたユキコちゃんにも、縁ができただなんて!
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