第九話 新しい景色でやっと見えた世界は
まよってしまった月の王子は、もりにたどりついてしまいました。
夜のカガミのようにひろがるもりのなかから、どこからともなくこえがきこえてきました
「かれない花のうつくしさを、しってしまったらどうしますか? あなたなら、どうするのでしょうね?」
そうたずねられた月の王子は、そのこえのもちぬしをみつけていいました。
「ほっぺにナミダのしるしの道化師はどうするの?』
そう月の王子は聞きました。
『月の王子様』 弓弦・作の一節
部長に一発驚かされた後、少し拗ねながらハヤミ君と共に集計表とエコ期間の報告ポスターを手渡したら、自分よりも大きい手で「上出来だ」とワシャワシャと頭を撫でられた。ハヤミ君はニシッと笑っていたが、私はドギマギとしてしまったのは内緒だ。
ボールを片手に持ちながらハヤミ君は「サッカーしません?」とイチノセ先輩を誘っていた。イチノセ先輩はその話に乗ったらしく、直ぐさま二人とも「じゃあな」と手を振っていたのを、私は目をパチクリしながら手を振り返した。
私はボサボサになってしまった髪を直そうと、頭に触れる。その時に、イチノセ先輩に撫でられたその一瞬の手の温かさを思い出してしまう。頰に集まった熱を覚ますように昇降口へと向かった。
四年三組の下駄箱に向かうと、誰かの影ある。夕焼けに照らされていて、近くに行かないと見えない。
こんな遅くまで居るだなんて、部活がある子だろうか。いや、今日はないはず……。私は、誰だろうと近づいた。
真っ直ぐな長い髪が開けられている扉から風が流れているさまが目に映る。鳶色の髪……、きっと同じクラスの。
「あ、マナカちゃんだ……」
彼女が気に入っているらしい桜色のワンピースを翻して、マナカちゃんが私を見付けたようだった。
「マナカちゃん、こんな時間までいるなんてどうしたの?」
私は驚きつつ、尋ねた。
マナカちゃんは委員会にも部活にも入っていないのだ。それら以外だと、補習授業ということになる。しかし、それはおかしいことだ。だって彼女は、居残って先生から指導される程、頭だって悪くはない。どうしてだろう?
口元に手を当てたマナカちゃんは、微笑んだ。
「ええ、花を眺めていたら遅くなってしまいました」
彼女の言葉遣いは何時も丁寧だと思いつつ。
「花係だもんね、教室に彩りを入れる」
確か、あのコウヅキと同じ係だったはず。そう思うと、花自体がバックに舞うようなまさに高嶺の花な二人だなと感心した。
「ふふ、そうよ」
鳶色の髪を頷く拍子にサラリと揺らし、マナカちゃんは口角を上げた。
ここで一つの沈黙が来てしまってた。どうすれば良いのだろうか? 余り二人で話さないから、場の繋ぎが分からない。
先ず、彼女の前で何時も仲良くしている子達に接するのと同じようにしても良いのだろうかと疑問が湧く。良く言えばひょうきんに悪く言えば道化のように振る舞う自分……。
ダメだ。想像してみたら、神々しいレベルだと言われているマナカちゃんに対して私のユーモアを出すってことでしょ……? 空気、凍りついてしまうのではないだろうか。いや、優しいマナカちゃんのことだから、きっと愛想笑いくらいはしてくれるだろう。世間ではそれを苦笑と呼ぶらしいが……。
そう一瞬だけ思っていると、聞き慣れた、この時間帯では聞かない音が昇降口に響いてきた。
「あ、鐘が鳴っちゃった」
鐘の音に彼女の鈴のような声が乗る。カラフルな“四年生”という文字の色紙で貼られたガラス戸に映るのは、広がっていく鮮やかなオレンジ。
「早く、帰らなきゃね」
私は呟く。今日は委員会があるって母さんに伝えたけど、こんな時間になるまで学校に残ったことがない。
綺麗な橙色をここで又見るのは、もっと上の学年になってからに違いない。そう思うと、何だか名残惜しくて、この目にその一時を閉じ込めてしまおう。
横にいるマナカちゃんもそう思っているのだろうかと、私は彼女の方を見てしまう。
彼女の目には明星が宿っているかのように、西陽によって輝いていた。
夕日から伸びてゆく黄み帯びた光がマナカちゃんを照らし出す。
何処かの印象派の絵にでもいそうな雰囲気に私はドキリとする。この現実と幻想の境に入った情景の中に彼女と私が居る。それが不思議に思えてしまうのだ。
私がその雰囲気に見事に浸かっていると、マナカちゃんが笑った。笑ったって言っても、何時もの微笑じゃない。大人びたというか、自分の役割をちゃんと知っていると言うふうに、彼女の表情は決まっているのだ。そんなマナカちゃんが年相応そうな仕草でいる。
「委員会とかクラブとかに入ってないと、ここまで遅くならないもんね」
だからこんな時間まで残るのは初めてと、彼女はワクワクしているように思えた。あ、マナカちゃんって意外とお茶目さんなんだ。私は内心そう驚いた。
その驚きが私の頭を働かせたらしい。今日のような夕焼けに見覚えがあると気付かせたのだから。
「私、三年生の時、ちょっとイタズラで夕方まで残ってたけど、見回りの先生に怒られちゃってさ」
いやぁまいったまいったと、私は頭を掻く。あの時の先生の雷が身に染みたものである。
マナカちゃんは声を上げようとしたが口を押さえた。このことを聞いて、校舎を徘徊する教員に見つかりたくないらしい。
「あらあら、教頭先生が見回っていないと良いんだけど」
声をそっと押し留めながら彼女は囁いた。マナカちゃんが言う通り、トビタツ市立第二小学校の教頭はとても怖いことで有名だ。この学校に通っている生徒なら誰だって校長先生を差し置いて畏怖する存在なのである。
え? 校長はどんなだって? それは菩薩に決まっとろうが。
脳裏に、仁王像のに似ている教頭先生と仏様に似ている校長先生が追いかけっこをしているさまが過りだし、私はそれを手で払う。
そう一人でボケツッコミしているその時、マナカちゃんが急に一歩、目の前に出てきたのだ。アホな空想は押し込んで、何でもない風に私は振る舞った。
「ハルルちゃん、一緒に帰らない?」
マナカちゃんとは方向は同じだが、地区が違うため登下校で同じグループになったことがない。この誘いにはドギマギとした。何せ面と向かって話したのなんてものの数回、ましてや一緒に帰路をしたことなんてないのだ。
「確か、ハバタキ町の先の、シロバ町だもんね、マナカちゃん」
私が住むハバタキ町の杉の木の先、そこを真っ直ぐに行くと蜂蜜色のパン屋が見えたらシロバ町。帰る方向も同じ、別に変な話ではない。クラスメイトの女の子と帰るだけ。それだけなのだ。
背後から影が伸びてゆく。シルエットが自分自身に戻ろうと追いかけて行くように、足の裏にでも付いているかのようだった。
私達は歩き出していた。中庭を通って、グラウンドに沿って出来た道を歩いていく。校門に出るにははグラウンドの側を通って行かなくてはならない。
一歩一歩ごとに重くなっていく足取りに、無理にでも前へと進ませる。そうしなければ、上手く歩けないような気がしてならなかった。
唐撫子の色の刺繍が彩るランドセルを背負ったマナカちゃんは、私の方に首を傾けて聞いてきた。
「ねぇ、ハルルちゃん」
彼女の髪がサラリと歩調に合わせて靡いている様を見て、私は思った。髪、伸ばせば良かったな。
「あ、うん、何かな」
ワンテンポ遅れて返事をする私は、調子の良くないオモチャのようにみえた。まるで、自分の家に飾ってある古いオルゴールじゃないか。あれはネジを巻いたって一本調子が崩れている。
けれど、緊張せずに普通になるんだ、私。
間の空いた空気が、私達の周りに漂う空気を静かなものにしていた。彼女が口を開いた時、自分にとってはとんでもないことだったので、私は目を見開いた。
「レノン君のこと、どう思ってる?」
彼との噂の渦中にいるマナカちゃんが、皇月レノンについて聞いてきたのだ。
当たり障りのないことを言った方が良いのだろうか? 一瞬そう思ったが、辞めた。マナカちゃんが纏っていた表情が真剣だったからだ。応援する態で彼女が思ってそうなことに同調しようとした自分に蓋をする。
「え、う〜ん……」
マナカちゃんはきっと勇気を出して聞いているに違いない。だから、自分が本当に思っていることを言わなくてはならないのだ。
「ヤなヤツ……」
最初に出たのはこの一言だった。彼は、私が言うことに呆れたり馬鹿にすることが多い。それに未だに私を不審者のFだなんて呼ぶ時があるのだ。それを逆手に取られたら、言い返すことができないのを知っていてほくそ笑んでいるようにも思える節もあるのだ。そんなヤツはヤなヤツだ。
私が口から出した言葉を聞いて、マナカちゃんは目を釣り上げた。
「レノン君はヤな人じゃないわ!」
すぐさまに言い返そうとする所なんか見たことがない。こんな形相がマナカちゃんにあるってことに息をのむ。
だけど、マナカちゃんが言っていることも正しいのも私は知っている。
「分かってる」
私は歩き出した。グラウンドから隔てているフェンスの格子模様の影が私の頰に落ちる。
「……ハルルちゃん」
後から着いて来るマナカちゃんは、私が吐いた言葉に驚いていた。きっとコウヅキを守ろうとしていたのだろう。言われのないことをそんなレッテルをつけないでと言いたかったのだろう。
「私にはその印象がちょっぴり強いだけ」
でも、それだけではないのだ。
「イヤなヤツだけど、そのぶんだけ凄い人かな」
彼は視覚にも聴覚にもハンディキャップを持っている。それでも彼は、自分よりも勉学に身を置いているのだ。身体的に情報を遮られながらもコウヅキは学ぼうとしている。血の滲むような努力をしないとここまでいかないことなんて彼を見ていれば分かる。読んでいる点字の本だって参考書か教科書、苦手なものでもコウヅキは諦めない。否、諦めようとも思おうとしないのだろう。
私は、コウヅキのそういう所を尊敬しているのだ。
俯いたマナカちゃんは「あなたも……そう思っているのね」とい呟いた。
それに続かせるように彼女は言ったのだ。
「気になる人、いる?」
彼女の髪が陰になっていて表情が読み取れない。
気になる人……、マナカちゃんは確かにそう言ったのだ。
「え?」
どの意図でマナカちゃんはそう言ったのだろうか? 私には無論、そういう意味でのそんな人なんていない。好きな人がいるのはマナカちゃんの方ではないか。
困惑したままの表情がくっきりと残っている私の顔を見て、彼女はもう一度尋ねてきた。
「好きな人、ハルルちゃん、いる?」
私は黙ってしまった。そんなことなんて余り考えない。人が恋する様を見て友人と楽しむ側の人間なのだ。分かるわけがない。
この沈黙を彼女は肯定とみなしたようだった。
「いるとしたら、ミステリアスな人ね、きっと」
いないのに、いるとしたら。そんな人なんて何処にいるって言うんだろうか。
「え〜、そんな人いないよ」
ここまで続けていたのだ。鈍いと言われる私でさえにも分かる。彼女は、マナカちゃんは、私がコウヅキのことを好きだと思っているらしい。
私はその問いに対し、戯けてみせた。これは誤魔化しでもなく本当のことで自分が言った通り、そうだよねと自分に言い聞かせながら。
あなたが聞いてきたのだから、今度はこっちの番。そうとばかりに、私はマナカちゃんに追求する。
「よく分かんないけど、コウヅキじゃないの? 皆、女の子が言ってるってそう聞いたから」
遠回しに、マナカちゃんはコウヅキのことが好きなんでしょ、その意味を込めたのだ。
彼女はその意味を正に受け取らなかったらしい。
「レノン君は、ミステリアスな人じゃないわ」
違うんだ、そうではない。マナカちゃんにとってのであって、私にとってのミステリアスではない。
そんな席なんてもの最初から私の中にあるカテゴライズにはないのだ。そう考えてくると、椅子なんてものがないのにミステリアスの座に着こうと空気椅子するコウヅキの姿が頭に過ぎってくる。何故コウヅキは要らぬところで私を苦しめるのだろうか。想像の中でもドツボに嵌る私は馬鹿である。……多分。
現実に引き戻したのは、大人びた叶愛花の声だった。
「そういう人は努力の跡さえ残さないと思うの」
涼やかな彼女の声がハッと目を覚ましてくる。
私を呆れたような目で見てきたマナカちゃんが言ってきたのだ。
「あなたが入ってるクラブの部長さんの方がよっぽど謎めいているわ」
私はその言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
何故、どうして、彼女は、そう口に出したのだろうか。今はそんなこと関係ないのに。
「何で、今ここでイチノセ先輩の話になるの?」
自由に伸びた薄茶色の髪から覗く黒い目の彼。グラウンドを駆けていく音。オレンジの日に照らされて伸びる影の一人に、一ノ瀬智がいる。
「私、ハルルちゃんが好きな人、ボランティア部の部長さんかと思っていたの」
イチノセ先輩に聞かれたくない。なんて話をするのだマナカちゃん‼︎
「な、何で⁉︎」
通路と工程を隔てているのはフェンスしかないのだ。こんなこと聞かれたら堪らないとばかりに、私は声を潜めた。
勿体ぶるかのように振る舞う、マナカちゃんの口から出た言葉に、私は閉口できなかった。
「あそこ、誰も入らないじゃない」
マナカちゃんはそんな稚拙は事実から取って当然とでも言うようであった。
「そうかもしれないけど、私の他に部員くらいは……」
私とイチノセ先輩以外は幽霊部員と言っても良いけど確かにいることにはいるのだ。決して彼目当てで入部したわけではない。
私は目がひくつくのを感じながら
「私には分からないけど」
ここまで言われるだなんて、最悪だ。私だって言ってやる。
「マナカちゃんはコウヅキのこと……」
そう続けようとした私に、マナカちゃんは止めようとし出したのだ。
「待って!」
マナカちゃんの必死な声に、私は彼女の方に振り返り口を噤んだ。
「ハルルちゃん、私に言わせて」
彼女は息をスゥっと吸い、ゆっくりと吐き出した。
耳には、鼓動音とグラウンドから聞こえるボールを蹴る音が入ってくる。
それ以外はとても静かで。
「私、レノン君のことが好きなの」
夕焼けの所為だろうか、好きな人を言ったからだろうか、彼女の赤らんでいく。
「うん」と私は知ってたことを隠すように頷いた。
マナカちゃんの髪が揺れている。その様が彼女の心のように思えてならなかった。
「心底、誰かを好きになったの初めてよ」
そんな優しさの中に苦しみもある表情を見たのは初めてだ。何時も微笑を絶やさない涼やかな彼女に情熱的な想いまでもがあるだなんて、私は知らなかった。
「そんなに好きなの?」
整った顔立ちに赤が刺してゆくのを、特別な誰かに向ける優しさも、強さと弱さを併せ持つ。
素敵な少女に色んな表情を引き出したコウヅキは、きっと、魅力的な少年に違いがないんだろう。
「ええ、そうよ」
マナカちゃんは笑った。
大事なことを打ち明けてくれたのだ。私も言わなきゃ、と口を開いた。
「私はそういう意味で焦がれてはないけど、憧れている人はいるよ」
恋とかはまだ分からない。凄いとか、格好良いとか、あとそれから、輝いて見えるとか。
「イチノセ先輩」
格子の影の先、夕日の陰影の世界の中で…何時もは遥か年上のように振る舞う彼も、ただの少年のようにサッカーボールを追いかけていく。その姿を見て、私は自然と口角が上がっていくのを感じた。
「やっぱり」
空を見上げた彼女は、あっと声を上げた。私も空を見つめる。そこには一番星が輝いていた。
もりのかげからでた道化師は言いました。
「かれてゆかない花があるなら、だれにもいわない。むやみにつみとられないようにね」
イタズラするようなヒトなのに、おとなしいことをいうんだなと月の王子はおもいました。
道化師はつづけていいました。
「だって、だれかをまっているから、かれないんだ」
月の王子は、きっとそうなんだろうと思いました。
『月の王子様』 弓弦・作の一節
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