第八話 世界

好きって何だろう?


チョコとか、キャラメルが美味しいって感じる気持ちとにているのかな?

おろしたての靴を履くようにワクワクするものなのかな?


私には、未だ、分からない。








 四年三組の教室の中で止まったままのあの言葉が気になって仕方がない。舞っている粒子が蛍光灯に焦がされて影を作る。

「マナカちゃんって、コウヅキのこと…」

 喉から出かけたその言葉は、宙へと消える。休み時間に談笑する皇月レノンと叶愛花の二人の姿がやけに印象に残った。





 校舎の一階にある保健室の右隣には空き教室がある。今の所、その空き教室の前に吊り下げた札に福祉委員会活動中と書かれていた。

 活動が余り少ない福祉委員だが多少の仕事がある。それぞれのクラス中に集めたペットボトルのキャップを数えるのだ。

 一つ一つ数えた後は集計結果をグラフにしていく。

 えーと百二十八個のところまでラインを引いて、とマジックペンを手に持つ若葉春流は蓋をポンッと外す。

「“好き”……か」

 無意識ながらに溢れ出してしまった言葉に、私は驚く。だって、今、男子児童と一緒に作業しているもの。同じクラスで同じ班のテツ君だったらゲラゲラと笑って過ごして漫才チックに終わるだろうけど、目の前にいる相手はどうすれば分からない。噂に詳しいユキコちゃん曰く、学年一モテる少年らしいのだ。四年二組の福祉委員、速水颯太。爽やかな風貌に、困惑さが滲み出ていた。

「“好き”って、何が?」

 マジックペンの蓋をコロコロと飛ばしてしまった私に、彼は尋ねてきたのだ。速水君は、青の細長い蓋を私が座っていた席に優しく置いた。その蓋をペンに差し込んだ私は「どうも」とばかりに軽く会釈をする。

「ああ、こっちの話」

 何でもないつまらない話ですよとばかりに話を終わらせようとするが、ハヤミ君の好奇心に火をつけてしまったらしい。

「ん? でも気になるからさ」

 きっと彼のこういう所が罪深いのねと、ハルルは思った。晴朗快活さながらにちょっと鈍感のようである。それに鈍いとよく言われる私よりもそうかもしれない。

「好きって言ってもそういう……色恋とかの話じゃなくて」

 自分のことではなく、他者の、それもマナカちゃんの甘酸っぱいことなのだ。こうやって軽く言って広めても良いものではない。だから、少し、誤魔化した。

「ふぅん」

 彼は何か含んだかのような悪戯っぽい表情をしたが、特に追求する気がないらしい。私は「ほら」と続けた。

「ハヤミ君で言ったら、サッカーが好き、みたいな意味で」

 人差し指を上に立てて思いついたかのようにした私は、自分にナイスと言いたい。

 そんな私を見て、ハヤミ君はプッと吹き出した。

「うん、俺、サッカー好き」

 そう笑う彼に、ホッとする。自分の爆弾を抑えなくてはと、こういう時に勝手に自分の口が閉まってくれる都合の良いチャックってないかしらと思いつつ、集計表のグラフを一つ塗り終えた。


 そんな彼は頬杖を付きながら尋ねてきた。

「ワカバは何が好きなの?」

 真正面にいる彼の黒い髪も瞳も、窓からの光でキラキラと輝いていた。


 突如そんなことを聞かれた私は、何て言ったら良いか口ごもった。異性からこのようなことなんて言われたことなんてないのである。同じクラスの男子児童から言わせてみれば「あのワカバが」の一言に尽きてしまう私なのだ。一瞬、グルグルと駆け回っていく心の中の私が見つけ出したものに、私は引っ張り上げた。

「わ、私は……」

 小さい頃から好きなもの。

「『月の王子様』‼︎」

 目に静かな世界を届ける群青色には星がチカリ。陶器のような白さには青い目と月色の髪が輝く。鮮明な私の好きなもの。


 急に前のめりになった私に、ハヤミ君は驚いていた。目を大きく見開いた彼は、私が言った「月の王子様」を探し出す。ああ、と検討がついたらしい。

「絵本の? 俺、読んだことあるよ。絵、綺麗だったな」

 ハヤミ君は知っていたらしい、あの弓弦先生による『月の王子様』を‼︎

 今の私の目には星がいっぱいに違いない。だって、私が大好きな絵本のお話ができるだなんて、それも幼馴染以外で。

「そうなの、お城から見てきた外の世界へと旅に行くの!」

 憧れの地へと自分の足で向かい、最初は上手くいかなくても友達を作る王子は凄いと思う。自分の力で最初は切り拓きながらも、誰かと共に目の前の問題を解決していく。そしてその誰かが、友達となっていくのだ。

「私、本当に大好き」

 一節一節、幾度も読んでいった言葉に触れていくように、紙に描かれていたその情景が目蓋に映り込んでいく。そんな私が可笑しくて、思わずはにかんだ。


 今思うと、私って、変な感じになったのではないだろうか。急にこんなに捲し立てるようにお気に入りの話をするなんて、まごうことなき変である。

「すみません、急に……」

 私は気落ちしながら、こめかみに指を当てる。ああ、また変なヤツだと思われてしまうだろうな。

「気にすんなよ」

 ハヤミ君はクスクス笑っていた。何だ、気にするなと言っている割には可笑しいと思っているんじゃない。

「ちゃんと好きなのが分かってるってことじゃん」

 私が頰を膨らまそうとしようとした時、黒いペンでエコ期間の報告ポスターを書き終えた彼は何でもないことのように言っていた。

 そう言いながらも、ハヤミ君の視線は泳いでいた。着地点がない飛行機のように一瞬回る。

「後、俺ね、ワカバが好きなのボランティア部のことだと思ってた」

 後頭部を手でガシガシと掻きながら、彼は言ったのである。


 私は、目を丸く見開いた。そういえば、福祉委員会での二度目ましての時に、そんなようなことを言ったけ。

 でもね。

「うん、それはね……」

 確かに『月の王子様』は好き。でも、それはお気に入りという意味なんだ。

「それは、大切なの」

 私にとって、ボランティア部は、そういう意味で好き。

「伝える力、分かる力を教えてくれたから」

 それは三年生の頃。福祉を学ぶ講義の時に見た光景、ろう話者との対談。マツシマ先生の堂々とした仕草と表情が伝わっていく様を、当時、何も知らなかった自分でも判り易く思えた。

 そして、四年生になったばかりのクラブ紹介の時。昨年見たマツシマ先生の隣に立つ、吸い込まれそうな黒い目をした一ノ瀬智が話す内容に耳を傾けていた。手話を学べて、誰かの輪の一員に成れる。点訳のボランティア、誰かの役に立つ部活。そう聞いた時に、入ろうかと思ったのだ。


 キュッとマジックペンの蓋を閉める。ペットボトルのキャップの個数が書かれた集計表が完成だ。終わったよ、とハヤミ君に声を掛けようと顔を上げたらギョッとした。

「それ、僕の前で言うの照れないのかい?」

 掴み所がなさそうな声が聞こえたのだ。その主は薄い色した髪に眼鏡の少年に決まっている。イチノセ先輩だ‼︎

「イチノセ先輩!」

「委員長、居たんですか⁉︎」

 私とハヤミ君は声を上げた。悲鳴に近いくらいには。だって、この人、雰囲気あるのに、こういう時は絶対に影を薄くして神出鬼没に現れるんだから‼︎

「あのねぇ、僕は福祉委員長兼ボランティア部の部長だからね。ここに居るのは当たり前じゃないか」

 イチノセ先輩はやれやれと呆れたかのような素振りをしているが、目が笑っているのを私は見逃さなかった。

 格好だけ気付かなかった私達を咎めているかのように振る舞っているイチノセ先輩を、呆然と眺めているハヤミ君は開いた口が塞がらないい様子だった。

「え、居たっけ?」

「私達が入ってきた時もいなかったような……」

「なんだったら、活動中も……」

 私達が得体が知れない先輩についてコソコソと話していると、イチノセ先輩は眉を寄せてセルフレームの眼鏡の位置を直した。

「鍵、開いていたろ?」

 入り口へ指を向けたイチノセ先輩に、私達は驚いた。

 部活以外では閉まっているこの空き教室が、当番のハヤミ君と共に来た時には開いていたからだ。鍵が閉まってないラッキー、と単純に思っていたのだが……。

「さ、最初から⁉︎」

 私とハヤミ君は目を白黒させた。








そういう意味での好きってことが分からない。


けれど、自分の頑張っていることを曲げないように。

そこで目の前の世界が輝いていられるように一生懸命になることが良いって思えるように。


そういう好きって気持ちを留めておきたい。

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