第3話 芽吹き

 王子はだれからも、うつくしいといわれるように、せいちょうしていきます。

 空たかくとぶ鳥も王子をみると、よろこんでうたいます。ふわふわとまうチョウチョウも王子をみると、花をみつけたかのようにとまってくるのです。


 『月の王子様』 弓弦・作の一節







 火曜日のトビタツ市立第二小学校の放課後、四年生以上の児童の多くはクラブ活動に励む。体育館ではミニバレとミニバスのボールを打ち込む小気味いい音が響いていた。そこの出口から見ると、校庭が広がっている。一つしかないグランドの幅を取っているサッカー部と野球部の「またボールが入ってきたぞ‼︎」という声に、トラックを走る陸上部はそれだけ場所があるんだから気にしなくてもいいのにと呆れた視線を投げた。

 

 そんな様子が見える保健室の隣、空き教室。大量のペットボトルのキャップがこんもりと入ったビニール袋や羽マークのシールが入った紙袋が隅に置かれてある。

 ポツポツとニードルで点を打つ作業をする児童が二人。

「へぇ、皇月レノン君っていう子が来たのか」

 点字機で手慣れた様子で厚い紙に打っていく少年、一ノ瀬智いちのせ さとる先輩が顔に掛かった色素の薄い前髪を掃いのけるのを、私を見た。イチノセ先輩、ボランティア部の部長、六年生。

「この街のこと知らないみたいで……」

 ニードルを持つ手が少々ぎこちなくて格好がつかないなと思いながら、私は話を続けていく。次の箇所は『庭へと広がる……』、『に』は左側に三点のはずだから、右に三点打ち込む。点字を書く時は裏側にしなくてはならないから大変だ。

 一通り点訳し終わったらしいイチノセ先輩は、ズレた眼鏡を掛け直した。

「多分、この学校のこともよく分からないじゃないのかな」

 左から右へと用紙を目でなぞりって合っていたとばかりに一息吐くイチノセ先輩は、「ここ間違えそうになっているぞ」と、私が持つニードルの位置をずらした。『にわへと』が『にわへし』に成りかけてたので「すみません」と謝りつつ。

「へ? そう言えば転入してから一週間も経っていないですけれども」

 先輩は私がそう言うと、次の原稿に手を取った。

「人ってさ、生きていくには情報が必要なのさ」

 彼は何でもない風に言うけれど、この先輩は考え深い。

「ちょっと大袈裟に言っちゃったけどね」

 カラッとこちらに見やって彼は笑う。

「イチノセ先輩、情報って……?」

 この学校に通う児童や教鞭を取っている先生方は、イチノセ先輩を一眼置いている。ほぼ幽霊部員のボランティア部が成り立っているのは彼のおかげと言っても良い程だ。

 イチノセ先輩は口を開く。

「例えば、今ここに君がいるって、何で僕はわかると思う?」

 手で私を差し伸べながら、彼は聞いてきた。

「えと、見ているからです」

 私は答える。

「じゃぁ、こうしたら?」

 イチノセ先輩はセルフレームの眼鏡を外した。何処までも続いていきそうな黒い目がこちらを射抜いてドキリとする。

「……今はね、ぼやけた人が見えるってくらいかな、ワカバ君」

 私の呆気に取られたという雰囲気が判ったらしい先輩は、苦笑いする。彼はいつも誰かを君付けで呼ぶ。それがくすぐったくて、なんだか私にはそういう所が格好良く思えて仕方がないのだ。

「喋っている、私の声で、判断していると思います」

 よく考えながら、言おうとした言葉が間違ってないか噛み締めながら、私は答える。

「正解」

 フッと、イチノセ先輩ははにかんだ。

 彼は立ち上がりながら、背筋を伸ばす。

「こうやってさ、人は、判断する力を備えているんだ」

 窓辺へと進み西に掛かった太陽の光を一筋浴びるイチノセ先輩の背中には影が濃く残った。遮光カーテンをレースごと勢いよく開け放ったのだ。

「此処に何があるのか居るのかを知る」

 窓の鍵を開けるカラカラと引く音が響く。

「そういうのは、五感で知っていくのさ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚」

 人差し指で順番に、彼自身の目、耳、鼻、手、口を指していく様を見る。何処となく大人びているのは、イチノセ先輩が最上学年だけじゃないはずだ。

「その感覚が一つ他の人より頼りなかったら、他の感覚の力に頼る」

 彼は、何処となく侘びしそうに笑った。

「何となく生きていても、人間っていうのも大変なんだぞ」

 そう言う彼の言葉を、ハルルは重く感じた。





 銀の輪に収められた鍵を鳴らしながら「ほら、帰った帰った」とボランティア部の部長は、追い立てる。そろそろ、クラブ活動の片付をしようとする空気が児童の中で流れているのだ。


 イチノセ先輩が言った言葉が離れないまま、ランドセルを背負う。

「……何となく生きていても大変、か……」

 私はそんなことが解る程、そこまで生きていない。よく珍妙な事件を起こしがちで嫌だなぁとか恥ずかしいなぁと思う私だけど、それを“大変”という事柄に書き入れても良いものじゃないということだけは何となく分かる。

「あれ? 手提げ袋がない!」

 右手に持っているはずの黄緑色の手提げ袋を忘れていたことに忘れていたことに焦る。お母さんとおばあちゃんとの合作の鞄は気に入っていたし、体育で行った徒競走で汚れた体操着が入っていたからだ。

 ボランティア部の部室には置きわすれていないというよりも、持ってきていなかった。ガランとしたあの教室に普段置いていない異質なものは直ぐ見て分かる。とすると、四年三組の教室だけである。

 

 ドアを開けると、西日が照って目が一瞬だけ眩む。自分の席に手提げ袋があるかと見てみると、稲穂のような頭が目に写った。頬杖をしながら、右手で点字用紙をなぞるコウヅキだ。

 クラブ入ってないのに残っていたんだ、そう思いつつ、私は彼の肩をポンッと叩く。

「『かえらないの?』」

 二三日も会話もしていくと、ひらがなの指文字の動作が鈍くなくなっていく。それに目の前にいる彼は、動作も綺麗で良いお手本でもあるのだ。

『わかば、か』

 シートから顔を上げた彼は驚くこともなく、私だと直ぐに判る。何故、視力もあまり良くなくて音を聞き取るのも難しいと言っていた彼が、傍に居たのが私だって判るのだろうか。不思議だ。

『むかえにくるのをまっている』

「『いえのひと、おそい?』」

『ああ、けっこうまっている』

 手話でお終いの合図をすると、彼は溜め息を吐く。ホームルームは二時半には終えているから、一時間半以上も待っていることになる。机に広げられた点字シートの状態からすると、コウヅキは既に宿題も終えているらしい。

『おなじのをよむのもきつい』

 そう彼は辟易とした様子だった。


 その時に私は思い出した。

「多分、この学校のこともよく分からないんじゃないのかな」

 イチノセ先輩がそう言っていたということに。


 私は彼に尋ねてみた。 

「『じゃあさ』」

 提案するにはちょっと躊躇してしまうけれど。目線が横にずれてしまいそうになって、慌てて前を見る。う、コウヅキの御尊顔が後光に掛かって余計に眩しい。

「『がっこうの』」

 その後に自分の手の中で『あんない』が出そうになった瞬間に、止める。まるで、優しくしてあげているという状況になってしまいそうで、言葉を慎重に決める。

「『たんけんしにいかない?』」

 遊びに誘った程でしときたい。相手にだって負担を掛けたくない。気軽に、あくまで同級生と探検するだけなのだ。

 彼は私の指文字を読み取って、苦笑した。

『たんけんごっこするとしじゃない』

 彼自身と私に指を指す身振りで、僕もあんたも、と伝えてきた。何よ、四年生だってまだまだ子供よと伝えたい。でも、彼の落ち着いている態度からすると子供っぽすぎたのかしら、と悩んでしまう。

 睫毛を伏せて、コウヅキは伝える。あ、そこも金色なんだ、私は彼の顔を見てしまう。

『けど』

 コウヅキは口元をニヤリとした。

『やるよ』

 悪戯っ子のような表情をしている皇月を見て、彼もやっぱり同い年なんだと私は思った。


 人があまり居ない校舎の中、私は彼の手を引いていく。

「『そこはりかしつ』」

 そう私が伝えると、皇月は左手で杖を上手く使って道を叩く。まるで、記憶に刻み込もうとするみたいに。コツコツと、軽い音が廊下に響いて面白い。

 次の教室は確か。

「『……ここは』」

 私は教室の札を見ようとした。橙色に染まっていく校舎の雰囲気が何時もと違って見えて、何処だか判らなくなりそうになったのだ。私は口を開こうとした、その時。

 彼は両手を口元に寄せた。人差し指と中指を伸ばし、歌うような仕草で両の手をクルクルと回す。そして両手をまっすぐに伸ばし並行に四角に区切っていく。

『音楽室』

 皇月レノンは、そう答えたのだ。

 私は目をパチパチと瞬いだ。私は何も伝えていないのだ。なのに、何故、分かるのだろうか?

「『しっていたの?』」

 彼の答えは当たりだったのだ。その証拠に、まだ残っている生徒が威風堂々を演奏している。

 両手を『音楽室』の形を終わらせて、丁寧な指文字で彼は綴っていく。

『くうきがよくひびくから』

 そう返事をしてきた時に、目を思わず見開いてしまった。何も知らないままでいようとする訳じゃないんだ、知る術をちゃんと持とうとしているのだ。

 私は目を閉じた。ピアノの音色と共に木管の小気味良い音がする。耳も両手で抑えると静かに聞こえる。呼吸を少し抑えると、肌へとビリビリとした感覚が伝わっていく。

「『ほんとうだ』」

 私は自然と口角を上げ、皇月を見る。ポカポカッと手が温かくなっていく自分の手の熱さをそのままに、彼の手に触れる。

 皇月は一瞬眼を円くしたが、フフッと笑う。

『それもそうだけど、あらかた、いっただろ?』

 確かに、コウヅキをあっちに連れて行ったり、こっちに連れて行ったりとしていた。しらみ潰しも良いとこ、彼にとっては穴だらけのビンゴを持たされたようなものだ。

 そう気付くと、私は頬を膨らます。

「『もう、すごいとおもったのに!』」

 フンッとしてしまうけど、知っていくその力にも、気づかなかったわけだから。

「『でも、すごいとおもったのは、ほんとだよ』」

 彼の冷たい手の中に正直な気持ちを込めた。


 荷物を持って一階に行く、最後の探検。

「『あと、ここはほけんしつ』」

『たしかに、しょうどくえきのにおいがするな』

 壁の縁に手を当てた皇月は、隣の教室に気付いた。

『ここはどこだ?』

 彼が指し示した部屋は、私がクラブ活動している場所だった。

「『ここは、あききょうしつ……』」

 私は顔を背けて紹介しようとした。只の空き教室だと。ちょっと前まで、彼を邪険に扱ってしまった過去があるから素直に言えるわけがない。

 でも、ここはイチノセ先輩が頑張っている場所だ。歴代のボランティア部の頑張りを嘘ついて消そうとしたくない。

「『けん、ぼらんてぃあぶのぶしつ』」

 正直に私は答えた。手に汗が出てしまう。

 そう、やっとのこと答えた私に、彼は微笑んだ。

『やっぱりな』

 変わらないことかのように、彼は私の目の前で指文字を送る。

「『なにが?』」

 やっぱりって何だろう? 最初からこの部屋が何の用途に使用しているのか分かっていたのだろうか。

 優しく私の手を包み込んだコウヅキは、答える。

『わかば、ぼらんてぃあぶに、はいっているだろ』

 彼はそう綴ると、笑う。

「『なんで、わかるの?』」

 私は、一言も言わなかった。それとも、ボランティア部の場所を私が知っていたからだろうか。

 一瞬静かになった時に、『わかるだろ』と彼は続けたのだ。

『てに、まめができてる』

 彼が握る自分の手の平には豆があった。ボランティア部に入ってからできた代物、このままじゃ歪になるのかなと思ったこともある手に、彼はそう伝えてくれたのだ。

『にーどるに、ふれているてだから』

 指文字を続ける彼の手は、温かくなっていく。

『がんばっているてって、さいしょにあったときにわかったんだ』

 彼ははにかんだ。優しく微笑むと、青い瞳にオレンジの日が綺麗に差し込んでいる。私は、彼のその表情が忘れられそうになかった。





 家に帰っても、彼のはにかむ姿を思い出してボーとしてしまう私は、お母さんに「あんた大丈夫なの風邪じゃないでしょうね?」と言われてしまった。

 私はおばあちゃんがいる部屋へとノロノロと行く。

「おばあちゃん」

 彼女は私のうんと倍は生きている。ただ歳をとって生きているわけじゃなく、子供の言うことだからって、あしらわないのだ。

「何だね? 

 おばあちゃんは、何時ものように過ごしている。

 それに対して、何と言って良いか分からない私は手探り集めて口を開く。

「嫌だなって思ってた人ってさ……」

 アイツの第一印象『月の王子様』をガラガラと音を立て崩れさせた時のことを思い出す。

「普通に人生を送っていれば、誰にだっているものね」

 平然とおばあちゃんは、そう答えていた。

「うん」

 私は頷く。

 自身の記憶の中にいた彼の姿を思いながら、私は続けた。馬鹿にしたような顔をしていた。想像上のヤツに少し腹が立つ。

「そんな人にさ」

 言葉を探しながら。

「認められたら、どう思う?」

 やっと見つけ出せた言いたかったことを噛み締めながら、私はおばあちゃんを見る。変なことを言う子だと思わないと良いけれども。

 おばあちゃんは、私に何時もの顔をしていた。

「どうかねぇ」

 そして続けながら、「どんな人だとかよるものだと思うよ」とお茶を飲んだ。

 確かに嫌なヤツでも、色んな嫌なヤツがいる。誰に対しても牙を剥き出して吠え立てる近所の犬、偉そうにふんぞり返っている餓鬼大将。それらも、それぞれ別の意味で嫌なのだ。

「……どんな人か……」

 皇月レノンはどういう人だったのか。彼と関わってきた時のことから、絵を描き起こすように人柄を思い出す。

「アイツは、嫌味なこと言ってるの」

 好きじゃない所から。

「神経逆撫でするようなさ」

 一発KOしそうな効いた言葉を投げかける、そんなヤツだと思っていた。

「そりゃぁ、嫌な人だね」

 相槌を打ったおばあちゃんに、私は「でもね」と言いたくなった。

「でも、それは私がソイツを気にしすぎてたみたいで」

 自分の汚い所は見られたくないけれど。まだ小さくて無邪気な頃の私を見てきたおばあちゃんに、こんな所は知られたくない。

 でも、おばあちゃんは、眉を顰めることもなかった。

「うんうん」

 大事そうに、聞いてくるのだ。

 だから、私は言う。

「そういう人だって思い込もうとしてたの」

 思っていること。

「そんな人がさ、自分が頑張っているのを知って……」

 嘘もなく。

「認めてくれたらどう思う?」

 段々と体育座りになって、顔を埋めたハルルは、少し額を上げて祖母を見た。

「そうだねぇ」

 祖母はゆっくりと言う。

「私だったら、ちゃんと見てくれているんだって思うよ」

 そう耳に入ったことに、私はほろりと涙した。

「ちゃんと見てくれている……」

 そう言葉を反芻していく私に、おばあちゃんは肩を撫でて真面目な顔をして言ってくれた。

「その人は上部じゃないそういう大事な所が分かっている人だ」

 それに返事をするように頷くと、おばあちゃんはにっこりと笑ってくれた。










 ですが、王子はそうは思いません。

 王子は、おしろのにわに生えているゲッカビジンという花も、おしろのまどからみえるまちなみが、うつくしくおもえるのです。それはチョウチョウも鳥もおくる、そんなうつくしさをしったからでした。

  

 『月の王子様』 弓弦・作の一節

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