第2話 反れ合う

 あの少年は綺麗な人。


 青い瞳は海の色をした水晶玉みたいだし、風に靡く金の髪は光を浴びて虹が見えそうに思える程に輝いている。


 だけど、ちょっと冷たそうな雰囲気があって、不思議な人。







 皐月晴れが窓を通してよく見える日。

 その光に照らされた彼を見て、担任の秋柊一あき しゅういち先生はこう言った。

「皇月レノンは目と耳が不自由だ。それに、つい最近まで外国で暮らしていたらしい。困っていそうなことがあれば手助けするように」

 そう先生が言うと、クラスメイトはザワザワとしだした。

「なんで、この学校に来たのだろう?」

「さぁね」

「格好良いのに残念……」

 好き勝手にヒソヒソと言いだしていた。

 四年三組の担任は、その様子を見て顔を顰めて、パンパンと手を鳴らす。静かにするようにの、我がクラスの合図だ。


 私はその間中、黙っていた。しかし、頭の中では色々なことがこんがらがっていたのである。あの子、転校生だったんだ。もしかして、ユキコちゃんが言いたかったことで、このことだったの……?

 

 これは現実なのだろうか、幻か夢だとかではないのだろうかと、下に向けていた頭をやっとのこさ上に向ける。

 しかし、現実とは無情なものだとこの世の節理で決まっていると、私は叩きつけられた。

 何やらコウヅキだとかいう少年が視線をこちらに向けている気がしてならないのだ。

 昨日のことをなかったことにしたかった私は顔を逸らした。そうすると自然と隣の席が目に映った。そういえば、右隣には誰もいなかったことを今更ながら思い出したのである。

「若葉の隣だ、コウヅキを席に連れてやってくれないか」

 優しそうな養護教諭の先生と共に無表情のコウヅキがやってくる。神様、何故このようなことを起こすのでしょうか? 階段から転びそうになった彼を助けるが為にタックルともいえなくもない行為をしたからなんでしょうか? 私は彼に不審者とも言われてしまったのですよ、気まずくて顔を合わせられません。


 私は冷や汗タラタラと流していたらしい。養護教諭の松島豊まつしま ゆたか先生に「君、顔色が悪いようだけど……?」と聞かれてしまうくらいには。

「い、いえ、大丈夫です」

 私は引き攣った笑顔でそう返したが、それはとても不自然な様子に見えるだろうなと思ってしまう。

 先ず、落ち着こうかハルルよ。あの少年は、私の姿が見れなかったと思うのだ。だから、昨日に起きた珍事件に関わった人と同じ人だなんて判らないはず。

 それに、出会い頭の道で出会ったのねと、あれだけおばあちゃんに揶揄われたのだから、私は彼のことを印象深く記憶に残っているだけなのだ。転校したての彼がそんな伝説だか噂話など知らぬはずだから、気にしない程度のこととして、記憶の奥深くのゴミ捨て場に捨てられているに違いない。頼む、そうであってくれ。


 私は、一抹の願いに賭けてみた……爽やかな初対面にさせてくれと。


 皇月は空いている席に座ると、私の方へとぐるりと向けた。

『て、を、だ、せ』

 丁寧な指文字にハッとしつつ、手を彼の方へと差し出した。急に握手しだした皇月に対し、何だろうと私は思う。彼にとっては挨拶なのかしらとも思ってみたり。

 しかし、したり顔のコウヅキはハルルに告げたのである。

『き、の、う、の、ふ、し、ん、しゃ、だ、ろ』

 現実は残酷だ。


 教室がざわざわとしている。

「手を繋いだぞ」

「コウヅキ君って手が早〜い」

「さすが海外の人!」

「でも、相手がワカバじゃな……」

 私が相手じゃ何が残念だ、非常に失礼である。それに、彼らが考えているもの程、甘い雰囲気というものは奴と私の間には漂っていないのだ。多少、手話を覚えていたから、知らない者からしたらお手てを繋ぎあっている男女ということになるのだ。

 溜め息をついた後に、彼の手の平に自分の手を当てた。 

『そ、う、だ、け、ど』

 皇月は口角を片方だけちょっと上げた。

『ふ、し、ん、しゃ、は、や、め、て』

 そう、指文字で伝えると、彼は碧い瞳を顰めた。

『た、しゃ、の、は、ら、に、と、つ、げ、き、す、る、ひ、と、は、ふ、し、ん、しゃ、だ、ろ』

 確かにそうだけども!

『でもちょっとひとぎきがわるいでしょ』

 そう正直な気持ちを訴えると、コウヅキは不服そうにしながらも『わ、か、っ、た』と私の手に返答をしてくれた。

 ほっとした束の間、彼は『じゃ、あ』と得意げな顔をしつつ。

『ふしんしゃのF』

 先程よりも早く打ち出した皇月は最後の文字を強調した。色白い右手の人差し指を親指の先につけて後の指は伸ばす、『F』若しくは『不審者《fushinnsya

》』の頭文字。

「ちょっと、話が違うでしょ⁉︎」

 私は思わず、口に出してしまった。やってしまったとばかりに口を閉じようとしたが、遅かった。皆が荒んだ声を突如出している姿に呆気に取られていた。

「あら? ちゃんと手話の仮名文字が解るようになっていたのね」

 ボランティア部の顧問でもあるマツシマ先生は、ハルルの習得度に少々驚いていた。

「でも」

 いつも穏やかな彼女が語気を強くするのは珍しい。そう悠長に考えている場合ではなかった。

「ホームルーム中には私語を慎め〜」

 間延びした風にアキ先生は、マツシマ先生に乗っかるように注意する。

「そういうこと! 手話できるようになって嬉しいからって、今おしゃべりすることじゃぁないでしょう?」

 マツシマ先生の発言に、違うと言いたかった。


 養護教諭の先生の言った言葉を聞き取ると、児童は騒がしくなる。

「すげぇ、手話できんだ」

「そういえば、ワカバさんってボランティア部だったけ?」

「でも、朝の会の時にしなくってもね」

 要らないことで変に目立ちたくもないのに、なぜ私はこうなっちゃうのだろうか?

 私は背をできる限り縮こませる。

「……すみませんでした」

 熱い顔のまま、私は皇月を睨む。こんな時に言わなくたって良かったでしょ⁉︎

 そんな自分の姿なんて知らないコウヅキは、澄ました顔でピンとした姿勢をとっていた。





 鐘の音が鳴り、各々が楽になれる休み時間。

 トタトタとユキコちゃんがやって来た。転校生の噂話を彼女は私に伝えてきた手前、ワクワクとしているようだった。

「どうだった、ハルルちゃん?」

 ほら来たよ、一番目の質問。私は、げっそりとしながら項垂れるように口に出した。

「見ての通りよ、最悪」

 彼は何故か私のことが判っていたみたいだし、嫌なあだ名をつけようとしてくるし、朝の会の時にもそれらの所為で一悶着起こすし、ついていない。

 肩まで切り揃えた黒い髪を揺らしてユキコちゃんは、再度、私に聞く。

「そうなの? 皆、ミステリアスでクールだとか言ってたけど……」

「そんなんに見えるの⁉︎」

 少女達は、あの美貌にクラリときているらしい。黙っていれば、絵本の『月の王子様』、ううん、女の子達が思い描く白馬に乗った王子って所よ、憎いことに。

「それにねぇ、コウヅキ君って物静かじゃない?」

「物静かな体裁をとっているけど、アイツけっこう皮肉屋よ」

 黙っているからか、皇月は恰も氷が張り詰めたかのように涼やかに見えるけど。そんな奴が手話(私のレベルに合わせての指文字)に手を出すと、私を凹ますくらいのパンチのある言葉を連発する。決して、皆が考えているような理想の王子様とやらじゃない。

「え、そうなの?」

 黒髪に着けてある木工クラフトの髪留めが取れそうなくらいにユキコちゃんは驚いていた。

 口をあんぐりと開けた花江さんの様相を見て、私は気が良くなったらしい。

「そんななのよ、アイツったら私のこと……」

 ……不審者のFだなんて……、ハッとした私は口を閉じる。調子に乗ってものを言うもんじゃない。少しでもベラベラと喋っていたら、今日から私のあだ名は『F』になってしまう。

「……何でもない」

 自身の不名誉を自分から漏らす人なんていないもの。

「そぉ? 」

 急に落ち込んだ私を見て、ユキコちゃんは不思議そうにしていた。

「後、コウヅキ君って、頭良いみたいだし」

 私はそのことからも目を逸らしたかったが、一時間目の授業を思い出す。

 自分の苦手な算数の小テストでうんうん唸っている間、皇月レノンはすごかった。左手で問題のシートを読み取った後、点字用タイプライターという器具で、迷うことなく早く書き込んでいるのだ。ボランティア部の活動の一つである広報物や書籍を点字にする点訳でさえ、一点一点ずつ打ち込む点字器をちょっとずつでしか進められない私からしても考えられないくらいに、スピーディーだ。それに、全部丸だったりするわけなのだ。終わった後に、失礼ながらチラリと見たけど小テストの問題だって私のと同じだった。マツシマ先生の「凄いわねぇ」という声も忘れられない。

「……それは確かに」

「あ、そこは認めちゃうんだね? 」

 ユキコちゃんはそんな私が面白そうでニコニコしているけれど、私の気分はドツボにハマっている。運の尽きの方向で。





 コウヅキによって気分をペシャンコにされた私は、奴の弱みを知ってしまったのかもしれない。帰国子女ながら、国語、算数、理科も得意だということが判ったのである。しかし、社会だけはそうとはいかなかったみたいであった。

 

 それは昼休みが終わってからの出来事であった。

「さて、俺たちが住むトビタツ市には何があるかなぁ? 今からプリント回すから、書いてみてくれよぉ。机を班に分かれてくっつけなさ〜い」

 相変わらず間延びしたアキ先生の一声にガヤガヤし出す。

「コウヅキ君はこっちよ、えぇと5班ね」

 それぞれの席をくっつけて、席に座る。

「とりあえず自己紹介しようぜ、コウヅキ、オレらのこと知らないだろ?」

「そうね、そうしましょ。他の教科のグループワークも同じ班員でしなきゃいけないし」

 一番元気な少年とハナエちゃんが言ったことを、養護教諭の先生が手話で伝えた。彼はそれにコクリと頷いた。

「オレは呼之邉哲このべ てつ、ドッジボールが好きなんだ、よろしく!」

 短く刈りそろえて日焼けした顔が元気印だと言わんばかりに、彼は手をコウヅキに向けた。

「えぇと、私かな? 私は花江由希子、楽しいこととかがが大好きかな」

 お気に入りの木の髪留めをつけた少女はニッコリとしていた。

 次はあなたよと、花江さんは相槌をしたが、私はブスくれたまま。

「…若葉春流」

 そうそっけなくボソリと言う。

 松島先生は「若葉さん元気がないわよ、どうしたのかなぁ?」と苦笑いしながら、私の態度に呆れていた。

「…よろしくっ‼︎ 」

「ムキになるなよ」

 キッとした私に、哲君が茶々を入れてドッと笑っていた。しかし、私とコウヅキは相変わらずの様子であった。だが、ワークシートを取り組むうちに、ああでもない、こうだったとわいわい言い合うようになった時、養護教諭のマツシマ先生がポニーテールごと傾けて聞いてきた。

「コウヅキ君も何かある?」

 手話で彼の手に伝えた先生は優しげに見つめていた。

 でも、彼は手話を出すこともなく、黙ったままだった。

『…』

 指文字すらもしない彼に、私は尋ねた。

「『ど、う、し、た、の?』」

 口に出しながら、冷たい手に伝える。

 皇月は顔を背けたまま、やっとのこさ、手に返事をしてきた。

『……わ、からない』

 彼は決まりが悪そうにしていた。





 私は彼のその顔を見た時に、イライラとしていた気持ちから解放されたかのようにも感じた。才色兼備で嫌味な性格の唯一の弱点を知れた! 私はニシシと笑う。

 奴が私のことを『F』とでも呼ぼうものなら、私はコウヅキのことを『社会できない君』とでも呼んでやる。それくらい気が大きくなっていた私は、放課後の教室に残っている皇月を見た。


 点字シートを握っている。あれは確か、『社会・トビタツ市を学ぼう』と題された五時間目の授業のプリントだった。

「何してんだろ……?」

 席に静かに座って、一心にプリントの方に顔を向けている。帰りの会も終えたというのに、鞄にしまわないだなんて。


 そう思った時、彼は、そのプリントの点字をなぞり出した。

『トビタツ市立図書館があるよ』

『公営館もあるよね、いろんな教室があって楽しいって』

『消防署近くの祠とかも』

 皇月がそうやって指先を点字シートになぞらせていく様を見て、今日の社会の授業を思い出す。


 そういえば、あの子は転校生だった。この街のこともよくわからないままじゃないのか。地図を見ようとしたって、点字で書かれた地図や図形なんかは指だけで読み取るのに本当に時間が掛かるものなのだ。


 そのことに、ようやく気付いた私は己を恥じた。

「私……」

 ちょっと自分の気分が悪くなったからって、全部、自分のドジも調子にのちゃって出たサビも、全部を人の所為にするだなんて。

「……私、なんて……」

 そうした上で、人が気にしている箇所を見つけ出すだなんて。

「……私、なんて、嫌な奴なんだろう……」

 嗚咽を漏らさないようにしても、俯くと涙がポタポタと廊下を濡らす。

 




 教室のドアのガラス窓に、目の縁が赤くなった私が映る。

「よし‼︎」

 弱気になりそうな私自身に、喝を入れる。頰をパンッと鳴らし、視線を真っ直ぐに向けた。

 扉をガラリと開けて、皇月レノンの席の元へ行く。

「『ねぇ』」

 彼が私が差し出した手の意味を知ると返す。

『なんだ、わかば』

 目の前にいるその少年は、今ここにいる私を不思議がっているように見えた。


 私は勇気を出した。

「『ま、ち、の、こ、と』」

 躊躇して止まりそうになった手を動かす。 

「『お、し、え、よ、う、か、なっ、て』」

 耳元も、顔も、熱くて熱くて、仕方ない。


 コウヅキは、私の手を優しく離した。

『ありがとう』

『ちょうどわからないかしょがある』

 丁寧な彼の指文字を見て、私はまた気付いた。彼は最初から優しかったのだ。手話の単語も未だ知らない私に合わせてくれていたんだ、と。




 




 奴は綺麗で、頭も良くて、完璧にも見える人。


 そして、嫌味ことを言うぶっきらぼうな性格をしている。

 

 でも、皇月レノンは、不器用ながらも優しい少年。

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