シルバームーン 〜絵本『月の王子様』に触れた少年少女の物語〜

利人

四年生の彼ら

第1話 出会い

 月がいちばんにかがやいだ。

 すずの音がシャラシャラといわう。

 王は「やっとか、やっとか!」とよろこび、王妃は「ええ、そうなのよ!」とほほえむ。

 王子が生まれた日、月の王子が生まれた日。


  『月の王子様』 弓弦ゆずる・作の一節。





 トビタツ市ハバタキ町は緩やかな山に隣接しているが、住宅街と住民の馴染みな憩いの場である公営館があって穏やかな所。そこの二十五番地の蒼い屋根の家から向かって、ある道から、御立派な屋敷があるという噂の森をショートカットすると、夕焼け色のレンガで建てられた図書館がある。



 焦茶色の瞳を輝かせて、うっとりとした女の子が一人。

「やっぱり素敵な話だなぁ」

 絵本コーナーにちょっとばかり似つかわしくない歳であることは気にしないことにする私は、『月の王子様』を胸に抱えていた。若葉春流わかば はるることハルル、小学四年生。


 そんなハルルの様子を本棚の影から見下ろす人物も一人。

「ハルル、居た居た‼︎」

 咳たてて言う背の高い少女の目はハルルを仕留めていた。

「ボランティア部で必要だとか言ってた癖に、点字について造詣を深めなきゃって福祉の蔵書コーナーにも居ないんだから。あんたのお母さんに、ハルルのことを頼まれているんだからね」

 私は、綺麗に整っている顔が段々と怖くなっていく少女を見て「ゴメン、ゴメン」と謝る。

 一通り説教という名の文句をした背の高い少女は、怒りが落ち着いてきたらしい。チラリと私が抱え持っている絵本を見て、彼女は言う。

「またそれ借りるの?」

 長い三つ編みを垂らした胡川こがわすみれ 、通称スミレ姉さんが私に尋ねた。

 

 そう言われても尚、大事そうに件の絵本を抱きしめる。

「だって好きなんだもん」

 柔らかな色調で繊細に描かれているこの絵本は、いつも私を物語の世界へと連れて行ってくれる代物だ。私にとっては、一番のお気に入りなのである。


 ワンピースを悪戯っぽく揺らして、スミレ姉さんはニンマリと笑った。

「その作家、何か色々な賞とっているし、最近テレビに出ているし、人気だものね」

 ふふんと、スミレ姉さんは全部わかったかのように振る舞う。

 唇を尖らした私は思わず「それで選んだわけじゃないの‼︎」と憤慨した。

「分かってる、分かってる」

 スミレ姉さんは多分だが、解っていて、そう言うらしい。私が小さい頃から本棚から引っ掴んでいたのは『月の王子様』で、作家さんもまだ有名になっていない時だったから。ムキになっている三つも歳下のハルルを揶揄するというのは、中学生の彼女には面白いらしい。


 私は何かパンチのあるものを探し出した。言い返すにしたって、ぶすくれた私の気持ちを落ち着かせる材料。

「スミレ姉さんこそ、またソーイングのヤツでしょ?」

 私はお返しだと言わんばかりに、スミレ姉さんが手に持つそれに指を挿す。

「パターン帳って言ってほしいわね」

 長い三つ編みを翻しながら、スミレ姉さんは答えた。

「だって好きなんだもの」

 あまりにも堂々としていて、私は一瞬ポカンとしてしまう。でも、どこか既視感があって、ハルルは首を傾げた。あっ、私のセリフ‼︎

 ムッとお互い睨み合うけど、これはいつもの調子。幼馴染で姉妹みたいに過ごしていた間柄が成せるもの。そうやって、私たちは堪え切れなくなって息を吹き出して笑う。


「図書館では御静かに」 

 凛っとした声を通り越して、思わずこっちが凍りつきそうな……。二人揃って首を向けてみたら、図書館の重鎮と呼び声が高いブリザードが睨んでいた。ああ、怖い怖い。


 そういう何時もの日々を若葉春流は過ごそうとしていた。





 ボランティア部で参考にしようとした本とお気に入りの絵本が借りれた私は、帰路に立とうとしていた。寂しく一人でテクテク帰るのは何故か、先ほどまでスミレ姉さんと一緒にいたのではないかとお思いになろう。自身は携帯を所持していない為に用事が終わったら直ぐ帰らなくてはいけないからだ。スミレ姉さんに至っては、「最近ねぇ気にかけているのよ」と言うショップに足早く行こうとするなど、人情もない始末で、私はその光景を思い出して半笑いしてしまった。 


 夕日にも差し掛からないうちに帰らなきゃと、「近道、近道」と、私は適当に口ずさみながら進んでいく。図書館の裏の森へと繋ぐコンクリートでできた階段。

 駄弁って帰ると時間が足りなくなるくらいだが、一人だと全く別物。普段なら表通りで遠回りするけれど、早く帰りたいなら森に沿うようにできた小道が便利なのだ。


 そういえば誰かが言っていたっけ。

『その道の名は、出会い頭の道。

 この街に住む女の子なら、半信半疑で通ろうとする運命の入り口。

 今日も、誰かが縁を繋ぐ』

 近道だとしか思えない小道を、女の子たちはきゃぁきゃぁ言いながら喜色ばんで通るのを、私はいつも関係ないなぁと思いながら見かけていた。今日は彼女たちはいない様子だとチラリと見やる。そう脳裏に浮かび起こした噂話を、私は首を横に降って掻き消して、入り口の階段を登ろうとした。


 スニーカーが一段目を踏みつけた拍子に、風が私へと早く駆けていった。

 いきなり強く吹きかけていき、肩あたりに収められていた髪が纏わりついて目の前が見えなくなった。茶色い髪を抑えて前を見据えようと顔を上げた、一瞬。 

 その時に何かが変わったのかも知れなかった。

 萌ゆる緑葉がゆらめき、自分が羽織っていたノースリーブパーカーの色が重なっていく。

 木漏れ日が照らし出す先に、物憂げに人影が佇んでいた。風が収まり、周囲がよく見えるようになった時、その彼を見てハッとした。何て言い表せば良いのだろうか。私は見惚れてしまっていたのだ。金糸のように靡く髪から空色の瞳を覗かして、白い肌が眩しく思えてしまう程の美しい少年。

「月の王子様みたい……」

 絵本に描かれている月色に染まった髪を持つキャラクターと重なってしまい、呟いてしまったのだ。

 階段から降りようとしている彼に、こんな言葉が聞かれたらと思うと頬が熱くなり、私は早々と立ち去ろうとした。

 

 しかし、私は、少年を追い越そうとした時、コツコツと音を立てていたモノに気が付かなかった。

 その音が途切れた瞬間、彼が階段を踏み外してしまったのであった。

 グラリと傾いた少年は頭から自然に任せるかのように落ちて行こうとした。

「落ち……る⁉︎ 」そう思わず口に出したハルルは、少年の腹に飛びついた。

 階段から落ちないように少年を、私は押し倒した。

 少年の手から離れたそれはカツーンと、コンクリートの地面に打つ音を響かせた。

「……白杖? 」

 彼は目に映る世界の多くから切り離された人のようだった。

 そのことに気付くことなく急ぐようにすれ違った時に彼とぶつかってしまったのではないかと、助けようとしてあたかもタックルのように少年にしてしまったことに、私は青ざめてしまった。

「大丈夫⁉︎ 」

 彼の身を起こしたが、反応がなかった。少年の様子を見ると、耳元に何かある。ライトグレーの補聴器がそこにあった。

「ゲホッ……ゴホッ」

 咳き込んでいる彼が落ち着いてから、少年の陶器のような手に触れた。そして、単語という言葉にはならないだろうが、文字を打ち出したのだ。

「だ、い、じょ、う、ぶ、で、す、か」

 ボランティア部で習った手話、挨拶程度しか解らないので、ひらがなの指文字を作り、少年の手に当てた。腹部に生じた衝撃に目を白黒させつつも、彼は意味が判ったらしい。

「え……、『ふ、し、ん、しゃ』?」

 私は、敢えて彼が、自身と同じ習得レベルで返事してくれた上でこう返したことにはありがたいと一瞬思った。だが、それはそれとして、内容がアレすぎる。不審者ですって!?私は目を釣り上げる。

「違います‼︎」

 内心、咳き込むくらい勢いがついて助けてしまったのだから違うとはいえないけれども、と私は口をモゴモゴさせながら、彼が落とした白い杖を渡した。


 少年の手に伝えようとした。

「き、み、が、か、い、だ、ん、か、ら」

 拙いながらも。

「こ、ろ、び、そ、う、に、な、っ、た、の、で」

 必死に指文字を。

「た、す、け、よ、う、と、し、ま、し、た」

 手探り集めたかのように。


 少年はこの場を解したかのように、彼自身の手首に違和感がないか確かめて白杖を握る。

「『あ、ん、た』」

 初対面の人に向かって『あんた』だなんて、なんて失礼なと憤慨しそうになった自分。しかし。

「『あ、ぶ、な、い、と、こ、ろ、を、ど、う、も』」

 彼は、ぶっきらぼうにも、そういってくれたこと、自分の手に残る彼の指文字に嬉しくて嬉しくて。


 私は現金な人だった。指文字覚えておいて良かったと、気分揚々としたその時には知らなかった。

 少年が「『で、も、あ、ん、た、に、ぶ、つ、か、ら、れ、た、せ、い、で、ど、こ、だ、か、わ、か、ら、な、く、な、っ、た』」と言い、彼の目的地のオレンジ煉瓦の図書館に逆戻りすることになること等、私は予想にもしなかった。おまけに、図書館の中まで案内して、彼の帰り道である出会い頭の道に送って「じゃ、あ、ね‼︎」と心の中でとびきりイーッとした顔をした後にやっと私は帰れたのである。





 ダイニングテーブルに置いてあったキャラメルを三つくすねて、一つ口に含む。

「こら‼︎ ハルル、御夕飯前でしょ⁉︎」

「ごめんなさ〜い‼︎」

 お母さんからのお叱りを受けた私は、でも今日は大変なことがあったのだから見逃して、とばかりに甘い口当たりに癒されていた。実質、反省等していないのである。


 足音を立てて、和室がある部屋を通り過ぎようとした時、襖が開いた。

「ハルルちゃんや」

「おばあちゃん」

 おばあちゃんは私の顔を一瞥しただけで何かが分かったらしかった。

「…確か、スミレちゃんと図書館に行くだとかいっていたねぇ」

「うん、そう」

 部活に必要そうな本も見つけたし、お気に入りの絵本も借りた普通の日であるべきなのだ。不運な今日にとっては。

「出会い頭の道から通ったのかい?」

 何時もなら何ともないことだったのに、その一声にドキリとした。

「だって、そこからだと一番近かったんだもん」

 私は理由づけようとした。後ろめたいことなんてないはずなのに、何をこんなに気にしているのだろうと隠そうとしたのだ。

「知ってるだろう、そこで誰かと会うと……」

 孫のことなら何でもわかると自負しているおばあちゃんは、目の前にいる孫娘の焦りにとっくのとうに気づいていたらしい。

「そこで人なんて見たことないから!」

 私はおばあちゃんに嘘を付いた。金髪碧瞳の『月の王子様』に似た随分と失礼な男の子となんて会ってないとばかりに。

 

 その慌て様を見て、おばあちゃんは優しく微笑んだ。

「私はねぇ、そこでおじいさんに会ったのよ。そこから切っても切れない縁なのよ、お墨付き」

「会ってないから、会ってないから‼︎」

 そんなことで縁ができてたまるものかと、私は思ったのであった。





 う〜んと頭を悩めているうちに、朝日が掛かった。

 第二小学校ではガヤガヤと児童たちが思い思いに過ごしていた。


 手提げ袋から慎重に『点字を学ぼう』と題された本を、自分の席の上に広げる。点字について一通りは先輩に教えてもらったので、ちゃんと理解しているか、問題が打たれているページを捲る。

「これを指になぞって、いろんなことを知って、世界を広げているんだ」

 そう思うと、感慨深くて仕方がなかった。

「一通り参考にしたら、早く返さないと」

 この本を待っている人だっているんだ、そう思うと、昨日の『月の王子様』とは大違いのヤツの顔がチラついた。そんなものは首を振ってなかったことにする。

 

 私が手に取った本と格闘している間、少女たちはウキウキと噂話をしていた。

「転校生が来たって?」

「うん、あたし当番だったから職員室で見かけたの」

「どうだった?」

「金髪だったの」

「海外から?」

「何かハーフみたいよ、帰国子女ってところらしいわ」

 くるくると表情が変わるクラスの少女達は喜色ばんでキャァキャアと悲鳴をあげた。


 そのうちの一人がこの重大な事件を知らない人がいないかと探し出し声をかけに行った。

「ねぇ、ちょっとハルルちゃん、聞いた?」

 点字に集中して顔にしわを付けた私に、同じ班の花江由希子はなえ ゆきこが話しかけてきたのだ。だが素朴な可愛らしさがあるユキコちゃんが、根をつめている自身の姿を見た時にギョッとしたのを、私見逃さなかった。自分の顔の筋肉の硬直具合から、すんごい感じになっているに違いない思ったので、表情筋をほぐしだす。

「えっと、何の話?」

 そう返すのが精一杯だったその時。

 廊下から先生の運動靴の音が響いた。

「ホームルームを始めるぞぉ」

 マイペース気味な先生が教室のドアをガラリと開けたのだ。

 あちゃぁと額に手を当てたユキコちゃん。

「ハルルちゃん、多分、見たら分かるから」

 話をぶった斬るだなんてタイミングが悪い先生だと私は思いつつ、ユキコちゃんは席に着いて行った。

「一体、何の話だったのだろ?」

 花江さんは楽しいもの好きだからな、今日の給食の献立でも特別なものがあるのかな。音楽の授業でリコーダーかピアニカ以外の楽器が弾けたりして。

 そう、面白そうな想像をしていた矢先に「転校生が来たぞ」と先生が言った。

皇月こうづきレノン君だ」

 見覚えのあるサラサラと靡く金髪に、ビー玉のような碧い瞳。細やかな銀の刺繍が入ったシワ一つもないシャツが少年をより浮世離れさせていた。


 昨日のアイツだ。私は素知らぬふりをしようとした。気のせいか、皇月レノンはこちらに向かって視線を向けたようだった。そんなの気のせいに決まっている。






 星はチリチリとかがやくうつくしさを、夜をおおう空はベールのようなどこまでもつづく青さをと。

 王子のもとへおくったのです。


 『月の王子様』 弓弦・作の一節

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