第2話 初めてはみんな怖い
その①
翌日。リリアさんに連れられて再びウチにやって来たサラちゃんは昨日と違い、真新しい白衣を羽織っていました。
「これ。学校を卒業したら協会から記念にもらえるんです」
「え、なにそれ」
「あんた、学校行ってないからねぇ。ま、あたしも白衣は着ない主義なんだけどね」
「リリアさん!」
「な、なによ」
「私も白衣着たいです!」
「あんたは白衣姿よりいまの方が良いわよ」
きっと買わされると思ったのかな。さすがにこの歳になっておねだりはしないけど、すごく面倒くさそうにそのままで良いと言うリリアさん。サラちゃんの前に歩み寄ると彼女が羽織る白衣の襟に手をやりました。
「これで良しっ。サラ、あんたの師匠は頭のねじが2、3本取れてるわ」
「は、はい?」
「いま何気に酷いこと言いましたよね⁉」
「けど、薬師としての腕は間違いないわ」
「無視しないでくださいよ!」
「はいはい。とにかく、ソフィアの言うことを聞いて頑張りなさい」
「はいっ。頑張ります!」
私を邪険に扱うリリアさんに戸惑いつつもやる気に溢れる顔で頷くサラちゃん。そんな彼女に優しい眼差しを向けるリリアさんはこちらを振り返り、すごく真面目な顔で私を見ました。
「なんですか」
「ソフィア」
「はい」
「サラのことお願いね」
ムスッとする私にただ一言だけ、任せたわよと言って優しく微笑みます。そしてクルリとその場で回れ右をしました。
「それじゃ、あたしは帰るから」
「え、もう帰るんですか」
「あたしだって店があるんだから長居できないわよ。それじゃ、サラ。頑張りなさい」
「は、はい。ありがとうございました!」
「それじゃ、ソフィア。あとよろしく」
エドにもよろしく言っておいてと私に言付けて店を後にするリリアさん。私には素っ気ないのは相変わらずだけど、サラちゃんを一人前の薬師に育てたいって気持ちは伝わりました。
「あの、ソフィーさん?」
「なに?」
「リリアさんって……」
「まぁ、いつもあんな感じかな。ちょっと口は悪いし、素っ気ないところもあるけど良い人だよ」
初めて会った時の印象は最悪と言っても良いくらいでした。ハンスさんの知り合いでなければさっさとお引き取り願うところでした。でも、それ以上に面倒見がよく、いまでもなにかと理由を付けては様子を見に来てくれる頼れる先輩です。
「さてと、とりあえず診察室に行こっか?」
「良いんですか?」
「もちろん。早速だけど、なにか薬を作って貰おうかな」
「い、いきなりですか⁉」
たぶん、修行初日から調薬させてもらえると思ってなかったんだろうね。本当に良いのかと聞き返すサラちゃんは不安げな顔をしました。
「わたし、実習以外で調薬はしたことがないんです。だから――」
「別に患者さんに出す薬じゃないから大丈夫だよ」
「そ、そうなんですか」
「うん。ただ、サラちゃんの実力を知りたいだけだから。一番得意なやつ作ってよ」
「……風邪薬でも良いですか?」
一番自信がありますと控えめに言うサラちゃんは緊張しているのか下を向いています。あがり症なのかなとそんなことを思いつつ、材料は店にあるやつを好きに使って良いと告げて彼女を調薬室へ案内します。と言っても待合室から扉一枚隔てた隣へ移動するだけなんだけどね。
「ここがウチの調薬室。真ん中の台が診察台兼調薬台。奥にある扉の先が倉庫で右側のドアの奥は住居スペース。一応、プライベートエリアだけど好きに入ってくれて良いから」
「え、良いんですか」
「もちろん。ウチの店員はキッチンに書斎、お風呂だって使い放題だよ。あ、でも2階の部屋はちょっと困るかな。
「と、当然ですっ。ソフィーさんたちのお部屋には入りません」
「ありがとね。さ、無駄話もこれくらいにして薬作ってみようか」
「ほ、ほんとに良いんですか」
「薬草棚はあの大きなやつね。道具はそこの棚にあるから好きに使って良いよ」
「は、はい」
自分を鼓舞するように力強く頷くサラちゃん。本当に実習以外で調薬したことないんだ。ぎこちない手つきで準備を始める彼女に少しだけ不安を覚えました。
(あんまり見てると余計緊張しちゃうかな)
本当はちゃんと見守るべきだろうけど彼女の場合、それは逆効果になりそう。リラックスして作れるように遠くから見守る感じの方が良いみたいだね。
(カルテの整理でもしながら見守るかな)
いまのところ気になる点は無いし、基本通りに作ってるみたい。すごく真剣な目をしているし、案外本番に強い子なのかもしれません。
(この様子ならすぐ臨床に出しても良いかもしれないね)
部屋の隅にある机で溜まっていたカルテの清書をしながらそんなことを思う私。控えめ――というか気弱な性格みたいだけど薬師としての素質はあるみたい。書類整理の傍らで見る限りだけどなに一つ迷うことなく、数種類の薬草を選び調薬する姿は学校を卒業したばかりの新人さんとは思えません。選んだ薬草を見た感じだと基本レシピそのままみたいだけど、それでも数十種類ある薬草から迷うことなく選び出して使う姿は大したものです。
(ま、風邪薬くらい私だって朝飯前なんだけどね!)
自画自賛とはこういうことを言うのかな。そういえば昔は新米薬師とは思えないってよく言われたっけ。まぁ、この場にエドがいたら「調子に乗るな」って言うだろうけど、ルークとお散歩に行っているのでなにも気にすることなく胸を張れます。
「あ、あの。ソフィーさん?」
「な、なに⁉」
「出来ました。風邪薬です」
「もう出来たの⁉」
「は、はい」
一番自信がありますと控えめながら得意げな顔をするサラちゃんが見せてくれたのは薬包紙に乗せられた粉薬。私はあまり作らないけどエキス剤よりこっちの方が得意なんだ。見た感じだと一単位分くらいかな。
「材料は?」
「えっと“ヤジリソウ”と“スペアソルト”……あと“ブラッドマリー”です」
「なるほど。『総合感冒薬』の基本レシピ通りだね」
カルテ整理をしながら調薬過程は見ていたから予想は付いてたけど、とりあえず基本のレシピは覚えてるみたい。さすがに誰かみたいに味見はしないけど、これなら軽症患者くらいは診させても大丈夫かな。
「ど、どうですか」
「うん。問題ないと思う。ただレシピ通りだと苦いだけだから“シュガーシート”を入れると良いよ」
「え、でもレシピに”シュガーシート“は入ってませんよ」
当然の疑問をぶつけてくるサラちゃん。私も昔は師匠やリリアさんに同じ質問をしてたけど、やっぱり疑問に思うよね。学校じゃそんなこと教わらないみたいだからね。
「基本のレシピは大切だけど、患者さんに合わせた調薬も必要なんだよ。それに、苦い薬は誰だって嫌でしょ?」
「でも、レシピを勝手に変えたら……」
「危険な組み合わせもあるよね。だから修行期間があるの。5年間の修行中に先輩薬師の下でそれを勉強していくの」
「あ、それリリアさんに言われました。失敗出来るのは新人の特権だからって」
「そうなの⁉」
リリアさんの受け売りだから仕方ないけどちょっと恥ずかしいな。先輩っぽいこと言おうとしただけなのになんだか墓穴を掘った感じです。
「あ、あの、ソフィーさん?」
「ご、ごめん。なんでもない」
「もしかしてわたし、余計なこと言いましたか」
「そんなことないよ。実際リリアさんの受け売りだから」
「でも……」
「気にしなくて良いよ。とりあえず基本レシピは作れるみたいだから患者さん、診てみる?」
小さな村の薬局に重症の患者さんが来ることはほとんどありません。村の人たちには8年もお世話になっている手前、大きな声では言えないけど基本のレシピさえ覚えておけば大抵はなんとなります。
「ちゃんとフォローするから、患者さんが来たら対応してみようよ」
「わたしに出来るのかな……」
「最初は誰だって不安だし怖いよ。私も村に来て最初の患者さんを診る時は怖かった。誤診したらどうしようって」
「そうなんですか」
「うん。心配しなくてもなにかあっても私が全部なんとかするから。ね?」
私の時と違ってサラちゃんには頼れる人がすぐ近くにいるんです。だからなにも心配しなくて良いんです。
不安そうな顔のサラちゃんに「大丈夫」と声を掛ける私はニコッと彼女に笑い掛けました。私だってだてに8年薬師をやってきたじゃありません。大抵の処置はこなせます。だからなにも心配せず、この子には患者さんと真正面から向き合って貰おう。先輩薬師になって数日の私は偉そうにもそんなことを思うのでした。
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