第5話

 フィフの地を踏んだ。


 潮風でありながらベタつく感じはしない。今まで座っていたからか、少し腰の動きが鈍くなっているような気がするが、港を少し歩いて海に落とさないところまで荷物を持ってきてから背伸びをすると、その鈍さはすっとんだ。あったかくなった足腰と、レモンティーを挟んだ休息は街を歩き回るだけの活力を与えてくれた。


 少し見回しただけでも、遠くに山脈があるのがうっすら分かる。思っていたよりも人々が住めるだけの広さがあることは、国という規模を考えれば当たり前ではあるものの、やはりやはり口では分からぬ体感として体に刻まれる。


「では、まず宿探しからか。貴族に会えるかどうかは分からないのだが、ともかくしばらくの拠点の確保と、それから魔導書を売れる場所を見繕わないとな。もしかしたら足りない、ともなればメイオールに帰ることもあるだろうし」


 そうして、宿を探して彼は歩き始めた。


 港町は活気が溢れている。魔術関連の製薬はおそらくあるのだろうが、逆に言えばそれ以外の制約がないのは活気あふれる街になるには十分な条件だった。


 色々な人間が商売のために呼び込みをしている。ああ、こういうのが旅の醍醐味だよな〜なんて考えている御石は、その中を練り歩いていた。せっかくなのでと海の近くを歩いていると、いい宿が見つかる。


 全体的に大きめかつ、四階までありながらその大きさは現実の学校と同程度に広い。宿の看板には四階空室あり、というのでそこに入ってみることにした。


「いらっしゃいませ〜、何名様ですか?」

「一人だ」


 受付の男に人差し指で1と示してからカウンターに近寄る。


 カウンターの方を見ると、一部屋貸し切るにしては思い切りの良い値段が表示されていた。


 _____この世界では、大体の中世もしくは異世界と同じ金貨・銀貨・銅貨の3枚から成り立つ。そしてそれぞれ、銅貨十枚が銀貨一枚、銀貨十枚が金貨一枚の価値になっている。


 今回上司に当たるメイオール王からもらった金は色々合わせて銅貨300枚、銀貨200枚、金貨100枚というあまりに大金。それを一人に、大きな計画の加担者とはいえポンとくれたラクシュリーは太っ腹だ。


 そして、この宿は、他の宿と違う圧倒的な安さにサービスの良さを売りにしている。他の宿が一週間で銅貨150枚取るところ、この宿は60枚で済むのだ。これは一週間滞在し、さらにここに風呂代と飯代も入ってくるのは投げ売りに等しかった。


 こんな条件でいいのか?と思った彼は、この宿に泊まりたいという意思表示を示しながら金額に対する質問をする。


「僕は初めて国境を跨いだ旅をする、というのもあってなかなか旅のことを知らずにここに来たわけなんですけど、この看板に書いてあるとおり他の宿より安く済む、というのが本当であるならば、その理由を教えていただきたい」

「おお、お客さんは旅が初めてだったのか。ではこの紙を読んで、同意するかを考えてくれ」

「やはりそういう規約ありますよね。では」


 相手から渡された紙を読む。



 宿の特別利用規約。


 この宿を格安プランで予約する際には必ず以下の規約を守ること。


 その一 通常規約の身分証明書提示に加えて、この宿を利用した目的を明確に提示し、その行動予定を示す証拠を提示すること。(商売であったなら商品を見せる・国事などで利用する際はフィフ国および自分の国の通知書等を見せてください)


 その二 その一の規約でお客様が答えた内容が国を利用することに同意すること。(国の観光業や第三次産業の統計に利用されますが、個人情報の悪用は致しません)


 その三 意図して旅館内の設備を破壊、汚損させる行為又は犯罪行為をした場合は通常料金の倍の値段に加えて賠償請求いたします。


 通常の常識的な規約に加えてこの三つ、とするならばあまり彼にとっては枷に思うようなものでもない。実際、来たはいいが他には手をつけられずに困っているのだ。


「わかった。じゃあ、これに従うよ」


 サインをして、従業員に紙を返す。そのまま、自分の目的を言った。


「僕の名前は篠崎 御石。メイオール出身の緑桜人だ。

 今回はメイオールで手に入れた魔術書を売りにきた、これをみてくれ」


 失礼、と言ってからカウンターの近くのテーブルにキャリーケースを置いてから開く。するともちろんそこに入っていたのは、30冊の魔導書の原本。全て、フィフ出身の魔術師のものだ。


「これら珍しいものだけど、すでにコピー品は上回っている。だが、そもそもこれらは最小魔力で最大効率を目指す魔術であり、どれもがフィフ出身のもの。高値で売れるだろうが、原本だからね。故郷から有能なやつ出し抜いといて高値で売りつけるなんて烏滸がましいから、この国の魔術書の値段に倣って売ってみるつもりだよ」

「これ全部、確かにフィフの士族のものだ……!」

「そうでしょ?何せメイオール王が適度に売り払ったのやらなんやらと、っていうので数百冊のうちに30を数える本を確保できた。だから、生きてるかどうかは分からないけど、知識だけは帰郷させたいと願ったんだ。無論、慈善活動というわけにはいかないから、お金は少しとっちゃうけど。何せ外に出るいい機会だからね」


 長い語りを聞き切らず、本を持ったまま奥の従業員部屋へと行ってしまったホテルの受付。


「あれ、これもしかして安さに目をくらんだ結果やらかした?」


 少しだけカウンターに近づいて、従業員の部屋に聞き耳を立てる。


「ああ、間違いない。これは間違いなく王家の人たちが出て行った後に書かれたものだ。これらは全て、本物だろう。魔術による性質調査も合致した、あの男は一体なんだ?」

「メイオール王が投げ売り処分しようとしたところを拾い、我々の国に適切な値段で売ろうということを言っておりましたが」

「何、慌てる必要はないだろう。怪しいところはあろうとも四大貴族も、王族もこれに関しては処断しようとは思うまい。何より、国民としても貴族としても、両者の立場で同じことを求めているのだからな。それを叶えるための本だ、貴族どもが利権を気にすればそれまでだが、私個人はこれを守ることも使命だと考える。

 だが、問題はこの本を盗まれたりすることが大きな被害に繋がる。それだけは避けねばなるまい」

「ではどうすると?」

「なんとか言ってここに止めるしかないな。規約による確認ではあるが、あくまで同意のうえでキャリーケースを預かるようにしろ。」

(そろそろ戻るか)


 そこまで離れてなかったので、キャリーケースの無事を確認しつつ戻るとそれに追うように受付の男がやってきた。


「大変お待たせいたしました」

「いえ、そこまで待ってないですよ。で、どうしたのですか本を持ったまま言ってしまうなんて」

「お客様。お客様の目的を明示していただき、その上の無礼をお許しいただきたいのですが」

「このキャリーケースの中身が本物だという確証でも得ました?なら、この中身を預かって頂きたいのですが」


 聞き耳を立てていたのを隠す気もないが、別にばれていたとてあまり関係のないことだ。キャリーケースに受付が持っていた本を戻してから閉じて、しっかりと二重にロックをかけることで目の前の受付に差し出した。


「え、え、いいのですかお客様?」

「元よりこの本はこの国の民のために書かれたものですから。志が同じなら上に立つ貴族や、フィフ国王もこの本を求めていると思います。一番は今すぐ憲兵に来てもらい、この本を保管してもらうことですが、すぐに動くには腰が重いでしょう?」


 国が指針を決める情報として客の目的や行動等の情報の分お金を取らないという宿だ。そういうのであれば国との関わりも密接にあり、支援をしてもらっている宿ということは容易に想像できた。


 それでも今回御石が持ってきたこの本は国の王と関わるほどのもの、それを易々と動かすことは急な出来事でもあり難しい。公務に勤しむ上級貴族たちもそれは同様で、この件に関わるものでフットワークが軽いものは存在しない。


 なら、公的機関に預けたほうがいいだろう、という御石の考えも間違ってはいなかった。商売という目的を話したが、本当の目的はこの国の魔術に関する問題を解決するために来た。あくまで魔導書の売買はその本題に切り込むための足がかりに過ぎない。


 そしてその魔導書がフィフの国の人間が書いたものであるなら、あまり下手に持ち歩かずにその国の人に預けることが最良だと踏んだ。


 結局、この騒ぎになった段階で御石自身は国の責任者と会うことを確信していた。であるならば、本題に入ることも容易くなる。ならばその後の魔導書の価値は彼目線ではほぼないに等しく、他の人の要望を無理に跳ね除けてまで持っている必要はない。


 つまり国の関係者と密接に関われるいわばコネを手にした御石は、その代価として魔導書の原本の寄贈をする。彼はそういう取引に応じた、と思って受付に提案したのだ。盗み聞きした中では、彼らはこの魔導書を価値があると断じた。なればこそ、下手な扱い方はしないだろうと信じてみることにしたのだ。


「では、お客様のお荷物を僭越ながら預からせて頂きます。こちらの言い分に応じて頂き申し訳ありません」

「国の情報の一部を担う方々ならば、この魔導書たちも喜ぶでしょう。どういう扱いになるかはわかりませんが、出来れば僕の身に何か起こらないようにと願うだけです」

「安心してください。こうして国の役に立っていただいた以上、フィフ情報館はあなたの身柄を守ります……この本についてのこと、少し話し合う必要があります。いずれまたお呼びするとは思いますが」


 話の終わりを迎え、四階の二号室の鍵が御石の手に渡される。


「当旅館は最高の眺めをもった旅館であり、価格ではなくその景色・サービスによって成り立っています」

「適切な硬貨、もしくは最低維持費に貴重な情報をくれた人を侮辱するわけにはいかない。だから、全力でもてなすんでしょう?」

「そういうことです。

 では、失礼いたします」


 受付の男は、そう言って従業員部屋の方へ戻っていった。御石もこれからのイベントのために休もう、とリュックを背負い直して階段を上がる。


 荷物を改めるまでは、他のことを考えるのはやめておこうと思いつつ、客室に想いを馳せながら上がっていく。


 四階についた頃にはすでに窓から海原が見えていた。その匂いこそ窓が閉じているから分からないけど、そんなものは自分の部屋に行ってしまえばすぐに味わえてしまうのだから関係ない。


 廊下を歩き、やってきた二号室。


「とりあえず休めるかあ、よかった」


 そう呟いて、リュックの重さからも解放されたいという思いも込めて扉を開けた。


 その瞬間、彼は言葉を失った。


 客室そのものの構造はメイオール城と大きさ以外はさほど変わりはしなかったが、閉塞感などは全く感じられなかった。テーブルがあり、キッチンもあり、風呂こそ温泉で共用だがトイレがちゃんとついている。


 だが、それはどうでも良かった。


 出窓が大きく、窓の枚数で数えて8枚。これらは左右に4枚ずつ移動したりすることで、空気が入る量が調節できる。そこの端に置かれたオレンジの花の香りが、潮風と共にゆっくり入ってきてるのだ。


 目の前のテーブルにリュックを置いて、その出窓に腕を置き、前のめりになりながら御石は景色を眺める。


「いい景色だ……!」


 感嘆し、目を輝かせた御石。


 大小様々な船が海を縫って進んでいて、その先に太陽が輝いている。水面は御石がいた時代とは比べ物にならないほど水色で透明に輝き続けているのだ。たとえ情景に大きな興味がなくとも、その大きな世界は人に感動を与えるには大きすぎるロマンチズムで刺激した。


 旅の醍醐味、旅館からの景色。そこに冒険をしていて、異世界で二度とも味わえぬかもしれないという楽しみの連鎖が彼の気分を非常に高揚させていた。彼そのものが重圧などに平気で耐えれるような人間であったのだが、それにしても求めても得られないロマンの中で歩む旅にはとてつもない感動を覚えずにはいられなかったようだ。


「そうか。しばらくこの国に滞在するんだな、僕」


 そう独り言を呟きながら、部屋の方を振り返った。部屋の中には、自分が置いたリュック以外にも生活するための色々が置いてあったりする。


 ここからの眺めからも、自分のかけがえのない思い出となるならば、そこにも感情を刺激するものがあるのだろう。


「……これからよろしくね」


 微笑みながら、しばらくお世話になる部屋に挨拶をした。

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無名大陸旅行記〜異世界転移者が悩み苦しみ困りながら歩む大陸勃興の旅〜 @ko_gei

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