第10話 ベジタリアンなんだぜ?

 こちらの自己紹介も終わらぬうちに、その大きな獣は丸まって気持ちよさそうな寝息をたて始めた。

「寝ちまったんだが…」

『寝ちまったな』

【寝てしまいましたね】

 眠る大きな獣を前に、俺たち三人はただ茫然とするしかなく。

『ま、まぁ、なんだ。こいつのお腹に乗っかって眠れば、寒さもしのげるだろうと思って呼んだんだけどな…説明する前に寝ちまったな…』

「え、ああ、確かにこの大きなののお腹の上なら暖かくて気持ちよさそうだし、よく眠れそうだけど…大丈夫なんですか?」

『こいつはこれでもヒトは食べないからな。見た目に反して、ベジタリアンなんだぜ?』

「あ…菜食主義者でいらっしゃる…」

【グーロがベジタリアンというのは、有名な話ですね】

『そうそう。超有名だぜ?』

「いや、知らないから」

『もっと勉強した方が良いぞ、弟子よ』

【私がしっかり教えて差し上げますから、大丈夫ですよ】

「ほんとお願いしますでも俺が知らないのは正直なところ仕方のない事かなって思うんだけどどうでしょうかね師匠」

 俺は早口でそこまで言ってから、二人の冷ややかな視線を感じて口を閉じた。

『うむ。賢明な判断だぞ、弟子よ』

【ふふふ。私としては、恩を返せればそれで良い事ですので、むしろ知らないことが多い方がありがたいくらいなんですけれどもね】

 商人さんのやさしさが身に沁みるぜ…

『ま、もうこいつも寝ちまってるし、お腹に乗っても問題ないだろ』

「え…でも上に乗って機嫌損ねたらヤバいんじゃ…」

【大丈夫ですよ。ベジタリアンですから】

「うん。それはさっき聞いたね。でもそれとこれとは別だよね⁉」

 だが商人の霊はニコニコしているだけで、俺の抗議の意思は伝わって無さそうだった。

 俺はもう一度グーロを見やった。

 前足は人の胴体ほどの太さがある。

 この腕で殴られたら、そりゃもう全身を持っていかれること請け合いである。


 ゴクリ…


 想像して、ビビる。

『ま、たった今はじめて会った見たこともない巨大な獣を、ベジタリアンだからって理由だけで大丈夫だと言われても心から納得なんてできねぇわなぁ』

 全くその通りです師匠。

 おそらく俺はすごく困った顔をしていたんじゃないかと思う。師匠が俺の表情を見てすぐに察することが出来るくらいには、正直なところ何て言えば良いのか分からないとても複雑な心境だからだ。

【まぁ…なんです。危なかったら私があなたを動かしますから心配せずに眠ってくださいな】

「ありがとうご…え?」

 なんて?

 いや、自分でも間抜けな返答をしたなとは思うんだが、疑問しかないから仕方ない。もう一度、商人の霊が言った言葉を心の中で反芻はんすうする。

【私はこれでもゴースト、ですからね。ヒトに憑りついて身体を乗っ取って意志の通りに動くことくらいは出来るんですよ。はっはっは】

 幽霊に憑りつかれるとか…笑えねぇ…

【ま、私が身体から離れた後は、全身が凍えて死にかけてるかもしれませんけどね】

 やっぱ笑えねぇじゃねぇか!


 ◆ ◆ ◆


 なんだかんだ言っても、結局それ以外に解決方法も無く。

 俺はこの巨大な幻獣、グーロのお腹に抱き着いて眠ることになった。

 え? 大丈夫だったのかって?

 そうだな。

 なんて言うか…

 一言で言うと、そう…


 ぶっちゃけ、超! 超ぉ~気持ちよく眠れたっ!


 いやもうマジであの柔らかい天然毛皮って思ってるより暖かくって体毛は長いけど身体に巻き付いてくることも無くてどっちかって言うとそっと全身を包み込むようなモフモフだったしもはやグーロの半分は優しさでできていると言っても過言ではないというか本当にこのままずっとこの優しさに包まれていたいというか

『よく眠れたみたいじゃないか』

 師匠の言葉で我に返った。

 いや、それでもなんというか、まどろみから覚めるのはもったいない感じがして、俺はグーロのお腹に頬を何度もスリスリしながらうとうとと夢心地で居た。

【そろそろ起きられた方が良さそうですよ。そのままだと…】

 商人の言葉に、今度こそしっかりと目が覚めた。

 理由は、グーロが身じろぎするのを感じたからだ。

 身体にぴったりとくっついているから、筋肉が盛り上がるのを感じることが出来た。


 あ、これ、ヤバくね?


 俺はこの後どうなるのかを一瞬で理解した。

 そして人生最速の動きをしたんじゃないかと思う。

 グーロの前足が、自分のお腹の上にある異物を叩いて払おうとする、その動きが起きるほんの一瞬前に飛び起きたのだ。

 お腹の上からジャンプし、飛び込み前転の要領でクルリと回転し、頭が再び天に向いた瞬間に振り返ってグーロに向き直った。

 視界には、お腹を前足でぽりぽりと搔いているグーロの寝姿があった。

「あ…危なかった…」

『弟子よ! 今の動きはなかなかだったぞ!』

【素晴らしい身のこなしでしたね!】

 死ぬかと思った…今になって、嫌な汗が全身から噴き出してきやがったぜ…

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