第6話
昭和の時代が終わった時、私は住み込みで働いていた場所でそれを聞いた。10人程度の職場だったけど、一階の食堂で皆んなでお昼を食べている時に、テレビでその内容が流れていた。昭和天皇崩御のニュース。皇室の特集みたいな番組とか。どのチャンネルを見てもそのニュース一色で、時代が昭和から平成に変わった。
昭和の終わり頃、世の中どんな感じだったかなあと思い出してみる。
住み込みの職場は共同トイレで風呂は無かったから、近くの銭湯に毎日行っていた。
この頃は、今よりは銭湯の数も多かった。
来る人も多かったから、シャワーの前争奪戦はあった。
場所取れなくて待つのがめんどくさい時は、湯船の湯で体や髪を洗った。
自分が場所を取れた時は、無言で後ろに立って圧をかけてくる人が怖かった。
お金に余裕がある時は、風呂上がりのコーヒー牛乳が楽しみだった。
一週間に一度近くの銭湯が休みになるから別の所へ行っていたけれど、それもそんなに遠くなかった。
一回の入浴料がたしか210円がそれくらいだったと思う。
バスの料金が市内は共通の160円だった頃の話。
私が働いていた着物業界は、この頃既に下り坂だったから、バブルの恩恵は感じなかったらけど・・・それでも物の値段はけっこう安かったし、それなりにやっていけた感じだった。
けれど、友達の結婚式とか何か急な出費があった月は、普段のようにはいかないから「食べ物を取るか風呂を取るかタバコを取るか究極の選択」のような事もあったけど。
そんな時の休日、小銭をかき集めたら85円ぐらいあったから近くのコンビニへ行って、買える価格で一番大きいパンを買い、朝の分、昼の分、夜の分と三つに分けて食べたのも懐かしい。
平日は職場の給食弁当があるけど日曜日は休みだから無いので。
ロシアという名前のパンがあって、大きいコッペン上に砂糖がかかっている物で美味しかった。
85円でそれが1個買えたから3つに分けたんだけど、三分の一ではやっぱり足りなくて、一日中そのパンのことばっかり考えてしまったり、夜になると空腹で寝れなかったり・・・それも今思い出すと懐かしい。
弁当の「ほっかほっか亭」はこの頃からあって、お金に余裕がある時はこっちを買っていた。
ご飯がけっこう美味しいし、かき揚げとチキン南蛮が一番好きだった。
価格はたしか200円台から高くても400円台くらいだったかと思う。
休みの日にちょっと出かけるとなると自転車でイズミヤへ行って、一階のフードコートで食べるのが楽しみだった。
よく食べたのが、スガキヤのラーメン、クリームソーダ、ソフトクリーム。どれも美味しかった。
もう少し余裕がある時はラーメン屋とかたこ焼き、お好み焼き、焼きそばとかも。
この頃の食べ物は160円くらいからあったし、500円も有ればけっこういいものが食べられた記憶がある。
職場ではラジオを聞いていて、AMかFMか、どちらかがいつも流れていた。
音楽を聴くというと、ラジオか有線放送かカセットテープ。
ビデオを借りるのはけっこう高くて、一本350円。
ビデオそのものが、出始めた頃でまだ珍しかったからか・・・
住み込みの職場には数人居たから、三人四人で借りに行って一人一本ずつ借りて皆んなで観た。
映画は二本立てで席は決まっていなくて、一度入るとずっと居られたから何回も観たりしていた。
祇園会館で古い映画を二本立てでやってたのでよく通った。
今はその映画館ももう無いけど。
あとは、お祭りがあると皆んなで行ったり、娯楽というとこれくらいだった。
電話と言えば、職場にある共同のピンク電話と、電話ボックスからかけるくらいしかなかった。
ポケベルの次はテレホンカードが流行った。
手紙、ハガキというアナログな手段もけっこう活用していた。
今と比べると、便利な物が少なかった時代だと思うけど、楽しかった思い出は多い。
私が見てきた昭和 あの頃の話 ゆき @satsuki88
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