第3話 食事は基本家で 仕事と日常が近くにあった
都会の事情は良く知らないけれど、田舎では、外食というのはほとんど無かった。
私が子供の頃には、駄菓子屋とかはあったけど、外食が出来る店というのをあまり見かけたことが無かった。
外で食べるという習慣そのものが少なかったように思う。
食事は家で作って食べるのが通常。
買い物籠を持って買い物に行き、その日に使う食材を買う。
今では、週末に車でショッピングモールに行って一週間分まとめて買う家も多いみたいだけど、この頃は、そういう習慣は存在しなかった。
米や野菜などをもらえる事も多いし、買うにしても歩いて行ける近所の店で買うから、まとめて買う必要もなかった。
魚が沢山釣れたからと、分けてもらえるということもあった。
メニューは、ご飯、味噌汁、漬物に、おかずが1〜2品が通常。
メインのおかずは、焼き魚、煮魚、天ぷら、卵焼き、コロッケ、ハンバーグなど。
もう一品ある時は、ひじきの煮物、酢の物、卯の花あえ、白和え、冷奴なんかがあった。
炊き込みご飯、丼物、カレーの日もあって、けっこう色々食べていた気がする。
野菜や果物は季節ごとに出てくる物が違って、その時地元で採れる旬のもの。
今のように一年中同じ物が売っているということは無かった。
今思い出してみると、暮らしていくのにそんなにお金がかからなかった時代だった。
周りも皆んなそんな感じだから、外食をしないのが特に質素な暮らしだとか思った事もなかった。
女性は専業主婦だったり、家業が農業とか個人経営の小さな店で、家族で経営しているような所が多かった。
男性も、満員電車に乗って毎朝遠くまで行く人はほとんど居なくて、地元での農業や林業、家の商売に携わる人が多かった。
地元で勤める場所というと郵便局と役場ぐらいしか無いから、会社員という人は少なかったと思う。
なので、昼間から誰も居ないというような家は無かった。
常に家には人が居て、子供の数も多くて三人四人は普通だった。
子供が塾に行くような習慣も無いから、子供は近所で遊んで暗くなったら帰ってくる。
母親が家にいるか、商売人の家なら両親とも自宅兼店舗に居るし、祖父母も居るという家も多かった。
近所の人同士もみんな顔見知り。
そのせいか、家を開けっ放しにしていても平気だったし、犯罪なんか滅多に起きなかった。
私が覚えている限りで、家に泥棒が入ったという事すら聞いたことがなかった。
生活と仕事が一体というか、近くにあるというか・・・会社に勤める事が生活の中心という今の世の中とは、随分違っていた。
ゆったりとした時間が流れていたように思う。
もう少し後になって両親が車の免許を取ってから、街まで車で1時間ほど走って、そこで外食とかスーパーで買い物をするという体験をしたことは覚えている。
行くのは2~3ヶ月に1回くらいだったけど、初めてスーパーというのを見た時はものすごく驚いた。
今思えば、レジが一つで間に合っているような店なので、大きくはなかったはずだけど。それまで個人商店しか見たことがなかったから、何と大きい建物かと思ったのを覚えている。
プラスチックのカゴに品物を入れてレジで払うというのも、何やら不思議な感じがした。
街中と言っても、今のようにどこにでもカフェがあったり、世界各国の料理が何でもあるような状況とは全然違っていた。
昔ながら喫茶店の飲み物はコーヒー、紅茶、コーラ、クリームソーダなどで、食べ物は、サンドイッチ、カレーライス、ナポリタン、ピラフなんかがあった。
他には、蕎麦屋、うどん屋、寿司屋、ラーメン屋、定食屋など
があって
個人経営の店がほとんどだった。
親に連れられてデパートというのにもたまに行くようになったのは、昭和50年代後半くらいから。
デパートの屋上にはファミリーレストランがあって、お子様ランチやハンバーグ定食なんかがあった。
屋上には広場があって遊具が置いてあり、都会には凄い場所があるんだと驚いた。
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