三三章 まだだ。まだ、おれたちがいる

 「世界が……世界がほろんじゃう。みんな、殺されちゃう。あたしの……あたしのせいで」

 「エル……」

 ニーニョはエルの肩にそっと手をおいた。静かに言った。

 「まだ終わっていない」

 「えっ?」

 「まだおれたちがいる。おれたちが戦うんだ」

 「戦う?」

 「そうだ。こんなことになったのはおれたちのせいだ。だから、おれたちには責任がある。おれたちより先に誰かを死なせちゃいけない」

 「ニーニョ……」

 エルも笑顔になった。涙をぬぐった。立ちあがった。

 「そうね。あたしたちがいるかぎり、まだ終わっていない」

 「そうとも。なあに、心配することはないさ。なんたっておれたちは邪眼じゃがんのバロアの末裔まつえいなんだ。その手下どもになんか負けるわけない」

 このおよんでなお、ニーニョは力強い笑顔を作ってみせた。

 「うん!」

 ふたりはしっかりとお互いの手をにぎりあった。かみちぎった指先から血がしたたり交じりあった。ふたりは手に手をとったまま戦いの場へおもむいた。

 デイモンたちがゾディアックの街へとおりてくる。後からあとから、雲霞うんかのように。たい砂漠さばく砂嵐すなあらしのように。

 その大群たいぐんを迎え撃つのはたったふたりの小さな騎士。大きすぎる赤と白のかぶとよろいを身につけ、やはり大きすぎるけんたてかまえたエルとニーニョ。

 歴史上、もっとも力の差のある戦いだった。

 けれど、ふたりは笑っていた。お互いを見やる表情にはもう不安も恐怖きょうふもなかった。あるのは晴ればれとした決意だけだった。

 「ニーニョ。あたしより先にあんたを死なせはしないからね」

 「おれだってそうさ。お前を先に死なせたりしない」

 「それじゃ、あたしたちどっちも生き残ることになっちゃうね」

 「そうだな。それで行こう」

 ふたりは笑顔をかわしあった。どんな多くの言葉を尽くすよりもはっきりとその笑顔はお互いへの信頼を伝えていた。

 ふたりはけんを手に走りだした。デイモンの大群たいぐんめがけて。

 デイモンの大群たいぐんはゆっくりと動きはじめた。ふたりの小さな騎士を最初の獲物えものさだめた。

 デイモンの大群たいぐんを前にニーニョはさけんだ。

 「さあこい! おれたちはエスネとマッキンファーレイの末裔まつえいだ! お前たちなんてやっつけてやる!」

 エスネとマッキンファーレイ。

 ニーニョのそのさけびを聞いたとき、エルの頭のなかであるひとつのことがはじけた。

 「ニーニョ!、ニーニョ! あたしたち、まちがえてた!」

 「まちがえてた?」

 「そうよ! エスネとマッキンファーレイはただ助けを求めたんじゃない! 自分たちでドルイム・ナ・テインを守る、その決意を込めて自分で炎をともし、ねがったのよ! あたしたちもそうしなきゃいけなかったのよ! このまちを守るという決意けついを込め、自分で火をおこし、その火のなかに血をやしてねがわなきゃいけなかったのよ!」

 「そうか! おれたちにはおれたちの《ちかいのほのお》が必要だったんだ!」

 「そうよ、だから……!」

 「ああ!」

 ふたりはそれぞれのけんに自分の血をつけた。思いきり打ちあわせた。はがねはがねいきおいよくぶつかり、火花がった。

 「魔王エーバントニア! このまちを守るために力をかして!」

 デイモンの大群たいぐんおそいかかったのはまさにそのときだった。エルとニーニョの視界しかい漆黒しっこくおおいつくした。

 なにが起きたのかふたりにはわからなかった。わかったのはデイモンたちが逃げはじめたということだけだった。数えることもできない無数のデイモンたちが一斉いっせいに逃げだし、もときた《門》へと引き返し、そこから逃げだしたのだ。

 エルとニーニョは呆気あっけにとられた。目の前の漆黒しっこくを見た。それは黒絹くろきぬのようにかがや漆黒しっこく長髪ちょうはつ漆黒しっこくのマント。中央広場にある魔王エーバントニアの彫像ちょうぞうそのままの後ろ姿。

 エルとニーニョは同時に叫んだ。

 「魔王エーバントニア!」

 召喚しょうかんは成功したのだ!

 次元をえ、時をえ、デイモンと戦いつづける魔法使いたち。そのなかの最強の超越ちょうえつしゃがいま、ゾディアックのまちいおりたのだ。

 たったひとりの魔法使いの登場によってデイモンたちは戦意を失い、逃げ帰っていったのだ。ただそれだけで――。

 魔王エーバントニアの無限むげんの力を知るには充分じゅうぶんだった。

 空の《門》が閉まった。同時に空をおおっていたやみも消えた。青空が戻り、太陽がかがやいた。世界はもとの姿を取り戻していた。

 ゾディアックのまち危機ききを切りぬけたのだ!

 「危ないところでしたね」

 静かに――。

 漆黒しっこく長髪ちょうはつ漆黒しっこくのマントだけを見せている魔法使いの王が言った。いままでに聞いたことのないほど美しく、それでいて威厳いげんに満ちた声だった。

 「事情を聞きましょうか」

 そう言った。漆黒しっこくの魔王は決してふたりに正面を見せようとはしなかった。見せるものは漆黒しっこく長髪ちょうはつ漆黒しっこくのマントに包まれた後ろ姿だけ。

 それでいいのだ。

 エルとニーニョはごく自然に納得なっとくしていた。

 人間には見てはいけない領域りょういきというものがある。魔王エーバントニアの顔もそのひとつだった。それは人間には偉大いだいすぎるものなのだ。

 「なるほど」

 話を聞きおえた魔王エーバントニアは静かに言った。

 「そういうことですか」

 「はい。あたしたちがなにも知らないばかりに大変なことをしてしまいました」

 「おれたちのせいです。どんなばつでも受けます。だから、まちの人たちを元に戻してください」

 ふたりは魔法使いの後ろ姿に向かって必死にうったえた。その後ろ姿はなにひとつ動じることなくただ立っていた。

 「私は君たちをばっする立場にはありません。君たちの処遇しょぐうを決めるのはまちの人たちです」

 「それじゃ……!」

 ふたりの表情ひょうじょうよろこびにかがやいた。

 「ええ。石とかわったすべての生き物を元に戻します」

 エルとニーニョは抱きあってよろこんだ。

 「そうだ、魔王さま! ついでにもうひとつ、おねがいしたいことがあるんです。おとなたちの喧嘩けんかをとめてください」

 「あっ、そうだ、それがあった! おねがいです、魔王さま! 魔王さまならできるはず。みんなをとめてください」

 ふたりの言葉に魔王エーバントニアはにこやかに微笑ほほえんだ……ように思えた。

 「それは私のすべきことではありません」

 「えっ? だって……」

 「君たちは今回のけんおのれすべきことをなしました。でも、もし、ひとりきりだったら? それでも同じことができましたか?」

 その問いに――。

 エルとニーニョはお互いの顔を見合わせた。

 「いいえ、無理です」

 きっぱりと、ふたりは同時に言った。

 「ニーニョがいてくれたから、くじけそうになるあたしをいつもはげましてくれたから、あたしはがんばれたんです。ひとりならメソメソ泣いているだけだったと思います」

 「おれだって。《バロアの天体図てんたいず》を見つけたのも、魔王さまを呼ぶ正しい方法に気がついたのもエルです。おれひとりじゃなにもできずに殺されてました」

 「そう。君たちはそのことをまなびました。だから、大丈夫。きっと、うまくやっていけます」

 エルにもニーニョにもその言葉の意味はわからなかった。でも、それが正しいのだということはわかった。自分たちのまちの争いは自分たちで解決かいけつすべきことだった。

 「では。すべてを元に戻します」 

 魔王エーバントニアが片腕をあげた。なにかが世界をおおいつくした。きれいな水がよごれを落とすように、世界から灰色がぬぐいさられ、元の色を取り戻した。生きとし生けるものすべがやわらかくあたたかい肉体を取りもどし、活動かつどうをはじめた。木々の葉が風にそよぎ、芝生の上のアリたちがせっせと食べ物を運びはじめる。そして――。

 呆気あっけにとられた様子でキョロキョロしている騎士団たち。

 エルとニーニョは喜びを爆発させた。ふたりがわけがわからずに戸惑っているおとなたちに飛び付いたとき――。

 魔王エーバントニアの姿は消えていた。


 エルとニーニョはいったん、住みかにしていたほら穴に戻ってきた。手と手をしっかりと握りあわせ、入り口に立っている。

 「あたしたち、家に帰らなくちゃね」

 「ああ。なにもかもおれたちのせいなんだ。家に帰って、全部、話して、まちの人たち、いや、世界中の人たちにあやまらないと」

 「ものすごく怒られるだろうね」

 「ああ。もう一生、家の外に出してもらえないかも」

 「それどころか死刑しけいかも」

 「だとしても……」

 「うん。だとしても逃げられない」

 「そうだ。おれたちはそれだけのことをしたんだ」

 ふたりはうなずいた。

 せめて、一緒のはかめてもらおう。

 そうちかいあった。

 木の皮をはいで作った自分たちにせた仮面をそっとほら穴のなかに並べて、おいた。たとえ自分たちがもう二度と会えなくなったとしてもせめてこのほら穴で過ごした楽しい思い出だけは永遠えいえんのものにしておきたかったのだ。

 「さあ、帰ろう」

 「うん」

 そしてふたりは手をはなし、それぞれの家に帰っていった。

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