三二章 見つけた、天体図!

 車輪が回転し、大きなつばさが羽ばたきはじめた。

 そこからは一気だった。ペダルがいきおいよく回転し、つばさは力強くはばたいた。滑走路かっそうろすべるように走りだした。羽ばたきによって起きる風が吹き荒れた。すぐそばまでよっていたスカヴェットの群れを蹴散けちらし、飛行機はついに空に飛びあがった!

 「うわああああっ!」

 ニーニョはさけんでいた。はじめての空の旅、体がうくに浮く感覚、空から見下ろすゾディアックのまち

 すべてがはじめての経験だった。天地が逆さまになり、自分がどこを向いているのか一瞬いっしゅん、わからなくなった。それでも、目指す場所はわかっている。エルのいるところだ。

 そこへ行こうとした。そして、気づいた。操縦そうじゅう方法ほうほうなんて知らない!

 「だから、なんだ!」

 血管けっかんかびあがらせてペダルをこぎながら、ニーニョはさけんだ。

 「そんなこと関係ない! エルを助けるったら助けるんだ!」

 本能と直感だけで飛行機をあやつった。

 さいわい、エルをらえたスカヴェットはまだふんばってくれていた。何体もの同類におそわれ、辟易へきえきしながらもなお、その足はしっかりとエルの両肩をつかんでいた。スカヴェットの貪婪どんらんな食欲にいまばかりは感謝かんしゃだった。

 ニーニョはそのあらそいのなかに突っ込んでいった。飛行機を華麗かれいあやつりり、すぐそばをすり抜け、その間にエルを助けだす……そんな洗練せんれんされた飛行ひこう技術ぎじゅつがニーニョにあるはずもない。ニーニョにできることはただひとつ。真っすぐに突っ込み、スカヴェットの群れを追いちらすことだけだった。

 だから、そうした。

 真っすぐに突っ込んでいった。うまくいくのかとか、突っ込んだあとどうするのかとか、そんなことは一切、考えなかった。そんな余裕はなかった。ニーニョの頭をしめていたのは『エルを助ける』というその一事ひとことだけだった。

 「ニーニョ!」

 エルがさけんだ。スカヴェットたちとはちがう羽ばたきの接近せっきんに、飛行機が突っ込んでくることに気がついたのだ。

 「ニーニョ、ニーニョ!」

 そう叫ぶ表情がよろこびに満ちていた。

 信じていた。

 きっと助けにきてくれるって信じていた。

 その表情がこれ以上ないほどそう言っていた。

 ニーニョは喜びを爆発ばくはつさせた。こんなときでもエルは自分を信じていてくれていた。その思いがニーニョに限界以上の力を発揮はっきさせた。

 「うおおりゃあああっ!」

 聖剣せいけんかまえて邪悪じゃあくなドラゴンにいどむ騎士のようにニーニョはさけんだ。

 スカヴェットの群れに突っ込んだ。あらいに夢中むちゅうだったスカヴェットたちもようやく気づいた。自分たちよりもずっと大きな、つばさを羽ばたかせたものが突っ込んでくることに。

 耳障みみざわりな声があがった。逃げようとした。もうおそい。飛行機はスカヴェットの群れに突っ込んだ。激突げきとつした。羽ばたくつばさが、頑丈がんじょうな木で作られた胴体どうたいが、スカヴェットたちにぶつかり、小柄こがらな体を蹴散けちらした。

 「エル、つかまれ!」

 「ニーニョ!」

 真っ向から突撃とつげきした。

 エルをらえたスカヴェットに羽ばたくつばさがぶつかった。木枠きわくれ、つばさがひしゃげるほどの衝撃しょうげきだった。さしものスカヴェットがその衝撃しょうげきおどろき、エルをはなした。

 エルは一瞬いっしゅん、自分の体が空中にとまっているような感覚かんかくを味わった。次の瞬間しゅんかん、すさまじい速さで落下らっかするのを感じた。

 「ニーニョ!」

 手をのばした。

 「エル!」

 ニーニョの手がのびてきた。必死につかんだ。ふたりの手がしっかりとあわさった。

 ニーニョは渾身こんしんの力を込めてエルの手を引いた。エルは飛行機にしがみつき、飛び乗った。そのとたん、飛行機はバランスをくずした。グルリと回転し、ひっくり返った。ゾディアックのまちが頭の上に浮いていた。

 「うわあああっ!」

 ニーニョは必死ひっしに飛行機を操作そうさした。ほとんど気合いだけで態勢たいせいを立てなおした。ヨタヨタしながらも飛行機はなんとか飛んでいた。

 しかし、それも長くはもたないだろう。片方かたほうつばさはすでにひしゃげ、切れ目が入っている。このまま飛ばしていれば切れ目はどんどん大きくなり、ついにはちぎれ、吹っ飛んでいってしまう。そうなればまっさかさまだ。そうなる前に地上におりないと。でも――。

 「着地ってどうするんだ⁉」

 ペダルをこげば飛ぶ。

 それはわかっていた。

 でも、地上におりるには?

 どうすればいい?

 どうすれば激突することなく着地できる?

 ニーニョにそんなことがわかるはずはなかった。

 せっかくエルを助けだせたのにこのざまだ。このままではふたりとも地面にたたきつけられて死ぬことになりかねない。ニーニョは自分のおろかさをのろった。

 「ニーニョ、ニーニョ!」

 エルがさかんにさけんでいた。ニーニョは聞いていなかった。飛行機をあやつるのに必死で聞いているどころではなかった。

 「見つけた、見つけたのよ!」

 見つけた?

 見つけただって?

 エルはいったいなにを言ってるんだ? こんな空の上でなにを見つけたって言うんだ?

 「《バロアの天体図てんたいず》! すぐそこにあったのよ!」

 なにを言ってるんだ、エルのやつは? ショックで頭がおかしくなったのか? こんな空の上に天体図なんてあるわけがないじゃないか。

 でも、そうではなかった。必死に指ししめすエルの指先は空ではなく、地上を向いていた。

 ニーニョは下を見た。息をんだ。見るみる顔がこわばっていく。

 そこに、それはあった。目の下に天上てんじょう星座せいざたちを地上にうつした巨大な天体図が広がっていた。

 ゾディアックのまち

 あまりにも複雑ふくざつれまがり、まるで迷路めいろのようだと言われるゾディアックの街道かいどう

 誰もが不便ふべんがりながらもまちが作られて三〇〇年、ただの一度も作り直されたことのない街道かいどうまちてき襲来しゅうらいから守るためと説明せつめいされてきた街道かいどう、その街道かいどうが白く浮かびあがり、星座せいざの形を作っていた。

 エルの言った通り、《バロアの天体図てんたいず》はかくされてなどいなかった。屋敷やしきのなかにかくせるほど小さなものでもなかった。

 ゾディアックのまちそのものが《バロアの天体図てんたいず》だったのだ。

 最初から気がついていていいことだった。フラン先生の記録のなかでも、図書室で読んだ本のなかでも、強調きょうちょうされていたではないか。『次元を越える《門》をひらくためにはゾディアックのまちが必要』と。

 なにより、まちの名前そのものがはっきりそのことを告げていた。

 ゾディアック――天体図、と。

 天体図の中央に描かれているのはえる天狼てんろう。その頭にあたるのは中央広場。そして、天狼てんろうの目にあたる部分には……教会きょうかい

 教会きょうかい屋根やねには小さな明かりがともっている。《天狼てんろうひとみ》と呼ばれ、三〇〇年の間、ただの一度もやされたことのないランプの火。

 「あれだ! あれが《ちかいのほのお》!」

 ふたりは同時に叫んだ。

 「ニーニョ、なんとかあそこまで飛んで!」

 「まかせとけ!」

 ニーニョはさけんだ。

 でも、どんなにニーニョがふんばっても、片翼かたよくこわれた飛行機にまともな飛行能力などあるはずがない。軌道きどうはフラフラとさだまらず、いまにも墜落ついらくしそう。

 エルが動いた。ニーニョの後ろにすわり、しっかりとしがみついて自分の足をニーニョの足に乗せた。一緒になってペダルをこぎはじめた。

 ふたりがかりでこがれて、飛行機は力強さを取り戻したようだった。フラつきながらもなんとか教会きょうかいめがけて飛んでいく。

 「かたなんてわからない! 近くにまで行ったら教会きょうかい屋根やねに飛びうつるぞ!」

 ニーニョにしてみれば、こうなってくれていっそ助かった。着地ちゃくちの仕方なんて知らないけど、飛びおり方なら知っている。どれだけ高い木から飛びおりることができるかで勇気をきそうのは、ゾディアックの子供たちの定番ていばんの遊びだった。ニーニョは一度だって他の子供に負けたことはない!

 「うん!」

 エルもうなずいた。その手の遊びなら彼女もお手のもの。ニーニョがミレシア家側の無敵むてきのチャンピオンなら、エルはダナ家側の英雄えいゆう。女の子たちはもちろん、男の子たちだってエルほど高くまでのぼり、飛びおりることなんてできなかった。

 エルの華麗かれい着地ちゃくちに、その場にいた子供たちはみんな歓声かんせいをあげたものだった。それにくらべれば、すぐそこの屋根やねに飛びうつるぐらい!

 ふたりは飛行機をって飛んだ。偉大いだい役目やくめたしおえた飛行機はそのまま墜落ついらくし、地面に激突げきとつしてくだけちった。そして、飛びおりたふたりは……。

 「無事か、エル⁉」

 「もちろん!」

 ニーニョのさけびにエルは笑顔で答える。ふたりは無事ぶじ教会きょうかい屋根やねに飛びうつっていた。

 「さあ、さっさとランプのある楼閣ろうかくまで行くわよ」

 「ああ」

 ふたりは岩肌いわはだいつくばってのぼる虫のように、教会きょうかい屋根やねいずって進んだ。

 楼閣ろうかく辿たどりついた。そこでは小さなランプがかかげられ、三〇〇年間、一度たりとやされたことのない火が燃えていた。

 「これが……」

 「……《ちかいのほのお》」

 ふたりはどちらともなくつぶいた。

 こうして見るとなんともいえない感慨かんがいがある。奇妙きみょう興奮こうふん安堵あんどむねがいっぱいになった。

 この火のなかにふたりの血を燃やせば魔王エーバントニアを召喚しょうかんできる。魔王エーバントニアさえ召喚しょうかんできればまちすくえるはずだった。

 「よし、やろう」

 「うん」

 ふたりは自分の指を食いちぎると炎のなかに血をたらした。ジュッと音がして血はたちまち燃えつきた。ふたりは同時にさけんだ。

 「魔王エーバントニア! このまちを助けて!」

 空に雷鳴らいめいが走った。太陽たいようを失い、すべての光がなくなった空一面にはげしい光が走った。その光が消えたあと、空には巨大な紋章もんしょうえがかれていた。

 それこそが《門》。

 魔王エーバントニアをこの世界に呼びよせるための次元のとびらだ。

 《門》がゆっくりと開いた。その奥にはたしかに見たことのない色の空間が広がっていた。

 やったのだ。

 自分たちはたしかに次元のとびらひらいた。必要なことを知らなかったばかりにまちをとんでもない危機ききにさらしてしまった。でも、これで……。

 ふたりのなかに安堵あんどの思いがちみちた。だが――。

 その思いはすぐに失望しつぼうにかわり、絶望ぜつぼうとなった。《門》のおくから表れたもの。

 それは数えることもできないデイモンの群れだった。

 ニーニョは茫然ぼうぜんとその光景こうけいを見あげていた。

 エルがその場にへたり込む気配けはいがした。

 後からあとからデイモンは表れてくる。どれほどいるのか数えることもできはしない。スカヴェットのような小物とはものがちがう。はるかに強力で有能ゆうのうな、破壊はかい殺戮さつりく欲求よっきゅう権化ごんげたち。そのなかには山ひとつ分もあるような巨大なデイモンさえいた。

 すすりなく声がした。

 「どうして? どうしてこんなことに?」

 エルがへたり込んだまま泣きじゃくっていた。精一杯せおいっぱいっていた気がれて小さい女の子のようになっていた。

 ニーニョも一言もなかった。どうして、なんで、こんなことになったのか。自分たちは魔王エーバントニアを召喚しょうかんするための儀式ぎしきおこなったのではなかったか。それによってゾディアックの守護神しゅごしんが表れ、まちすくわれるはずではなかったのか。それなのに。

 自分たちはまたなにかまちがったのか。ちがうことをしてしまったのか。《バロアの天体図てんたいず》とはゾディアックのまちのことではなかったのか。目の前のランプは《ちかいのほのお》ではなかったのか。

 それとも、それとも……本に書いてあったこと自体がまちがっていたのか。

 三〇〇年の昔、ドルイドそうたちがさくをめぐらしてバロアをわなにかけて倒したように、バロアが仕掛しかけたわなだったのだろうか。本にっていたのは魔王エーバントニアを召喚しょうかんする方法ではなく、デイモンたちのために《門》を開くことだったのか。

 だとしたら世界は……。

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