三一章 飛べ、飛行機!

 「くそっ!」

 着地して叫んだ。空を見上げた。スカヴェットはエルを連れたまま丘の方へと飛んでいく。小さな子供とはいえ、それでももっと小柄こがらなスカヴェットには重いのか、その速度はゆっくりしたものだった。それだけが救いだった。

 「エル、エル、エル!」

 ニーニョは走った。必死に追いかけようとした。しかし――。

 目の前に壁が現われた。複雑ふくざつに折れまがり、迷路めいろのように入り組んだゾディアックのまち街道かいどう。空を飛ぶ魔物を追い、真っすぐ走ることなど、このまちでできるはずはなかったのだ。

 いままでエルやニーニョがさんざん、自分たちを追いかけるおとなたちを振りきるために使ってきた迷路めいろじょう街道かいどう。それがいま、ニーニョの追跡ついせきはば障害しょうへきしていた。

 このまま街道かいどうをそって走っていれば追いつくどころかどんどん遠ざかり、見失ってしまう。ニーニョはなすすべもなく空に浮かぶスカヴェットをにらんでいるしかなかった。

 「くそっ、だからみんな言ってたじゃないか! もっと真っすぐな道にしてわかりやすくしろって!」

 ニーニョはくやしまぎれに地面をった。

 そんな意見が出るたび、『迷路めいろみたいだからおもしろいんじゃないか』と言って整備せいびに反対していたのは自分自身であることは忘れている。

 空を見上げた。脂汗あぶらあせを流し、目を血走らせた表情で。自分の無力に対する怒りでみしめた唇から血がにじんでいた。

 みると、エルを連れ去ったスカヴェットのまわりにいつのまにか他の何体ものスカヴェットがむらがっていた。仲間の手柄てがらめにきたわけではなさそうだ。それどころかおそいかかり、爪を立てている。エルを横取りしようとしているのだ。

 エルをとららえているスカヴェットも何体もの同類どうるいに囲まれてさすがに苦労しているようだ。それでなくても重い獲物えものを抱えていて動きはにぶいし、武器である足の爪も使えない。なにより、脇腹わきばらには石の枝が刺さったままだ。追い払うこともままならず、その場でもめているのが精一杯だ。

 それを見てニーニョはホッとした。とりあえず、目の届かない遠くまで連れていかれる心配はなさそうだ。その間に助けだせばいい。でも、どうやって?

 それに、もし、エルをとららえているスカヴェットが内輪揉うちわもめに気をとられて足の力をゆるめたりしたら……エルは地上にまっさかさまに墜落ついらくし、死んでしまう!

 ――なにか方法はあるはずだ。絶対、ある。あるに決まっている。その方法を思いつけばいいんだ。思いつけ!

 なにも思い浮かばない。

 人間は空を飛べない。その現実がある以上、空飛ぶ魔物を追跡ついせきし、エルを助ける方法などあるはずがなかった。

 その間にもスカヴェット同士の争いは|激かはげしさを増している。エルをらえたスカヴェットは明らかに不利だった。ただでさえ動きがにぶくなっているのに何体もの同類に同時におそわれているのだ。いつまでももつはずがなかった。このままではもうすぐ足の力が弱まり……。

 スカヴェットたちにしてみればそれでいい。もともと、おそっているのは仕留しとめるためではなく、獲物えものをはなさせるためなのだ。足の力が弱れば獲物えものは地面に落ちる。そこへ飛んでいって肉を食う。スカヴェットは本来が死肉食いだ。獲物えものは死んでいてくれたほうが都合つごうがいい。

 さあ、はなせ。ほら、はなせ。そうすりゃその獲物えものはこっちが食える。

 凶猛きょうもうな食欲に支配しはいされておそいつづける。エルをらえたスカヴェットのあわれっぽい声が闇色やみいろの空にひびいた。

 その声にニーニョは絶望ぜつぼうを感じた。あのスカヴェットはもう限界に近い。もうじき、獲物えものを守ることをあきらめて足をはなすだろう。そして、エルは……。

 地面に激突げきとつし、血だらけのグシャグシャの死体とかわったエルの姿を想像そうぞうしてしまい、ニーニョは頭をかかえた。

 その瞬間しゅんかんだった。

 ある考えがひらいた。

 天啓てんけいのように。

 分厚い雲におおわれた空から差し込む一条いちじょうの光のように。

 そうだ、その手があるじゃないか!

 ニーニョは中央広場めがけて駆けだした。そこにあるじゃないか。人間が空を飛ぶための翼、レース用に作られた人力飛行機が!

 ――まってろ、エル! 絶対、助けてやるからな! 

 ニーニョは一心いっしん不乱ふらんに町中を駆けぬけた。どこをどう走ったのかなど自分でも覚えていない。ただ、毎日のように町中を冒険ぼうけんしてきた体が道順みちじゅんを覚えていた。体にきざまれた記憶につき動かされて、ニーニョは中央広場に駆けこんでいた。

 スカヴェットにおそわれずにすんだのは奇跡きせきに近い幸運だった。おそらく、必死に走るその姿が死肉食いであるスカヴェットたちに襲うことをやめさせたのだろう。それぐらい、走りつづけるニーニョの姿には鬼気ききせま迫力はくりょくがあった。決意けついがあった。

 さいわい、飛行機は無事だった。スカヴェットたちは人間以外には興味きょうみがないらしい。相変わらず石像せきぞう相手あいてに爪や牙を立てているが、飛行機には一体も近づいていなかった。

 ニーニョはダナ家の赤い飛行機に飛び乗った。

 「お前の一族を助けるんだ、力をしてくれ!」

 叫んだ。ペダルをこいだ。

 重い。

 おそろしく重いペダルだった。

 必死に力を込めてももどかしいほどゆっくりとしかまわらない。

 当たり前だ。おとな、それも、そのためにきたえられた専門の乗り手が動かすことを考えて作られた飛行機だ。子供が動かせるようにはできていないのだ。でも、だからって、

 「そんなこと言ってられるか!」

 このまちにはもう動くことのできるおとなはいないのだ。動くことができるのは自分たちだけ。エルを助けることができるのは自分しかいないのだ。動かせなくても動かさなくてはならないのだ!

 ――くそっ、まってろ、エル。おれが絶対……。

 歯を食いしばり、顔を真っ赤にしてペダルをこぐ。その様子に気がついたスカヴェットたちが石像せきぞうおそうのをやめ、飛行機のまわりによってきた。

 食欲に支配しはいされた目がギラつき、きたならしい唾液だえきをたっぷり引いた牙がぬめった。

 ニーニョはペダルをこぐのに必死でまわりにスカヴェットのれが集まりつつあることに気づいていない。このままではニーニョまでおそわれる。

 空では相変あいかわらずエルをめぐった争いがつづいている。エルをらえたスカヴェットはあわれっぽい声をさかんにあげていた。

 弱々よわよわしい子供の振りをして、見逃してもらおうというのだ。

 もちろん、他のスカヴェットたちはそんな声に反応したりはしなかった。これが地上の肉食獣であれば、その声に心を動かして見逃すこともあるだろう。だが、デイモンは獣とはちがう。それ以下の、欲望よくぼうだけの怪物なのだ。

 獲物えものを食らう。

 それ以外の思いはない!

 空でも、地上でも、獲物えものを狙うスカヴェットのれは着実ちゃくじつに近づきつつあった。

 エルは必死にスカヴェットの足につかまり、振り落とされないようにしていた。

 ニーニョは顔中を真っ赤にしてペダルをこいでいた。そして――。

 「わああっ!」

 ニーニョはさけんだ。全身の筋肉きんにくを振りしぼった。全体重をペダルにかけた。渾身こんしんの力を込めてこいだ。ゆっくりと、それでもたしかに、飛行機は動きはじめた。

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