三〇章 エルをはなせ!

 ギャア!

 耳障みみざわりなさけびがひびいた。羽ばたきの風圧ふうあつが頭に吹きつけた。ふたりの体を影がおおった。

 「きゃあ!」

 「エル!」

 エルが悲鳴ひめいをあげ、ニーニョがさけんだ。

 エルの悲鳴ひめいにバサバサという羽ばたきの音が重なった。

 空から飛びかかってきたスカヴェットの足の爪が、エルの両肩にしっかりと食い込んでいた。エルをらえたスカヴェットは、細い両肩にしっかりと爪を食い込ませたままエルを空高く連れ去ろうとしている。どこか、他の目につかない安全な場所に運びこみ、そこでゆっくり食べようというのにちがいない。

 エルは必死にスカヴェットを振り払おうとした。両肩をつかまれているせいで腕が思うように動かない。それでも、身をよじり、足をばたつかせ、なんとか追い払おうとする。

 無駄むだなことだった。両肩をつかむスカヴェットの足の力は少しも弱まらない。ふわり、と、エルの小さな体がちゅうに浮いた。それを見たとき――。

 ニーニョのなかで理性りせいの糸が切れた。

 「わああっ!」

 悲鳴ひめいとも怒声どせいともつかないさけびをあげて突進とっしんした。スカヴェットの体にむしゃぶりついた。エルの肩をつかむ足にしがみつき、引きずりおろそうとする。

 悲鳴ひめいがあがった。

 エルの悲鳴ひめいが。

 エル自身があばれたのとニーニョが飛びついたのとでスカヴェットの足に力が加わり、傷口を深くえぐったのだ。

 その悲鳴ひめいにニーニョはハッとなった。見るとエルの両肩からは血がきだし、腕を真っ赤に染めていた。顔は苦しさと恐怖きょうふゆがみ、目からは涙が流れている。

 ニーニョはおとなしい優等生ゆうとうせいではない。ヤンチャな冒険ぼうけん少年しょうねんだ。冒険ぼうけんの日々のなかでいたい目にあったこともあるし、苦しい思いをしたこともある。

 おぼれて死にかけたこともあれば、木から落ちて頭を打ち、意識をなくしたこともある。大きな切り傷を作ったことだってある。

 けれど、そのニーニョにしてもこれほど多くの血がきだすのを見るのははじめてだった。そして、あんな苦しそうな悲鳴ひめいも。

 はじめての光景こうけい悲鳴ひめいに、ニーニョは思わず飛びすさった。エルの悲鳴ひめいを無視してスカヴェットにしがみついていることはできなかった。だからと言ってもちろん、エルをこのまま連れていかせるわけにはいかない。

 「くそっ、エルをはなせ!」

 ニーニョはあたりにある石でもなんでもひろって投げた。スカヴェットの顔めがけて叩きつけた。ゴッ、ゴッ、とかた皮鎧かわよろいに石がぶつかるような音がつづいた。

 エルはあばれつづけていた。するどいい爪の食い込む肩の痛みにもかまわず身をよじりつづけていた。もがくたびにより一層いっそう、爪が深く食い込み、血が流れ、いたみが増していく。

 それでも、抵抗ていこうするのをやめなかった。理性りせいではなく本能ほんのうはたらきだった。

 なんとしても生き延びるのだという生物としての本能ほんのう。それがエルの体を突き動かしていた。ワシの爪から逃れようとあばれつづけるウサギの行動だった。

 けれど、スカヴェットはエルをはなそうとはしなかった。ふたりの必死な抵抗ていこう嘲笑あざわらうかのように、そのするどい爪はエルの両肩にしっかりと食い込んだままだ。

 スカヴェットは大きさだけで言えばエルたちよりもむしろ小さい。コウモリのような大きな皮膜ひまくを広げている分、大きく見えるけど、単純に体だけの大きさで言うならせいぜい四~五歳児並。体重もエルよりずっと軽いだろう。だけど、下っぱとはいえデイモンはデイモン。その小さい体からは想像そうぞうもできない力と頑丈がんじょうさをそなえている。

 このままではらちが開かない。

 ニーニョはそうさとった。この『獲物えもの』を仕留しとめるには他の方法が必要だ。野山を駆けまわり、ウサギや山鳥やまどりらえてきた小さな猟師りょうしとしての直感だった。

 なにか武器はないか。あいつを仕留しとめめることのできる武器は。長くて、鋭くて、一突きに殺せるような武器は……あった!

 いまやこのまちの生きとし生けるものはすべて石と化している。つまり、屋敷やしきの庭にえる木もすべて石になっているということ。その枝をもぎ取れば……! 

 ニーニョは大きな石をひろって手近な木に駆けよった。石で枝の根元を叩いて、打ち砕いた。

 力任せの一撃だった。おかげで自分の腕もジ~ンとしびれたけど、そんなことにかまってはいられない。落ちた枝をひろった。やりのようにかまえた。

 「うわああっ!」

 さけびとともに突進とっしんした。スカヴェットの脇腹わきばらめがけて真っすぐに、石と化した枝を突き刺した。

 スカヴェットの甲高かんだか悲鳴ひめいがあがり、デイモンの白い体液がきだした。知性というものを感じさせない、食欲に支配しはいされた動物以下のけだものの目がニーニョを見た。

 「さあ、こい! お前の相手はおれだ」

 ニーニョはさけんだ。石の枝から手をはなし、飛びすさり、手招てまねきした。さあ、おこっておれめがけておそってこい。そうすればエルは解放かいほうされる! 

 このとき、ニーニョは忘れていた。本で読んだ一節いっせつ

 『スカヴェットはデイモンのなかでも一番の下っぱであり、非力ひりきなため、自ら戦うことはもちろん、狩りをすることすらせず、他のデイモンが仕留しとめめた獲物えもののおこぼれをねらう』

 という記述きじゅつを。

 つまり、スカヴェットには反撃はんげきしてくるような相手をおそいい、戦おうとするような気概きがいは最初からなかった。そんな危険きけんな相手とかかわることはない。獲物えもの確保かくほした。このまま空を飛んで逃げればいい。

 スカヴェットに知性はなかったが、食い物を得るための知恵はあった。その知恵にしたがい、皮膜ひまくを羽ばたかせた。脇腹わきばらに石の枝を突き刺し、白い体液をきだしたまま、空にいあがった。

 「きゃああっ!」

 エルの悲鳴ひめいがあがった。その小さな体が浮かびあがった。

 「エル!」

 ニーニョはさけんだ。思わず飛びついた。ジャンプしてその身をつかまえようとした。

 あと一歩、届かなかった。エルの体は空高く連れさられ、必死にのばしたニーニョの手は足の下の空気をつかんだだけだった。

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