二七章 あたしのせいだ……

 記述きじゅつどおり、本はそこで終わっていた。そこから先は何百ページにも及ぶ白紙だった。『アカデミーで学んだ子供たちが自分たちの手で新しい歴史をしるしていくように』ということだろう。

 単に過去をしるした本ではない。

 未来がつづくことを祈って作られた本なのだ。

 ふたりは、しずかに本を閉じた。しばらくの間、どちらも無言だった。シーンとしすぎて耳が痛くなるほどの静かな時間が流れた。

 ポツリ、と、エルが言った。

 「あたしが……やっちゃったんだ」

 「えっ?」

 「あたしが……バロアの血を引くあたしが『石にする』なんて言ったから、みんな、石になっちゃったんだ」

 「まさか! だって、ふたりの血を混ぜないかぎりバロアの力は出せないんだろう? おれたち、血を混ぜてなんか……」

 そこまで言ったときだ。ニーニョはあることを思い出した。表情が見るみるこわばり、青ざめていった。いまにも心臓しんぞう発作ほっさを起こすのではないかと思うほどの表情になった。

 コクン、と、エルはうなずいた。

 「あたし……あんたの血を飲んだ」

 邪眼じゃがんのバロアの衣裳いしょうを作っているときニーニョは指を針でついて怪我けがをした。エルは血を吹き出すその指を口にくわえた。そのとき――。

 ニーニョに流れるミレシア家の血はエルの体内に取り込まれ、ダナ家の血と交わったのだ。

 「そんな!」

 ニーニョはさけんだ。

 ありえない。そんなことがあるはずがない。たった数滴すうてきの血を飲んだぐらいで、世界を石にかえるほどの魔力を手に入れるなんて。そんなのいくらなんでも無茶むちゃ苦茶くちゃだ。信じられない、信じたくない!

 でも――。

 それ以外に説明することはできなかった。現実を見るなら認めるしかない。邪眼じゃがんのバロアの力とはそれほどに強大なものなのだと。三〇〇年の時がたち、多くの他の血がじり、すでにかなり薄れているはずなのになお、邪眼じゃがんのバロアの血はそこまでの力をもっているのだと。

 そして、それはまちがいなくこういうことだ。

 自分たちが世界を石にかえた。

 「くそっ! なんてこった」

 ニーニョはさけんだ。床をっていかりくるった。

 「なんで先生たちは、そんな大事なことを教えてくれなかったんだ! 教えてくれていればおれたちだって……」

 「ちがうわ、ニーニョ」

 「なにがちがう⁉」

 「先生たちはいつも言っていた。『ダナ家とミレシア家の人間には伝えなくてはいけない大事なことがある』って。そのたびにおもしろがって逃げ出していたのはあたしたちじゃない」

 「サボっていたから……授業をサボって遊びまわってばかりいたから、大切なことを知ることもできずにこんなことを引き起こしたっていうのか……」

 「そう。全部、あたしたちのせい」

 エルのすすり泣く声がした。

 エルの受けたショックは生半可なまはんかなものではなかった。なにしろ自分が、他でもない自分こそが人々を、生きとし生けるものすへてを石にかえてしまったのだから。

 しかも、それは簡単に防げたことだった。サボって遊びまわってばかりいなければ。先生たちの教えをきちんと受けてさえいれば。

 そうしていれば必要なことを知ることができた。それさえ知っていれば、あんなことは絶対ぜったいにしなかった。どんなに怒られるとわかっていてもさっさと家に帰っていた。いや、そもそも、ニーニョとふたりで暮らそうなんて考えなかったはずだ。それなのに……。

 「……全部、あたしのせいだ。あたしが悪い子だったからこんなことになったんだ」

 「エル」

 ニーニョはエルの肩にやさしく手をおいた。

 「お前だけじゃない。おれだって同じだよ。過去の自分をぶん殴って、『真面目まじめに勉強しろ!』って言ってやりたいぐらいだよ。でも、まだだ。まだ終わっちゃいない」

 「終わっていない?」

 「そうとも。おれたちには世界を石にかえる力がある。邪眼じゃがんのバロアのものすごい力がな。だったら、もうひとつの力だってあるはずだ」

 「もうひとつの力?」

 「そうさ。次元を越えるデイモンたちの能力さ。おれたちは《門》を開くことができる。本に書いてあったろ。『《バロアの天体図てんたいず》のえる天狼てんろう頭部とうぶに立ち、《ちかいのほのお》にふたつの血を燃やせ』って。

 それをすればいいんだ。《バロアの天体図てんたいず》と《ちかいのほのお》をさがしだし、《門》を開くんだ。そうすれば魔王エーバントニアを召喚しょうかんできる。魔王エーバントニアならきっとなんとかしてくれる」

 その言葉に、エルの表情ひょうじょう希望きぼうと力がよみがえった。

 「そうか! あたしたちにはまだ、できることがある」

 「そうさ。おれたち、とんでもないことをした。でも、まだ取り戻せる。世界をよみがえらせることだってできるんだ」

 「そうか。そうだよね。まだやれることがある。だったら、やらなくちゃ。《バロアの天体図てんたいず》と《ちかいのほのお》を見つけだして、みんなを元に戻さなきゃ」

 「ああ、そうさ。みんなを元に戻すんだ。そして、そのあとは……」

 ニーニョはふいに苦笑くしょうした。エルもつられて笑った。ニーニョがなにを考えているか手にとるようにわかったからだ。

 ふたりは同時に言った。

 「いさぎよしかられよう」

 ふたりは声をそろえて笑いころげた。ヤンチャでおてんばな、イタズラ好きな子供が戻ってきていた。

 「さあ。そうとなったら早く行動しなくっちゃ」

 エルが明るい声と表情ひょうじょうで言った。なにをすればいいのかがやっとわかって元気百倍。体の奥底から力がモリモリきあがってくる感じだ。もう一時だってじっとしていられない!

 「さあ、早く、《バロアの天体図てんたいず》と《ちかいのほのお》を《さが》しにいこう!」

 「おお!」

 ニーニョは腕を突きあげて叫んだ。真顔まがおたずねた。

 「でっ、《バロアの天体図てんたいず》と《ちかいのほのお》ってどんなんだ? どこにあるんだ?」

 「しらない」

 エルはフルフルと頭を振った。

 「そんなもの、見たことも、聞いたこともないし。でも、このまちのどこかにはあると思う」

 「そうだよな。魔王エーバントニアを呼ぶためにはゾディアックのまちが必要だって言うんだ。そのための道具がまちの外にあったらおかしいよな」

 「それに、バロアの双子が作ったものだというなら、その子孫しそんの家に伝えられているのが自然だと思う」

 「つまり、おれん家とお前ん家か」

 「たぶん、両方の家にひとつずつ伝わってるんじゃない?」

 それほど大事なものならきっと厳重げんじゅうに隠してあるはずだし、まだほんの子供の、しかも、本家の人間でもないふたりが教えられていなくても不思議はない。

 「そうかもな。よし。本家の屋敷やしきに行ってさがしてみよう。かくしてあるならきっとそこだ」

 「うん!」

 ふたりは全速力で図書室を駆けだしていった。

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