二五章 ゾディアック正史

 『いまから三〇〇年の昔。

 この世界は重大な脅威きょういにさらされていた。次元を越えて移動する能力をもつ魔物、デイモン。そのデイモンの巨魁きょかいである邪眼じゃがんのバロアが無数の部下を引き連れて来襲らいしゅうしたのだ。

 突然のことに人々はなすすべもなく殺され、世界は破壊はかいされた。

 ときの王は生き残った人々を城に集めた。魔法を使うドルイド僧と騎士団を中心に戦力を整え、デイモンたち相手に反撃をこころみた。けれど――。

 邪眼じゃがんのバロアとその配下はいかの力は果てしなく強大だった。

 バロアの邪眼じゃがん、頭の後ろにある普段は髪の毛に隠されたその目は、ひとにらみで生きとし生けるものすべてを石にかえた。

 防ぐことは不可能だった。配下はいかの魔物たちは空を飛び、炎をき、稲妻いなずまを落とした。デイモンたちの強大な魔力に比べればドルイド僧たちの魔法など山火事の前のロウソクにも及ばなかった。

 人類はあらゆるところで負けつづけた。わずかの抵抗さえ不可能だった。ドルイド僧も、騎士たちも、その他の人たちも、立ち向かおうとしたものたちはみんな殺された。

 邪眼じゃがんのバロアはまちおそい、破壊はかいし、焼きつくし、財貨ざいかうばった。人をさらい、その肉を食った。さらに、無理やり働かせて自分のための巨大な城をきずかせた。

 邪眼じゃがんのバロアはその城に住み、そこから毎日まいにち配下はいかのデイモンたちを派遣はけんしては人々をおそわせた。決して一思いに殺しはしない。傷つけ、なぶり、苦しませるだけ苦しませるのだ。

 なぜなら、邪眼じゃがんのバロアにとって人々の苦しみこそがかてであったから。人間がブドウをしぼり、ワインを作り、日々のかてとするように、邪眼じゃがんのバロアは人間をしぼることでかてとなる苦しみを作りつづけたのだ。

 そうして収穫しゅうかくが終わると別の次元へと移動し、同じことを繰り返す。

 それが邪眼じゃがんのバロアという怪物かいぶつかただった。

 降伏こうふくすることすら許されない。

 『奴隷になるから助けてくれ!』と、そう叫んだものもいたが嘲笑ちょうしょうをもってむかえられただけだった。

 『万物ばんぶつ霊長れいちょう』などもはや笑い話にもならなかった。

 いまやすべての人間は邪眼じゃがんのバロアの心を満たすための収穫しゅうかくぶつにすぎなかった。

 そして、ある日、邪眼じゃがんのバロアは『王国の至宝しほう』と呼ばれた王女をさらった。王女はその美しい歌声で知られた存在だった。邪眼じゃがんのバロアはその歌声を聞きつけ、思ったのだ。

 ――これはいいかざりになる。

 そして、さらってきた王女に向かって命令した。

 「お前はこれから先、この王の間において唄いつづけるのだ。思いの丈のすべてを込めて唄いつづけよ!」

 王女はしたがった。

 玉座ぎよくざすわり、人々の苦しみを味わう邪眼じゃがんのバロアのそはに立ち、日がな一日、唄いつづけた。くる日も、くる日も、一日たりと休むことなく。

 それは人々の気持ち、幸せをうばわれた悲しみ、大切な家族を殺されたなげき、邪眼じゃがんのバロアとその配下はいかのデイモンたちに対する怒りと憎しみ。

 それらを表現し、唄いあげたものだった。その哀切あいせつ調しらべは心をもたないはずのデイモンたちでさえ涙ぐむほどのものだったという。けれど――。

 けれど、バロアはちがった。バロアだけはその歌を聞いて満足気に笑っていた。

 邪眼じゃがんのバロアは配下はいかのデイモンたちとはちがった。

 バロアには心があった。人々の苦しみをこそ喜びとする心が。王女の悲しみに満ちた調しらべはバロアにとって自分の力、自分のなした行為を知らしめ、高らかに唄いあげる最高の調しらべだったのだ。

 何年もなんねんも、人々はバロアの脅威きょういにさらされつづけた。たねをまいても収穫しゅうかく直前ちょくぜんになって台無だいなしにされる。子供を作ってもなぶりものにされて苦しむ姿を見せられる。

 やがて、人々はたねをまくことも、子供を生むこともしなくなった。人々はバロアのなぶりものにされるぐらいなら滅びることを選んだのだ。

 ときの王はそんな人々をなんとかはげまし、支えようとした。しかし、疲れきった人々の心に王の言葉が届くことはなかった。それどころか、

 「あんたがなんの役にもたたないから、こんなことになったんじゃないか!」

 そうさけんで石を投げた。

 王は石をぶつけられ、血が流れるまま立ち尽くしていた。唇を真一文字まいちもんじむすび、なにも言うことはなかった。

 人々の言うことはまったくその通りだったから。

 そんなある日、バロアに子供ができた。邪眼じゃがんのバロアひとりでもこんな目にわされているというのに、同じ力をもつ分身まで生まれたとあってはどんなことになるか。

 このときにいたってついに、高邁こうまいなる王の心も折れた。

 「終わりにしよう」

 王は臣下しんかを集め、そう言った。

 「これ以上、あの怪物のなぶりものにされるのは耐えられん。それぐらいならばいっそ全員で名誉めいよの自殺をげよう。たとえ殺されても我々は怪物どもにはくっしない。そう知らしめ、ほろびるのだ」

 その声は臣下しんかたちの歓喜かんきの声でむかえられた。

 実際じっさい、彼らは疲れはてていたのだ。いつも死ぬほど腹をすかし、子供たちの声もえて久しい。まわりを見れば年老いたものばかり。新しい生命はもはや生まれることはなく、ただ老いさらばえてほろびる日をまつだけ。

 そんな毎日を過ごすことのさびしさに、彼らはもうえられなくなっていた。えたくもなかった。その彼らにとって王の言葉はまさに救いだった。

 そうだ、そうしよう。我ら全員、死んで人類のほこりを守るのだ。

 誰もがそう思った。

 もし、王の言葉が布告ふこくされていれば、誰もがしたがったことだろう。人類の歴史はそこで終わっていた。

 そのはずだった。

 ただひとり、反対するものがいた。ドルイド僧の長老ちょうろうだった。彼は王と臣下しんかたちの前に出ると年老い、骨と皮ばかりになった体に渾身こんしんの力を込めて叫んだ。

 「おまちください、王よ! 死を選ぶ前に我らドルイドに最後の機会をお与えいただきたい」

 「引っ込んでいろ!」

 臣下しんかのひとりが叫んだ。

 「お前たちになにができる⁉ お前たちの魔法など、デイモンにはなにひとつ通用しないことははっきりしているではないか!」

 ドルイドの長老ちょうろうはそのさけびを無視した。王ただひとりを見つめてつづけた。

 「邪眼じゃがんのバロアに子が生まれます。われらドルイド、この一命いちめいをかけてこの災厄さいやくを世界を救う希望へとかえてごらんにいれましょう」

 王はそれを認めた。期待をかけたわけではない。どうせ死ぬのだから好きなようにさせてやろう。そう思ったにすぎなかった。

 ドルイドの長老ちょうろうは残された数少ない僧を全員、集めた。城のなかに巨大な魔法まほうじんを描き、そのなかにこもり、儀式ぎしきを行なった。何日もなんにちも。

 ひとり、またひとりと力尽きたドルイド僧たちは死んでいった。それでも彼らは儀式ぎしきをやめなかった。儀式ぎしきをやめればどうなるかは知り尽くしていたから。

 そして、すべての僧の生命をしぼりとり、儀式ぎしきは終わった。こうしてドルイドは滅び、世界から魔法を伝えるものはいなくなったのだ。

 ドルイド僧たちがそこまでして行なった儀式ぎしきも、バロアにはわずかの影響えいきょうを与えることもできなかった。

 存在の次元がちがうのだ。

 人間がどれほど死力をふりしぼろうとも、バロアにかすり傷ひとつつけることはできない。しかし――。

 その胎内たいないはぐくまれていた子供、もうひとりのバロアに影響えいきょうを与えることはできた。

 本来、ひとりの子供として生まれるはずだった邪眼じゃがんのバロアの子。ドルイドたちの生命を捨てた儀式ぎしきは、そのたましいと肉体をふたつにわけ、双子ふたごとして生ませることに成功したのだ。

 たましいを半分しかもたない子供。

 それは生命であって生命ではなかった。生きてはいたが育つ力はなかった。何年たってもバロアの双子は赤ん坊のまま、腹をすかせて泣くことすらなかった。ただ生きて呼吸をしているだけの肉人形だった。

 バロアはなげいた。怒りくるった。そのあおりを受けて何千というデイモンが消滅しょうめつした。

 人々の苦しみをかてとするこの怪物も、のこととなるとじょうがあった。

 そんなある日、配下はいかのなかでももっとも有力な一体のデイモンが進言しんげんした。

 「陛下へいかのお子がお育ちになられないのは、魂たましいが欠けているからです。人間のたましいうばぎたせば、お育ちになることでしょう」

 バロアはその進言しんげんよろこんだ。さっそく、その通りにしようとした。

 配下はいかのデイモンは付け加えた。

 「念のためにもうしあげておきますが、くれぐれも人選じんせん慎重しんちょうになされませ。なにしろ、他ならぬ陛下へいか御子みこ。ありきたりな人間のたましいなどふさわしくはありません。もっとも高貴こうきで、もっとも美しいたましいをこそ」

 なるほど、その通りだ。

 バロアはそう思った。そこで、そんな人間をさがすことにした。

 さがすまでもなかった。バロアの知るかぎり、もっとも高貴こうきで、もっとも美しいたましいをもつ人間といえば自分のお気に入りの歌人形、さらってきた王女だったからだ。

 バロアは王女からたましいきとり、ふたつにわけ、それを自分の双子の子にわけた。そのとき――。

 双子はそろって元気な泣き声をあげた。このときはじめて本当の意味でバロアの子が誕生したのだ。その泣き声を聞いてバロアは涙を流して喜んだという。だが――。

 それこそがドルイドの長老ちょうろうがしかけた最後のわなだった。

 彼にはわかっていたのだ。邪眼じゃがんのバロアを倒せるものは、邪眼じゃがんのバロアしかいないということが。つまり、バロアの子供だけがこの無敵の怪物を倒せるのだ。そのために――。

 自分の子に人間のたましいをわけ与えるように仕向け『人の心をもつバロア』を生み出そうとしたのだ。

 そのための準備じゅんび周到しゅうとうをきわめた。バロアの城に間者かんじゃを送り込み、情報を集め、バロアを追い落とし、自分こそが首領しゅりょうに成りあがろうとしているデイモンの存在を知った。そのデイモンをそそのかし、『人間のたましいを加えるよう』進言しんげんさせた。

 そのためのたましいとして王女のものを使うよう誘導ゆうどうしたのは王女自身の意志だった。間者かんじゃを通じて計画を知らされた王女はこう言ったのだ。

 「たとえたましいうばわれ、ふたつに引き裂かれようと、わたしは王女としての義務ぎむを忘れはしません。必ずやバロアの子にその義務ぎむを伝え、バロアを倒させてみせます」

 その言葉とともに王女は自らをにえささげたのだ。

 そして、王女の言葉は事実となった。

 人間のたましいを半分、受けつぐ双子は育つにつれて親であるバロアの暴虐ぼうぎゃくに心を痛めるようになった。

 人々の苦しみに共感きょうかんし、そんな苦しみを与えてかてとする自分の親をにくみ、その血を引いていることをはじと思った。

 そんな双子にとっての救いはもう半分のたましい気高けだかくやさしい王女から受けついだ人間の心だった。

 ついに双子は人間の心にしたがうことを決めた。邪眼じゃがんのバロアを倒し、デイモンの群れを追い払い、この世界を、この世界に住む人々を救うのだ!

 双子はそのちかいを込めてひとつの炎をともした。この世界の人間の魔法ではデイモンたちに太刀打たちうちできない。

 だが、他の世界にはいるのだ。デイモンたちから世界を守るため、戦いつづけている魔法使いの一団が。彼らをまねき、彼らとともに邪眼じゃがんのバロアを倒す! 

 双子はちかいの炎のなかにお互いの血を燃やした。バロアの魂を半分しか受けついでいない双子には、ひとりずつではなんの力もない。人間とかわらない。だが、ふたりの血をあわせれば邪眼じゃがんのバロアと同じ力を引き出すことができるのだ。

 双子は次元を越える《門》を作り、いのりをささげた。デイモンの天敵てんてきたる魔法使いたちを呼ぶために。そして、そのなかでも最強のひとりがやってきた。

 それが魔王エーバントニア。

 邪眼じゃがんのバロアさえ問題としない超越者ちょうえつしゃ。双子は魔王エーバントニアと共にバロアとその配下はいかのデイモンの群れにいどんだ。三対数十万の戦い。

 しかし、魔王エーバントニアとバロアの双子の力は絶大ぜつだいだった。かのたちはたちまちデイモンの群れを駆逐くちくした。

 ついに、バロアがみずからやってきた。裏切うらぎられた怒りはすさまじかった。あらしを呼び、雷鳴らいめいをとどろかせ、もてる魔力のすべてを駆使くしして裏切うらぎりものを抹殺まっさつしようとした。

 王女のたましいを受けつぐ双子は一歩も引かなかった。魔王エーバントニアの力に守られながら親であるバロアにいどんだ。

 長い、そして、はげしい戦いだった。世界そのものがこわれるのではないかと思えるほどの争いもしかし、ついに終わるときがきた。双子の繰り出した真っ赤に焼けた剣がついにバロアの邪眼じゃがんしつらぬいたのだ。反対側の目まで突き抜けるほどの勢いで。

 バロアはすさまじいのろいのさけびをあげながら、ついに倒れた。世界と人々は救われたのだ! しかし――。

 完全に、というわけにはいかなかった。

 バロアは不死身だ。『死』という状態をもたない。魔王エーバントニアでさえその存在を終わらせることはできなかった。このままでは遠からず復活ふっかつし、かつてとは比べものにならない怒りと憎しみをたぎらせて人々をおそい、これ以上ないほど苦しめるだろう。

 そこで、魔王エーバントニアと双子はバロアを永遠えいえんの眠りにつかせることにした。脈打みゃくう心臓しんぞうを体内から取り出し、封印ふういんし、二度と再び目覚めないようにした……』

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