二三章 アカデミーへ

 「なに⁉ なにがどうなったの⁉」

 エルは叫んだ。ニーニョだってわからない。わけのわからないまま立ち尽くしている。

 エルは邪眼じゃがんのバロアの衣裳いしょうぎすて、ニーニョの肩から飛びおりた。目尻めじりがちぎれて血がにじむかと思うほど大きく目を開いた。顔中が真っ青になっていた。

 世界は一変いっぺんしていた。目の前に広がるものは空の青と植物の緑ではなかった。妙に透明なやみと灰色だった。

 雲ひとつない青空だったはずの空はいまややみに染まっていた。

 雲ではない。

 大量の雲がわきだして日をさえぎっているわけではない。空は晴れている。たしかに晴れているのだ。

 そのことは闇色やみいろの空におおわれた世界が全然、暗くないことでわかる。地上は明るいままだ。歩くのにも、物を見るのにも不自由はない。ただ、太陽と青空が消えただけ。そのかわりにやみが世界を照らしている。

 これは『闇色やみいろ晴天せいてん』なのだ。そして、目の前に広がるのものは……。

 石。

 石! 石! 石!

 ふたりの目の前には無数の石像せきぞうが立ち並んでいた。髪の毛の一本いっぽん、目のまわりのしわ一筋ひとすじにいたるまで完璧に再現された生きているかのような石像せきぞう。その石像せきぞう鎧兜よろいかぶとに身を固め、赤と白と黒の衣裳いしょうを風にはためかせて並んでいた。

 騎士団たち。

 ゾディアックのまちを守るほこりたかきふたつの騎士団、ダナ家の赤枝あかえだ騎士団きしだんとミレシア家の白枝しろえだ騎士団きしだん。そして、王家を守る最後のたてたる王立騎士団。

 この場に集まった三つの騎士団が全員、立ったまま石と化していた。

 ク・ブライアンもフィン・ブライアンも自慢じまんひげをのばしたまま石像せけぞうとなっていた。もちろん、王立騎士団長も。

 もう誰も身動きひとつしない。動くものといえば風にはためく衣裳いしょうだけ。それ以外にはかみの毛一本動くことはない。完全な石像せきぞうだ。

 「なんで? なんでこんなことになったの⁉」

 エルは両手を口にあててさけんだ。

 おてんばを絵に描いて額縁がくぶちをつけたようなこの女の子が、このときばかりは小さな女の子のように恐怖きょうふと不安に身をふるわせていた。その目は石像せきぞうの群れに吸いつけられたまま少しだって動こうとはしない。

 ニーニョも似たようなものだった。ヤンチャで、大胆だいたんで、ときに傍若ぼうじゃく無人ぶじんでもあるこの少年が、ひたすらに青ざめ、息をみ、茫然ぼうぜんと立ち尽くしている。まるで、自分こそ石の像になってしまったかのように。

 いったい、なにが起きたのか。

 自分たちだけが石で作られた偽物にせものの世界に飛ばされたのか。

 それとも、それとも……本当に生きとし生けるものすべてが石にかわってしまったのか?

 ふたりはひとりでも無事な人間がいないかとさがしまわった。勇気からではなく、恐怖きょうふからの行動だった。

 世界のすべてが石にかわってしまった。

 そのおそろしい現実から逃れたくてなんでもいいから生きで動いているものを見つけたかったのだ。

 広場中を走りまわり、屋台やたいをのぞき、魚や水鳥みずどりのいっぱいいる池にもぐり、知るかぎりの野良のらねこたちのを見てまわった。

 騎士たちにも一人ひとりさわってまわった。だって、もしかしたら石像せきぞうになって見えるのは自分たちの目のせいで、さわってみれば血の流れる温かい肉体のままかもしれないじゃないか! けれど――。

 見つかったものはさらなる恐怖きょうふだけだった。

 すべてが石になっていた。

 騎士団の激突げきとつを見物にきた野次馬やじうまたち。顔見知りの屋台やたいのおじさん、よく勝手口からこっそり入れて、売れ残りのお菓子をわけてくれたカフェのマスター。そんなマスターにいつも怒っていたけど、やさしくてきれいなウエイトレスのお姉さん。

 人気のない夕方にこっそりやってきてはドキドキしながらあみですくってぬすんだ魚たち。小さい頃からしょっちゅう追いまわして遊んでいたアヒルにガチョウ。そのたびに頭から湯気を噴きあげて駆けつけて、ガミガミと怒った管理人かんりにんのおじいさん。

 広場の冒険ぼうけん仲間なかまだった野良のらねこたち。みつを吸い、かんむりを作った花壇かだんの花。おいしい木の実やドングリをひろった木の葉っぱ。

 そのすべてが石になっていた。それこそ、芝生しばふのなかのアリ一匹いっぴきにいたるまで。

 そして、騎士たちはまちがいなく石になっていた。見た目だけではない。手でさわった感触かんしょく、その固さも、ひんやりとした冷たさも石そのものだった。

 威厳いげんのあるク・ブライアンも、豪放ごうほうなフィン・ブライアンも、単なる石の像となっていた。

 本当に、すべての生き物が石となっていた。生命あるもので動いているのはエルとニーニョのふたりだけ。まわりは一瞬いっしゅんにして灰色の、動きのない世界にかわってしまった。

 「なんでこんなことに……」

 今度はニーニョがうめいた。

 なにが起きたのかわからない。

 どうすればいいのかもわからない。

 ふたりはしょせん、子供だった。いつも元気いっぱいでおとなを出し抜く悪知恵わるぢえけてはいたけれど、それでもやっぱり一〇歳の子供だった。こんな場合、どうすればいいのかなんてわからない。

 途方とほうれ、立ち尽くしていることしかできなかった。

 ――せめて、ひとりでもおとながいてくれたら。

 せつないほどの胸の痛みを感じながらエルは思った。

 ――おとなの人ならきっと、どうすればいいのか教えてくれる。なんでこんなことになったのか、どうすれば元に戻せるのか、きっと知ってるはずだ。おとななら、それも、アカデミーの先生たちみたいな人なら……。

 「アカデミー……」

 ポツリ、と、エルはつぶやいた。すると、自分でも思いがけないぐらいのなつかしさが込みあげてきた。

 授業をサボって逃げてばかりだったけど、きらいだったわけじゃない。逃げ出すために行くのが好きだった。先生たちとの追い駆けっこだって大好きだった。そのスリルと冒険ぼうけんに満ちた日々はもう戻らないのか……。

 「アカデミー」

 もう一度、エルはその言葉を口にした。

 「アカデミーに行こう、ニーニョ」

 「えっ?」

 「アカデミーの先生たちは物知りだもの。もしかしたら無事ぶじかもしれない。無事ぶじな先生がひとりでもいればきっと、どうすればいいのか教えてくれる!」

 ニーニョの表情が明るく輝いた。

 「そうか! アカデミーがあった。アカデミーならきっと……」

 「うん……!」

 ふたりはそろってうなずいた。希望を取り戻した表情が輝いていた。

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