二一章 血の交わり

 そして、まち二分にぶんする争いははじまった。騎士たちがよろいをまとい、剣と盾が支給され、訓練が重ねられる。

 「いまこそ我が一族の実力を見せつけ、正義をしめすのだ!」

 当主とうしゅの叫びに騎士たちは一斉いっせいときの声をあげた。

 親たちを安心させようとふたりの子供が送った手紙。それがいまやゾディアックをほろぼそうとしていた。

 もちろん、誰もが手をこまねいていたわけではない。とめようとしたものもいる。

 王立アカデミーだ。

 もともと、このアカデミーは教育を行なうためだけではなく、日々、先鋭化せんえいかしていくダナ家とミレシア家の動向どうこう監視かんしし、仲裁ちゅうさいする目的ももっていた。

 いざ戦争、ということになれば介入かいにゅうするのが当たり前だった。

 校長の指示を受けた教師たちが走りまわり、交渉こうしょうにあたった。しかし、両家とも聞く耳をもたない。

 『いまこそ決着をつけるのだ!』

 その一点張り。

 当主とうしゅだけではなく長老格や両家以外の有力者にも当たったがらちかない。

 「そもそも、このまちにふたつの有力な家系があるというのがまちがいなのだ! ふたつの支配者が存在するにはこのまちは小さすぎる。そのために常に小競こぜりいが起き、我々われわれの生活はおびやかされてきた。やつらさえいなくなれば問題はすべて解決し、我々われわれはいまよりずっと平和で幸せな生活を送れるのだ!」

 「しかし、ダナ家とミレシア家は共にデイモンの襲来しゅうらいそなえるという使命をもった一族。その両家が争うのは……」

 「失敬しっけいな! 魔王エーバントニアよりゾディアックのまちたくされたのは我々われわれだ! デイモンの襲来しゅうらいがあったところで、我々われわれだけで追い払ってくれる。やつらなど必要ない!」

 結局のところ、両家ともこの件を口実に長年にわたる確執かくしつに決着をつけようとしているのだ。その意味ではエルとニーニョの送った手紙は単なるきっかけにすぎなかった。水面下にたぎっていたマグマはすでに臨界点りんかいてんに達しており、爆発するときをまつばかりだったのだ。解決などできるはずもなかった。

 そうこうしている間にも両家は戦争の準備を着々ちゃくちゃくととのえている。まちの人々は不穏ふおんな空気を察知さっちして家にとじこもり、戸を閉めきった。

 まちのなかにはひとっこひとりいなくなった。人の姿といえばよろいに身を固め、剣と盾を装備して練り歩く騎士団だけ。まちの人々は固くとざした戸の隙間からそっと顔をのぞかせ、不安と心配と、でも、少しばかりのワクワク感も込めて無人のまちを行く騎士団の姿を見守るのだ。

 王立アカデミーの校長室には一切の交渉こうしょう無駄足むだあしに終わり、途方とほうに暮れた教師たちが集まっていた。

 「もうどうしようもありません! このままでは全面戦争です!」

 フラン先生が悲鳴ひめいをあげると、ケネス先生も叫んだ。

 「お互い、相手を皆殺しにする気でいますぞ! このままではどちらかがまちがいなくほろびることになります!」

 校長先生は静かにうなずいた。

 「ダナ家とミレシア家の血は決して交わってはなりません。同時に、このゾディアックのまちにありつづけなくてはなりません。そうでなければ我々われわれは、この世界を侵略しんりゃくから守るための唯一ゆいいつの方法を失うこととなります。どちらが欠けてもならないのです」

 そして、校長先生は言った。

 「国王陛下に王立騎士団の増強ぞうきょうをお願いします」

 かくして、黒地くろじに金の制服をまとった王立騎士団の大軍がやってきた。ゾディアックのまち下界げかいをつなぐ坂道を完全武装の騎士団が埋め尽くすなど、ゾディアック三〇〇年の歴史ではじめてのことだった。

 いがみあうダナ家とミレシア家、そして、その争いを力ずくで食いとめようとやってきた王立騎士団。町中に三つの色の制服を着た騎士たちがあふれ返り、火花をちらしはじめた。

 いまや、空に浮かぶゾディアックの街はどもえの争いの場と化していた。

 ふたりの子供の思いつきがいまや、ちょっと前までは想像もできなかった事態を引き起こしつつあったのだ。

 もちろん、この事態の急展開は元凶げんきょうであるエルとニーニョもわかっていた。あまりの出来事にさしもの大胆なふたりもパニックにおちいっていた。

 「どうしよう、どうしよう、どうしよう! このままじゃ戦争になっちゃう!」

 エルがこの大胆な女の子にも似合わない涙声で叫ぶと、ニーニョも途方とほうに暮れたように叫んだ。

 「おれだってわからないよ! まさか、こんなことになるなんて……」

 「とにかく、とめないと……なんとかしないと……」

 「どうやって?」

 「考えてよ!」

 ふたりは、ほら穴のなかを行ったりきたりしながら頭をひねって考えた。

 実のところ、どうすればいいのかはわかっている。自分たちが家に帰ればいいのだ。家に帰ってすべてを白状はくじょうする。

 そうすれば戦争は防げるはずだった。

 ふたりが家に帰ったからといって、いきなり両家が仲直りするはずもない。でも、少なくとも相手をつぶす口実こうじつはなくなる。

 そう。帰ればいい。それが唯一ゆいいつの正しい選択だ。でも――。

 ――そんなことしたら怒られる!

 ちょっとした思いつきだった。ただ、大事な友だちと引きはなされたくなかっただけなのだ。

 それがこんな事態をまねいてしまった。街中まちじゅうを巻き込む争いへと発展してしまった。いまさらのこのこ帰ったりしたらどんなに怒られることか。

 それを想像すると、さしもの怒られ慣れているヤンチャなふたりも顔中が青くなった。

 なんとかそれ以外の方法でとめないと。親やおとなたちに怒られることもなく、この楽しい暮らしを捨てることもなく、それでいて争いをとめる方法。でも、そんな方法なんて……。

 「そうだ!」

 エルが飛びあがって叫んだ。すばらしい考えがひらめいた。実際、それはとてもいい考えに思えた。この方法ならきっとうまく行くはずだ。

 エルはニーニョに言った。

 「邪眼じゃがんのバロアを復活ふっかつさせればいいのよ!」

 「なんだって?」

 思いがけない言葉にニーニョはまゆをひそめた。

 エルはそんなニーニョの様子にも気がつかない。自分の思いつきを話すのに夢中になっていた。

 「そうよ。邪眼じゃがんのバロアを復活ふっかつさせるの。そうすれば身内みうちで争っている場合じゃなくなるわ。なんたって、ダナ家もミレシア家もバロアと戦う使命をもつ一族だもの。そっちを優先ゆうせんするに決まってるわ」

 「お、おい、ちょっとまてよ」

 エルの興奮こうふんぶりにいささか気圧けおされながら、それでもニーニョは叫んだ。

 「邪眼じゃがんのバロアを復活ふっかつさせるだって? 冗談言うなよ。そんなことしたらどんなことになるか……」

 このヤンチャな少年にして顔中が真っ青になっている。体は細かくふるえていた。

 邪眼じゃがんのバロア。

 その名前を聞いたとたん、心より先に肉体が恐怖きょうふに反応したのだ。

 ――あんなもの、ただの伝説じゃないか。

 などとはチラとも思わなかった。

 実際、ゾディアックのたみにとって邪眼じゃがんのバロアの伝説は物心ものごころつく前から聞かされつづけていること。作り事とは思えない生々しさをもって感じられるのだ。

 その邪眼じゃがんのバロアを復活ふっかつさせる。そんなことをしたら……。

 「世界はバロアにほろぼされるぞ!」

 「わかってるわよ」

 ニーニョの叫びにエルはケロリとして答えた。そのあっけらかんとした様子にニーニョは唖然あぜんとした。

 エルは考えすぎたせいでおかしくなってしまったのだろうか。争いをとめるために世界をほろぼす魔物まものますなんて、火事を消すために洪水こうずいを起こすようなものなのに……。

 でも、エルはおかしくなったわけではなかった。いたって冷静れいせいだった。

 「あのね。あたしだってなにも、本物を復活ふっかつさせようって言うんじゃないの」

 「えっ?」

 「おとなたちに『邪眼じゃがんのバロアが復活ふっかつした』と思わせればいいんだから。つまり……」

 エルは言葉を切った。片目を閉じて笑った。とっておきのイタズラのたね披露ひろうするように。そして、言った。

 「あたしたちが邪眼じゃがんのバロアになればいいのよ!」

 「そうか!」

 ニーニョは叫んだ。さすがイタズラ好きならエルに負けないヤンチャもの。こういうことは通じるのが早い。

 「おれたちが邪眼じゃがんのバロアの変装へんそうをして、みんなの前に出ればいいんだ! そうすれば……」

 「そうよ! それで邪眼じゃがんのバロアが復活ふっかつしたと思い込んでみんな、力を合わせるはずよ」

 あっ、そうだ、とエルは叫んだ。またもすばらしい思いつき。自分の頭のよさにいしれ、表情がかがやいた。

 「あたしたち、邪眼じゃがんのバロアに殺されたことにできるわ。そうすれば……」

 「もう誰もおれたちをさがさない!」

 ふたりはそろって歓声かんせいをあげた。

 完璧かんぺきだ。

 なんてすばらしいアイディアなんだろう。

 邪眼じゃがんのバロアが復活ふっかつして一族の子供を食らったとなれば、ダナ家もミレシア家もお互いへの敵意てきい憎悪ぞうおなんて忘れる。手と手をとって邪眼じゃがんのバロアにそなえるだろう。もちろん、王立騎士団だって。

 そうなれば争いはとめられる。おまけに自分たちは家に帰ることなく、さがされることもなく、自由な暮らしをつづけていられるのだ。こんな見事な計画が他にあるか?

 ふたりはそろって有頂天うちょうてんになっていた。

 「そうとなったらグズグズできないぞ! 早く準備しないと」

 「もちろん!」

 ふたりは生きいきと目をかがやかせて、ほら穴の外に飛び出した。あちこちを歩きまわって落ちている小枝やら、鳥の羽に獣の毛、それに動物の骨など、とにかく使えそうなものはかたぱしからひろった。

 両手いっぱいに戦利品せんりひんかかえてほら穴に戻り、仮装用かそうよう衣裳いしょうを作りはじめた。

 魔物のふりならお手のもの。毎年、ハロウィンには手の込んだ仮装かそうをして街中まちじゅうを練り歩き、お菓子をねだったり、イタズラしてまわったりしていたのだから。

 ベッドにしているシーツを広げてつなぎ合わせ、草やら、骨やら、毛やらをとにかく張りつける。木の皮をはいで仮面を作り、野性の木の実をつぶして色をった。草をんだものを髪にしてつなぎ、そこにひろった小枝をくくりつけた。

 ふたりは夢中になって作業をつづけた。

 「あつっ……」

 ニーニョが声をあげた。シーツをつなげている最中、針で指を刺し通したのだ。指の先にプクウッと血があふれ、見るみる血の玉ができあがる。

 「なにやってんの」

 エルが言いながらニーニョの手をとった。血の浮いた指を口に含んだ。

 「お、おいっ……」

 さすがのニーニョがおどろいて叫んだ。乱暴に手を振り払った。するとエルが不機嫌ふきげんそうに言った。

 「なによ? 血が出たらなめればとまるって知らないの?」

 「知ってるさ! でも……」

 「でも、なによ?」

 「いや、その……」

 ニーニョはこのヤンチャな少年にはめずらしく口ごもった。ほおを赤らめ、そっぽを向く。

 「なんでもない……」

 ニーニョはそれだけを言うと今度は自分で指を口に含んだ。その指先は妙に甘い味がした。

 「変なやつ」

 エルは肩をすくめると作業に戻った。

 やがて、邪眼じゃがんのバロアの衣裳いしょうはできあがった。

 壁にかけてランプの明かりで見てみるとなかなかの出来栄できばえだ。草と羽と毛を張りつけた胴体部分はいかにも獣じみているし、小枝をくくりつけた草の髪をたなびかせた仮面も不気味なムード満点。

 なにより、真ん中に大きくえがいた目はまさに『邪眼じゃがん』という感じ。作った自分たちでさえ、見ていると石にされてしまうのではないかと感じるほど。

 ふたりはそろって満足のうなずきをした。

 「これならきっとうまく行くわ」

 「ああ。まちがいない」

 ふたりはほこらしさでいっぱいだった。

 うまく行くにちがいない。

 そう思い込んでいた。

 ふたりとも手紙の教訓きょうくんをまったくわかっていなかった。

 『子供の浅知恵あさぢえでなにかしでかすと、ろくなことにならない』ということを。

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