一六章 人の気も知らないで……

 その頃、エルとニーニョは自分たちのしでかしたことが大変な事態をまねきつつあることも知らず、大喜びしていた。

 エルの秘密ひみつ基地きち

 それは丘と丘にはさまれた細い道を、さらに奥に進んで曲がったところにあった。そこにいくつかのほら穴がまとまって開いていたのだ。

 「へえ、なるほど。ここなら外を誰かが通りがかっても見つかりっこないな」

 ニーニョが目を輝かせて言うと、エルは『どうだ!』とばかりに胸を張ってみせた。

 「でしょ? どんなに探したってここならだいじょうぶ。これからは、あたしたちだけの新生活がはじまるのよ」

 「そうとも。おとなたちのいがみあいなんておれたちには関係ない。おれたちからミレシア家とダナ家の新しい歴史がはじまるんだ」

 「そうよ。これはそのための第一歩。なにからはじめる? まずは寝床ねどこの準備よね。ほら穴の上に直接、寝るなんてあんまりだもの。体にだってよくないわ。近くに針葉樹しんようじゅの林があるからやわらかい葉っぱをたくさん集めてきて、ベッドにしよう。針葉樹しんようじゅの葉っぱはくさりにくいし、虫もつきにくし、なによりいい香りがするから。きっと、すてきなベッドになるわ」

 「その前に」

 と、ニーニョ。おごそかな口調で言った。

 「わな仕掛しかけよう。いまから仕掛しかけておけば夕方にはきっとウサギや山鳥がかかっているよ。そうすればご馳走ちそうが食える」

 「すてき!」

 エルは叫んだが答えたのは彼女の口だけではなかった。お腹もだった。健康なお腹が遠慮えんりょのない『グゥ』という大きな音を立てたのだ。

 ニーニョは呆気あっけにとられてエルを見つめた。エルはたちまち真っ赤になった。それから、ニーニョのお腹も同じように大きな音を立てた。ふたりは声をそろえて笑った。

 考えてみればお腹がすくのも当たり前だ。いつもならとうに朝食ちょうしょくを食べて、昼食ちゅうしょくもすませている時間なのだ。

 だいたい、昨日きのうだってまともな昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょくは食べていない。

 屋台やたいで買ったフィッシュ&チップスとミルクティーだけ。そのあとはいきなり自室に放り込まれたから家でもなにも食べていない。育ち盛りのお腹が抗議こうぎの声を張りあげるのも無理はない。

 がらきのお腹を一刻いっこくも早くなぐさめてあげたくなった。でも、とりあえず食べるものはなにもない。これからとりにいかなくてはならない。エルはよけいな見栄みえをはって食べ物を用意してこなかったことを後悔こうかいした。

 ――最初の一食分くらい用意してくるべきだった。

 でも、そんな後悔こうかいは必要なかった。その最初の一食はニーニョがちゃんと用意しておいてくれた。自分のザックから大きなパンとチーズの固まりをふたつずつ、魔法のように取り出したのだ。エルはニーニョの首ったまにとびついてよろこんだ。

 ふたりはニーニョの用意してきたパンとチーズをたらふく食べた。二日つづけて満たされなかった育ち盛りの食欲をここぞとばかりに満足させようと、顔より大きいパンの固まりにかぶりつく。たちまち大きなパンとチーズの固まりがふたりのお腹のなかに消えていく。

 『後々のちのちのために少しはとっておこう』なんてことはどちらも言わなかった。あとのことはあとだ。先のことを心配するより、いまはとにかく育ち盛りの食欲を満足させるほうが先決だった。

 ふたりは食事を終えて一息ついた。パンとチーズだけの質素しっそな食事だったけど、こんなおいしいご飯ははじめてだと思った。

 なにより、フォークとナイフの使い分けに気を使ったり、音を立てないよう注意したりせずに思いきり食べられるのがうれしい。

 これからはずっとこんな食べ方をしていいのだ。そう思うとそれだけで世界が美しく見えた。

 ふたりはぽっこりとふくらんだお腹をさすった。満足を通りこして苦しいうめきがもれてくる。いくらお腹が減っていてもさすがに顔より大きいパンはふたりには多かった。それからしばらくは苦しくて動けなかったほどだ。

 ようやくお腹がこなれて動けるようになると、これからここで暮らしていくための仕事に取りかかった。

 まずはあたりの案内だ。エルがニーニョを連れてウサギや山鳥をよく見かける場所、近くにある池、針葉樹しんようじゅの林などを歩きまわった。

 ニーニョはウサギの足跡を目ざとく見付けるとその場にわな仕掛しかけた。池を覗き込むと魚がいっぱいいた。手掴てづかみでいくらでもとれそうだ。

 それはあとのことにしてまずはヤカンいっぱいに新鮮な水をんだ。それから針葉樹しんようじゅの林に行き、やわらかい葉っぱと小枝を両手いっぱいに集めた。

 針葉樹しんようじゅ特有とくゆうのいい香りがムッと顔を包みこむ。ふたりはそのすがすがしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 エルは針葉樹しんようじゅの葉と小枝をたっぷりと持ち帰るとさっそく、ほら穴にきつめようとした。するとニーニョがまったをかけた。

 「もしかしたら、ヘビとか毒グモとかが住み着いているかもしれない」

 「あっ、そうか。自然のほら穴だもんね。いてもおかしくないか」

 「そういうこと。だから、まず、けむりでいぶしだそう。生の葉っぱはよくけむりが出るから」

 ニーニョは手際てぎわよく火をおこすと葉っぱを燃やし、ほら穴のなかをけむりでいぶした。その注意深さ、手際てぎわのよさにエルは関心した。

 と同時にこれからの生活のパートナーが生きていくために必要なすばらしい技術をもっていることを確認して頼もしくなった。これならこれからの生活だってきっとうまくいく。

 しばらく、ほら穴をけむりで満たした。

 「もういいだろう」

 ニーニョが言って今度はけむりをかきだしはじめた。

 けむりを追い出すのは、けむりで満たすよりよっぽとやっかいな作業だった。なにしろ、風通しのない洞窟どうくつのなか。けむりはなかに立ちこめ、よどんで、出ていこうとしない。それを必死に替えの服やら小枝の束やらであおいで外に出す。それだけでふたりともヘトヘトになってしまったぐらいだ。

 でも、新生活のための準備はこれからが本番だ。針葉樹しんようじゅの葉と小枝をほら穴のなかにきつめる。一度に運べる量などたかが知れているので、ほら穴いっぱいにきつめるまで何度も行き来しなければならなかった。

 さいわい、ここしばらく雨は降っていなかったので葉っぱも小枝もよく乾いている。

 絨毯じゅうたんとまではいかないけど、フカフカの心地いい床ができあがった。それに、針葉樹しんようじゅの葉には殺菌さっきん作用さようがあるし、その強い香りは虫を寄せ付けない。こうしてきつめておけば、やっかいなダニやノミから守ってくれるだろう。

 それから、ニーニョがふたり分のベッドを用意した。ほら穴の奥に針葉樹しんようじゅの枝や葉、枯れ草をうずたかく積み、その上にエルのもってきた毛布をしくとフワフワの心地いいベッドができあがった。

 ニーニョがベッドを作っている間にエルは荷物の整理をした。あまった小枝をきつめて即席そくせき食器台しょっきだいを作り、そこにふたり分の食器を並べた。家で年配ねんぱい執事しつじがいつも注意深く、非常な誇り高さをもってそうしていたように胸を張り、気取った様子で食器をき、台の上に並べていく。そうしてみるとなかなかおつなものだった。

 ただ、銀のさじだけは袋のなかにしまったままだ。

 ――なぜって、あれはいざというときのとっておきだもんね。ニーニョにだって言えないわ。

 もし、うっかり教えたりしたらがさつな男の子のことだから、汚したり、壊したりしてしまうかもしれない。つまらないことで売ってしまおうと言うかもしれない。そうならないよう、自分がしっかり管理しておかなくてはならない。

 ――ニーニョに隠し事をすることになるけど……でも、そのときになればわかってくれるわよ。

 エルはそう考えて内心の後ろめたさを打ち消した。

 「かまどはどうしよう?」

 ニーニョがふいに言った。

 「かまど?」

 「そうさ。かまどがなきゃ煮炊にたきもできない。外に作ったら雨の日なんか不便だし、といって、ほら穴のなかに作ったらけむりでいっぱいになって、おれたちがいぶりだされる」

 「あっ、そうか」

 エルはいまさらながらに気がついた。

 「煙突えんとつれないかな?」

 ほら穴の壁をたたいてみる。コツコツと乾いた音がした。

 「無理だろう。ここの土はけっこう堅いし、第一、高い丘の中腹ちゅうふくだ。上までかなりの距離がある。り進むなんてとてもできないよ。道具もない」

 「そうよね。それじゃどうしよう?」

 ふたりして首をひねり、ああでもない、こうでもないと言い合った結果、発想をかえて解決することにした。つまり、地面の上にかまどを作るのではなく、地面の下に作るのだ。

 ほら穴の入り口近くに穴をり、その底で火をく。上に大きくて平たい石を乗せておけば時間はかかっても料理できる程度には熱くなる。けむりは地面にトンネルをって、ほら穴の外に逃げるようにした。

 ためしに小枝に火をつけて放り込んでみると立派に燃えつづけた。けむりもほとんどはトンネルを通って外に流れだした。これでほら穴のなかがけむりでいっぱいになることはなくなった。立派なかまどの完成だ!

 一通り準備が終わった頃にはもう夕方になっていた。ふたりともお腹がグウグウ言いはじめていた。

 育ち盛りの上に一日、働いたあとなので恐ろしくお腹がいている。早くなにか食べないとにしちゃう!

 ふたりはいそいそとわな仕掛しかけたポイントに向かった。なにかかかっているだろうか。いるといいけど。

 期待と不安を感じながら向かってみると、いた! 一匹のウサギがわなに足をとられて宙吊ちゅうづりになっていた。

 ふたりは歓声かんせいをあげた。これで今夜はウサギ肉のシチューが食べられる!

 「つぶすのは任せろ。前にやったことがあるんだ」

 ニーニョは自信満々で大振りなナイフを取り出した。古いけどよく手入れされた使い込まれたナイフだ。そのナイフを見ただけでニーニョが扱いに手慣てなれていることがわかる。

 まず、大きな石をひろってウサギの頭を一打ちしてしとめた。それから、後ろ足の足首の部分にナイフを入れ、内股うちまたの付け根までぎ、胴体、頭とそっくり皮をはぎとる。それから腹を裂いて内臓を取り出し、手足を切り落とし、肉と骨にわけていく。まるでプロの肉屋のような慣れた手つき。

 さすが男の子。

 エルは感心した。いくらエルが冒険好きでもやはり、女の子。ウサギの解体まではやったことがない。ニーニョが頼もしく思えたし、はじめて見る光景に興味きょうみ津々しんしんで見入っていた。

 「ウサギの肉って、とりたてなら生でも食えるんだぜ。知らなかったろ?」

 「生の肉を食べるの⁉」

 「そうさ。うまいんだぜ。食ってみろよ」

 言いつつ薄く切りとったウサギ肉を差し出した。そして、自分でもさもうまそうに食べてみせる。

 エルとしては正直、生の肉なんて食べたくなかった。気持ちが悪い。でも、ニーニョが食べているのに自分だけ食べられないなんてなんだかしゃくだ。負けた気がする。意地になって生肉を口に放り込んだ。二、三度、みしめて飲み込んだ。

 「どうだ?」

 と、ニーニョがイタズラっぽくたずねてくる。 エルは小さくつぶやいた。

 「……おいしい」

 「だろ?」

 ニーニョが破顔はがんした。

 「思っていたほど気持ち悪くないし、味もなかなかだけど……でも、やっぱり、ちゃんと火の通ったものを食べたい」

 エルがそう言うとニーニョは腹を抱えて笑い転げた。

 それから池に向かって魚もとることにした。漁のための道具などなにもないので手掴てづかみだ。

 ふたりともひざまで水にもぐって魚を追いまわした。これに関してはふたりともベテランだった。自由に泳いでいる魚を追いまわすような素人しろうと丸出しのことはしない。そんなことをしても水のなかの魚に追いつけるわけがない。

 魚を手掴てづかみで捕まえるためにはやり方があるのだ。

 まず、水のよどんだふちの岩の下や隙間すきまにそっと手を差し込んで様子をさぐる。魚がいれば手にふれる。手にふれられた魚はビクッと身を動かせる。

 素人しろうとならここで驚いて手を引いてしまい、取り逃がすことになる。でも、このふたりに限ってそんなことはない。あわてず、騒がず、五本の指でしっかりつかむ。たちまち何匹もの魚を捕まえていた。

 ニーニョが魚をさばいている間、エルは一緒に食べるためのハーブや野草を集めてきた。これに関してはエルの独断場どくだんじょうだった。ニーニョは動物の食べ方にはくわしかったけど、植物のこととなるとなにも知らなかったのだ。

 エルはニーニョにできないことが自分にできるとわかって気分がよかったし、世話になるだけではないと確認できて安心もした。

 さて、食材はそろったが生のままでは食べられない。きちんと調理する必要がある。

 そこは、ふたりともだてに学校をサボって冒険の日々を送っていたわけではない。野外料理はお手のものだ。

 火をおこし、肉と魚を串にさして並べて焼く。丸くてスベスベした黒っぽい石もひろってきてに放り込んで焼いておく。なべのなかにたっぷりの水と野草を入れる。素焼きした肉と魚を放り込み、そこに真っ赤に焼けた石を放り込む。すると――。

 水はたちまち沸騰ふっとうし、間欠泉かんけつせんのように熱湯ねっとうを吹きあげる。その豪快ごうかいさにふたりは声をあげて喜んだ。

 一瞬で沸騰ふっとうさせたシチューのうまさは格別かくべつだ。野草は青さを失わずにシャキッとしているし、肉や魚から出汁だしが出て一層、深い味になる。たちまち、あたりにうまそうな匂いが立ちこめた。

 ふたりは鼻を慣らし、よだれをたらした。もう我慢できない。ふたりはなべのなかにスプーンをつっこむと旺盛おうせいな食欲を発揮して食べにたべた。

 新しい生活の、はじめて自力で手に入れた食事。

 その思いがもともとおいしいシチューをさらにおいしくしていた。

 骨にこびりついているわずかな肉もしゃぶるようにして食べた。ニーニョが『肉だけより骨付きのまま料理したほうがうまいんだぜ』と言って、骨ごとなべに放り込んだのだ。

 家ではこんなふうに指と口のまわりをあぶらでベトベトにするような『下品』な食べ方は決して許されない。いつだってきれいに料理された食事をナイフとフォークを使って上品に、指も口も汚さないように食べなければならなかった。

 ちょっとでも口のまわりを汚したりするとたちまち母親の甲高い注意がとんできたものだ。

 ここではそんなことはない。どんなに汚しても自由。エルはむしろ、わざとあぶらで汚すようにして骨をしゃぶった。それにたしかに骨にこびりついている肉はいい味だった。

 「家でコックが出す、気取った肉料理なんかよりよっぽとおいしいわ」

 「そりゃそうさ。自分でとった獲物えものにまさる肉はないよ」

 「うん!」

 ニーニョの言葉にエルは心からうなずいたのだった。

 ふたりはお手製のシチューをたらふく食べた。そのまま寝転がった。ここではもう行儀ぎょうぎがどうの、礼法れいほうがどうのと口うるさく言う親や教師はいないのだ。なにをしてもよかった。あるいは、なにもしなくても。

 ふたりは寝そべったまま『なにもしない時間』を満喫まんきつした。家にいる頃はふたりとも、こんなふうにできるのは自室に入ったわずかの時間だけだったのだ。

 頭のてっぺん同士をくっつけるように寝転がり、両手をしっかり重ねあわせた。いつか、夜になっていた。空一面に満天まんてんの星空が広がっていた。『吠える天狼てんろう』を中心に、そのまわりを星々の形づくる獅子ししや魚やサソリが輝いていた。

 「……楽しかったな」

 「うん。これからも楽しいよ」

 「そうだな」

 ふたりはそのまま眠りに落ちた。

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