一四章 奴らの仕業だ……!

 そらまちゾディアックを朝の光が包み込んだ。雄鳥おんどりが声高く朝のおとずれをげ、パン屋が店を開けはじめる。

 それと同時にエルの父親はドスドスと音を立てて階段かいだんをのぼり、エルの部屋の前へとやってきた。長いひげを伸ばして威厳いげんをもたせたいかつい顔には、まだまだ昨夜さくやの怒りがたっぷりと残っている。と言うより一晩中、怒っていたせいであれやこれやの気に入らないことを思い出し、さらに怒りをかき立てられたといった様子。

 エルの部屋のドアの前に立つ。まっすぐ伸びた背筋、堂々たる立ち姿がさすが、自ら剣をもって戦う名家のおさといった感じ。右手を口もとによせ、ドアをノックするかわりに重々しく咳払せきばらいなどしてみせる。

 「どうだ、エル? 少しは反省はんせいしたか?」

 ドアしに堂々どうどうたるバスを張りあげる。若い頃は自らオペラの舞台ぶたいに立っていただけあってよく通る見事な声だ。

 「お前はまだ子供だ。間違まちがえることもある。迷うこともある。人はみな、そうやっておとなになっていくのだ。自分の間違まちがいを認めてあやまるなら許してやらんでもないぞ」

 父親として最大限の誠意せいいを込めた呼びかけだった。しかし、返事はない。当たり前だ。とうのエルはとっくに部屋を、いや、ダナ家そのものを抜け出しているのだから。しかし、父親はそんなこととはつゆ知らない。

 ――あの強情ごうじょうものめ。どうせ、ベッドのなかにでももぐり込んで聞こえない振りをしているのだろう。

 そう思ってますます腹を立てた。聞く者の腹に響く重低音の声に苛立いらだちが混ざり、けわしい響きを帯びた。

 「そうか。返事をする気もないか。勝手にするがいい、この強情ごうじょうりめ! いいか、夕べも言ったとおり、お前が反省はんせいしない限り、何年でも、何十年でもこのまま部屋に閉じ込めておいてくれるぞ。我々われわれ根負こんまけするなどと思うなよ。お前が部屋を出たいと思うなら方法はただひとつ。自分の間違まちがいを認めて謝罪しゃざいすることだ。そのことを忘れるな!」

 そう叫び残すと、あがってきたときに倍する大きな音を立てて階段かいだんをくだっていった。

 憮然ぶぜん憤然ふんぜん仏頂面ぶっちょうづらを足して三をかけたような顔付きで居間いまに戻ると、そこではエルの母親アンナがまっていた。

 いかにもオロオロした様子で居間いまじゅうを行ったり来たりしている。その様子をお付きの侍女じじょなかばあきれ、なかば心配そうに見守っていた。

 かのは夫が戻ってきたのを見るとすがりつくような勢いでたずねた。

 「ああ、あなた! エルの様子はどうでした⁉」

 「どうもこうもないわい!」

 ニールは吐き捨てながらテーブルの自分の席にどっかと座り込む。テーブルの上にはすでに朝食ちょうしょくが並んでいた。エルの分も含めて。

 エルの席の前に並べられた朝食ちょうしょくを見て、深いため息をついた。それから、言った。

 「なにを言っても返事ひとつ、しようとせん。まったく、誰に似てあんな強情ごうじょうものになったのやら」

 その言葉にアンナは顔面がんめん蒼白そうはくになった。いまにも貧血ひんけつを起こして倒れそうな様子だった。

 「ああ、なんということでしょう! 手塩てしおにかけて育ててきたひとり娘だというのに、こんなことになってしまうだなんて……いったい、どこで育て方を間違まちがえたのでしょう。ああ、ご先祖さま、お許しください」

 もし、その場にエルがいれば全身で『やめてよ!』と叫んだにちがいないことに、アンナはご先祖たちの肖像しょうぞうに手を合わせてあやまった。

 『娘に反抗されたあわれな母親』という自分の立場にっているかのように、目には大粒おおつぶの涙が浮いていた。

 「こうしてはいられませんわ。部屋に行ってわたしが話してきます」

 「ならん!」

 「あなた⁉」

 「そんなことをすれば調子づかせるばかりだ。向こうからびてくるまで放っておけ」

 「そんな! それではあんまりですわ。あんなに元気のいい、外を飛びまわるのが大好きな子をずっと部屋のなかに閉じ込めておくなんて……」

 「わかっておる。あれがそんな仕打ちに耐えられないことはな。近いうちに必ず向こうから折れてくる。それまでの辛抱しんぼうだ」

 ニールはそう言うとテーブルの上の小さなベルを手にとった。手慣れた様子でベルを鳴らす。

 「お呼びでしょうか」

 白いエプロンドレスに白いカチューシャという格好のナースメイドが現れた。

 もともとは下界げかいの出で、田舎いなかの大家族の長女として生まれ、幼い頃から弟妹ていまいたちの面倒めんどうを見てきた。 『この子ならどこかのお屋敷やしきつとめて、ぼっちゃんじょうちゃんの世話係としてかせげるはずだ』

 そう考えた両親の売り込みで、エルが生まれたときに世話係としてやとわれることになった。以来、一〇年。たまの里帰りをのぞけば一日も欠かすことなく忠実にエルの世話係をつとめあげてきた。

 ここにきたばかりの頃は空に浮かぶまちおどろいてばかりの初々ういういしい一六歳の少女だったかのも、いまでは立派な『働く女性』である。

 ニールは重々おもおもしい口調くちょうでナースメイドに命じた。

 「エルに朝食ちょうしょくをもっていってやれ」

 「かしこまりました」

 ベテランのナースメイドは一礼いちれいしてキッチンに向かおうとした。その直前、ニールが声をかけた。

 「まて」

 「なんでしょう、ご主人さま?」

 「あれは、お前の作るパンケーキが好きだったな」

 言われてナースメイドはほこらしげに胸を張った。

 「はい。おじょうさまはクリームとベリーをたっぷり乗せたふわふわのパンケーキが大好きでございます」

 「特別に、焼いてもっていってやれ」

 「はい」

 「……山盛りだぞ」

 そう仏頂面ぶっちょうづらで付け加える主人の態度に、ナースメイドはこっそり微笑ほほえましい微笑びしょうを浮かべた。

 パンケーキを焼く甘い香りがキッチンから漂いはじめた。やがて、その香りは階段かいだんをのぼり、エルの部屋の前へと移動していった。

 その頃にはエルの両親もテーブルにつき、朝食ちょうしょくをとっていた。

 ニールはいつも通り、威厳いげんたっぷりに。アンナもどうにかおちついたらしく、上流じょうりゅう階級かいきゅうのマダムらしい洗練せんれんされた優雅ゆうが仕種しぐさで。しかし――。

 静かな朝食ちょうしょくのひとときはけたたましいナースメイドの悲鳴によってたたき壊された。

 「きゃああああっ!」

 叫びとともにゴロゴロと雷が鳴るような音がした。

 ニールはその声がした瞬間しゅんかんに立ちあがり、壁にかけてあった剣を手に駆けつけた。そのあたりはさすがに武門の一族。ただいばっているだけの貴族とはわけがちがう、『戦士』を意味する名前にふさわしい機敏きびんさだった。

 「どうした⁉」

 叫ぶニールの前でナースメイドが文字通り転げ落ちてきた。一階の廊下ろうかまで落ちて、何度か転がってようやくとまる。転がった勢いのままに立ちあがり、両手を振って説明する。

 顔面は蒼白そうはくで、文字通り『あわった』表情。

 主人相手だというのにつばを飛ばしての説明だったが、そんなことを気にしている余裕はない。もちろん、つばをかけられた方もそんなことを気にしている場合ではなかった。

 「い、いません! おじょうさまが部屋にいないんです!」

 「なんだと⁉」

 ナースメイドの叫びにニールは叫び、アンナは卒倒そっとうしかける。

 「そんなはずはあるまい! あれだけ厳重げんじゅうに閉じ込めておいたのだ。いくらあれでも抜け出すことなど……」

 「でも、いないんです、お部屋のどこにも……」

 その言葉に――。

 アンナは今度こそ貧血ひんけつを起こして倒れ込んだ。お付きの侍女じじょがあわてて駆けより、介抱かいほうする。

 ニールは飛ぶような勢いで階段かいだんを駆けのぼった。転げ落ちてきたばかりのナースメイドがあわててあとにつづく。

 ニールは階段かいだんを駆けあがった勢いそのままにエルの部屋に飛び込んだ。部屋のなかをくまなく探す。それこそ、カーテンのかげからベッドの下まで。床に引いてあるカーペットまで引きはがして娘の姿を探し求めた。

 しかし、いない。どこにもいない。娘の姿はたしかに部屋のなかのどこにもなかった。

 「誰でもいい! 娘を探せ! 屋敷やしきじゅうを打ち壊してでも娘を探し出せ!」

 その叫びに――。

 屋敷やしきじゅう右往うおう左往さおうの大騒ぎとなった。

 使用人が総出そうで屋敷やしきないをくまなく調べあげ、呼び出された騎士団たちが屋根裏やねうらから地下室、馬小屋にいたるまで、ありとあらゆる場所を調べあげた。一時間ほども徹底てっていした調査ちょうさが行われた。その結果わかったことは――。

 ――エルはこの屋敷やしき敷地しきちないのどこにもいない。

 と言うことだった。

 「バカな、そんなはずはない! あれだけ厳重けんじゅうに閉じ込めておいたのに、どこにも抜け出せるわけがない!」

 娘が前々まえまえから脱出用だっしゅつようの道具をそろえていたことなど知らないニールは、地団駄じだんだんで叫んだ。

 「あなた」

 どなり散らすニールにゾッとするほど静かな声がかけられた。ニールが思わず怒りを忘れ、われに返るほど、それは冷たい声だった。

 妻のアンナだった。

 いつ気がついたのか、貧血ひんけつを起こして倒れていたはずのアンナがそこに立っていた。

 「お、おお、お前か。もういいのか?」

 そう声はかけたものの、アンナのその姿は夫のニールから見てさえ気味悪いほどに落ち着いたものだった。

 アンナはなにかにかれたかのような静かな声で言った。

 「あなた。これはミレシア家の仕業しわざにちがいありません」

 「むっ……」

 言われてニールはまゆをひそめた。それはもちろん、妻の一方的な決めつけを非難ひなんするものではなく、その可能性を認めたためのものだった。

 アンナは静かにつづけた。

 「一〇歳の女の子が厳重げんじゅうに閉じ込められた部屋のなかから自力じりきで抜け出すなどできるはずがありません。ミレシア家のものたちにさらわれたにちがいありません。あのものどもは、わたしたちの大切な娘に手を出したのです」

 妻の言葉にニールもうなずいた。浮かぶ表情はまちあるくチンピラたちが回れ右して逃げ出すほどに剣呑けんのんなものだった。

 「……たしかに。エルが自力じりきで抜け出せるはずがない。そして、ミレシア家のやから以外、が娘をさらうなどという大それた真似まねをするはずがない。妻よ。たしかにお前の言うとおりだ。我々の娘はミレシア家の劣等れっとう種族しゅぞくにさらわれたのだ」

 アンナは大げさな身振りで『母のなげき』をうったえた。

 「おお、あなた! それならば一刻いっこく猶予ゆうよもありません! 早く娘を取り戻さなければ。ご当主とうしゅにお願いして全騎士団を動員どういんしてもらいましょう!」

 「うむ。それがよい。誰か! すぐに馬車を用意せい! ご当主とうしゅのもとに向かうぞ!」

 主人の命令を受けて使用人たちがあわてて馬車を用意するために馬小屋へと駆けていく。

 その足音を聞き流しながら、ニールは地の底のうなりのような低い声でつぶやいた。

 「ミレシア家の劣等れっとう種族しゅぞくどもめ。が娘に手をかけた罪、きさまらの生命いのちで支払わせてやるぞ」

 一方、その同じ頃――。

 広場をはさんでまちの反対側にあるニーニョの屋敷でもそっくりそのままの同じ騒ぎが起きていた。

 ニーニョの屋敷やしきでもやはり、父親の怒声どせいから一日がはじまり、息子が部屋にいないことが判明。父親がどなり、母親が卒倒そっとうし、行方ゆくえ不明ふめいちゃまを探すため、使用人が総出そうてで上へ下への大騒動。やがて、母親が不気味なほどに静かな声でつぶやいた。

 「これは卑劣ひれつうそつきであるダナ家の仕業しわざにちがいありません」

 そして、屋敷やしきで一番、速い馬車が用意され、夫妻はミレシア家当主とうしゅのもとへと駆け込んだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る