一三章 カケオチしてやる!(でっ、カケオチってなんだ? byニ−ニョ)

 そして、エルは自室に放り込まれた。驚いたことに、窓にはしっかりと木の板を打ち付け、開かなくしてある。どなり散らしている間に使用人に命じてやらせていたにちがいない。今度というこんどは親も本気のようだ。

 ニールはおまるを一緒に放り込むと娘に言った。

 「自分からあやまり、言いつけを守る気になるまで、決してこの部屋から出しはせんぞ。それこそ何年でもだ。食事も排泄はいせつもこの部屋でひとりきりで行なうのだ。風呂も禁止だ。我々が根負こんまけするなどとは思わんことだ。覚悟かくごしておけ」

 音高くドアを閉め、かぎをかける。かぎのかかるガチャンという音が自分と世界をへだてる地割れの音のようにエルには聞こえた。

 怒りが冷めないのだろう。ドスドスと貴族らしからぬ乱暴な足音を立てて去っていく。ドアに耳を押しつけるとどなり散らす両親の声がはっきり聞こえた。

 「こんなことになったのも王立アカデミーなどができたからだ。おかげでミレシア家の劣等れっとう種族しゅぞくなどと関わり、おかしくなってしまった」

 「そうですとも。子供の教育は家庭教師をやとい、家ごとに行なうのがダナ家の古きよき伝統。あの子もそうして育てるべきだったのです」

 「その通りだ。それなのに、王家がよけいなお節介せっかいをしてアカデミーなどを作り、そこに子供たちを入学させるようしつこく言うものだからこんなことになったのだ。もう、たくさんだ。アカデミーなどとはえんを切ってやる。なあに、心配はいらん。一族のなかには優秀な家庭教師はいくらでもいる。すぐに選ぶとしよう」

 「ええ、そうですとも。アカデミーなんかに行かせなければ、あの子もきっとえあるダナ家の一員としての心を取り戻しますわ」

 「その通りだ。二度とアカデミーなどには行かせんぞ」

 「ええ、まったくですとも」

 それを聞いてエルは飛び上がった。

 アカデミーをやめさせられる⁉

 これはまったくの一大事だった。サボってばかりだったけどでも、アカデミーがきらいだったわけじゃない。

 授業じゅぎょうはサボるためにある!

 が、信条しんじょうのエル。先生たちを出し抜き、追い駆けっこをするのはスリルがあって楽しかった。やめさせられてしまってはサボることさえできなくなる。

 そして、かわりに家庭教師をつけられ、部屋に閉じこめられ、監視かんしされ、四六時中、勉強させられる。それも、淑女しゅくじょとしてのたしなみやら、何百年も前の詩の読み方なら、そんな面白くもないことばかりをだ!

 「冗談じゃないわ!」

 エルは叫んだ。ドスドスと乱暴に部屋のなかをうろつき回った。小さな体いっぱいに怒りがみちあふれ、とてもじっとしていられない。頭から湯気を吹きあげながら叫ぶ。

 「なんで、あたしがそんな目に合わなくちゃならないの! あたしには自分の人生を生きる権利があるはずよ。こんなのギャクタイだわ、ゴウモンだわ」

 怒りのあまり自分でも意味のよくわからないことを口走る。それぐらい、頭にきていた。なにより、これきりニーニョに会えないというのが我慢がまんならない!

 ――せっかく友だちになったのに、きょうだい分にまでなったのに、どうしておとなの都合つごうであたしたちが会えなくならなきゃいけないの?

 そんなの理不尽りふじんだ。

 エルはそう思う。

 ――だいたい、おとなたちだって何でそんなに仲が悪いのかわかってないんじゃない。先祖代々のシキタリかなにか知らないけど、そんなことにしたがう必要なんてある?

 あるわけがない!

 エルはキッパリと判断した。

 「そうよ。そんなものにしたがう必要なんてないわ。あたしは絶対、フクジュウしたりしないんだから。絶対、出し抜いてやる。このエルさまを思い通りにするなんてできっこないって思い知らせてやるんだから」

 でも、どうしよう?

 どうすれば、おとなたちを出し抜けるんだろう?

 「そうだ! カケオチしよう」

 エルは叫んだ。それはすばらしい考えに思えた。

 『駈け落ち』などという言葉の意味を正確に知っているわけではない。それでも、母親の好きな芝居によく出てくる言葉なので『男と女が一緒に家出する』という意味であることは知っていた。

 ――そう言えば、母さまのとくにお気に入りのお芝居に『いがみ合うふたつの家の娘と息子が恋に落ち、カケオチする』っていうのがあったっけ。いまのあたしとニーニョにピッタリだわ!

 親の無理解に負けずに自分の意志をつらぬき、カケオチする。それは何だか、とてもすてきなことに思えた。新しい冒険の予感にワクワクしてきた。

 ――そうよ。きっとニーニョだって同じことを考えてる。なんたって、きょうだい分なんだから!

 ニーニョと無理やり引きはなされたまちの入り口。そこに行けばきっと会える。そして、もう二度と戻らない。これからはニーニョとふたり、力を合わせて暮らしていくのだ。

 「さあ、そうとなったらこの忌々いまいましい部屋を抜け出さなくちゃね」

 エルは舌なめずりした。窓には木の板が打ち付けられ、ドアにはしっかりとかぎがかけられている。一見、抜け出すなど不可能に思える。でも――。

 「甘いのよね。しっかり閉じこめたつもりでしょうけど、ここはあたしの部屋。一〇年間、暮らしてきた部屋だもの。なにをどうすればいいのかはちゃんとわかってるわ。準備じゅんび万端ばんたん。抜け出すなんて簡単よ」

 言いながらベッドの下から脱出用の道具を詰め込んだ袋を取り出す。

 祭りの場に参加するために部屋を抜け出す準備じゅんびはとっくにしていたのだ。かぎを開けるぐらいなんでもない。

 でも、さすがにもうすこしまったほうがいい。いまはまだ親やメイドたちも起きているだろうし、人の目があるだろう。もう少し時間がたって、みんなが寝静まった頃に行動を開始するのがいい。

 エルはベッドに飛び乗り、大の字になって時をまった。

 もちろん、眠り込んだわけではない。これからの新生活のことを考えていたのだ。なにをしようか、どう暮らしていこうか。考えれば考えるほど素敵に思えてくる。いくらでもすばらしい考えが浮かんできた。あまりにもおもしろかったので時間を忘れて没頭ぼっとうした。

 「さて、そろそろいいかな」

 充分に時間をつぶしてからエルはつぶやいた。爛々らんらんと目を輝かせ、イタズラっぽい笑顔を浮かべながら立ちあがった。

 大きなザックを取り出し、そのなかに着替え一式と毛布を詰め込む。それから、好きな花のたねをいくつかと、それに――。

 「そうそう。これは置いていけないわね」

 言いながら手にとったのは一冊の本。伝説の英雄の冒険を描いた幼児向けの大きな絵本だ。

 エルは幼い頃、この絵本を乳母うばに読んでもらって『いつか自分も冒険の旅に出るんだ』と心に決めたのだ。

 ――そうか。これこそ、その冒険のときなんだ。

 そう思うと無性むしょうにワクワクした。エルの頭のなかではすでにこの屋敷やしきは自分の家ではなかった。両親は生みの親ではなかった。

 ここはあちこちから子供をさらって閉じこめては自由を奪い、世界征服のための兵士として養成ようせいする悪の要塞ようさい。自分はある日、親のもとからさらわれ、ここに連れ込まれたのだ。そして、他の子供たちと一緒に洗脳せんのうされ……。

 でも、自分はそんなものにくっしなかった。自分の意志をもちつづけた。そしていま、ついに待ちにまった脱出だっしゅつの機会がおとずれたのだ。

 見つかれば生命いのちはない。でも、自分は行くのだ。自由のために!

 大きなザックに大切な絵本を詰め込み、背にかついだ。袋のなかから小さな金具かなぐを取り出し、ドアの鍵穴かぎあなに差し込んだ。ピン、と小さな音がしてかぎ首尾しゅびよく開いた。

 「やった!」

 と、エルは小さく叫んだ。

 しょせん、安全な屋敷やしきのなかの、それも子供部屋のかぎ。ごくちゃちな作りで、ちょっとした道具さえあれば誰でも開けられる程度のものなのだ。

 エルは音を立てないよう慎重しんちょうにドアを開けた。もちろん、いきなりドアを開け放して飛び出すような真似まねはしない。そんなことをしてもし、見張りがいれば一発で脱走だっそうがバレてしまう。そんなことになれば……。

 最悪の予想にエルは身をふるわせた。

 ――だいじょうぶ。あたしはそんなドジじゃない。どうすればいいかちゃんとわかってるんだから。

 勉強なんかちっともしなかったけど、古代の英雄伝説は大好きでよく読んでいた。そして、その手の物語にはたいてい、敵にとらわれた英雄たちの脱出だっしゅつシーンがえがかれていたものだ。

 まずはかすかにドアを開ける。誰かが外にいても気付かれない程度に。その隙間すきまから外の様子をじっとうかがう。

 あわてずに、あわてずに。落ち着きが肝心かんじんだ。息を殺して注意深く気配けはいさぐる。誰かがいても決してあわててはいけない。他人の気配けはいがしたら気付かれないようそっとドアを閉める。そして、その誰かがいなくなるまで息を殺してまちつづけるのだ。

 だいじょうぶ。人のいる気配けはいはない。もう少しだけドアを大きく開けた。隙間すきまから頭を出し、暗い廊下ろうか見渡みわたす。

 うん、いいぞ。やっぱり誰もいない。

 ドアを開き、廊下ろうかに出た。静かに閉める。バレるのを少しでも遅らせるようあらためてかぎをかけた。それから廊下ろうかを歩き出す。

 ゆっくり、ゆっくり、差し足、抜き足、忍び足。物音を立てないよう静かにしずかに。物音を立てないように気をつければつけるほど胸がドキドキする。

 あんまりドキドキするのでその音で誰かに気付かれるのではないかと思うぐらい。

 その緊張きんちょうかんがたまらない。

 思わず笑みが浮いていた。

 廊下ろうかを渡り、階段かいだんをおりる。

 だいじょうぶ。誰も出てこない。誰も気付いていない。やっぱり、脱走のタイミングとしては最高だった。

 さんざん心配させてようやく帰ってきた夜遅く。いや、もう明け方だ。東の空は明るくなりはじめていることだろう。そんな時間に脱走だっそうするなんて誰が考える?

 それでなくてもみんな一晩中、捜索そうさくして緊張きんちょうしていたのだ。今頃、その緊張きんちょうから解放かいほうされてぐっすり寝ている。近くで大砲の音が鳴ったって気付きはしないだろう。見つかる心配はない。

 エルは一階におりるとまず厨房ちゅうぼうに向かった。これからの暮らしのために最低限の食器は必要だ。ふたり分のフォークにナイフ、スプーンに皿。お茶をいれるためのポット。

 ああ、それにお湯をわかすためにはヤカンがいるし、料理をするためにはなべが必要だ。小さいのでいいからひとつずつはもっていきたい。

 というわけで、エルは厨房ちゅうぼうにこっそり忍び込むとお目当てのものを拝借はいしゃくした。それからちょっと考え込んで父親がいつも使っている高価な銀のさじを一本だけ頂戴ちょうだいした。これならいざとなったら売ってお金にかえられるだろう。

 もちろん、そんな必要がないのが一番だし、必要なものは自力で調達ちょうたつする自信はあったけど。

 「でも、そなえあればうれいなしってね。無理やりさらわれてきたんだから、これぐらい当然よね」

 と、脳内のうない設定せっていのまま呟いてみる。

 厨房ちゅうぼうには明日の朝食のパンや干し肉、ジャムにバター、ハチミツなどもそろっていた。戸棚とだなのなかにはお金も入っている。食材を買い込むための費用ひようだ。エルはそのことを知っていた。でも、食べ物や現金には一切、手を付けなかった。

 これからはじまるせっかくの新生活。自分たちの力だけで必要なものを手に入れ、暮らしてこそ価値がある。それなのにあまりに色々もっていっては興醒きょうざめだ。あまりにも情けない。

 それに第一、それでは泥棒どろぼうだ。泥棒どろぼうなんてしてはせっかくのほこりりをかけた脱走だっそうげき名誉めいよけがれてしまう。

 だから、エルがザックにつめたのはナイフとフォーク、スプーンが二本ずつ、小さな皿が二枚、それにやっぱり小さなヤカンとなべがひとつずつ。

 それですべてた。最低限、どうしても必要と思えるものだけにした。高価な銀のさじだけは別だけど。

 とにかく、必要なものを手に入れてエルは厨房ちゅうぼうをあとにした。

 玄関げんかんに向かう。

 玄関げんかんはエルの背丈せたけよりずっと高く、そして、そこには当然、かぎがしっかりとかかっている。

 エルの部屋にかかっていたちゃちなかぎとはわけがちがう。誰も侵入できないよう特別に作られた、頑丈がんじょう複雑ふくざつな本物のかぎだ。でも――。

 「かぎって、なかからは簡単に開くものなのよね」

 エルはイタズラっぽく笑うとかぎを開けた。

 音を立てないようそっと開き、外に出た。やはり、音を立てないよう気をつけて静かに閉める。そのとたん――。

 ――やったあっ!

 心のなかで解放感が爆発した。

 これでもうコソコソと抜け出す必要なんてないのだ。思いきり足音を立てて駆け出せる。そうしても、もう誰にもとがめられることはないのだ。

 そうだ、あたしは自由だ!

 その喜びが体のなかで爆発した。駆け出していた。体のなかにエネルギーが満ちあふれて一時だってじっとしていられない。息をはずませて思い切り駆けた。

 思っていた通り、東の空はすでにぼんやりしらみはじめていた。まだ暗いけど月明かりだけに比べればよっほどまし。これならぶつかる心配なしに思い切り駆けていける。

 エルは目指す場所に向かって駆けた。

 空に浮かぶゾディアックのまちと下界をつなぐ坂の入り口に。けれど――。

 駆けているうちにエルの胸に小さな不安のたね芽生めばえた。

 ――本当にニーニョと会えるの?

 ニーニョも同じことを考えるものとばかり思っていた。

 でも、本当にそうだろうか?

 ニーニョはそんなことは考えないかもしれない。おとなしく親にしたがい、もう二度と会わないことをちかってしまったかもしれない。そうなったらどうなる?

 不安は一度、芽生めばえるとどんどん大きくなっていった。もし、そんなことになったら、自分はひとりぼっちになってしまう。家にも帰れない。ひとりきりでどうやって暮らしていけばいい?

 そう思うとさびしさに胸が押しつぶされた。涙が浮かんできた。思いきり頭を振って不吉ふきつな考えを振り払った。

 「そんなはずない……!」

 小さく叫ぶ。

 「ニーニョはそんな子じゃない。絶対、まってくれてる。約束したんだから。きょうだい分になったんだから。ぜったい、ぜったい、あたしと同じことを考えているはずなんだから!」

 そして、エルはやってきた。ニーニョと無理やり引きはなされたまちの入り口へと。ニーニョの姿は――。

 なかった。

 「場所をまちがえたのかな?」

 そう思った。けれど、まちがいない。こここそがつい先ほどニーニョと別れた場所だ。

 「見つからないよう隠れているのかも」

 そう思ってあたりのしげみや路地ろじ《》うらを探した。とうとう声に出して叫んだ。

 「ニーニョ、どこ? あたしよ、エルよ! いるんでしょ、早く姿を見せて!」

 返事はない。あたりは早朝そうちょうの静けさに包まれたままだ。エルはその静寂せいじゃくのなかでただひとり、ポツンと突っ立っていた。

 スンスン、と、泣きじゃくる声がした。

 エルが泣いていた。いつも元気いっぱいで生意気なまいきなエルが。

 ――やっぱり、あたしの勝手な思い込みだったんだ。ニーニョはあたしを選んだりしなかった。親の言いなりになってあたしを捨てたんだ。

 たまらないさびしさと悲しさが押しよせてくる。もう家にも帰れない。ひとりっきりで浮浪児ふろうじとして生きていけなくてはならない。

 どろほこりにまみれ、ボロボロの服をきて、くさにおいをきちらして、店のゴミ箱をあさって生きていくしかないのだ。

 そう思うと自分がとことんみじめでおろかに思えた。そのとき、ふいに声がした。

 「おーい!」

 エルは飛びあがった。それはたしかに聞き覚えのある声、エルがいま一番、聞きたいと願っていた声だった。

 「おーい!」

 また声がした。エルは声のしたほうを振り返った。体よりも大きなザックを背負せおった少年が大きく手を振りながらこちらに向かって走っていた。

 「おーい、エル!」

 「ニーニョ!」

 エルは叫んだ。喜びで体が張り裂けそうになった。

 「よかったあ、やっぱりいてくれたな」

 ニーニョはエルの目前もくぜんまでくると立ちどまった。両膝りょうひざに手をついて息をととのえる。透明とうめいな汗がいっぱいに浮いた顔にまぶしいほどの笑顔を浮かべた。

 「いや、もう、うちの親ったら本当に頑固がんこで、石頭いしあたまで、話にならなくってさ。

 『卑劣ひれつうそつきのダナ家のやからなどと一緒にいるとは!』なんて、どなるんだぜ⁉ 

 だから、おれは言ってやったんだ。

 『エルはそんなやつじゃない、勇敢ゆうかんで正直な勇者だ』ってな。

 けど、親父のやつもしつこくてさ。

 『聖なるミレシア家ともあろうものが不浄ふじょうなるダナ家と付き合うなどあってはならんのだ。今後一切、ダナ家のものと会うことは禁止きんしする』だってさ。

 だから、おれは聞いたんだよ。

 『なんでダナ家が不浄ふじょうなんだよ。ダナ家がなにをしたって言うんだ?』ってな。

 そしたら、親父のやつ、

 『そんなことはしらん。昔から代々、そう伝えられているのだ』だってさ。

 まったく、話にならないよな。なんでそんな昔の人間の言うことをに受けてなくちゃならないんだよ。

 だから、家を飛び出してやったのさ。きっと、エルも同じことを考えると思ったからさ。そしたら、やっぱりだ。おれたちやっぱり、最高のきょうだい分だよ」

 ニーニョはまぶしいほどの笑顔を浮かべた。その笑顔を見たとたん、エルの目に大粒の涙があふれた。ニーニョの首ったまに飛びついていた。両腕で思いきり抱きついた。

 ニーニョは真っ赤になって叫んだ。

 「お、おい、どうしたんだよ?」

 ミレシア家のガキ大将もこんなふうに女の子に抱きつかれたことなんてない。はじめての体験にどうしていいかわからずオロオロするばかり。

 もちろん、逆に抱きしめるとか、気の効いた言葉でなぐさめるとか、そんなことができるはずもない。目を白黒させたまま言うばかりだ。

 「なんだ、なんだ、どうしたんだよ? ははあん、そうか、お前。いざとなったら恐くなったんだろ?」

 「そ、そんなんじゃないわよ!」

 言われてエルもようやくいつもの調子に戻った。もうさびしくなんかない。うん。やっぱり、くち喧嘩げんかのできる相手がいるってすばらしい。

 ニーニョはニンマリとしたみを浮かべた。

 「ふうん、どうだか。おれいがいないもんだからさびしくなってたんじゃないのか? 『捨てられちゃった、どうしよう』なんてさ」

 「そ、そんなことない!」

 「へえ? でも、そのわりに涙でいっぱいだぜ。やれやれ、そんなことで泣くなんてやっぱり、女の子だなあ」

 「ち、ちがうわよ、これは眠くなったからあくびしただけ……」

 かなり苦しい言い訳をしながらエルはこぶしで涙をぬぐった。

 「あたしはただ……あんたがママのオッパイ恋しさに家にじっとしてるんじゃないかと思っただけよ!」

 「なんだと⁉ おれがそんななさけない男だと思ってたのか!」

 「どうだか。男の子って、いくつになっても母親にべったりだって言うじゃない」

 「おれはそんな男じゃない!」

 「じゃあ、あたしとカケオチするのね⁉」

 「もちろんだ!」

 ニーニョは胸を張った。それから、真剣そのものの顔付きでたずねた。

 「でっ、『カケオチ』ってなんだ?」

 エルはフルフルと首を左右に振った。

 「しらない。でも、男と女が一緒に家出して暮らすことをそう言うみたい」

 「そうか。なら、おれたちにピッタリだな」

 「そういうこと」

 「よし、そうとなったらさっそく行動だ。まずは住みかを決めないとな。すぐに見つかるような場所じゃ仕方ないし……」

 「あたし、とっておきの場所をしってるわ! まちをかこむ丘のなかでね。住むのにピッタリのほら穴があるの。仲間のみんなにも教えていない、あたしだけの秘密ひみつ基地きち。そこにいけば誰にも見つかりっこないわ」

 秘密ひみつ基地きち

 その一言にニーニョはふたつの目を輝かせた。

 エルはつづけた。

 「まわりにはウサギや山鳥やまどりがいっぱいいるし、池もある。キノコやハーブもあちこちに生えてるし、キイチゴがいっぱいっている場所だってあるのよ!」

 「そりゃすごい! おれはわな仕掛しかかたを知ってるよ。ナイフのあつかいだって得意とくいだし、りだってうまいもんなんだぜ」

 そこでニーニョは得意とくいげに背にした大きなザックをたたいてみせた。

 「準備はバッチリさ。りなら任せてくれよ」

 「あたしの部屋はいつも鉢植はちうえがいっぱいなの。花を育てられるんだから、きっと野菜だってだいじょうぶよ。ほら穴の近くに畑を作れるわ」

 「うん、そいつはすてきだ。おれたちはおれたちだけの王国の王さまになるんだ!」

 ふたりは話しているうちにどんどん興奮こうふんしてきた。目はキラキラと輝き、身振り手振りを交えてのだい熱演ねつえん。それはなんとも素敵すてきで魅力的なアイディアに思えた。

 おとなたちのいがみあいも、向こうが勝手に押しつけてきたルールもすべて無視して、自分たちの力で、自分たちだけの生活を切り開くのだ!

 持ち前の冒険心が刺激され、ワクワクしてきた。もう、一時だってじっとしていられない。いますぐ実行に移したい!

 「じゃあ、ついてきなさい。あたしの秘密ひみつ基地きちはこっちよ!」

 「ああ、どこまでだって行ってやらあ!」

 そして、ふたりはまちをかこむ丘に向かって駆け出した。

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