一〇章 きょうだい分になろう

 いつまでそうしていただろう。鬱蒼うっそうとした夜の森。歩くものとてなく、足音と言えばときおり、草むらをらしては遠ざかる野ウサギのものぐらい。

 月の光は木々の葉にさえぎられ、あたりは暗闇くらやみ。まるで、目の細かい途方とほうもなく大きなザルをひっくり返し、そのなかに閉じ込められたかのよう。

 誰もいない。そこには本当に誰もいない。いつもいばり散らしてうっとうしい親も、なにかにつけて『勉強しなさい!』と叫んでは捕まえようとする教師も、いかついよろいに身を包み、イタズラなどしようものなら手にしたやりで引っぱたいてやろうと手ぐすね引いている騎士たちも、ここには誰ひとりいないのだ。

 いるのはふたり、ふたりきり。

 たったふたりの子供だけ。

 たったふたりきりの子供はくらな山道にへたり込んだまま泣きつづけていた。

 最初はワアワアと大きくにぎやかだった泣き声がだんだんと小さくなり、スンスンとすすり泣く声にかわっていた。

 その小さくかぼいい、弱々よわよわしい声があるせいで、夜の山道がよけい、さびしいものになっていた。

 ふたつの小さな泣き声がまるで、さびしがりのフクロウの声のように夜の山道にひびいていた。

 ふたつの泣き声のうち、ひとつがとまった。

 ニーニョだった。ニーニョが先に泣きやんだのだ。こぶしで涙をぬぐい、立ちあがった。手を差し伸べた。

 「起きろよ」

 やさしく言った。

 「おれが邪眼じゃがんのバロアなんて大嘘おおうそだよ。岩屋いわやなんて行ったことも見たこともない。こんな所まできたのだってはじめてなんだ。ただ、恐くって、帰りたくって、でも、お前が帰ろうとしないから……だから、ああやっておどせば逃げ帰ると思ったんだ。そうしたら、おれも帰れるって。お前だってそうなんだろう?」

 コクン、と、エルは涙でクシャクシャになった顔でうなずいた。

 「おれがバカだったんだよ。くだらない意地を張ってこんな所まで連れてきて。もう帰ろう。おれたち、充分じゅうぶんよくやったさ。誰も弱虫よわむしだなんて言わないよ」

 「うん……」

 エルは小さくうなずいた。ニーニョの手をとった。その手はおどろくぐらいのやさしいぬくもりにちていた。エルは立ちあがった。涙をぬぐった。それからポツリと言った。

 「……ごめんなさい」

 「なにが?」

 「あたし、あんたにひどいこと言った」

 「いや、こっちこそ卑劣ひれつだの、うそつきだのとさんざん言ったし。あやまるのはこっちだよ。ごめん」

 「ううん。やっぱり、あやまるのはあたしよ。レットウシュゾクなんてひどいこと、何度も言ったもの」

 「あのさ……」

 「なに?」

 ニーニョの問いにエルはキョトンとした顔で答えた。

 ニーニョは真顔で尋ねた。

 「レットウシュゾクって……結局、なに?」

 問われてエルはフルフルと首を横に振った。

 「だから、知らないって」

 「知らないのに言ってたのかよ⁉」

 「だ、だって、しょうがないでしょ! 意味なんてわからないけど、とにかく、父さまがよく言ってたのよ! 『ミレシア家の劣等れっとう種族しゅぞくめが!』って。いつも怒りながら言っていたからたぶん、ひどい意味なんだと思って……」

 「それで、意味も知らずにレットウシュゾク、レットウシュゾクって繰り返してたのかよ」

 ニーニョがさすがにあきれたように言った。

 エルはコクンと頷いた。

 「うん」

 ニーニョはまじまじとエルを見た。

 エルもニーニョを見返した。

 ふたりはしばらくの間、そうして黙って見つめ合っていた。やがて――。

 「ぷぷ……」

 「くくく……」

 「あはははは!」

 「あはははは!」

 今度はそろって笑いだした。

 泣いていたとき以上に顔中をくしゃくしゃにして、お腹を抱えて、それこそ、顔中を口のようにして笑い転げた。

 おかしくて、おかしくて、恐いのや心細こころぼそいのなんて吹っ飛んでしまった。なにがおかしいのかはよくわからなかったけど、とにかくおかしくて仕方がなかった。

 さすがに笑い疲れてへたり込んだ。笑いすぎてハアハアと息を切らしていた。

 それでも、気分はなぜかやたらと爽快そうかいだった。夜のやみも、そのなかに立ち並ぶやせこけた人食い巨人のような木々も、もう怖くもなんともなかった。

 さっきまであんなに怖かったのがうそのよう。いまならバロアの肉体が封じ込められているという岩屋いわやまでだって鼻歌はなうたじりに行けそうだった。

 ……もちろん、そんなバカなことはもうしないけど。

 ニーニョが立ちあがった。尻のあたりをパンパンとはたいた。座り込んだままのエルに手を伸ばそうとして、ふと気付いた。ポケットからハンカチをとりだして――一応、名門めいもん御曹司おんぞうしなのでハンカチぐらいはいつももっている――手をふいた。それからあらためてエルに手を差し出した。

 「さあ、帰ろう」

 「うん」

 エルはうなずいてニーニョの手をとった。

 ニーニョが自分に手を差し出す前に気をつかってハンカチでふいてくれたのがうれしかった。なにしろ、ゾディアック一のおてんば娘にしてガキ大将とあって、いままでこんなふうに淑女しゅくじょみたいなあつかいをされたことはなかったので。

 ――意外といいところあるじゃん。

 と、ちょっとばかり好意をもった。子供でもこんな礼儀れいぎを身につけているなんて、ミレシア家も父さんがいつも言っているほどひどい一族じゃなさそうね……。

 ふたりは並んで夜の山道を帰りはじめた。その手をしっかりとつなぎあったままで。

 「でも、お前、度胸どきょうあるよなあ」

 ニーニョが感心した声をあげた。

 「まさか、こんなとこまでついてくるとは思わなかったよ」

 「あんたこそ。すぐに逃げ帰ると思ってたのに最後まで意地を張ってたもんね。大したもんだわ」

 「そうだよな。おれたちは勇者だ」

 「そうよ。正真しょうしん正銘しょうめい、本物の勇者」

 さきほどまでの不安と恐怖もどこへやら。ふたりは堂々と、ほこらしげに胸を張った。

 「そうだ! おれたち、きょうだい分にならないか?」

 「きょうだい分?」

 「そうさ。おれたちが手をめば無敵だぜ。デイモンの大群がきたって追っ払ってやれるさ」

 「素敵! でも、どっちが上?」

 「もちろん、おれが兄貴に決まってるだろ」

 「なんで決まってるのよ。あんた、いつの生まれ?」

 「一〇月二八日。クルミの日さ。つまり、おれはなにかを立派に成し遂げることのできる人間なんだ」

 ニーニョは誇らしげに胸をそらした。

 ニーニョが言ったのは、古代から伝わる『ツリーサークル』、木のカレンダーのことだ。

 一年を三五の月と四つのシーズンにわけ、それぞれに守護しゅごじゅがおかれている。それぞれの時期に生まれた人はそれぞれの守護しゅごじゅ影響えいきょうを受け、一定の資質ししつさずけられるという。

 たとえば、ブナの日に生まれた人間は辛抱しんぼうづよく、きびしい試練しれんえ、いつの日か芽を出す。リンゴの日に生まれた人間は善と悪の仲立なかだちをし、進んで他人の援助えんじょをする……などなど。

 クルミは四月二一日から四月三〇日まで、そして、一〇月二四日から一一月一一日までの守護しゅごじゅ。この時期に生まれた人は人生の楽しみを捕まえ、それを守ることに情熱をかたむけると言われる。また、大地に根をおろした生き方をし、とてもねばりづよくく、なにかをそうするときは立派にやり遂げるとも言われている。

 「あたしは八月二日。イトスギの日の生まれよ」

 エルは張り合って言い返した。

 「イトスギの日に生まれた人間は、勇敢ゆうかんで不幸にあってもくじけない。独立どくりつしんが強く、行動的って言われてるんだから」

 フン! とばかりにエルは胸をそらした。

 「あたしの方が先に生まれたんだから、あたしがお姉さんよ」

 「生まれじゅんなんて関係ない! おれは男なんだから、おれが先に立つのが当然だ」

 「なんで男が先に立つのか当然なのよ!」

 「男の方がえらいからだ! 昔からそう決まってるんだよ」

 「この時代遅れの石頭いしあたま! あんたなんかいつか、飛行機レースでコテンパンにしてやるんだから」

 「言ったな、おてんば! おれこそグウのも出ないぐらい、負かしてやるからな!」

 ふたりはまたもくち喧嘩げんかをはじめた。でも、今度は、どんなに激しくどなりあってもその手はしっかりとつながれたまま。

 ふたつの手がほどかれることはなかった。手と手を握りあわせたまま、ピッタリとよりそったままだ。

 山道は相変わらず暗かったし、フクロウの鳴き声やしげみのなかからの不気味ぶきみな音も聞こえていた。でも――。

 もうちっとも恐くなかった。自分の手のなかにあるぬくもり。こうしてつなぎあえる手があるかぎり、なにも恐れる必要はない。ふたりはそのことを本能で悟っていた。

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