八章 《バロアの丘》

 《バロアの丘》に行く。

 その一言に――。

 子供たちの悲鳴ひめいが響いた。

 悲鳴ひめいをあげたのはエルの仲間たちだけではなかった。ニーニョの仲間たちもだった。女の子たちなど顔を真っ青にして両手を口に当ててふるえている。

 エルでさえ、いつも元気いっぱいで恐いもの知らずのおてんば娘でさえ、息をみ、ニーニョの正気をうたぐった。それぐらい、ゾディアックの住人にとって《バロアの丘》とは恐ろしい場所だった。

 「あんた、正気⁉ なに言ってんの? あそこがどういう場所かわかってんの?」

 「もちろん」

 と、ニーニョは胸を張った。口元に優越ゆうえつかんに満ちた笑みが浮いている。

 ――こいつは《バロアの丘》を怖がっている。でも、おれは怖がってない。おれの勝ちだ。

 エルの態度がニーニョにそう確信させていた。

 「ゾディアックのまちからのびる三本の坂。そのうち、真南に下る坂の先にある小高い丘さ。その山道は七つに折り曲げた渦巻きの形をしていて簡単にはのぼれない迷路になっている。そして、その頂上には小さな岩屋いわやがある。ゾディアックのまちと一緒に作られたと言われ、出口もなければ、入り口もない。この三〇〇年、一度だって開いたことのない岩屋いわやさ。そして、そのなかには……」

 ニーニョはニヤニヤ笑いながら声をひそめた。自分の言葉でダナ家の生意気なまいき小娘こむすめが怯えている。そのことに対する優越ゆうえつかんに満ちた笑みだ。

 ゴクリ、と、エルはつばを飲み込んだ。震える声で言った。

 「邪眼じゃがんのバロアの肉体が封じ込められている……」

 「そうさ」

 と、ニーニョ。会心の笑みを浮かべる。

 「魔王エーバントニアによって心臓を体から取り出され、永遠の眠りにつかされたデイモンの首領しゅりょう邪眼じゃがんのバロア。そのバロアを封じ込めておくためにきずかれたのが《バロアの丘》。

 そこにはいまもバロアの肉体が眠っている。しかも、完全に眠っているわけじゃない。岩屋いわやのなかに封じられたいまもまだかすかに起きている。そして、言っているんだ。

 『心臓を返せ、心臓を返せ』ってな。

 《バロアの丘》にのぼると、どこからともなくそうささやく声が聞こえるっていう……」

 エルをのぞく女の子たちが小さく悲鳴ひめいをあげた。耳を押さえてうずくまる。男の子たちでさえ泣きだしそうな顔をして逃げたそうにしている。

 邪眼じゃがんのバロアとはゾディアックの住人にとってはそれほどの恐怖だった。

 なにしろ、物心つく前からその暴虐ぼうぎゃくいろどられた伝説を聞かされ、『いい子にしないと邪眼じゃがんのバロアのところに連れて行くよ!』と言われて育ってきたのだ。ゾディアックの人々にとって邪眼じゃがんのバロアの存在は単なる伝説などではなく、まぎれもなく『いま、そこにある』生々しい現実の恐怖だった。

 エルだって本音を言えば邪眼じゃがんのバロアの名前なんて聞きたくない。できることなら他の女の子たちのように悲鳴ひめいをあげ、耳をふさぎ、しゃがみ込みたい。

 でも、だめ。そんなこと、絶対できない。みんなの前でリーダーである自分がそんな格好悪いところは見せられない。リーダーはいつだって堂々として胸を張っていなければならないんだ!

 なにより、ニーニョ。この生意気なまいきなミレシア家の小僧の前で弱みなんて見せられない!

 ともすれば逃げ出そうとする足を押さえつけ、両手を腰に当てる振りをして、尻を思い切りつまむ。その痛みでどうにか心の奥底からき起こる恐怖に対抗する。青ざめた顔で、それでも無理やり笑顔を作り、胸を張って言い返した。

 「そ、その通りね。山道が簡単にはのぼれない迷路になっているのもそのため。へたに近付くと邪眼じゃがんのバロアに心を乗っ取られ、思い通りに動く人形にされてしまうから……」

 「そうさ。お前たち卑劣ひれつうそつきのダナ家の連中ならそうなる」

 「あんたはちがうとでも言うの?」

 「もちろんさ。なんたっておれはドルイム・ナ・テインを救った英雄、マッキンファーレイの末裔まつえいたる聖なるミレシアの一族なんだ。そんな声に負けるもんか」

 「ふん。口だけならなんだって言えるわ」

 「だから、実際に《バロアの丘》に行って証明してやろうってんじゃないか」

 「どうする気?」

 「岩屋のなかに入る」

 「岩屋のなかに⁉」

 さしものエルが飛びあがった。大声で叫んだ。

 「そんなことできるわけないじゃない! 岩屋には出口も入り口もなくて、誰も入れないのよ⁉」

 「お前たち、卑劣ひれつうそつきなダナ家の連中ならそうだろうさ。けど、おれは聖なるミレシアの一族だ。その場に行けばきっと、岩屋いわやのほうから開いて迎え入れてくれるさ。そして、眠っているバロアの邪眼じゃがんくいを突き立てて殺してやるんだ。

 そうすりゃおれたちミレシア家こそがゾディアックのまちを任された聖なる一族だってことがお前にもわかるだろう。ああ、もちろん、恐いならこなくていいぜ。卑劣ひれつうそつきなダナ家の人間なんかが岩屋いわやに近付いたら、たちまちかれちまうだろうからな」

 そう言ってニーニョはせせら笑う。

 その表情を見ているうち、エルの胸のなかでムカムカする思いが込み上げてきた。

 許せない。

 そう思った。邪眼じゃがんのバロアはたしかに恐い。名前だって聞きたくないし、まして近付くなんて絶対、いやだ。でも、それでも――。

 ――こんなやつに、バカにされるのは耐えられない!

 その思いの方がずっと強かった。

 もし、ここで『行かない』なんて言おうものなら自分の負けだ。どんな理由をこねたところでニーニョは『恐くて逃げ出した』と思う。そう言いふらす。そして、これから先ずっと、バカにされつづける。

 『臆病おくびょうもののエル』と言われつづけるのだ!

 エルはニーニョがそうすることをうたぐっていなかった。なぜって、もちかけたのが自分ならそうするから。会うたびに『臆病おくびょうもの』、『弱虫よわむし』ってささやき、見下みくだし、バカにする。

 自分がそうするんだからニーニョだって絶対、同じことをする。そんな毎日には耐えられない!

 「……いいわ。行ってやろうじゃない」

 エルはついにそう言った。震える体を押さえ付けるために両腕を体を抱きしめなくてはならなかった。そうとはっきり見せるわけに行かないので腕組みの格好をした。

 仲間たちが悲鳴ひめいをあげるのが聞こえたけど、エルとしてはそう言うしかなかったのだ。

 その返事にニーニョの表情がかすかにかわった。それはほんの一瞬のことですぐにふてぶてしい笑みに戻ったけど、エルはその変化を見逃さなかった。ニーニョはあの一瞬、たしかに不安と恐怖の表情を浮かべたのだ!

 「へ、へえ、本気かよ? つまらない見栄ならやめといたほうがいいぜ。かれちまったらなんにもならないんだからな」

 今度はニーニョが腕組みした。ふんぞり返って、見下すように言った。でも、エルはもうだまされない。あの不安と恐怖の表情を見たからだ。

 ――本当はこいつこそ恐いんだ。

 そう確信した。

 ――本当は恐いのに意地を張っているだけ。あたしが恐がって逃げ出すと思ってこんなことをもちかけたんだ。でも、おあいにく。あたしはえあるダナの一族。敵を前に逃げたりしないのよ!

 相手の本音が見えた分、エルは余裕をもてた。見下みくだしながら答えた。

 「そんなこと、あるわけないでしょ。なんたってあたしはえあるダナの一族なんだから。この頼りになるお姉さんが一緒についていってあげるわよ。レットウシュゾクのあんたが邪眼じゃがんのバロアにかれたとき、助けてあげるためにね」

 「言ったな! なら、さっそく行こうじゃないか」

 「望むところよ!」

 お互い、もう後には引けなくなっていた。あわてたのは他の子供たちだ。それぞれ自分たちのリーダーを取り囲み、引きはなし、ささやきあう。

 「まってよ、エル! 本気なの?」

 「危ないよ、邪眼じゃがんのバロアのところに行くなんて……」

 「そうだよ。もし、伝説が本当だったら……」

 みんな、不安そうだった。声もふるえているし、いまにも泣きだしそうな表情。

 それを見ているうちにエルは腹が立ってきた。いつも『ハラハラドキドキする冒険がしたい』と言ってついてまわっているくせに、こんなことでビビるなんて!

 実のところ、エルだってみんなに負けずおとらず恐かった。できることなら《バロアの丘》なんかに行かずにすませたかったのだ。弱虫よわむしと思われずに断る方法があれば大喜びでそうしていた。ところが――。

 みんなの恐がっている姿を見ているうちに逆に度胸が座ってしまった。意固地いこじになった、と言ってもいい。反対されるとつらぬきたくなるのは性分しょうぶんだ。ニーニョがどうこういう以前にビビっているみんなを引きつれ、邪眼じゃがんのバロアのもとに行かなければ気がすまなくなっていた。

 エルは仲間をにらみつけるといつも通りの親分口調でしかり飛ばした。

 「なに言ってんの、しっかりしなさい! ミレシア家の小僧なんかにバカにされていいの⁉」

 「で、でも……」

 「あんなの、ただの伝説よ。本当に岩屋いわやのなかに邪眼じゃがんのバロアがいて、起きているって言うなら、とっくになにかしでかしてるはずじゃない。でも、ゾディアックのまちはこの三〇〇年間、なんの危険もなくつづいてきたのよ?

 逆に、もし、伝説が本当なら、ダナ家が魔王エーバントニアからゾディアックを任されたというのも本当ってことよ。つまり、そのダナ家の一員であるあたしには邪眼じゃがんのバロアを封じる力があるってこと。もし、邪眼じゃがんのバロアが起きて悪巧わるだくみをしているなら、あたしがこの手でやっつけてやる。だから、なにも心配することなんかないのよ」

 「でも、《バロアの丘》は遠いし……。いまから行ったら帰るのは真夜中になっちゃうよ」

 「そうよ。第一、子供だけであんなところまで行ったら後でどんなにしかられるか……」

 その言葉に子供たちは一斉いっせいに首をすくめた。

 邪眼じゃがんのバロアも恐いけど、親に怒られるのも恐い。バレたらきっと部屋に閉じ込められたうえ、ご飯もおやつも抜きだ。

 エルはさらに言った。

 「なに言ってんの。邪眼じゃがんのバロアをしとめて帰れば、あたしたちは英雄よ。められこそすれ、怒られたりするわけないじゃない」

 「でも……」

 「でもじゃない! みんな、いつも言ってたじゃない。『ハラハラドキドキする冒険がしたい』って。学校をサボって毎日まいにち、まちのなかを探険していたのはそのためでしょ。いつか、まちを飛び出して本物の冒険をするんだってみんなでちかったじゃない。忘れたの?」

 「忘れてはいないけど……」

 「いまこそ、そのときがきたってことよ。ここで逃げ出したらあたしたちはただの問題児もんだいじ。単に学校がいやで逃げ出していた情けないやつになっちゃうわ。一発ドカンと大きなことをして見せつけてやらないと。でないと、これから先ずっと先生たちにも、他の生徒にもバカにされつづけるわよ。それでもいいの⁉」

 「うっ……」

 エルに一喝いっかつされて子供たちは互いの顔を見合わせた。たしかにそれはいやだ。それに――。

 エルの言葉を聞いているうちに冒険へのあこがれがムクムクと頭をもたげてきた。

 伝説のデイモンの首領しゅりょう邪眼じゃがんのバロア。魔王エーバントニアでさえ殺すことができず、心臓を体から取り出し、永遠の眠りにつけることしかできなかった怪物。

 その怪物を自分たちの手でしとめる。

 それはたしかにゾクゾクする空想だった。

 もし、成し遂げたなら自分たちは英雄だ。ゾディアックのまちを怪物の驚異から永遠に救った勇者としてもてはやされるにちがいない。

 いままで自分たちを『わがまま』だの『身勝手』だのと言ってきた連中だってそんなことは言えなくなる。それどころか、足元に這いつくばらせて靴をみがかせることだってできるのだ。それができたらどんなに気持ちいいだろう。

 その光景を想像して子供たちは未来の栄光にいしれた。

 「……よし、行こう」

 ひとりがついに言った。

 「エルの言う通りだ! ついにおれたちが冒険の旅に出るときがきたんだ。エルと一緒に邪眼じゃがんのバロアをしとめて英雄になろう!」

 「おおっ!」

 と、子供たちの叫びが満ちた。仲間たちのその様子ようすにエルは心から満足した。胸を張り、うなずいた。

 それからニーニョたちの方を見た。どうやらニーニョたちも同じようなやりとりがあったらしい。ニーニョを中心に腕を突きあげ、気勢きせいをあげている。

 ニーニョがのなかから出てきた。エルの前に立った。胸をそびやかした。

 「ようし、それじゃ行くとしようじゃないか。おれたちミレシア家こそが聖なる一族だと思い知らせてやる」

 「こっちの台詞せりふよ」

 ニーニョに負けまいと思いきり、ふんぞり返って答えるエルだった。

 「よおし、それじゃ出発だ。あとでせいぜいづらかくといいさ」

 ニーニョは『ふん!』とばかりにはなをならすと仲間を引き連れて歩きだした。両手両足を大きく振りあげ、大きな声を張りあげて歌いはじめた。


  いろころもせいなるあか

  つよく 気高けだかく いさましく

  まち人々ひとびとまもるため

  くはわれらが白枝しろえだ騎士団きしだん

  くぞ まってろ デイモンめ

  真白ましろけんぷた

  まち人々ひとびとまもるため

  くはわれらが白枝しろえだ騎士団きしだん


 ニーニョと仲間たちの声が重なり、広場中に歌声が響き渡る。エルはその歌声を聞いてムッとなった。自分の仲間に合図し、対抗して歌いはじめた。


  深紅しんくころも太陽たいよう

  ちからめた戦士せんしあか

  あつ血潮ちしおちたるこのけん

  人々ひとびとまもるは赤枝あかえだ騎士団きしだん

  われらがこのにいるかぎり

  ゆび一本いっぽんとてふれさせぬ

  あつ血潮ちしおちたるこのけん

  人々ひとびとまもるは赤枝あかえだ騎士団きしだん


 それぞれの家の進軍歌しんぐんかを唄いながら――。

 二組の子供たちは行進をはじめた。

 絶対なる禁断きんだんの地、《バロアの丘》に向かって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る