五章 《天狼の瞳》

 エルたちはふくろ代わりの古い新聞紙を胸に抱え、熱々あつあつのフライを頬張ほおばりながら歩いていく。

 赤い服を着た騎士が街角まちかどに立っているのが見えた。ダナ家に仕える赤枝あかえだ騎士団きしだんだ。まち治安ちあんを守るため、こうしてまちのあちこちに歩哨ほしょうとして立っているのだ。

 「とまれ!」

 騎士の姿を認めたエルが小さく、鋭く合図する。五人の仲間は石像せきぞうと化したかのように一斉いっせいに立ち止まった。

 「この先に赤枝あかえだ騎士きしがいるわ」

 「あちゃー、ほんとだ」

 「一難いちなん去ってまた一難いちなん、だな。せっかく、頭の固い先生やお節介せっかいなおばさんのの手を逃れてここまできたってのに」

 「見つかったら連れ帰されちゃうわ。そんなのいやよ」

 「おい、エル。赤枝あかえだ騎士きしってお前んつかえてるんだろ? なんとかならないのか?」

 不用意なその言葉にエルは怒りを爆発させた。両手を腰に当て、目をつりあげて発言者につめよった。

 「なに言ってんの! ミレシア家に尻尾しっぽを振る白枝しろえだ騎士団きしだんならいざ知らず、ほまれたか赤枝あかえだ騎士団きしだんがそんな卑怯ひきょうなことをするわけないでしょ! ダナ家の名前が通用するどころか、『貴族の義務!』の一言でよけい、厳しくされるわよ」

 その勢いにさしもの男の子もタジタジだ。

 「わ、わかったよ、そんなに怒らなくってもいいだろ」

 「でも、エル、どうする? このまま進んだら見つかっちゃう」

 「そうね」

 エルはほっそりした指をあごに当てると小首こくびかしげて考え込んだ。それもわずかな間のことですぐに目を輝かせた。

 「よし、こうしよう」

 と、みんなに説明する。仲間たちも大喜びでしたがった。

 エルたちは回れ右をしてもときた方角に走りだした。マンホールを見付けるとみんなでふたをこじ開け、なかに入り込む。ハシゴをおりて底に降り立つと、強烈な匂いをものともせずに下水脇の通路を走りだす。胸にはフィッシュ&チップスの入った新聞紙をしっかりと抱えている。

 エルの頭のなかでは自分はもうレジスタンスの一員だった。情け容赦ようしゃのない非道ひどうな敵に占領せんりょうされたまちのなかで、勇敢ゆうかんにも抵抗ていこうをつづける戦士たちのために食料を届けようとしているのだ。

 誰にも見つかっちゃいけない。

 この貴重な食料を取り上げられるわけにはいかない。

 これはまちを取り戻そうとする勇者たちの力となる食べ物なんだ!

 後ろから追いかけてくる足音が――エルの頭のなかでは――聞こえてくる。

 追いつかれるもんか。ここはあたしの庭なんだ。

 エルは不敵ふてきな笑顔を浮かべて下水道のなかを走り抜ける。複雑ふくざつに入り組んだ地下の迷路めいろまよう心配はなかった。まちの下水がどうつながり、どこにのびているか、エルはそのすべてを知っていた。

 暗闇くらやみのなかを走り抜け、角を曲がり、目当てのマンホールの下にたどりつく。ハシゴをのぼり、ふたを開ける。ふた隙間すきまから入り込む光が目にまぶしい。

 そこは計算通り、中央広場の近くだった。エルと五人の仲間たちは次々とマンホールから姿を出した。まるで、地下に住む小人こびとたちが現われたかのように。

 エルたちはマンホールのふたをきちんと戻すと、思いきり伸びをした。胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 「あ~、やっぱり、外の空気はおいしい!」

 エルは思いきり伸びをしながら言った。

 下水のなかを敵に追われながら逃げるスリルもいいけれど、お日様の下で吸う空気はやっぱり格別かくべつだ。

 下水のなかをさんざん走りまわったのでエルたちはのどかわいていた。屋台やたいを見付けてミルクティーを注文する。

 砂糖とミルクのたっぷり入った甘いお茶で残ったフィッシュ&チップスを胃のなかに流し込む。甘くて暖かいものが胃のなかに入ったおかげでみんな、人心地ついた。そろって満足の吐息といきをもらす。からになった新聞紙をゴミ箱に放り込み、広場のなかへと駆け込んでいく。

 平日の昼間とあって広場に人影はあまりなかった。小さな子供を連れた母親や年配ねんぱいの夫婦が散歩しているぐらい。おかげでエルたちは誰はばかることなく広場のなかを走りまわることができた。

 噴水ふんすいのなかに飛び込んで水をかけ合い、さくやら『立入禁止』の看板やらをものともせずに芝生しばふのなかに入り込み、小石を蹴って追いまわし、草の固まりを投げあった。元気のいい歓声かんせいが広場中にひびきわたる。

 広場の向こうに今度は純白じゅんぱくの服を着た騎士の姿が見えた。

 ミレシア家に仕える白枝しろえだ騎士団きしだんだ。ゾディアックのまちは中央広場をさかいに西半分をダナ家が、東半分をミレシア家が治めている。

 そのため、西側は赤枝あかえだ騎士団きしだん、東側には白枝しろえだ騎士団きしだん警備けいびに当たっているのだ。

 もっとも、迷路めいろのように入り組んだ街道かいどうをもつゾディアックのまちを正確に二分にぶんするのは難しい。おかげでちょくちょく範囲がごっちゃになり、もめ事の種となるのだけど。

 白枝しろえだ騎士きしさわがしい子供の一団に気がついた。顔を向けた。エルとその仲間たちは一斉に『あかんべー』をして駆け出した。

 白枝しろえだ騎士きしはその態度に一瞬いっしゅん、あっけにとられた。それから、われに返ると、頭から湯気ゆげきあげるのと、顔を怒りにゆがませるのと、くやしさに足で地面を踏みつけるのとを同時にやってのけた。

 こんな侮辱ぶじょくは捨ておけない! とっ捕まえて、お仕置きして、騎士に対する礼儀を叩きこんでやらなければ!

 騎士の名誉とおとなの矜持きょうじ、それに、つね日頃ひごろからまっているダナ家へのうっぷんも交えて、白枝しろえだ騎士きしはエルたちを追いかけはじめた。でも、騎士らしくよろいを身につけ、やりを手にしたじゅう武装ぶそう。そんな重い格好をしていては身軽みがるな子供たちにはとても追いつけない。

 右に左に、飛びはねるように自在に駆けまわる子供たちについて行けずに右往うおう左往さおう。ついには足下ふらふら、息もえ、そのままひっくり返ってしまい、子供たちに笑われる羽目はめになったのだった。

 にっくき白枝しろえだ騎士きしをまんまとやっつけてやったエルたちはますます意気いき軒昂けんこう。高らかに歌など唄いながら広場を進む。

 その様子はまさに凱旋がいせん将軍しょうぐん。態度のでかさは救国きゅうこく英雄えいゆうもかくや、と言うものだった。

 広場の向こうには黄金に輝く神殿しんでんが見えた。その神殿しんでんの屋根の上、小さな楼閣ろうかくのなかで小さなランプが灯っている。

 三〇〇年前、ゾディアックのまちきずかれたときにともされ、以来、一秒たりとも絶えることなく燃やされつづけてきたという聖なる火だ。

 「《天狼てんろうひとみ》かあ」

 と、仲間のひとりが言った。この小さなランプはそう呼ばれていた。

 「おれ、一度でいいからあのランプの火を消してみたいんだよなあ」

 「なに言ってるの! だめよ、そんなことしちゃ。《天狼てんろうひとみ》は三〇〇年前にともされて以来、大事にだいじに守られつづけてきたんだから。ゾディアックの象徴しょうちょうなのよ」

 「そうだよ。いくらなんでもやっちゃいけないことはある。伝説ではあの火が消えるとき、ゾディアックのまちほろびるって言うじゃないか」

 「だけどさあ、三〇〇年も燃やされつづけてきたんだぜ? それが消えたらどんな騒ぎになるか想像しただけでワクワクしないか?」

 「……うっ。それはちょっとするかも」

 もともとが冒険好き、イタズラ好きの子供たち。そう言われると心が動く。それぞれ後ろめたそうな、でも、なにやら期待を込めたような目でお互いの顔を見る。

 「なあ、エル。お前だってそう思うだろう?」

 「たしかにね」

 と、エル。たしかに、それぐらいのことをしでかしておとなたちの鼻をあかしてやるのもおもしろそう。

 「でも、だめ。あたしたちエル冒険隊はゾディアックを守るためにいるのよ。そのゾディアックの象徴しょうちょうを消すことなんて許されないわ」

 エルはキッパリとそう言い切った。リーダーがそう言うのでは仕方がない。仲間たちは残念なような、ホッとしたような表情を浮かべた。

 子供たちは広場を先に進んだ。目の前に二機の人力飛行機が見えてきた。一機は真っ赤、一機は真っ白。一目見てダナ家のものとミレシア家のものとわかるカラーリングがほどこされている。

 仲間のひとりが目を輝かせた。

 「おおっー、もうできてたんだ。今年の新型」

 「楽しみよね。一年に一度の大勝負! 今年はこっちの勝ちよね、エル?」

 「もちろんよ!」

 言われてエルは胸を張った。その顔付きが闘志とうし満々まんまんを通り越して怖いぐらい。

 「ジェニーねえが一年がかりで一所いっしょ懸命けんめい、作りあげたんだもの。ミレシア家のガラクタ飛行機なんかに負けたりしないわ」

 それは年に一度、開かれる真夏の一大イベント。ダナ家とミレシア家がそれぞれ人力飛行機を作りあげ、一族のものから乗り手を選び、ゾディアックのまちを一周する飛行機レースを行なうのだ。

 勝ったほうの飛行機は人々の歓声かんせいを浴びて街中まちなかをパレードし、負けたほうの飛行機は勝った側の手でメチャクチャに壊され、燃やされる。

 もともとは武器をもっての争いを防ぐために考案こうあんされたお祭りだと言うけれど、なにしろ仲が悪い上に血の気の多い連中がそろっているとくる。

 『平和なお祭り』になんてなるはずもなく、応援合戦がエスカレートして、殴るわ、蹴るわの大乱闘になるのは毎年のこと。怪我人はもちろん、死人さえひとりやふたりは出るのが当たり前。

 あまりの激しさに両家の本格的な争いに発展しないよう、毎年この時期には王都から騎士団が駆け付け、警護けいごにあたるほどだ。

 エルは『子供には危ないから』ということで広場のお祭りに参加することは許されていない。部屋の窓からまちの騒ぎを見下ろし、帰ってきたおとなたちから飛行機レースの顛末てんまつを聞くのが精一杯せいいっぱい

 でも、今年はちがう。何がなんでも参加するつもりだ。許してもらえないならこっそり抜け出す。そのための準備を一年前からつづけてきた。

 ――あたしだってもう一〇歳を過ぎたんだから。立派なレディーよ。子供扱いされてお祭りからされる筋合すじあいはないわ。今年はなんとしてもお祭りに参加してにっくきミレシア家の連中をぶっ飛ばしてやるんだから。

 もちろん、いつかは自分が飛行機の乗り手となって、ミレシア家をコテンパンにしてやるつもりだ。

 ……ミレシア家の白い飛行機をぶっちぎって凱旋がいせんする赤い飛行機。人々の歓声かんせいのなか着地する。

 なかから現われたのはうら若き美しい女性、ダナ家のエル。ミレシア家の挑戦をことごとく退しりぞけ、君臨くんりんしつづける無敵の英雄えいゆう。人々の歓呼かんこに笑顔でおたえ、大きく手を振る……。

 その光景を想像してエルは身をふるわせた。エルの空想くうそうを破り、現実に引き戻したのは仲間のひとりの発した声だった。

 「そうこなくっちゃ! へへっー、それじゃ前祝いに一発……」

 と、手近にあった小石をつかみあげ、投げつけようとした。

 「だめ!」

 エルは鋭く叫んだ。腕をのばし、小石をひったくる。

 「勝負がはじまるまでは指一本、ふれちゃだめ! そんなことしたら、ミレシア家の連中のことだもの。『自分たちが負けたのはそのせいだ』とか言い訳するに決まってるわ。言い訳できないよう、堂々と勝負して負かしてやるの」

 「わ、わかってるよ。ちょっとした冗談だよ。そんなに怒ることないだろ」

 と、あまりの剣幕けんまくに押されて、バツが悪そうにもごもご言う。

 「そう。わかればいいの。あたしたちダナ家はミレシア家とはちがうんだから。あくまで堂々と戦うの。いいわね?」

 「おおっ!」

 仲間たちは一斉いっせいに右手をあげてときの声をあげた。

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