四章 ゾディアックの街並みは迷路のように

 校長先生が深刻しんこくな表情でつぶやいていた頃――。

 エルたちは校舎こうしゃを抜け、丘をくだり、ゾディアックの街へと駆け込んでいた。

 エルはゾディアックのまちが大好きだった。三〇〇年前に作られてから一度も変更へんこうされていないという街道かいどうは奇妙なほどにねじ曲がり、まるで迷路のよう。そのなかをすみからすみまで探険してまわるのがエルは大好きだったのだ。

 おとなたちが知らないような細い路地ろじまり、下水道のつながりにいたるまで、このまちでエルの知らないことはない。路地裏ろじうらのどこに野良猫のらねこの一家が住んでいるとか、どこそこの空き家には昔からハトの一族が巣を構えているとか、そんなことまで知っているのだ。なんたって、小さい頃から毎日のように街中まちじゅう探険たんけんしてきたんだから! 

 おとなたちは複雑ふくざつに入り組んだゾディアックの街道かいどうにブウブウ言う。

 無駄に時間がかかるし、迷いやすいし、不便ふべんこの上ない。下界の街のように区画くかく整備せいびして真っすぐな街道かいどうに直すべきだ。

 いつも、そう文句を言っている。

 そんなのナンセンス! 

 エルはそう思う。

 他のまちみたいに、まよいようのない真っすぐな道ばっかりになっちゃったら、この道はどこに通じているんだろう、なんてドキドキすることもできなくなるし、思いがけない発見に出会うこともなくなっちゃうじゃない。

 こんなところにこんなものがあったんだっていう驚きを感じられなくなっちゃう。

 そんなのつまらない。少しぐらい不便ふべんでも、世界は驚きに満ちていなくっちゃ!

 だから、エルは今日も新しい発見を求めてまちのなかを駆けまわる。そんなわけだからもちろん、目的地なんてない。足の向くまま、気の向くまま、まちのなかをメチャクチャに駆けまわる。

 そんなエルたちには街道かいどうさえ意味がない。へいえて他人の家の庭を突っ切って、壁の小さな隙間すきまもぐり込む。

 小さな不法ふほう侵入者しんにゅうしゃの一団に気付いた家主やぬしが怒りの声を張りあげる。でも、そんなのはどこ吹く風。気にせずさっさと通り過ぎる。

 エルたちに行けない場所なんてなかった。エルたちこそ空に浮かぶまちの主人。ゾディアックのまちすべてが自分の庭だった。

 つむじ風のような子供たちの一団が町中を走り抜ける。当然、おとなたちの目にとまる。チョコンと帽子をかぶった男の子のような少女の姿を見かけたおとなが声をあげる。

 「こら、エル! あんたはまたサボって……」

 エルの顔と名前、それに脱走だっそうへきまちの人たちにもすっかりお馴染なじみだ。

 本来、まち二分にぶんする名家めいけであるダナ家の人間ともなれば、まちの人間たちとそうそう馴染なじみであったりするはずがない。

 でも、エルだけは例外れいがい。ゾディアックの住人であれば誰だって、このにぎやかな女の子のことはよく知っている。

 「まちなさい、エル! あんたはかりにもダナ家の人間でしょ。ちゃんと勉強しない!」

 ちょうど洗濯物をしていたたくましいおばさんがスカートとエプロンをたくしあげて追いかけてきた。エルたちは歓声かんせいをあげた。

 街中まちなかでの追い駆けっこがはじまった。

 そのおばさんは胴回りだけではなく腕も足も太かった。家事で鍛えた体力にも自信があった。子供のひとりやふたり、片手でつまんで風呂場に放り込み、ゴシゴシ洗ってやれるのだ。

 でも、なんと言っても相手は風の子のような子供たち。その身軽みがるさにはかなわない。

 路地ろじの行き当たりにぶつかったとみるや次々と壁に飛びつき、乗り越えていく。大柄なおばさんにこの真似はできない。子供たちのひとりなどはわざわざ壁の上に立って尻を叩いてみせたりした。それから舌を出して壁の向こうに飛びおりる。

 追いかけてきたおばさんは頭から湯気を吹き出して怒り狂い、地団駄じだんだんだのだった。

 おばさんの追跡ついせきを振り切ったエルたちは、途中で出くわした屋台やたいでフィッシュ&チップスを山と買い込んだ。

 「おいしい!」

 ためしに一口つまんだ途端、エルは飛びあがって叫んだ。しっかりしているのにくどくない味付けといい、サクッとしたげあがりといい、絶品ぜっぴんだった。

 屋台やたい店主てんしゅはまだ若い男性だった。エルは値踏ねぶみするような視線で店主を見た。

 「お兄さん、見ない顔ね。新顔しんがお?」

 「ああ。ようやく、師匠ししょうからOKが出てね。独立したばかりだよ。今日が記念すべき自分の店の第一日目ってわけ。それにしてもよく、新顔しんがおだってわかったね」

 「そりゃあ、もちろん」

 と、エルは自慢じまんたっぷりに両手に腰を当て、胸を張る。

 「あたしはゾディアック中のファーストフード店の店主てんしゅの顔を覚えているもの」

 「さすが、『ゾディアック案内人』のエルだね」

 まだ若い店主は笑いながらそう言った。

 エルが相変わらず自慢じまんそうにしているだけなので若い店主はとまどったようだった。

 「あれ? なんで君のことを知っているか、聞かないの?」

 その問いにエルは当然と言わんばかりに答えた。

 「そんなの決まってるじゃない。このゾディアックに住んでいる人で、あたしのことを知らない人なんているわけないわ」

 なんとも図々ずうずうしい言い分。ここまでくるといっそすがすがしい。若い店主てんしゅは両手をあげて降参こうさんのポーズをとった。

 「まっ、とにかく、自信もっていいわよ。こんなにおいしいフィッシュ&チップスの屋台なんてゾディアック中探しても、他にないもの。すぐにうわさになってナンバー1屋台になれるわよ。あたしが保証ほしょうする」

 「ゾディアックナンバー1案内人の保証ほしょうとは心強いね。はい、これ」

 と、新しい包みを渡す。

 「サービスしておくから、うちの屋台やたいのこと、宣伝せんでんしといてくれよ」

 「ありがと、お兄さん。大好き!」

 包みを両手に抱えてエルは颯爽さっそうと走り出す。エル冒険隊のメンバーがあとにつづく。若い店主てんしゅは手を振って見送った。

 そこに新しい客がやってきた。『ゾディアックに住んでいる人なら知らないものはない』女の子のことは、遠くから後ろ姿を見ただけでもすぐにわかる。若い店主と客とはダナ家のおてんば娘のことでひとしきり盛りあがったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る