第3話 正しい恋のはじまり
拝啓、遠く異国の地へ嫁がれた姉上。
寒さが厳しくなった今日この頃、如何お過ごしでしょうか。
こちらは先日初雪を観測いたしました。ちらちらと舞う雪の結晶が、大地を薄っすら白く染めていく様は、とても綺麗でした。
最近ではめっきり畑仕事も減り、時折様子を伺ったり、当日使用する野菜を収穫したりする程度です。
そうそう、雪が降る前にフォルが街へ案内をしてくれました。祖国でも街に降りたことが無い私は、直接触れる民達の生き生きとした生活の様子に心躍りました。地平線も見えそうなほどの眼前に広がる田畑を案内された時には興奮が最高潮に達し、王子に「可愛い」と楽しそうにクスクス笑われ少し恥ずかしくもありました。
知っていましたか?農家は城より広大な大地を各家々で管理していると。それを聞いた私が城の畑たちは本当に遊びの範疇なのだと驚愕したものです。あの程度の広さの管理にも大変(それでも楽しいので苦にはなっていませんが)なのに、本物の農家の皆様には驚嘆に値します。ちなみにたまたま現れた大きな猪を、鍬一つで一撃のもと屠った農家の娘には今更驚きません。
さて、最近困ったことがあるのです。男であるにも関わらず、姫として嫁ぎに来たこの国の王子に恋をしてしまいました。国際問題になる前に婚姻回避をしたかったのですが、最近の王子は甘さがましてどんどん離れがたくなり困ってしまいます。少しの段差でも手を取られスマートにエスコートされた時には男なのにドキリと胸が高鳴りました。
このままではいけないので、これ以上好きになる前に、嫌われないように婚姻回避をする知恵をお貸しください。
PS。最近第一子がお生まれになったそうですね。遠い地の為直接言祝げないことが残念でなりません。
こちらが落ち着いたら、ぜひお伺いさせてください。
「姫様。そのような事は独白でなく、直接お手紙にしたためてください」
「にゃああ!?
侍女!?だから独白を読まないで!それに私がもにょもにょ(男)ということが検閲でばれたら大変だから書けないでしょ!?」
「左様でございますね。至らず申し訳ありません」
「その謝罪は前者に対して?後者に対して?それとも両方に対して?」
「もちろん後者にございます」
したり顔で頷かれた。最近侍女が優しくない気がする。というより面白がられている。確実に。
「もういいです。それなら侍女が知恵をだして」
ぷんとむくれてそっぽを向くと背後の侍女が「最近の姫様が可愛くてつらい」とかのたまわっている。むしろ最近の君の壊れ具合の方が心配でつらいよ。
それにしても最近侍女との接触が増えたのでいい加減「侍女」だと誰が誰だかわからなくなる。たしか、侍女頭で普段から傍に付いて心を読む侍女は「エイ」。その背後に控える最近言動と行動が壊れつつある侍女が「シィ」。普段入り口に控えて以前野盗狩りに付いてきた護衛騎士が「ビー」といった筈。その他の者はたまに交代で変わるくらいでここまで接点がないから、取り合えず彼らだけはこれから名前で呼ぶかな。
「それでエイ。何か案はある?」
さっそく名前で呼んでみると、私の髪を整えていたエイは目を見開き固まり、その手から櫛を落とす。
あれ?名前呼び駄目だったかな。
「姫様。急に名前を呼ぶのは卑怯ですよ」
頬を染め反芻するように目をゆっくり閉じている所を見ると嫌ではないのだろうけど、卑怯ってなんで?
そして横でエイの補佐をしていたシィよ、何故そのような嫉妬に身をやつした敵意の目をエイに向けるだ。
「何か駄目だったのかなぁ。どう思う?シィ」
首を傾げて鏡越しにシィに聞くと、一転して太陽すらしのぐ程の満面の笑顔を見せる。両手を握りしめ悦に入り咽び泣いている。
二人とも戻ってきてほしい。
「申し訳ありません。全くダメではございませんとも。ええ。急だったもので心の準備がなかったので虚を突かれ感動しすぎただけです。名を呼ばれる誉れは仲間内で自慢いたします」
え。名前ってそんなに大事な事だった?ごめん。今まで役職で読んでて。だって、みんな陛下とか殿下とか閣下とか騎士団長とか役職で呼んでいる人ばかりだったから、気にした事なかったんだよ。
でも、確かにこの国の人たちは総じて名前や愛称で呼び合っている事ばかりで、侍女達が羨ましそうにしていたな。これからは他の人たちもなるべく名前で呼ぶことにしよう。
「ねぇ、エイ、シィ。話を戻したいのだけれど」
「そうでしたね。いい知恵……ですか」
気を取り直したエイは、落ちた櫛を片付けて新しい櫛で髪をすかしてくれる。
シィは未だに夢見心地だ。しばらく帰ってきそうにない。
「好意に関しましては、嫌いなところを探すですとか、他の方に新たな恋を見出すですとか……。
もう一つの方に関しましては、今はまだ良い案が浮かびません」
「ありがとう。まずは嫌いなところね……」
フォルの嫌なところか。最初は格好良さに嫉妬を感じたものだけれど、最近はそこが好意を加速させているし。言動も行動も嫌味なく、むしろ甘い。蕩ける様な笑顔は胸を熱くする。
「……格好良すぎて嫌なところが思いつかないのが嫌……とか?」
「それでは駄目でしょう」
「ですよねー」
でも現状思いつかないので、次の案に移る事にする。
「でもフォル殿下にもいきなり恋に落ちているのよ?ほかの方に恋する方法がわからないわ」
「では手始めにドゥナフォルト殿下に似た女性と仲良くなるところから始めてみてはいかがでしょう」
「そうね。そうするわ」
でも、似た方がそう簡単に見つかるかしら。フォルには兄弟姉妹はいないし、親戚に年の近いご令嬢がいらっしゃらないか聞いてみよう。姫と思わている私がご令嬢と仲良くしたいと言っても不信にはならないでしょう。
普段着用の落ち着いた色合いのドレスに着替え終えた私は、早速フォルの元へと向かう。
今は農家と猟師と漁師の代表の方々と応接室にて会合が行われているとのなので時間がかかりそう。仕方がないので王妃の元へ聞きに行くことにする。王妃ならこの時間は庭園にてお茶を嗜んでいるころだろう。庭園からは城下町を見る事出来るので私もお気に入りの場所だ。案の定王妃はそこにいた。誤算だったのは、王によく似たご婦人も共にいたことだ。踏み入るのを躊躇していたら、王妃に気付かれた。
「まあ。おはよう、アン」
最近は王も王妃も愛称で呼んでくれる。お客様方がいらしても、そこは変わらないらしい。
「おはようございます。フォリステレサ王妃」
「あら、いつもみたいにリサお義母さんと呼んでほしいわ」
いえいえ。お客様の前でそれはどうなのだろう。ほら、ご婦人がこちらをじっと見ていますよ。
「リサ。この方が例の隣国のお姫様ね。是非とも紹介して欲しいわ」
あ。お客様も気安い方でしたか。そうですよね。明らかにこの国の方ですし。王に似ていらっしゃるし。親族関係ですよね。気安いのはお国柄ですものね。
おいでおいでと手招きされたので、静々と傍に拠る。椅子に促されたので着席すると、温かい飲み物が差し出される。ありがたい。今日は日差しが強く比較的暖かいとはいえ、冬の空気は寒いのです。ちなみに近くには暖炉が設置されています。暖炉の中には王妃が入れたであろうパンとお芋が焼かれている。焼き芋はおいしい。
「アンジュ姫よ。私の自慢の義娘なの。
アン。こちらニオのお姉さまのドゥーチェリア様。外務大臣に嫁がれているのよ」
紹介されて驚いた。ではこの方の旦那様が我が国との冷戦交渉に来られた使節団の方。兄上によると、とても油断ならない方だとか。どう油断できないのかはお聞きしても冷や汗をかいてはぐらかされましたけれど。
「お初にお目にかかれて光栄ですわ。外務大臣といえば冷戦協定の立役者ですもの」
「ふふ。大した人じゃないのよ。戦う暇があるなら釣りをしたいとつい最近も、隣国にできた釣り仲間と内緒で出かけてしまったのよ」
コロコロと鈴が鳴くように笑われて戸惑うばかりだ。魚の一匹も釣れずに帰ってきて一晩外に放置したと言われて、祖国で聞いていた使節の方と結びつかなくなる。というより大臣って身分ある人だよね。いいの?そんなので。
「ま、いいじゃない。殿方の事は置いときましょ。
それより何か用があって来られたのではなくて」
「そうなのですけれど」
この人の底知れない恐怖に身をすくめていたら、王妃が両手を軽く合わせて「そうよね」と話を促される。
う~ん。親族の方だし、ここで言ってもいいか。
「この国に訪れてずいぶん経ちました。しかし、未だに同年代の同性の方とお知り合いになれていなせん。
ですのでどなたか、できればご親戚の方の方がよいのですけれども、良いご令嬢を紹介いただけないかと思いまして」
「あらあら、それもそうね。それに確かにはじめは身近な人の方が安心よね」
頬に手を当てて可愛らしく首を傾げる王妃。
「なんだ、それならうちの娘がうってつけじゃない。
年も近いし、フォルとは従姉同士なんだからこれから接点も増えるだろうし」
「そうね。それがいいわ」
拍子抜けするくらい簡単に話が進んだ。確かに王によく似たこの方の娘ならフォルにも似ていそうだ。
「ではぜひお願いいたします」
頭を下げてお願いすると。ニヤリと笑まれた。なぜだ。
「いいねぇ。私もこんな嫋やかな娘が欲しいよ」
はい?お宅様の娘様は令嬢らしくいらっしゃらないのですか?
ちらりと王妃を伺うと、可笑しそうに笑われている。
「ふふふ。あの子は嫋やかというより、勇ましいものね」
あ、ご令嬢も漏れずにこの国使用ですか。そうですか。
いやまあ、その方がよりフォルに近くて恋に落ちやすいかも。
「まあね、どうしてああ育ったんだか。
ねえ、アン。ちょっと私の事チェリお姉さまって呼んでみてくれない?」
はい?お姉さまって年じゃないのでは……。あれ、エイの目が女性はみんな娘だと訴えている。逆らわない方がよさそうだ。
「チェリお姉さま?」
上目遣いに恐る恐る呼んでみると豪快に喜ばれた。テーブルをバンバンたたいているので振動で揺れている。
「いいじゃないか。よし、これからはそう読んどくれ!」
決定事項ですかそうですかわかりました。
それから私たちは他愛もない話、主に私の事を聞かれたので差しさわりのないことだけ答えてその場はお開きになった。件のご令嬢は後日日程を合わせてご紹介くださることになった。
チェリお姉さまとの邂逅から早いもので、一日が過ぎた今日。
話を聞いたチェリお姉さまの娘が是非ともすぐに会いたいと話に乗り気になってくださり、その日のうちに馳せ参じようとまでして頂けたとか。こちらの都合の確認も必要だろうとあちらの執事に止められたようだけれど。
けれども私としても早くお会いしたかったので、今日お会いすることとなったのです。
「どのようなご令嬢なのか楽しみね」
「左様でございますね姫様」
予定の時刻になったので、待ち合わせ場所の談話室へ行く。心持早足になってしまうのは楽しみにしていたので許してほしい。
談話室に入ると、すでに王妃とチェリお姉さま、それに初めて見る迫力美人がソファに座りくつろいでいた。
遅れてしまったのだろうかとエイに確認をするとそんなことはないようだ。彼女たちが早めについただけだろう。
「おまたせいたしましわ。アンジュでございます」
声をかけて迫力美人の傍まで寄ると、美人はニコリと笑んで立ち上がる。そのピンと背筋の張った立ち姿は、美しい容姿と相まって眼福だ。絵師を呼んで永久保存をしたい。
美人の相貌は希望通りにフォルと似ていたために胸が高鳴る。だからこそ彼女がフォルの従姉殿なのだろうと確信して近づいたのだけれども。
これはいけるのではないか。ただしく女性の彼女に恋心が移譲すればフォルと離れる寂しさは減るだろう。さらに内密に秘密を打ち明けちゃったりなんかしちゃって、実は両想いだったりして愛の逃避行なんかもいいかもしれない。昔と違って自給自足も出来ちゃうのではないだろうか。南の島で二人夕日を背にとか。
「こんにちは。お初にお目にかかる。私はファリステルという。気軽にファーさんとでも呼んでくれ」
片膝ついた迫力美人に恭しく片手を取られて想像の淵から戻ったが最後のは笑うところだろうか。途中までは騎士のように格好良く流れる動作だったけれど、チャーミングにウィンクをされて気が抜けてしまう。流石にファーさんはハードルが高いのでファルと呼ばせていただこう。
ファルは立ち上がる前に「ちゅ」と手の甲にキスを落とした。そしてビキンと見事に固まってしまう。美人に「ちゅ」された。フォルにも兄上達にもされたことないのに、勿論ほかの殿方となどは論外だ。それがまさかのご令嬢にされるなど誰にも想像などできないだろう。少なくとも祖国ではやらない。ぜったいやらない。おそらく。城から出たことないから周囲の話を聞きかじる程度だったけれどやらないはず。
「ふぁ、ふぁ、ふぁ」
「ふぁ?」
口が上手く動かせず同じ言葉を連呼してしまうと、ファルが首を傾げて同じ言葉を繰り返す。
「ふぁーさん!?オンナノコヤラナイちゅはオトコノコスル騎士チカイ。ハレンチヨ!?」
混乱してしどろもどろにあたふたと伝えると、苦笑して立ち上がるファル。
「恥ずかしがり屋さんだね。可愛い」
片手が私の顎に添えられて、持ち上げられ目と目があう。そして妖艶な笑みを作って色気を駄々洩れさせて言う。
背後のシィが「あれは伝説のアゴクイ!」とか呟いているが、それをかまう余裕はない。
顔が熱くなるのが確認できたので、あわてて、でも失礼にならない様に後退る。
「ファル。祖国では女性はお淑やかに振舞うものなのですっ。この国の方はそうではないのは理解しておりますっ。お言葉使いは慣れはしたけれど、流石に行動まで雄々しいのは慣れていませんのっ」
「おや、それは失礼。
あまりに可愛かったものだからつい」
おどけて舌を出すさままで妖艶で美しいとはどういうことだ。眼福である。離れたことで落ち着きも取り戻したしこのパーソナルスペースは維持したい。
「それよりも悲しいよ。アン。最初にふぁーさんと読んでくれたのに、なぜファルに直すんだい?」
「びっくりして頭が働かなかったからついですわ。正気の状態では私には恥ずかしくて少し難しいですわ」
軽くほおを膨らませて、ぷんとそっぽを向く。
「じゃぁ仲良くなって呼んでもらえるよう努力するとしよう」
にこやかに白い歯を煌めかせて言ってきたけど、キラキラエフェクトはフォルの親族間では標準装備なのだろうか。でも仲良くはなりたいので、その申し出は正直物凄く嬉しい。
「あら、それは楽しみですわ」
コロコロ笑って了承の意を述べると、ファルは目をパチクリさせて次いで目を細めて嬉しそうに笑む。
「本当に可愛らしい。オルにくれてやるのはもったいないね」
「まあ」
本当にぜひそうして下さい。期待を込めて見つめる。可愛らしく両手を合わせるのもわすれない。
「あらあらまあまあ。良かったわ二人とも仲良くなれそうで」
「そうだね。取り持つ必要もないようだ。すでに二人の世界を構築している様だよ」
横でソファに寛いで様子を見ていた王妃とチェリお姉さまが、嬉しそうに顔を見合わせて和やかに話している。
おや。王妃様よ、ファルに私が取られてもよいのですか。それはそれで悲しいのだが。
「余裕ですね伯母上。アンをフォルから奪っても良いのですか?」
「あらあら、あの子がそう簡単に手放すとは思えないから大丈夫よ」
不敵に笑うファルとコロコロ笑う王妃だが、別段空気は悪くない。むしろお互い楽しんでいる様だ。 そりゃ、普通に考えたら女性が男性から女性を盗る事など考えないだろうけど。そこを狙う私には障害が無いのはありがたいような眼中にないことへの感傷に浸るような複雑な心境になる。
「ふむ。その余裕崩してみたくなりますね。
ではアン。二人きりでデートでもしようか」
で、で、で、!?でーと!?あの噂の!恋仲同士の男女が手と手をつなぎ一つのグラスを二つのストローで飲みあうキャッキャうふふな、嬉し恥ずかし青春の一ページのやつですか!
で、で、で、でもでも、私達今知り合ったばかりです事よ!?内心悶え狂ってしまうやつですよ!外には出しませんけれど!小さく口に手を当てて驚くに留めますけれど!
「私、でーとは初めてです」
「あら?以前フォルと街に降りなかったかしら」
「?あれは公務でしょう?」
王妃に首を傾げられたけれど、でーとと公務は違うよね。
首を傾げていると、王妃は困ったように笑い、チェリお姉さまとファルは豪快に笑い、背後でエイが遠い目で合掌し、シィが「殿下不憫」と死んだ目で呟いている。なぜだ、解せぬ。
「あの?」
「いやいや、いいんだよアンはそれで」
どうにもわからないので、どうしたものかと声を掛けると、ファルにそう言って笑いながら肩を抱かれる。
うん?良くわからないけれど良いと言うのだから良いのだろう。
若干納得はできないながらも不承不承に頷く。
「じゃあ、初めてのデートは私とどこへ行こうか。行きたいところはあるかい?」
「?でーとは手と手をつなぎ一つのグラスを二つのストローで飲みあう行為を言うのでしょう?」
肩を抱かれたまま軽快に笑うファルに疑問を口にすると、周囲で落雷が起きた。様な気がした。
「ちょっと、失礼。君の侍女をお借りしても?」
なんだと言うのだ。困り眉でそれでも頷くと、ファルはエイを伴いソファ上で笑顔を引きつらせ固まる王妃とチェリお姉さまの元へ行き、円陣を組まれる。疎外感だ。
円陣内では何やら話し合いが行われている。ファルがエイに何事か話し、エイがそれに答え、驚愕の空気がこちらにまで伝わる。だから、疎外感がだね、するわけでね、何故私は仲間に入れて貰えないのだろう。
エイ以外の全員がこちらをちらと見る。何故そんなに可哀そうな子を見る目をするのだ。
ファルが意を決した様子で円陣から離れて、こちらに戻ってきた。
「すまない。私とアンとでデートの定義が違うようだ。良ければ今日は私にエスコートさせて貰えないだろうか」
「まあ、喜んで」
そうか、そうだよね。これだけお国事情が違うのだから、でーとも違うものになるのだろう。そう納得する私を痛ましい顔で見るのはお止しなさいエイよ。
こうして私はファルにエスコートされて馬車に乗ることになった。良かった、乗馬ではなくて。以前のことがあるので乗馬は身構えてしまうから困るところだった。ちなみに二人きりとは言っても護衛騎士は隠れて警護についてくるらしい。そうだよね、こんなに美人だもの何かあっては大変。そう納得していたらエイに「一番心配なのは姫様です」と言われたのは納得できそうもない。この分だとエイもこっそり付いて来そうだ。
馬車に揺られて着いた先は郊外に存在する運河だった。運河は祖国にもないもので存在を知った時に行ってみたいと思ったひとつなので、予期せず来ることが出来て素直に喜ぶ。この運河は山間の湖から流れる川と海とを繋いでいるものを生活用水路として張り巡らしたものらしい。城付近には普通の河川しかないのでその違いにワクワクしてくる。
馬車を降りて運河沿いに建つ白くて可愛らしいカフェテリアに入ると、店員さんにテラスの運河に近い席へ案内してもらう。冬の寒さが身に染みるかと思ったけれど、そこかしこに置かれた達磨ストーブが寒さを和らげてくれている。それでも上着を脱げるほど暖かいわけではないので着たままだで座る。
ファルも座ると定員さんが暖かいお茶を「サービスです」とくれて、メニュー表を手渡される。
といっても、私はカフェテリアに入るのもメニュー表を見るのも初めてなのでどうしたらいいか判らない。困ってファルを見るとファルの持つメニュー表を私に見える向きでテーブルに置き、指で一つ一つ説明してくれる。けれどもそのどれもが祖国の城でもこちらの城でも食したことのないものだったので(後日エイに聞くとカフェならではのお洒落な創作料理と聞いて成程と納得した)、すべてファルに一任する。ファルは店員さんを呼び鈴で呼んで、やってきた店員さんにメニューを見せて指をさしながらいくつか注文をしていく。その注文模様は呪文のようだった。
待っている間運河を眺めていると、時折小さな小舟に乗った人が通っていく。荷物を運んでいるおじさまやおばさまが多いけれど、何も荷物を載せずに人だけが乗っている細長い先が尖ったような小舟も通っていく。
「ファル。あれは何かしら」
「ん?ああ、あれは観光ゴンドラだね。ああして後ろに操舵の者がついて様々な場所を案内したり、馬車の代わりに運河を利用して連れて行ったりしている」
それは楽しそう!でも、どこで乗れるのだろう。キラキラした目でゴンドラが通り過ぎるのを見ていると、ゴンドラに乗っている人が手を振ってくれる。そういう時は手を振り返すと良いとファルに教わり振り返す。向こうも笑顔。私も笑顔だ。何これ楽しい!
ニコニコ、ニコニコしながらゴンドラが来るたびに手を振っていたら、目の前に座るファルが組んだ手の甲に顎を載せて、愛しいものを見る目で私を見つめていた。なんだか気恥ずかしくて頬が赤らむのを感じる。
目のやり場に困っていると丁度飲み物が運ばれてきたのでホッとした。ファルには微笑みながら苦笑されたけれど。美人の微笑み苦笑はやはり美しかったです。眼福。
「まあ、飲み物に何か描いてありますわ」
運ばれてきた飲み物を見ると、可愛いカップに注がれた飲み物は、白いもこもこで覆われていて、そこに茶色く撫子の花が描かれている。
「気に入ってくれたかい?」
「ええ!とっても!
凄いわ、どうやって描かれているのかしら。それにこのもこもこは何で出来ているのかしら」
秘密を知りたくてカップにスプーンを落とすと、可愛く描かれていた撫子が崩れて白いもこもこと混ざってしまった。この世の終わりのように嘆いていると、ファルがくすくすと笑う。
「ひどいわ。私こんなに悲しんでいるのに笑うなんて」
ぷんとむくれ面をそらすと、さらに笑い「ごめんごめん」と謝られる。謝られてもそんなに笑われていたら誠意が見えないのに。
「あまりにも可愛かったから。良ければいつでもここに連れてくるから、そんなに悲しまないで?」
「絶対ですよ?約束ですからね」
また、いつでもこの不思議で可愛い飲み物が飲めるのであれば否やはない。
崩れてしまった撫子は悲しいけれど、また作って貰おうと決めて、今回は諦める。もこもこの正体はファルが教えてくれたので良しとする。
ゆっくりと口に運ぶ度に広がる香りを堪能しながら運河を眺めていた時間は、時間がゆっくりと過ぎていくようでとても落ち着くことが出来た。
飲み終わるころに店員さんがファルに「用意ができました。いつでもどうぞ」といって去っていったけれど、何だろう。一頻り首をひねっていたけど、ファルにカフェの横にある桟橋に連れられると、そこには一隻のゴンドラが止まっていた。何という事でしょう。ファルは私の為にゴンドラの予約をしてくれていたのです!
あまりの嬉しさに、はしたなくも両手を口に当て軽く飛び跳ねてはしゃいでしまいました。ファルに呆れられないといいけれど。はしたない行動に気付いてちらとファルを見ると、笑顔で手を差し出していた。
「お手をどうぞ。アン」
スマートにエスコートしたファルは美人というより格好良かったです。眼福。
キラキラエフェクトの星々に体を貫かれる感覚と眩しさにやられながらもゴンドラに乗り込み隣同士で座ると、操舵者が暖かいブラケットを貸してくれたのでありがたく使わせてもらう。
操舵者の方が操るゴンドラに揺られながら、ゆったりと街をめぐる。この時期の田畑は寂しいものだが麦やお米の季節になると壮大に広がる景色は見事なものらしい。残念ながら今は休耕しているのでそこはスルーして、と思ったら、麦もお米も無いけれど、運河沿いには冬の花々が植えられていてとても綺麗だった。お花を眺めながらもゴンドラはゆったりと進む。農耕地を過ぎると港街に出た。港では漁師や船乗り達が活気にあふれて仕事している。船着き場では屋台船というらしいが泊まっていて興味深く覗いていると、ファルに支持されてゴンドラは屋台に近づいていく。さらに近くで見学できて感動していると、ファルが屋台のおばさまにお金を渡して、代わりに香ばしい香りのお魚を受け取った。どうするのかと思ったら、2本のうちの一本を渡されて戸惑う。
これ、どうしたらいいんだろう。
首を傾げていると、ファルがそのお魚の背に豪快にかぶりついた。成程畑と同じか。瞬時に理解し納得して齧り付くと食べたことが無いくらい新鮮なお魚の味が口いっぱいに広がる。ぴりりと来る塩加減が絶妙だ。お魚もお野菜と同じで鮮度が命なのだと学んだ。夢中で食べている間もゴンドラはゆっくりと進む。このまま海を航海するのかと思ったら、港をぐるりと周り、別の運河の入り口に入っていく。
「ここは何処につながっているのかしら」
「ふふ。それはお楽しみさ」
確かに結末は先に知ってしまうと物語の面白みも欠いてしまうか。納得し運河任せにゆらゆらゆったり進んでいく。進んでいくと壮大な大きくずんぐりむっくりとした建物の前に出る。案内によると、ここは学術図書とのこと。
最近忘れかけていたけれど、ここは農と【学】の国でした。
「この裏には学術都市が広がっているんだ。そこでは生徒と教師が今日も新しい発見に余念がないよ。
オルも趣味と公務の一環でよくここを訪れているから、もしかしたら今日もいるかもね」
「オルとはフォルのことですわよね。最近時折出かけてらしたけれどもしかしたらこちらでしたのね」
「ああ。秋の収穫期も過ぎたから顔を出しているんだろう」
広い敷地のある図書館は端から端までがずいぶん長い。ゆったり揺られて眺めていると、図書館から出てきた人物と目が合う。
「アン!」
言わずと知れた、噂のフォルだ。
私を認め笑顔で手を挙げ呼び、駆け寄る。が、それが急に怪訝な顔になって速度が落ちる。それでも確実にこちらに来て、憮然とした顔でファルを睨んでいる。その顔は殺気だっていてちょっと怖い。
「なんでアルがいるんだ」
「おや。何かおかしいかい?」
不敵に笑うファルが私の肩を抱き寄せてる。私は急に重くなった空気にタジタジである。取り合えず口を挟める雰囲気では無いので黙って見守ることにする。
「なんでアルがアンと共にいる!?」
「それは伯母上にご紹介いただいたからだね」
「なんだと!?その手で来たか!アルだけには会わせないようにしていたのにっ」
「はっはっは。残念だが、これはアンからの申し出だよ」
「なっ、どういうことだい?アン」
殺気駄々洩れだった気配を一瞬のうちに消して、悲しみに打ちひしがれた顔で聞いてくるが。
「あの、なにかいけなかった?
わたしはただ同年代のお友達(という名の新しい恋候補)を作りたくて、リサお義母さんとチェリお姉さまにご紹介頂いたのだけれど」
「ちっ。伯母上の仕業か!!」
吐き捨てられました。こんなに荒ぶるフォルを見るのは初めてだ。
「爪が甘いのだよ。もっとも紹介されなくとも自ら会いに行くつもりだったがね」
「来るな!?」
悲鳴のように叫ばれるけれどこの二人従姉弟同士だよね。何故こうもフォルは嫌がっているのだろう。
「フォル、駄目だった?」
「!?アンは駄目じゃないよ!」
「では何故そんなに怖い顔をなさるの?」
身をすくめてファルにしがみ付き困った顔の上目遣いで問うと、フォルは息を詰めて絶望を感じたかのように蒼褪める。批難している訳ではないから、蒼褪められて申し訳なく思う。
「そこの操舵者よ、私も乗せて貰えないか」
「乗せてやりたいのは山々だがね、こっちも客商売だ。お客さんが否と言えば例え王子でも乗せれないよ」
凄いこの人一国の王子に言い切った。
驚愕で目を見開き感動と羨望でじっくりと見てしまう。これ、祖国でやったら即不敬罪で捕まるよ。
「わたしは構わないよ。
アンはどうだい」
「私も大丈夫です」
本当はファルと甘い恋を育てたかったけれど、フォルをほっては置けなくてコクリと頷く。
ゴンドラは学術図書用の桟橋に泊まり、フォルを乗せる。
「手を貸そうか?」
ニヤリと言うファルに対して、じろりと睨み「結構だ」と乗り込み前に座る。
「席を譲る気はないかアル」
「いやだね。こんなに寒い日にひと肌から離れてはか弱い私は風邪をひいてしまうよ」
腕を組んで憤懣とした面持ちでファルを睨むフォルと、しれっとおどけてみせるファルの対比がすごい。見えない火花を感じて感電しそうだ。
「よくいう。わたしより強いくせに」
驚いてまじまじとファルを見てしまうと。ニコリと笑みを返される。男性より強い女性がいるなんて、この国の常識をこの学術都市で学びたい。切実に。
「アン。ごめんよ、楽しんでいる所にお邪魔して」
「いいえ。私もフォルと一緒で嬉しいわ」
肩を落とし苦笑いで謝られるが、私も今はまだフォルの方が好きなようなので素直に嬉しい。この恋心に困りはしているけれど。
フォルも安心して屈託なく笑ってくれる。
「本当にごめん。情けないけど、アルが相手だと余裕が持てなくて。嫉妬で怖がらせてしまった」
嫉妬されてた!どうしよう、嬉しすぎて心臓が爆発してしまう!このままじゃいけないのに、好かれていると実感すればするほど、好きの気持ちが大きくなってしまう。落ち着け自分、正気になるのだ、このままでは国際問題だぞ!
真っ赤に茹る私を見て慈しむ目でファルが見ているが、今はそれどころではない。
「まったく。こんなに好かれていて余裕をなくすのはアンに失礼じゃないか」
好きって言わないでっ、さらに茹るから!!
湯気の吹き出す顔を覆い隠し下を向いてしまう。
「アン!可愛い!!」
よしてやめてさわらないで今はそっとしてっ。さらに体を丸めて縮こまらせてしまうから!
「ごめんね、アルにはいつも親しい友人を取られていたから気が気じゃなかったんだ」
「おや、人聞きの悪い。彼らだってオルから離れた訳じゃないだろ。私といる方が楽しんでいるだけで」
「だから嫌なんだ、その不遜とした態度で何故か皆に好かれて、アルの方が王子らしいとまで言われる私の身にもなって欲しいよ」
そんな経緯があったのか。知らなかった事とはいえそれは悪いことをしてしまった。でも、それが返って格好いいフォルの可愛い一面に巡り合い、恋の熱は留まることを忘れてしまった。急速に加速し成長するこの想いはもうどうしようもない。
「あの。私はフォルがその、……す………す」
そろりと伺うように赤い顔を上げて、覚悟を決めて意を決して告白をしよう。その上で秘密を打ち明けよう。彼には誠実でありたい。国際問題になってしまうようなら、身を挺してでも止める努力をしよう。それよりこれ以上彼に嘘をつきたくない。
『す?』
意を決しても初めての告白にうまく言葉が紡げない。言いよどむ私の言葉を確認するように視線が集まり、異口同音で、言いよどみ先が言えない言葉を繰り返さし聞かれる。
ファルからは優しく見守られ、フォルからは期待に満ちた目で輝かれ、操舵者まで泊まって、期待に耳を傾けている。さらに気付いたけれど、護衛騎士が後方に乗ったゴンドラで割と近くまで来て、耳を傍立てていて、前方では案の定付けて先回りまでしていたエイが橋の上で見守っている。
ちょっと待って。この状態で言うの私。これハードル高くない?
期待の眼差しが四方八方から私を突き刺す。
言いよどむ口も閉じることが出来ずに、時間が過ぎていく。
このまま何も言わずにいてはダメだろうか。
いや、フォルの為にも今ファルがいる場で伝えた方がいい気がする。
「す」
『す?』
「す」
『す。』
ええい!男は勢いだ!!確か以前騎士が意中のメイドに告白して上手くいった時に話していたのを通りすがりに聞いた!やれ、やるんだ!やればできる子!
真っ赤に染まった顔とグルグル回る目を意識して抑えながら、大きく息を吸う。気合は入った。後は言うだけだ。
「すきやきうどんが食べてみたいですわ!」
フォルとファル以外全員こけた。
フォルは固まり、ファルは大爆笑だ。
ごめんなさい勇気が足りなかった。
「そうだね。母に言って今夜作って貰おう」
がっかりした苦笑でフォルは言ってくれるが、そうじゃないのぉぉぉぉぉ!ただ、口から意味のない言葉が紡がれただけなの。むしろ存在するのね。すきやきうどん。楽しみにしています、すきやきうどん。
悄然と項垂れるが、それで終わらせてはフォルに申し訳ない。
「あの、そうではなくて、いえすきやきうどんは楽しみですけれど。
私はフォルの事が、す~、すぅ~!」
再度勇気を振り絞りフォルを潤む瞳で見つめると、ごくりと唾をのみ再度期待で目を輝かせてくれる。
ファルは相変わらず愉快そうに笑みを崩さずフォルを細めた目で見守る体制になっている。
周囲ではこけた体制を半ば起き上がらせた状態で、操舵者と背後の護衛騎士、先ほどちらりと確認してみたら安定のビーだった。が、釣られたのか固唾を飲みこみじっと見守る。だから、そうやって見られるから余計に緊張するので、視線は出来れば体ごと逸らして耳を閉じて欲しい。エイは呆れた顔で、でも少しほっとした顔で再度見守てくれる。エイはいいの。心強いから。その目は男を見せろとでも言っているよう。国際問題になったら力を貸してね。
「すすすすす」
真っ赤な顔で目をつむり周囲の視線を見ない様にすることで、少しは恥ずかしさが和らいだ。ような気がする。病は気からだから大丈夫、の筈。それでも「好き」の一言が言えずに同じ言葉を繰り返していると、不意に肩を抱かれる感触がして、次いでくいっと顎を横に上げられて思わず目を開ける。するとそこには色気駄々洩れの迫力美人の妖艶な笑みがございました。何故!?
「ふふ。これなら私にも口説くチャンスがありそうだ。
そんなに真っ赤になって大変な思いをするくらいなら、私についてこないか?」
口説かれた!?たしかに当初の目的は恋のし直しでしたけれども、フォルへの恋を辞めることを諦めた今は嬉しいけれど困ります!
あわあわと離れようともがいていると、急に前方に引っ張られて逃げられない様にぎゅうっと抱きしめられた。もちろんフォルにである。
「やめてくれ!!私のアンだ!!アンへの愛は誰にも負けない!!誰にもアンは渡す気は無い!!」
フォルからの愛の告白と顔の近くにある早く力強い鼓動に、感極まる。熱く泣きそうな目でしっかりとフォルを見つめ、想いがあふれた途端、自らその首に抱き着いていた。
「私も大好きです!」
「アン!」
更に強く掻き抱かれ、私もさらに力を籠める。そのままフォルの顔が近づいてくる。
「やれやれ。やっと言えたか。へたれめ」
顔がぶつかりそうだな、と思った時にファルが放った一言はフォルの動きを止めた。そのまま、ぎぎぎ、と音がしそうな動きでファルを睨んでいるけれど、たしかに私勇気が足りなかったから、へたれと言われても怒らないよ?
「ああ。ヘタレはアンの事じゃないから安心して」
ファルに快活に笑われたけれど、私では無いならフォルの事?フォルは格好いいよ?男の私が大好きになってしまったのだもの。ああ、そうだそのことも告白しなくてはならない。でも流石に一般の方には為るべく聞かれない方が問題にはなりにくいだろうから、城に戻ったら告白しよう。それでも嫌わないでいてくれるといいけれど、きっとそれはとても難しいことだろうな。
憂鬱になった顔を見られない様にフォルの肩に顔をうずめて隠すと、嬉しそうに腰と頭を抱かれ頭に「ちゅ」された。大好きな人からの初「ちゅ」、体の熱がオーバーヒートした私は気を失いました。
気づいたら自室のベッドでした。
横には私の手を握り、フォルがいました。デジャブである。
「おはよう、アン」
「おはよう、フォル」
空気が甘い。照れても目を逸らす気にはならない。
体を起こして、はたと気づく。寝巻に着替えてある。蒼褪めてフォルを仰ぎ見ると、心配されたフォルにおでことおでこで熱を測られすぐ赤くなる。いや、だからドキドキしている場合ではない。前回と違って、今回はフォルの前で気を失ったのだ。手厚く介抱されていたら告白する前にばれていることに。
「あの、着替え」
「ああ、君の侍女、エイといったかな。あの後彼女が颯爽と現れて、アンを城まで連れて行ったんだよ。あまりの早業に付いて行くのがやっとだったよ」
苦笑いで教えてくれたので、エイを見るといつもの顔で頷かれたので、着替えはエイがしたのだろう。
「あの、心配かけてごめんなさい」
「いや、あれは私がいけない。ごめん」
二人で謝り頭を下げるので、それが可笑しくてクスリと笑ってしまう。
「あの、それとは別に謝らなくてはいけないことがあるの」
ここは自室なので身内の者しかいないのは確認済み。今、告白する方がいい。後にすればそれだけ、傷つけてしまう。嫌われて傷つくのは私だけでいい。
フォルは首を傾げて、笑顔で続きを促してくれる。
この笑顔が軽蔑の目で冷たく凍るのは怖い。でも、それは私の勝手な感情。フォルは優しい人。不誠実のまま相対することもう出来ない。
「私は、父上にも、兄上にも秘密の事でしたけれど」
これを誰かに話したことは無い。今日初めて誰か、それも恋した人に打ち明ける。怖い。きちんと話せるだろうか。フォルは優しく見守ってくれている。最後まで言うまで根気強く待ってくれるだろう。優しい人だから、でもだからこそ待たせてはいけない。これを打ち明けなければ、私はフォルと始めることも終わることもできない。
「末姫だと、そう育てられていましたけれども」
その優しさが、今は怖い。声が震える。言いたくない。でも言わなくては。目を逸らしたい、固く閉ざしたい。でも、それはダメ。きっと誠実さに欠けてしまう。そんな気がする。
だから、しっかり目を見て伝えるんだ。
不安に揺れる目に決意の色を乗せて、天国の母上と遠い地にいる姉上達に勇気を下さいと念じる。
「本当は」
あまりにもゆっくり噛みしめる様に話す私が心配になったのか、私の両手を、フォルの両手で優しく包み込んでくれる。その温もりに、堪え切れなくなったひと雫がほほを伝う。
この温もりとフォルの優しさを信じよう。
「王子、なのです」
震える声で、伝えきる。
フォルはなんと言われたか理解できなかったのだろうか。目をパチクリさせている。これが理解した事によってどう変わるのか、いいえ、信じよう。先程そう決意したばかりではないか。
「うん?勿論覚えているよ?」
ん?何故困惑しているの?というより、覚えている?どういう事??
「あれ?覚えてくれていたのでは無い?だから、私の元へ来てくれたのでしょう?」
「?何のこと?」
フォルが傾げる方向と合わせて首を傾げると、フォルは恐る恐るエイを見る。エイはといえば、その視線を受けて首を横に振っている。
何だというのだろう。
青くなり狼狽するフォルが、恐る恐る私を見る。
「私達は幼い頃、一度お会いした事が有るよね」
「?遠目に拝見した事はあるけれど?」
驚愕と悲しみに打ちひしがれたフォルはがくりとベッドの淵に沈む。
本当に意味が分からない。取り敢えず判るのは、フォルは何故か私が男である事を知っていた事と、国際問題には初めからなりそうもなかった事くらい。
でも、判っていて伴侶に選んでくれるなんて、フォルはエイが言っていた同性愛の人なのだろうか?だとすると後継は如何するのだろう?
フォルが沈んで何事かブツブツ言っている間、私は疑問の淵に沈み込んでいたけれど、不意に据わった目をして幽鬼の様にゆらりと上体を起こしたので考える事を中断する。
「冷戦協定を結んだ後、アンの城で親善パーティを開いた事は覚えている?」
「残念な事にパーティの翌日に流行病の高熱で倒れたらしくて。数日の記憶が抜けてしまっているの」
「それでか」
正直に話すとガックリと項垂れてしまった。協定を結んだのは私がまだ幼い頃だったけれど、その時に何があったのだろう?話の流れからすると、その時にお会いしているのだろうけど。その時に幼い私が男である事を言ってしまったのだろうか。
「じゃあ、アンは私を男だと思って嫁ぎに来てくれたの?」
「はい」
「じゃあ、同性が恋愛対象なの?」
「いいえ」
「じゃあ、何で来てくれたの?」
「他の国の方に政略結婚させられそうになって、冷戦国の王子に想いを寄せていると言えば、結婚自体を回避出来るかと想って」
「そうか。末姫を溺愛していると有名なあの方だ。叶えてしまわれた訳か」
「はい」
「それなら婚姻は出来ないと思っていたのだろう?如何するつもりだったんだ」
先程から一度も離されていない両の手に力が籠もって少し痛い。それに目が昏く淀んでいる。大丈夫だろうか。
「フォルに嫌われれば婚姻回避出来ると思って、嫌味を言ったりしたの。ごめんなさい。
でも、恋に落ちてしまって、止めようとしたけれど無理で、如何しようもないくらい大好きになってしまって」
真摯に目を見て訴えると、フォルの顔が沸騰したように真っ赤になる。男でも好きでいてくれていると思うと嬉しくて、涙が流れる。
「フォルは同性が好きなのね」
「違うよ!?」
あれ?否定された?それも力いっぱい。これはもしかして、たまたま好きになったのが同性だったとかいう、いつだったかシィが熱弁してたことだろうか。だとしたら、嬉しすぎて頬が弛む。
「私は女だよ!?」
……。
……うん?
世界が一瞬止まった気がする。
「幼い頃にも話したのだけれど、父に子供が私しか生まれなかったから、他国に舐められて面倒くさいことにならない様に男として育っただけだよっ。自国の民はみんな私が女だって知っているし、アルに初恋のアンの事を話したら国中に広めてくれたおかげで、アンが男だってことも知れているんだ」
肩をがっしと鷲掴まれる。力加減はしてくれているのか痛くはないけれど。
というより、今爆弾発言されませんでした?
国民全員に私が男だと知られている?
サスケも?畑で出会った娘も?カフェテリアの店員さんやゴンドラの操舵者の人も?今まで出会った全ての人も?
「な、な、なんていう事!
変態だと思われてたとしたら、恥ずかし死ねる!」
「え?死なないで?大丈夫だよ。私が女で王子だから、みんな王族はそういう事もあるくらいにしか思っていないよ」
「そう、かな?」
フォルの胸に縋りついて、潤んだ瞳で聞くとフォルに「可愛い」と抱きしめられる。
あれ?男だと知っているのに可愛いと思われていたのか!それも女の子に!女の子の方が格好良いとか情けなぃ……。
「言っておくけれど、可愛いアンが大好きなんだからね」
意気消沈していた内容などお見通しと、「ちゅ」と眉間にされる。 「ちゅ」2度目!心臓爆発するけど、何とか気絶しない様に気をしっかり持つことに成功。男として何度も気絶なんて、情けないにも程がある。
「私も、格好いいフォルが大好き」
涙で濡れた顔で格好もつかないし、おそらく可愛くもない、それでも心から笑う。
熱っぽく潤んだフォルの顔がゆっくり近づいてくる。
そして二つの影が重なった。
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