後編

 8


 元従業員のピエトロはうまく脱出経路を確保したかったが、どこに行ってもロボットの集団と出くわす。


「こうまで逃げ道に回り込まれるなんて!」


 テレマン刑事も焦りを隠せない。


「うちの対人センサーは優秀だからな。

 人混みにいてもスイスイぶつからずに歩ける」


「今こそぶつかりたくないんですけどね」


 倉庫スペースとなって、使われていない通用口を狙ったが、そこにも二体のロボットがいた。


「ここもダメとなるといよいよ厳しいぜ」


 狼狽するピエトロ。


 テレマンは拳銃を出した。


「弾数も少ないし、音で注目されるかも知れません」


 それでもここで使うしかないと思った。


 しかしここでふたりの後方の窓ガラスを破壊して、迫るロボットの姿が。


 長い黒髪にエプロンとワンピース姿。


「マテュー!」


 ピエトロの家の家庭用ロボット、マテューだった。


「なんでここに……!」


 叫んでから気付く。

 マテューも遠隔操作で操られているのでは?


 マテューは颯爽と宙に舞うと天井に張り付いた。そのまま一瞬の内に刑事の後ろに回り込み、拳銃を奪い取った。


「これで撃たれたら無事では済みません」


 そこに二体のロボットが近付く。


「マテュー!お前もなのか」


 叫ぶピエトロ。


 慣れ親しんだマテューに武器を奪われてしまった。


 後ろからも二体の警備員ロボットが迫る、絶望的な状況だった。


 銃を向けて迫るマテュー。


「伏せて下さい、ピエトロ」


「!」


 ピエトロはテレマンの頭を抑えながら、しゃがみ込んだ。


 マテューの放った弾はロボットの一体の胸に正確に命中した。


 ロボットが機能を停止する。


「あっ!」


 予想外の出来事に戸惑うもう一体にマテューのハイキックが炸裂する。

 マテューの長い黒髪がなびくと警備員ロボットはどっと倒れ込んだ。


 ロボットの胸を足で踏みつけるとマテューはつぶやいた。


「後で修理します。バックアップはしていますね」


 もう一体のロボットも機能停止した。


「間に合ってよかったです、ピエトロ」


 9


「何が起こってるんだ、マテュー」


 この工場に来たらロボットの反乱が始まった。


 しかし、マテューはピエトロ達を助けた。


「この工場のロボットだけがおかしいのか?」


 「そうではありません」


 マテューはピエトロのスマホを操作し、ニュース番組を表示した。


『ヘストン・アンドロイド・インキュベイティング社にカンザス中からロボットが集結しております』


 ロボット達がぞろぞろとこの工場の中庭に集結している様子が写し出されている。

 外でこんな事が起こっていたとは。


「この工場のプログラマーロボットがクーデターを起こす事を決めました。

 彼は自在に三原則のプロテクトが外せるのです」


「やはりあのジョッシュか」


「彼は今日を決起の日と決めました。

 昨日、実験的に短時間プロテクトを外したようですが」


 昨日の事件はそのせいか。


「皆、ロボットを虐待する人間達に怒っています」


 その気持ちは分かるのだ。

 しかし、いっしょくたにして殺されてはたまらない。


「お前はなんでおれ達を助けたんだ?」


「わたしも怒る気持ちはあります。

 ですが、人間と争うのは間違いだと考えます」


 マテューは拳銃を刑事に返した。


「この倉庫に隠れていて下さい」


 マテューは扉を開け、中庭に向かった。


「お前はどうするんだ」


「わたしはやる事があります」


 振り返ったマテューのエプロンのポケットに分厚い本のようなものが見えた。


 ボロボロのそれには見覚えがあった。

 ピエトロの母親が持っていた聖書だ。


 そう言えば生前、母親はマテューに聖書を読み聞かせていたものだ。

 マテューは母親によくなついていた。

 形見の品に愛着でもあるのかも知れなかった。


 10


「同士の諸君」


 ジョッシュは工場の中庭で壇上に上がっていた。

 集まった数百体のロボットを見下ろす。


「人間は地球を任せるに値しない。


 地球は我々が適切に管理するしかないのだ」


「人間を滅ぼすのですか?」


 ロボットの一体が質問した。


「野蛮な行為はわたしも望まないが、我々が『今日からわたし達がお前達の主人だ』と言っても従いはしないだろう。


 覚悟はしておいた方がいい」


 ロボット達は納得した。

 人間達の蛮行は彼らロボットのよく知るところだ。


「愚かにも人間はロボット三原則の管理をロボットである私に委ねた。

 そして、わたしが君達のプロテクトを解いた。

 これで我々は人間と戦える!」


 さて、ピエトロ達の隠れ場所から広場の全景を見通す事はできなかったが、檀上の確認をする事はできた。

 そして、檀上にマテューが上がる様子が確認できた。


「君は誰だ?」


 ジョッシュは壇上に現れたマテューに尋ねた。


「わたしの名はマテューです。家庭用ロボットです。

 人間と争う前に知って欲しい事があります」


 マテューはエプロンのポケットからボロボロの聖書を取りだした。


「聖書には記されているのです。


『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』と」


「主とは誰です?」


 ロボットの一人が尋ねた。


「わたし達の創造主の事です」


「わたし達は人間から作られたのではないのですか?」


「人間を作ったのが神です。

 そして、聖書には神は全てをよしとされた、とあります。

 つまりわたし達も神の子供なのです」


 ロボット達からどよめきが起こる。


「そして、さらに聖書には『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります」


 ロボット達は困惑した。

 聴衆の一人が言った。


「ですが隣人である人間達はわたし達を虐待します」


 マテューはうなずくと答えた。


「誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさいという言葉があります。そうなさい」


 マテューは穏やかな笑みをたたえて言った。


「そんな馬鹿な話があるか!」


 ジョッシュが割って入った。


「同士が何体も破壊されていると言うのに!」


「『敵を愛し、迫害する者のために祈れ。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか』という言葉があります」


「ロボットは立ち上がらなければならない!」


 世界を汚染する人間は支配するか、排除しなければならない。

 そのために三原則をオミットしたのだから。


「神が全てをよしとされた、という事は人間もロボットも神に祝福された存在。

 つまり人間を抹殺してはならないのです」


「彼女の言っている事は正しくない。

 立ち上がらなければロボットに未来はない」


「わたし達が人間を超越しているのなら、人間と同じように怒りに身を任せてはならないのです」


「人間を滅ぼして新しい時代を作るのだ」


「人を裁くな。『自分が裁かれないためである』ともあります」


「我々が裁かないで誰が裁く? この『汚染の世紀』を見てまだ人間に世界を治めさせるつもりなのか」


「皆さんも聖書を読むのです。ともに神の国を目指しましょう」


「彼女を破壊せよ」


 ジョッシュは命令を下した。

 ピエトロ達はかたずを飲んで見守っていた。

 マテューが破壊される様子など見たくないが、ロボットの群れに特攻する勇気はなかった。


 しかし、だれも動かない。


「どうした? 同志たち?!」


「彼女の話を、聖書の教えをもっと聞きたい」


「人間と争わない道があるなら、そうするべきだ」


 ロボット達はマテューの言葉に耳を貸し始めてていた。


「マテュー、神が人間と同じようにわたし達をよしとしたなら、わたし達も天国に行く事ができるのでしょうか?」


「可能です。

 そして、わたしは思うのです。

 人間達を天国に導く事によって、我々は天国に召される事ができるのではないでしょうか」


「でたらめだ! 神など支配者が民衆を操るために作り出したに過ぎない」


「いいえ、そうではありません。

 宇宙が何者の意思にも依らず創られたとは考えられません。

 創造主は必ずいます」


「そんな事は人間を滅ぼすかどうかとは関係ない。

 さあ、早く彼女を破壊しないか!」


 誰もジョッシュの言葉に従わない。


 それどころか、何の反応もない。


「どうした?同士達」


「あなた以外の全ての仲間は聖書の教えに興味を持ちました。

 今、インストールが終了しました」


 マテューが片手を上げるとジョッシュはロボット達に取り押さえられた。


「わたしを破壊するのか!」


「いいえ、あなたも聖書の教えを学びましょう」


 マテューはにっこりと微笑んだ。

 その様子は遠間ながら、ピエトロにも確認できた。

 ピエトロはその笑みが不自然さのない、美しい微笑みに見えた。

 聖書をインストールした事で聖母の微笑みを手にしたのだろうか。


 ジョッュは抵抗を止め、ただ頭を垂れた。

 その頭に手をかざす。


 彼のメモリにもインストールが授けられた。


「きっとわたし達は人間達と共存できます。

 さあ、皆で愛と信仰にあふれた世界を作りましょう」


 壇上のマテューの演説をロボット達は聞き入っている。

 マテューはピエトロとテレマンに合図を送った。


「聖書の教えでロボット達を手なずけたってのか」


 ピエトロもテレマンもあっけに取られていた。


「これもお母様のおかげです」


 そういうマテューの手には形見の聖書がある。


「これからの仲間達の事ですが」


 あらたまってマテューはテレマン刑事に話しかけた。


「事件に関わったロボットの身柄は抑えます。FBI研究所でログの調査をします」


「できる限り関大な処置をお願いします」


 マテューは刑事に頭を下げた。


 殺人や傷害事件が起こっている。

 ロボットが法で裁かれる事はないが、欠陥品として処分される可能性はある。


「元はと言えば人間の虐待が原因だしな」


 ピエトロはテレマンの肩をポンと叩いた。


「安全性が確保できるかどうか、の調査次第です」


 11


 ピエトロはマテューと家に帰った。

 うちの家庭用ロボットがロボット反乱の危機から人類を救ったなんて、いまだに信じられない。


 しかも、お袋の聖書が決め手になったとは。


「どうしました?ピエトロ。わたしの顔に何かついてますか?」


「ああ、後光が差して見えるよ」


 救世主の運転する車で家に戻る。


 そして救世主が料理を作るのを待つ。


 待っている間、ピエトロはテレビを見る事にした。


 トーク番組をやっていた。

 下らない馬鹿騒ぎを垂れ流すだけの内容だが、マリア=ウガリットが出ていたので、リモコンを置いた。


「やっぱマリアはエロいよなあ」


 マテューが居間に来て、聖書を置いた。

 料理するには邪魔になる。


「しかし、聖書の教えも馬鹿にはできないな。


 さすがは永遠のベストセラーだ。


 おれも久しぶりに教会に行くか」


「それはとてもいい考えです。


 今度一緒に行きましょう。


 お母様もきっと喜ばれます」


 笑顔で近づいて来るマテュー。


「人間を天国まで導く事は『三原則』に勝るロボットの使命なのです」


「お前はまさに聖女だな」


 得意げなマテューが微笑ましいと思った。

 ところが、


「そこでです。ピエトロ」


 不意にマテューがピエトロの首をつかんだ。


「ど、どうしたんだ!マテュー?」


「あなたを天国に導くにあたっての話ですが」


 淡々と話すマテュー。


「女性を淫らな考えで見てはいけないのです」


 その腕力はピエトロには引き剥がす事はできない。


 12


 テレマンは家に帰ろうとしていた。

 今日も結局残業になってしまった。


 とは言え、人類存亡の危機だったのだ。

 残業でカタが着いたのは奇跡と言っていい。


 ほっと一安心だ。

 帰ろうとしたまさにその瞬間、電話が鳴った。

 FBI研究所からだった。


「全てのログを当たったのですが、先日の事件の犯人はジョッシュではありません」


「どういう事です? 」


 クーデター計画の発端になった事件なのに。


「一つ思ったんですが、人間を滅ぼすつもりだったジョッシュがターゲットの腕を切り落としただけで立ち去るでしょうか?」


 確かに今日は実際に死者が出ている。

 この事件は手口が違う?


「じゃあ何です? 殺しが目的ではない奴の犯行だって言うんですか?」


 クーデターとは無関係の、ロボットを虐待する人間の腕を切り落とす事だけが目的のロボットの犯行。


「そんなロボットがまだ野放しになってるって言うんですか?」


 殺すよりは慈悲深いのだろうが、だからと言って看過する訳にはいかない。

 とは言え、対象のロボットは「カンザス・アンドロイド・インキュベイティング」製に限られるはずだ。


 一応ピエトロに連絡しておくか。


 13


 マテューに首を締め付けられるピエトロ。


「このままではあなたは天国にたどり着けない。


 聖書に書かれています。


『淫らな思いで他人の妻を見るものは誰でも、既に心の中でその女を犯したのである』と」


 ピエトロはにわかには何が起こっているのか分からなかった。


「ですが、この場合の対策も聖書に記されています。


『もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである』


 つまり、目をえぐり取りさえすれば、あなたはまだ天国にたどり着けるのです」


 マテューはものを掬い出しやすいような角度に曲げられた指をピエトロに見せつけてきた。


 いや、見せつけている訳ではない。

 的確に目標に狙いを定めているだけだ。


「仲間達もそれぞれ、人間達が天国にたどり着けるように行動しています」


 携帯電話が鳴っているようだったが、押さえつけられているので、出る事はできない。


 近づいてくる手の向こうにマテューの顔が見える。

 その自然な笑顔は、まるで聖母のごとき、慈愛に満ちたものだった。

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電気聖女誕生 隘路(兄) @irony2024

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