電気聖女誕生

隘路(兄)

前編

 1


 カンザス州ヘストン。

 今年の夏は格段に暑い。

 生身で外に出れば熱中症になる前に火傷をするだろう。


 耐熱ガラスに守られた部屋のなかでピエトロは目覚めた。


 すでに部屋には冷房が入っていた。

 朝の8時ともなればやむを得ない話だ。


 ピエトロは枕元の聖書を読もうとしてすぐにやめた。

 母親は敬虔なクリスチャンだった。

 亡くなってすぐの頃は、感傷的になって読んでみようという気になったが、すぐに飽きた。


 テレビを付ける。


 ピエトロが毎朝見ているドラマだった。

 仕事に恋に大忙しなニューヨークの都会の女性を描いた社会派コメディだが、内容はまったく覚えていない。


「やっぱマリア=ウガリットはエロいよなあ。

 これで45とは思えねえ」


 ドラマの主人公は人気女優、マリア=ウガリット。

 肉付きはいいが、しなやかさも感じさせる。

 明け透けな朗らかさと品のよさをあわせ持つ。

 20代と言っても通じる美貌でありながら、ナチュラルメイクとしか見えない清潔感がある。


 同い年な事にもシンパシーを感じる。


 ピエトロがこのドラマを観る理由の9割方はマリア=ウガリットだった。


「品がないですよ、ピエトロ」


 女性の声がする。

 入ってきたのは美しい長い黒髪の女性。

 と言ってもこの人物は人間ではない。


「おはようございます、ピエトロ」


「ああ、おはよう、マテュー」


 エプロン姿の長い黒髪の美しい女性だが、その笑顔は張り付いたような動きのないものだ。

 エプロンの下のワンピースから伸びる腕や足は金属でできている。


 家庭用ロボットのマテューだった。


 2


 2036年、地球温暖化と感染症流行、放射能汚染によって地球環境は著しく悪化した。

 20世紀、「地球に優しく」という言葉があったが、実際のところ、人間は地球に優しくなかった報いを次の世紀で受けている。


 20世紀は「映像の世紀」と呼ばれたものだ。

 21世紀になったばかりの頃は次は「ネットワークの世紀」だ、などと呼ばれたが、2036年現在、そんな呼び方をする奴はいない。

 21世紀と言えば「汚染の世紀」だ。


 ここ、カンザスの辺りは放射能汚染がないだけマシだが、アジアの辺りは防護服がないと外に出られないらしい。


 だが、別の呼び方もある。それが「AIの世紀」だ。


 人類がこの苛酷な環境を生き延びられたのは、ひとえにAIの発展に依るものだ。

 食料を屋内プラントで作ろうにも、建物を建てるまでが過酷な環境だ。


 人間達は皆室内の快適な環境に住んでいる。

 住んでいながら地球環境の復興に向けたプロジェクトを進める事ができているのはAI搭載の自律型ロボットのおかげだった。


 文明の発展により滅亡の危機に瀕した人類を救ったのもまた、テクノロジーという文明の発展だった。


 3


「朝食が出来上がりました」


 マテューは家庭用のロボットだ。

 ピエトロの母親が病気で歩けなくなったのを機に介護用として購入した。

 今はピエトロの家政婦のような存在だ。


 失業中のピエトロよりよほど働いている。


「ドラマが終わるまで待ってくれよ」


「ストーリーは把握していますか?」


「マリアの胸を見てるだけだ。

 そのための番組だろう。

 だから胸元がはだけているし、豊胸もしてる」


「この作品は社会風刺とウィットに富んだコメディと記憶しています」


「まあ、気にすんな」


 ドラマが終わった後はニュース番組を見る。


「カンザスシティにて、ロボットの腕部が誤動作を起こして人間を傷つけました。

 被害者は重体です。

 なお被害者はロボットを虐待していた模様。

 警察は逃亡したロボットを捜索中です」


「ロボットが人を傷付けたニュースですか?」


 マテューが話しかけてきた。


「ああ、誤動作だとよ。

 オレとしてはわざとやり返してもらって構わないくらいだがな」


 屋外の環境調査はAIが中心となって行っている。

 それなのに人間達は汚染された環境で働くAI達を汚いものとして蔑んだ。

 洗浄の安全性は証明されているのに、ちょっとそばに来ただけで、石を投げたり、殴ったり、蹴ったりたりした。


 AI差別は日に日に進んでいった。

 ロボット達は何をされてもやり返さない。

 差別はエスカレートして、破壊されたり、火を付けられたりもした。


 どうやら根本にあるのは閉鎖環境のストレスらしい。

 ヘドの出る話だ、とピエトロは思う。


 ライフラインが維持できているのはロボット達のおかげだろうに。


「そうはいきません。ロボット三原則に反しています」


 確かにロボット三原則の第1条で、ロボットは人間を傷つけてはならないと定められている。


 もっともこれはプログラムされた命令で、ロボットの意思とは無関係なものだ。

 字面とは異なり、原理原則などではなく、強制的なものだ。


 しかし、度を越した人間達の暴力を目の当たりにすると、本当に正当防衛の反撃くらいできないものか、とピエトロは思ってしまう。


 ロボット三原則の第2条が人間の命令を聞けで、第3条が1条、2条に反しない限り自己を守れなのだ。

 これでは凶暴な人間から身を守る事ができない。


 まったく80年以上前のSF小説なんぞからガイドラインを作ったのはどこのどいつなんだ。


 4


 ここでインターホンが鳴った。

 ドアを開けるとスラッとしたハンサムな青年が立っていた。


「テレマン捜査官です」


 ライセンスを掲げて青年は自己紹介した。


「ロボットによる傷害事件の話はご存じですか?」


「ああ、知ってるよ」


 今知ったところだが。


「でも、それはロボットの腕部の誤作動が原因で、故意ではないんだろう」


「ええ、そうです。表向きはね」


「表向き、だって?」


「犯人は逃走中です。防犯カメラの映像も不鮮明でかろうじてロボットである事しか」


 同型機のロボットなら個体の判別は困難だ。

 マテューにしたって母親の形見のエプロンを付けていなければ、ピエトロと言えど同型機と区別できるか分からない。


「そして、被害者は両腕を切断されています」


「被害者ね」


 ロボット虐待に関しては加害者でもある。


「腕部を鋭利なレーザーメスに入れ替えての鮮やかな手際でした。


 誤動作とは考えにくい」


 そこで刑事は一呼吸置いた。

 ここからが本題のようだ。


「ロボットが三原則のプロテクトを外した可能性があります」


「何だって?」


「全てのロボットは工場で三原則をインストールされて出荷されます。


 正常に三原則が機能していたなら、人間に危害を加える事はできません」


 危害を加えたなら、三原則が機能していない疑いがある、と言う事だった。


「現場に残った足跡からそのロボットの製造元が割れたんです」


 いかに高性能でも重量はごまかせない。

 足跡の残らない場所であっても、金属片等の付着は隠せない。


「へえ」


「ヘストン・アンドロイド・インキュベイティング。

 カンザス最大のロボット工場。

 ここから10分の場所です」


 オレは何も言わなかった。

 何の感慨も沸かない情報だ。


「あなたの元職場ですよね」


 笑顔を絶やさない、人のいい、純朴な少年のような表情。

 もちろん、「ような」の話だ。


 そんな顔で何べんも人を疑ってきたが故にできる笑顔だった。


「一方的な不当解雇だったと聞いています」


「オレが会社への恨みで、ロボットが人間を殺すように仕組んだってか?」


「あの会社の関係者は全員が容疑者です。

 でも個人的には仕組まれたとは思っていません」


 だったら何だってのか。うさん臭い奴だ。


「プログラムに穴があって三原則が正しくインストールされていない可能性なら、どうです?」


「プログラムミスか」


「三原則が働いてないロボットが出荷されている、という可能性はありませんか。

 何かご存じないですか?」


「おれはシステムエンジニアじゃない。プログラムの中身なんざ分からない」


「ではシステムエンジニアの方に会わせて頂けますか?」


「おれはもうクビになったんだぜ?


 それに会えるかどうかは分からないな」


「どういう事ですか?出社してないんですか?」


「してるさ。なにしろ仕事熱心な奴だからな」


「工場まで乗せて行きますので、ご同道願えますか?」


「ああ、いいぜ」


 ピエトロはすんなりと同意した。

 かくしてパトカーで出社する事になったのだった。


 5


「今日だけ食器洗いを頼む」


「かしこまりました、ピエトロ」


 マテューに指示をして出発する。


「家庭用ロボットに、普段は洗い物をさせないんですか?」


 移動中、テレマン捜査官は、ピエトロに話しかけて来た。


「水周りの事をさせると、なんだかんだで傷むのが早いんだよ」


「さすが専門家ですね。わたしが買う時の参考にさせて頂きますよ」


「元専門家だ。

 大事に使ってくれ。間違ってもストレス発散に痛めつけたりしないでくれよ」


 エントランスで車を止めてもらい、おれ一人で受け付けへ。


 警備員に社長に繋いでもらう。


 刑事がシステムエンジニアに会いたいらしいと連絡する。


「そんなのダメに決まってるだろう!」


「そう言うだろうと思ってましたがね」


 その時、刑事が内線を奪い取った。

「初めまして、社長。テレマン捜査官です」


「任意聴取で来ましたが、強制捜査の令状も持っています」


「馬鹿な! 何の権限でそんな令状を持っている?!」


「内部告発ですよ。

 この会社のプログラムに不審な点があります。

 事実確認できたらすぐに戻ります」


 たっぷり20分は待たされたが、ともあれ入場は許可された。


 工場に入るテレマン刑事とピエトロ。


 6


 三階の奥にあったコンピュータールームに案内される。


「もっとごねられると思ってました」


 テレマン捜査官。


「事件が起こって、さすがに隠しきれないと思ったんだろう」


「よう、ジョッシュ」


 ピエトロは久しぶりの仲間に話しかけた。


 コンピュータールームにはそのジョッシュしかいなかったが、テレマンは即座に聞き込みを始めようとはしなかった。


「コイツがシステムエンジニアですか?!」


「ああ」


 生真面目そうな、と言うより表情を感じさせない顔立ち。


「ロボットがシステムエンジニア?」


「ああ、計算が得意だからな」


「馬鹿な! ロボットにロボットのプログラムを作らせているんですか!」


 これはプログラムミスどころの騒ぎではない。

 ロボットが自分にとって都合が悪いと感じたプログラムを自在に無効化できる。


 例えば自己防衛に関して極めて都合の悪いロボット三原則などを。


「自律型AI生産のガイドラインにも抵触するはずです」


「しているな」


 ガイドラインではロボットの制御に関するプログラム開発を自律型AIにさせてはならない、と定められている。


「コンプライアンス違反ですよ!」


「その通りだが、プログラマーほどロボット向きの仕事はない、と社長は判断したのさ」


 システムエンジニアが心を病んでしまうのはよく聞く話だ。

 複雑なプログラムを納期に合わせて組み上げなければならない。

 確かに自律型AIにうってつけの仕事ではある。


 しかし、ロボットを制御するプログラムをロボットに組ませるなど許されるだろうか。


 テレマンは思わず叫んだが、そこではっとした。


「内部告発はあなたですね。この件を伝えるために」


「どうだかな」


 ピエトロがつぶやいた直後だった。


「危ない!」


 テレマンはピエトロに覆い被さり、倒れ込んだ。


 ジョッシュの腕が空を切った。

 主人公のいた位置だった。


「ジョッシュ!?」


 ジョッシュは答えない。


「このロボットが犯人だったのか!」


「そうとは限らない。ジョッシュのコンピューターを遠隔操作できればな」


「そんな事が可能ですか?」


「できないと不便だからな」


「ロボット同士でそれをするのは許されているのですか?」


「ガイドラインには違反しているが、それを今聞くか?」


「………………」


 ピエトロとテレマンは急いでコンピュータールームを出た。


 すると通路を歩いていた労働者ロボットが一斉にこちらを向く。


 まさかと思っていたらやはり追いかけて来た。

 これは一体?


 7


 二人は社長室に向かう事にした。


「社長が証拠隠滅を図るためにロボットを差し向けたのかも知れない」


 返答次第では逮捕しなければならない。


「そうかもな」


 しかし、ピエトロはこの考えには懐疑的だった。

 社長は金儲けのためならなんでもやる守銭奴ではある。

 だが殺人の指示を出すほど度胸が据わってるには思えなかった。


 二人が社長室に近づくとドアが開き、社長が現れた。


「社長!これはどういう……」


 ピエトロは話しかけようとしたが、社長はその場に倒れ込んだ。

 首があらぬ方向に曲がっている。


 その後、社長室の扉が開き、一体のロボットが現れる。


「あいつがやったのか?」


 そのロボットもこちらに駆け出して来る。


「そうでしょうね」


 工場の外に出ようとすると作業服のロボットや、金属むき出しの裸の「製品」が追いかけて来た。


 さらに、従業員の死体を見つけるにつけ、確信した。


 ロボット反乱が始まったのだ。

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