第四話

 物の怪は闇に潜み、闇に紛れ、闇から現れる。身分や老若男女など構わず、人を襲う。

「奴らがいつどこに現れるのか、今もよく分かっていない。ただ、一度現れると、周辺に出没するようになる。一弥の村を襲う前にも、その近くの山道で襲われた旅人がいる」

 あの夜からずっと抱いていた罪悪感が少し軽くなったのは、義鷹の一言があったからか、思うままに泣いたからなのか。でもきっと、完全に消えることはないだろう。

「義鷹様。俺、物の怪退治屋になります。人を襲う前に、物の怪を退治したい」

「志が高くていいな。弟子にならないかと先に言ったのは俺だが、簡単な道のりではないぞ」

「はい。覚悟しています」

「よし。では弟子はまずこれを覚えろ」

「はい、なんですか?」

「義鷹『様』と呼ぶな。『さん』でいい」

「え。でも、弟子なのに……」

「師匠とはいえ、そんなに畏まらなくていい。兄上と呼んでくれてもいいんだぞ?」

 義鷹はおどけた調子でそう言って、一弥は久しぶりに笑っていた。

 この時の義鷹は二十七歳。一弥は十一歳だったので、兄と呼ぶには歳が離れていたし、あくまでも義鷹は師匠だ。結局、「義鷹さん」と呼ぶことになった。

 物の怪退治屋は、基本的に根無し草だ。あちこちを旅して物の怪に困っている人から依頼を受けて、身を立てている。噂を聞きつけてその地に向かうこともあれば、呼ばれて赴くこともあった。

「一応、家はあるが、帰るのは年に数度なんだ」

 とある城下町に、義鷹の家はあった。借家で、普段は大家に管理を任せていた。弟子になってからは、義鷹と共に一弥もその家に行くようになり、新たな故郷ともいえる場所となった。

 町民たちが暮らす長屋を帰ってくる場所としていたが、義鷹は身なりはもとより、言葉遣いや所作が、町民とも、農民の一弥とも違っていた。義鷹の太刀筋は、一弥のような子供が見ても分かるほど、綺麗なものだった。

「義鷹さんは、元はお武家の方なんですか?」

 物の怪退治屋の弟子となり、義鷹と共に旅をするようになってから二、三ヶ月ほどたった頃、一弥は意を決して訊いてみた。

「……そう見えるか?」

 とある宿場町で、寝る支度を終えた後だった。並べた布団の上であぐらをかいて、書状に目を落としていた義鷹は、顔を上げて一弥を見た。

「はい。俺とは、その、なんか色々と違うので……」

 すると、義鷹は書状を脇に置いて、一弥の方に向き直った。

「おまえの言う通り、俺は元は武士だ。とある武家の三男として生を受けた。元服すると同時に初陣を迎えて、それ以来、多くの戦を経験した……」

 義鷹は深く息を吐いた。それから、少し間をおいて口を開く。

「数え切れないほどの躯が、戦場には残される。その躯に、昼は戦利品目当てに兵たちが群がり、夜は、物の怪が群がるんだ。物の怪は近くに生きた人間がいれば、それも襲う。戦場にいつでも物の怪が現れるわけではないが、現れれば、昼は勇猛に戦っていた武士たちでも恐慌状態に陥る。物の怪には、ただの刃も通じないからな」

 武士たちが持つ刀や槍は通じないのに、物の怪の爪や牙は武士たちの体を抉る。阿鼻叫喚の様相を呈しただろうと、義鷹に弟子入りした今の一弥には容易に想像が付いた。

「火ならば、奴らは多少ひるむ。だが、逃げる時間稼ぎにもならない。追い払うほどの火を使えば火事になりかねん。それでも俺は必死で、刀を振り回していた。奴らを追い払うことだけを考えているうち、いつの頃からか、刀が緑の光を帯びるようになっていた」

 義鷹の視線が、部屋の端に向く。部屋の四隅には小刀が刺さっていて、緑色に光っていた。そして、小刀同士は緑色の光でつながっている。物の怪除けの結界だった。

「緑の光は俺以外の者の目には見えない、しかも、光をまとわせたら物の怪の体に刃が届く――奇妙なものだと思ったが、戦場で刀を振るうよりは、よほど気が楽だった」

 物の怪とて、楽な相手ではない。それは一弥もよく知っている。戦が危険なことも、父が帰ってこなかったことで分かっているつもりだ。けれど、物の怪を相手にするよりも大変な場だと言われても、ぴんとこなかった。戦場にいるのは、人間だけのはずだから。

 それが表情に出ていたのか、義鷹は苦笑した。

「物の怪を倒すのにためらいなどいらない。奴らは人に徒なす存在だと分かり切っているからな。だが、戦は違う。俺に向かってくる武士は敵ではあるが、同盟関係になれば仲間となる。しかしどちらかが裏切れば、また敵同士だ。まして雑兵たちは、領主の都合で戦場にかり出されているだけだ。領主が変われば敵も変わる。

 立場や状況で敵味方がころころと変わり、殺し殺され、それをいつまでも繰り返すことに、俺は、嫌気がさした……。そして、戦があれば、物の怪が出てさらに人が死ぬ。それにもうんざりした。だから、武士をやめて、退治屋となったんだ」

 一度言葉を切って、義鷹はまた深く息を吐いた。

「一弥。俺は、本当はもっと早く、おまえに謝らなければならなかった」

「え。何を、ですか?」

 謝られるようなことをされた覚えはなかった。

「俺は戦場で、あまたの人を殺めた。俺と同じ武士も多いが、それ以上にたくさんの雑兵たちを手に掛けた。その中に、おまえの父親がいたかもしれない……謝って償えるものではないが、すまなかった」

 そう言って、義鷹は両手をついて深く頭を下げた。

 大のおとなで師匠でもある義鷹にそんなことをされて、一弥は目を丸くする。

 義鷹は武士かもしれないとしばらく前から思っていたが、父親が彼に殺されたかもしれないなどとは、考えもしなかった。

「あの、頭を上げてください。父ちゃんは帰ってこなかっただけで、戦で死んだかどうか分からないし」

「だが、戦がなければ、行くことはなかった」

 義鷹は頭を上げたが、その目には悔恨の念が浮かんでいた。

「……もしかして、あの日、俺のせいじゃないと言ったのは……」

 泣きじゃくる一弥を慰めてくれた義鷹の言葉には、他の意味があったのではないだろうか。

「――本当なら、おまえは今頃両親や兄弟に囲まれていたはずなんだ。すまないことをしたな、一弥」

 義鷹の大きな手が、一弥の頭を優しくなでる。やるせない気持ちを不意に思い出して目頭が熱くなったが、ぐっと堪えてにかっと笑った。

「それは、義鷹さんのせいでもないですよ」

 義鷹は手をぴたりと止め、一弥の顔をまじまじと見た。それから、表情を緩ませる。

「一弥、おまえはいい子だなあ」

 先ほどよりも大きな動きで一弥の頭をなでる。

「そんなに撫でないでください。髪の毛がぐしゃぐしゃになっちゃいます」

 あんまり撫で回されるので、まるで小さな子供扱いされているような気がしてきた。義鷹の手首を掴んで自分の頭から引き剥がすと、彼は笑いながら、謝った。

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