第2話

「重森さん、どうして段ボール開けたんですか?」


 千奈津がバックヤードで作業をしていると、如月と二人で接客をしているはずの波瀬が眉を吊り上げてやってきた。

 怒っているようだが、怒られるようなことをした覚えはない。


「どうしてって、商品を確認するためだよ」


 届いた段ボールの中にきちんと必要数入っているかを確認しただけだ。

 三日後に発売予定の商品なので、個数の間違いや不良品があればすぐ対応してもらわなければならない。


「それは明日の人にまわすべき仕事ですよ」

「え?」


 何を言っているんだ。三日後には店頭に出さなければならないのだから、すぐにやるべきだろう。これが三日後でなく、一週間後や二週間後ならまだ分かる。

 しかし今回は発売日が近いので明日確認するよりも今すべきだ。

 そんな心の声が聞こえたかのように波瀬は眉間にしわを寄せる。


「今日やってしまったら、明日の人は仕事がありませんよ。明日の人のためにも仕事は残してあげるべきです」


 ニコニコショップはそれ程忙しくはない。

 一日の売上は、大体三万円くらいだ。如月がいる日は売上が四万円以上になることもある。

 そんな店なので、目が回る程忙しくなるなんて日はない。

 暇すぎてスマホを触ったり、バイト同士で喋ったりする時間の方が多いくらいだ。

 新商品の発売やコラボ商品の発売が近づけば、こうして検品などの仕事がある。暇潰しに丁度良いが、簡単な作業なのですぐに終わってしまう。

 波瀬が言う「明日の人のためにも」というのは、明日の人が暇をしないように仕事を残してあげたい、という意味だ。

 残してあげたとしても、すぐに終わってしまう作業なのだから一瞬の暇つぶしにしかならないのだが。


「いや、だって三日後には商品を出すんだよ? 早く確認するべきだよ」

「今日確認して不良品があったとしても、どうせ新品が届くのは発売日の後ですよ。今確認しようが明日確認しようが、大差ありません」

「早いに越したことはないでしょう」

「早かろうが遅かろうが、大差ないんですって。だったら明日働く人のために仕事を残してあげるべきです」


 波瀬の言う通りにしたとして、果たして明日出勤の者は未開封の段ボールを前にして「私たちのために仕事を残してくれてたんだ、やったー」と思うだろうか。「昨日届いたのにどうして昨日確認してないの。不備があったらどうするの」と思うのではないだろうか。

 しかしそれを波瀬に言ったところで聞く耳を持たないだろう。

 どうしても自分の意見を押し通したいわけではない。千奈津は自分が正しいと思っているし、既に検品は終わっているのでこれ以上話すことはない。


「そうだね」


 肯定してあげると、波瀬は「次から気をつけてください」と言って去って行った。

 一体何に気をつけろというのか。

 千奈津が店内を覗くと、如月と波瀬が並んでいる後ろ姿が目に入った。


「えー、やだぁ、如月先輩ったら」


 ふふふ、と如月の腕に触る波瀬。


「いつも思うけど、波瀬さんは化粧が上手なんだね」

「えぇ、本当ですかぁ?」

「うん、顔が綺麗」

「嬉しい!」


 如月は笑っているが、千奈津はその「綺麗」が褒め言葉でないことを知っている。

 如月といる時の化粧と、如月がいない時の化粧を比較し、「俺の前にいる時は綺麗にしてるんだな(笑)」というニュアンスを込めた「綺麗」である。

 きっと如月の脳裏には二重テープが瞼に乗ってぴろぴろしている波瀬の顔が過っただろう。

 現に笑いすぎて波瀬に「もう、照れるからそんなに笑わないでください」と腕を叩かれている。


「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ」

「むぅ」

「ははは」

「ほらすぐ笑う!」

「波瀬さんは可愛いね」

「そっ、そんなこと言って! どうせ誰にでも言ってるんでしょう!」


 上手く掌で転がしている。さすがだ、と千奈津は感心した。

 千奈津は如月と同時期に働き始めた。年齢も同じで、バイトの中では一番気楽に話せる。

 今は波瀬に笑いかけている如月だが、陰で小馬鹿にしている。

 如月の笑いが止まらないのは、二重テープを思い出しているからだろう。

 作業が終わった千奈津はやることがなくなり、二人をじっと眺めていると、若い女子二人が会計をするためにレジの前に立った。

 今日は日曜日なので平日よりも客が多い。

 千奈津は会計にやってきた女子高生二人に見覚えがあった。よく学校帰り、制服で来店する客だ。如月と楽しそうに喋っているのを何度か見かけた。


「いらっしゃいませー」


 如月に接客させまいと波瀬が前に出る。


「これ、お願いします」


 女子高生二人は如月にちらちら視線をやる。

 恐らく女子高生と波瀬の視線は合っていない。

 如月は二人に気付き、軽く手を振った。

 女子高生たちは「きゃー」と手をぶんぶん振り返す。


「今日は私服なんだね」


 如月が話しかけると、二人は嬉しそうに「はい!」と強く返事をした。


「今日は日曜日なので、遊びに来ました」

「あ、このクマ、前も買ってなかった?」

「えっ、覚えてるんですか!? このクマが凄く好きなんです!」

「はは、これ可愛いの?」

「可愛いですよ! ほら、この寂しそうな顔が可愛くないですか?」

「うーん、ちょっと分からない」

「えー、ひどーい!」


 波瀬がどんな表情をしているのか千奈津には分からないが、きっと不貞腐れているのだろう。


「お会計、五二五円です」


 隣に如月がいるのに、不愛想な声色で言う波瀬。

 女子高生二人は気にしていないようで「はーい」と明るく答えている。

 商品を購入した後、二人は如月に「また来ます!」と大きく手を振って店を出ていった。


「如月さん、あの子たち知り合いですか?」

「最近来るお客さんだよ」

「ふうん、仲良しなんですね」

「もしかして嫉妬してるー?」


 冗談ぽくにやにや笑う如月に、波瀬は「え!?」と声を上げた。


「いや、別に、そんなんじゃないです。あたしは店員であの子たちは客だし。別に嫉妬とか、そういうのじゃないです」

「本当にー?」

「本当ですもん」


 ふいっと顔を背けて視界から如月を消すも、如月が気になるのかすぐに視界に入れる。


「先輩が嫉妬してほしいなら、してあげますよ」


 如月の袖をつまみ、乙女の顔をしてちらちら如月の反応を確認する。


「ははは、俺モテモテになっちゃう」

「先輩はモテモテですよ」


 千奈津は、自分の前と如月の前とで態度が違う波瀬を見て、この二人の間に割って入ったらどうなるだろうと想像した。

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