第18話


         ※


 ゆるゆると意識が覚醒していくのを感じ、重い吐息を漏らす。

 改めて、自分が畳のリビングで寝入ってしまったことを思い出す。ついでに、汗びっしょりであることも感じられた。


 頭を拭くのが十分ではなかったのか、またはすぐに汗をかいてしまったのか、それとも――最も望まない原因だが――僕が感極まって落涙してしまったから、なのだろうか。


 嗚咽を漏らしたり、号泣したりすることはなかった。そんなこと、今までに何百回もやっている。こうして家族写真を見ながらであれば、なおさらのこと。


 笑顔の両親を両脇に従え、僕と省吾が真ん中に立っている。

 僕は緊張気味だったのか、口を真一文字に結んで、こちらをじっと睨みつけている。

 対する省吾は、右手でブイサインを作りながら満面の笑みを浮かべている。


 ここで奇妙なのは、省吾が取った行動だ。

 背景や僕と両親の服装が夏のものであるにもかかわらず、省吾は長袖長ズボンのパシャマを着ている。

 思い出す限り、省吾が極端な暑がり、または寒がりだったという記憶はない。


「ああ」


 僕はある可能性に行き着き、ぞっとした。

 省吾の長袖長ズボンは、自分がいじめられた怪我を隠すために着ている。

 そんな結論に至っていたのではなかったか。


「そ、そんなことないよな、省吾? まさかお前がいじめの標的になんて、なってるわけがないよな?」


 か細い声になりつつも、僕は写真の中の省吾に問いかける。しかし省吾は、満面の笑みでパジャマの腕をばたばたやっている。何も答えてはくれない。


 僕はその場で崩れ落ちた。膝がごとん、と鈍い音を立てる。

 自分の頭部から、熱風が発せられている感じがする。

 残念だが、省吾を傷つけていた連中のことは分からない。だったら。


「だったら、自分の敵は自分で仕留めないと、な……」


 即断した。明日の登校時間中に、西浦剛を殺す。


         ※


 そう覚悟を固めたまではよかったが、それゆえに興奮してしまって、とても眠れる状態ではなかった。


「まだ午前三時、か……」


 西浦を殺害するにあたり、イメトレは随分繰り返した。その一回ずつが、いじめられてきた自分の心の傷に塩を塗り込むようなもので、二、三回はトイレで嘔吐してしまった。

 夕飯を摂るのを忘れていたので、結局胃液しか出てこなかったけれど。


 ところで、僕には一つの疑問があった。

 自分の心の動きについて、とでも言えばいいだろうか。さっきの『頭部から熱風が発せられている感じ』というものだが、あれは何だったのだろう。

 僕のさして長くもない人生の中で、あんな感覚になったのは初めてだ。


 だからこそ、僕は自分が今まで見聞きしてきた様々なメディアから、この感情が何なのか、読み取ってみなければならない。

 テレビや映画、ラジオ、それにインターネット。それらを総合すると、一つの答えに辿り着いた。


「怒り……?」


 怒るとか叱るとか、そういう話だろうか。イメトレの前に、一考しておいた方がよさそうなテーマだ。

 どうせ今日は眠れまい。だったらせめて、身体を横にしてエネルギーの温存に努めるべき。そして胸中でわだかまる疑問、すなわち『怒りとは何か?』に対して答えを出してやらねばなるまい。戦っている最中に雑念が入ってくるようでは困る。


 これらの事項を整理して、理詰めで考えを先鋭化させていく。

 僕は身体を仰向けにして、両腕を枕の裏側に突っ込んで目を閉じた。


         ※


 規則的に鳴る電子音を聞いて、僕は目を覚ました。結局、徹夜になることはなかった。いつの間にか眠ってしまったからだ。何か支障をきたすような事案ではないだろう。


 それよりも、記憶にある限りの『怒り』というものについて、考えをまとめておこうと思った。

 自室を出てダイニングに入り、冷蔵庫を展開。牛乳をコップ一杯分注いで、ゆっくり胃袋に流し込む。


 いつもなら、小鳥のさえずりにじっくり耳を澄ますところ。しかし今日はノイズとしか感じられない。突如として自分の腹が膨れ上がり、静かにしろ! とでも叫びながら破裂してしまいそうだ。


 僕が今日の未明までの時間に考えついた『怒り』。それはずばり『力』だった。

 もっと言えば、『暴力』だ。

 この世に生を受けてから十六年。どうしてこんな単純なことに気づかなかったのか、自分でも分からない。


 今まで『暴力』というものを、僕は随分と嫌悪し、醜いものだと思っていた。

 でも、仕方がないじゃないか。話の通じる相手ではないのだから。言葉で解決できないのなら、僕は僕なりの、より分かりやすいやり方で西浦を倒す。もし死なせたら? 知ったこっちゃない。


 自分から喧嘩を挑もうとするにあたり、疑問が現れては消え、消えては現れる、という体験を繰り返した。果たして自分は正しいのか、と。

 周囲の人間から同情を買う方法は様々だ。気弱であったり、小柄で痩せっぽちだったり、両親の不和による心的外傷だったり、と。そして大抵の人間は、そんな僕を憐れんでくれる。


 僕はそれを利用していたのかもしれない。いじめられるという事実は変わらないにしても、自分は弱者だから、という言い訳ができる。そして自分の内にある『怒り』をぼやかすことで、暴力行為に出そうになるのをどうにか食い止めてきた。


 だが、それも今日でお終いだ。片を付けてやる。

 この真っ赤な魔眼の力、じっくりと堪能してもらおうじゃないか。

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